《〜アートで歩く京のまち〜KYOTO ART MAP(KAM)》というイヴェントについては、以前にnmpの関西特集でも紹介をした。5月19日〜31日までの2週間の会期中に、私は22軒の参加画廊のうち18の画廊を4日に分けて歩いた。そこで、いったいどのようなイヴェントがおこなわれたかをリポートしたい。
新緑が鮮やかな、一年中でもっともさわやかな季節が五月だろう。多くの京都の祭りのなかでもひときわ厳かにして華やかさのある上賀茂神社の葵祭もこの季節にある。“画廊まわり”はそもそも私にしてみれば、仕事上の理由もあるが、興味深いものと出合うきっかけをはらんだ「散歩」でもある。KAM主催者がこの季節を開催時期に選んだのは、大正解で、非常に気持ちのいい散歩も兼ねることができた。同時期に開催されていた「芸術祭典・京」の一環である「京を創る」という隣接する三つの寺社の境内をつかった野外展などに途中で寄り道したりしながら、大いに楽しんだ。
KAMでは、それぞれの画廊の推薦作家の展観がその空間を活かしておこなわれており、いわばハズレがないという仕掛けになっていた。ダムタイプ、やなぎみわ、椿昇、小杉美穂子+安藤泰彦という継続して第一線で活躍する30〜40代のアーティストから清水九兵衞といった大御所の個展まで、出品作家によって画廊の個性を出していた。歩いているものにすればとても有難い環境だ。けれど、ここまではこれまでにも他の場所でおこなわれてきた同様のイヴェントとなんら変わりはない。
各画廊に、作家・作品紹介のリーフレットが備えられ、スターター・キット(200円)と呼ばれるオリジナル・マップつきのファイルにそれらをはさんでいき、22軒全部まわるとカタログが完成するという趣向になっていた。全部はまわれないという人のためにはカタログ(1000円)も用意されていたが、完売したということだ。
驚かされたのは来場者の数である。平均的な他の週との比較でいうと、もちろん全部の画廊を皆がまわるわけではないので総数にばらつきはあるが、約3〜5倍の人が訪れたということだ。多いところでは2週間で約1800人にも達した。狭い画廊のなかが、作品を落ち着いてみることも叶わないほど混雑していたところに私も遭遇している。京都は大学の町としての顔ももつ、そのなかには美術系の専門学校・短大・大学も多い。このイヴェントのリポートというのが授業の課題としてかなり出ていたようだ。私が週1回講師を勤める短大でも他のいくつかの講座で課題が出されていた。
FMや情報誌などのメディアでもとりあげられていたため、さらに客層に広がりが出ていた。若い世代の人達が多かったが、ふだんは美術にあまり触れることのない一見のオーディエンスをよく見かけた。何故それがわかるかといえば、関西弁を話しているが、京都のガイドブックと黄色と黒のこのオリジナルマップの両方を握りしめてキョロキョロしながら歩いているからだ。22軒の画廊は京都市内各所にばらついて存在するが、数軒が集まるエリアにくると、黄色と黒のマップを手にもって歩いている人にあちこちで出くわした。
関連事業のリレートーク「次代に向けてのネットワーク〜ひと・まち・アート〜」(5月23日)では決まったシナリオはいっさい定めずに、集った人全員がスピーカーとなって参加できる場がもたれた。各々が考える現在の状況を話したり、ある人は自分が参加しているプロジェクトのプレゼンテーションをはじめたりと、とりとめのない雑談を大勢でするといった感じの風変わりな会であった。
とにかく、多くの人を巻き込んで二週間の会期は終了した。
実行委員会事務局をつとめたギャラリー16の担当者は「KAMのモットーは敷居は低く、質は高く。通常なかなか入りにくいと思われていた方も、この期間は気軽に入れる雰囲気があったようです。作品もきちんと御覧になり、わからない事もどんどん質問されていました。もちろんお答え出来ることはわかりやすく説明するようにしましたし、話しているとどんどん輪が広がっていったのが印象的でした。そして、やはり実物を観る・体験することの大切さを観客の方々より
伺うことが出来たのは嬉しい限りです。また、この期間に限らず複数のギャラリーを巡る流れが浸透するよう随時違う展覧会があることも併せてお知らせしました」と語ってくれた。
参加している画廊のほとんどが貸画廊として運営されているところだ。多くの画廊が1週間単位でスペースを貸しているため、画廊は毎週みてまわることになる。ただ、毎週いつも満足して帰ることができるかどうか保障されてはいない。今回のイヴェントを機会にリピーターとして画廊をまわる人の期待に応えることができるかどうか。それは今後の日々の画廊側の対応や、情報の提供のしかたにも委ねられるところがある。今年、初めての試みではあったが、来年の日程もすでに決定している(1999年5月18日〜30日)。
京都の街のもつ魅力に助けられたこと、また美大の学生など潜在的に興味をもっていた層の若者たちが口コミで盛り上げていってくれたことも確かだ。それにしても人が動いたという事実は重要だ。私たちは、さまざまな手段を得ることで本来的な意味でのネットワーキングの大切さをともすれば忘れてしまいがちな日々を送り、豊かになるはずの毎日をどんどん貧しくしているようなところがある。残ったのはオリジナル・マップだけだとは思えない。人が動いた数だけ出来事の数もあっただろう。来年のイヴェントにというよりは、画廊のこれからの日常的な活動にこそ期待をしたい。
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