Apr. 22, 1997 | May 6, 1997 |
Art Watch Index - Apr. 29, 1997
【いかにエヴァンゲリオン・スタイルは生成したか ―『新世紀エヴァンゲリオン劇場版/シト新生』】 ………………●五十嵐太郎
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『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版/シト新生』
主人公シンジ
「第1の適格者」 写真:ガイナックス
Evangelion http://www.gainax.co.jp/ eva/evaindex-j.html
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いかにエヴァンゲリオン・スタイルは ●五十嵐太郎
壊れた物語 もしも映画が、観客を暗い部屋に閉じ込め、限られた時間で決着する理解可能な物語を提供すべき場であるとしたら、本編はとてつもない失敗作となろう(TVもそうならば、問題の最終二話も失敗だ)。何の予備知識もなく劇場を訪れた人には、物語が100%理解不能であるからだ(近未来SFであることぐらいはわかるが)。すぐに疎外感を味わい、ただ情報の洪水に圧倒されるばかり。なぜか。それは、これまでのアニメがTV版→劇場版の過程において、初めての人にもわかり、かつファンの人は通して物語を見られるストーリー・ダイジェストを目指していたのに対し、エヴァがTV版のリミックス・ヴァージョン、それも時間軸すら解体した劇場版『DEATH』編を制作したからにほかならない。エヴァの劇場版は、編集の暴力性が突出した異様な作品である。最近では、時間の順番をばらばらにした『パルプ・フィクション』(1994)や、物語の視点をばらばらにした『ショート・カッツ』(1993)の試みをあげられるが、それとてもジグソー・パズルの断片が最後はきれいにおさまる。疾走する情報の過剰性と言えば、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)は記憶に新しいが、逆に物語自体はひどく単純なラブ・ストーリーだった。 映像の快楽
つまりところ、エヴァの劇場版は、あらかじめビデオやLDによる観者の予習を前提にしているのだ。でなければ、『DEATH』編は72分にも及ぶ、壮大な予告編でしかない(一方、27分の新作部分『REBIRTH』編も、結局は夏の完結版への予告編ではないか?)。そして本放送の低視聴率にもかかわらず、これを可能としたのが、われわれを取り巻くメディア環境である。少なくとも『宇宙戦艦ヤマト』(1977)やガンダム三部作(1981-83)は、それぞれTVの初放映が74年と79年であり、現在のように、誰もがビデオやLDを持ってはいなかったし、レンタルビデオもそれほど普及してはいなかった。だから、なおさらのこと劇場で全体像を示さねばならない。対してエヴァは、進化したメディア環境によりその要請が減じられており、むしろ意図的に物語の要約を拒否した感が強い(もともと要約が困難な内容だが)。加えて、繰り返し映像を確認できるソフトのおかげで、1度だけ見てもわからないTVアニメを送り出すことが許され、それをエヴァは最大限に活用している(錯綜するプロット、コマ送りでのみ認識できる映像……)。 [いがらし たろう/建築史]
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