reviews & critiques
reviews & critiques ||| レヴュー&批評
home
home
manga
マンガの国 日本−3
手塚治虫と現代マンガの表現技法1
MANGA
go tchiei
呉 智英
この原稿は、マンガをめぐる日本の状況を海外に紹介する目的でnmp internationalのために書きおろされたものである。

近代散文の出現に比される手塚治虫の登場

現代マンガは手塚治虫の開拓した沃野の上に繁栄している。これを表現技法を中心に考察してみよう。
日本マンガは外国の、特にヨーロッパの読者には、まるで映画のようだと形容される。「映画のようだ」という形容語は、1947年、手塚治虫の『新宝島』が世に出た時にも、後にマンガ家になる少年読者の口から発せられた。「映画のような」このマンガから戦後マンガ=現代マンガは始まったとさえ言える。
「映画のような」といったところで、マンガの絵(ピクチャー)は“活動(ムービング)”しているわけではないし、マンガのコマは映画とちがって形や大きさは自由に変えられる。従ってこれはあくまでも比喩である。それでは、どこが「映画のよう」なのか。
『新宝島』が多くの少年読者に衝撃を与えたのは、まずその導入部、主人公の少年が運転する自動車が波止場へ到着するシーンである。少年は出発する船に間に合うように急いでいるのだ。旧来のマンガであれば、ここはせいぜい一コマか二コマでよかった。なぜならば、この作品の本題は、少年がこの船旅で遭遇する冒険だからである。しかし、手塚は180ページほどのこの作品の8ページほどを波止場へ向かって疾駆する自動車の描写に費している。
その描写も旧来にはないものだった。クローズアップされた少年の顔がパンすると自動車の運転席になったり、海辺の街道風景の中の自動車が次第にアップされたり、あたかも映画のフィルムを順に貼りつけたようであった。
とりわけ、この後者が「映画のような」印象を与え、「映画のような」という形容語を使わせることになった。しかし、パンやアップの手法を手塚が映画から学んだとしても、マンガの絵はあくまでも“活動”はしない。しかも、この手法はあまり本筋には関わらない冒頭シーンだけで使われている。それでも、この作品全体が当時の少年読者に「映画のような」というしかない印象を与えたのは、まさに本筋には関わらない冒頭シーンのために8ページもの紙数が費されていたからである。すなわち、この作品には、単なる荒筋ではない情景描写があり、流れるような物語の展開があったのである。
物語マンガは、絵物語を祖としている。絵物語では、絵は必ずしも物語の展開を担わず、そこに添えられた文章が物語の展開を担っていた。しかし、物語マンガでは、絵そのもの、またコマの進行や連繋(れんけい)がそれを担う。とりわけ、コマの統辞法が重要になる。このことをはっきりと手塚の『新宝島』は認識させたのである。これはいわば韻文に対する散文の出現であり、中世の騎士物語に対する近代小説の出現であった。これを「映画のような」と言うなら、対すべきは歌舞伎や能ということになるだろう。
ヨーロッパの読者が、日本のマンガを「映画のよう」だと感じるのは、ヨーロッパではコマの統辞法が未発達だからである。描かれる主題は高度なものでありながら、技法が近代散文の域に達していないのだ。
next
next

top
review目次review feature目次feature interview目次interview photo gallery目次photo gallery





Copyright (c) Dai Nippon Printing Co., Ltd. 1998