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『反芸術』から遠く離れて
――太田三郎展
暮沢剛巳

一般にこの事実がどの程度知られているのかはわからないが、貸画廊制度は日本独特のものだという。画廊とはいっても要するにレンタル・スペース、所定の金額さえ支払えば誰でも一定期間借りることのできる施設であり、ギャラリストはそこで展示される作品の質に対して必ずしも責任を負わなくてもよい。ということで、この制度はしばしば欧米諸国のメセナ制度などを引き合いに出した上で批判にさらされる。曰く、「日本は芸術支援に理解がない」「見るに値しない駄作が大量に発表されている」「作家・作品の質に責任を負うべきギャラリストの鑑識眼が養われない」、云々…… 。キャリアに乏しい若手作家にとって貴重な作品発表の場には違いないのだが、往々にして不安定な生活を強いられている彼(女)らにとってそのレンタル料金は相当に高額なはずで、その現状がまた「作家の負担をさらに増大させている」と新たな批判を生むことになる。
 ただ、この長い不況下においても貸画廊が店終いしたという話をあまり聞かないのは、この制度が当の作家たちに広く受け入れられていることの証明ではある。何しろスペースを借り受けた作家は、同時に自分の個展のセルフ・プロデューサーをも兼務しており、美術館等での展示よりもむしろ制約に乏しい。自らの裁量と責任において、どのような作品をいかなる形態で発表しようとも基本的には自由なのだから、この制度があって初めて成立する作品も確かに存在するとは言えるだろう。例えば、かつて「千円札裁判(*)」で世を賑わせた、旧千円札をモチーフとした赤瀬川原平の連作などがそれに当たるはずで、紙幣に印字されたその経済的価値を芸術作品の価値と重層化させるその「反芸術」は、展示作品の経済的価値が施設の利用料金に否応なしに影響される貸画廊という空間でゲリラ的に展開されることによって、その猥雑な説得力をさらに増すことになった。「千円札裁判」の法廷で、作家を弁護した批評家諸氏はしきりに「芸術の自律性」を訴えていたらしいが、今にして思えば、本来「反芸術」の立場から創られた作品を擁護するのに、臆面もなく「芸術!芸術!」と強調していたのは何とも滑稽である。この点に関しては、前回本欄で紹介した椹木野衣の『日本・現代・美術』でも詳細に論評されているが、一連の赤瀬川作品をとりあえずデュシャン的な文脈の外に位置付けようとする氏の見解には私も全く同感だ。ともあれ、作家の自由と等価であるはずの「芸術の自律性」が、“作家を抑圧する”貸画廊によって保証されているとすれば何とも皮肉なことである。

ようやくここで、今回の本題である太田三郎展の話題へと移行するのだが、私は別段ここまでの前置きが長すぎたとも冗漫であったとも思わないし、それどころか、今回の個展を語る上ではこの前置きが不可欠であったと確信している。その理由は、展覧会場へと足を運んだ者にはたちどころに了解できるだろう。太田三郎は長年切手をテーマとした作品にこだわってきた作家で、今までは様々な郵便局や日付のスタンプを採取したり、既製の切手シートに自作のスタンプを押印したり、あるいは昆虫や種子をモチーフとした自作の切手シートを制作したりして、それらの多様なコラージュ作品を発表してきた。本人の説明によれば、自作の切手シートを制作する場合、従来はまず図案を確定してからそれに付随する金額を決定するというプロセスで制作していたのを、その順序を逆転してみた結果、1,000=千円、10,000=一万円というごく常識的な発想へとたどり着き、紙幣を図案とした切手を制作しようと思い立ったのが、今回の展示作品が制作された経緯らしい。

もちろん、太田の意図は赤瀬川の「反芸術」とは似ても似つかぬものである。法律に抵触してまで「表現の自由」を追求しようとしていないことは、切手の図案が幼児教育用のダミー紙幣から採取されたことからも明らかだし、一貫して切手をモチーフとしてきた姿勢は、切手本来の意図である手紙・書簡によるコミュニケーションを念頭に置いたものではあるだろう。今回の展示もそうした従来の意図の延長線上にあることを決して軽視するべきではない。だが、図らずも切手の図案として紙幣が導入された結果、太田の作品は“象徴的等価交換物”を二重に模造したことになり、しかもそれが貸画廊における売買の対象として展示されたことは、この作品が芸術的価値と経済的価値との対蹠点へと否応なしに引きずり下ろされたことを示している(無論この事実は作品の価値を貶めるものではなく、むしろ逆である)。ここまで明らかな事実の水準において、既に述べてきたような「芸術の自律性」と表裏一体の猥雑さに対して全く鈍感であるのは、かえって不自然というものだろう。
 切手にしろ紙幣にしろ、その紙切れ自体にはほとんど何の価値もなく、国家の保証によって辛うじてその額面通りの価値が認知されている“象徴的等価交換物”に過ぎない。ここに、オリジナルとコピーの関係が転倒する「シミュラクル」が生起する余地があるわけだが、その芸術上の実践が必ずしも「反芸術」であるとは限らないし、またそれをシミュレーショニズムと結びつけて考えなくてもよい。強固な理論武装を伴わないささやかな作品であっても、芸術と経済の猥雑な関係を明らかにできることを、太田は教えてくれたのだ。

太田三郎作品

千円
千円切手 EB630511X-A
(部分)



五千円
五千円切手 P744540A-B
(部分)



一万円
壱万円切手 DC727510X-A
(部分)


写真提供:ギャラリーなつか


千円札裁判
1963年、千円札を模写してお札の「模型」を制作したことにより警視庁の摘発・捜査を受け起訴された事件。
《太田三郎展》
会場:ギャラリーなつか
会期:1998年3月30日〜4月18日
問い合わせ:Tel.03-3571-0130

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