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「空即是色」プロジェクト
−もしも東京がお花畑になったら
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港区の空地に咲かせたひまわり。
ひまわりは海の精・クリティの生まれかわり。
この花で東京湾を飾りたい
熊倉敬聡
私は今、群馬県のとある山の中にいる。眼前には圧倒的な「自然」があり、私の預かり知らぬ無数のプログラムの他者性が蠢いている。人間は、文明は、この他者性を可能な限り馴化しようとしてきた。人間の「自己」の中に摂り込み、そうして逆にその「自己」を拡大しようとしてきた。しかし今や、その「自己」の拡大も破綻しようとしている。穴だらけになろうとしている。そんな破綻の兆候のひとつを、われわれはたとえば東京の「空地」に見ることができる。
80年代、いわゆる経済の「バブル」化により、東京の都市空間も大きく変貌した。明治時代から培われてきた都市の「モダン化」を無視ないし破壊しつつ、ハイパーリアルな建築環境がいたるところに接ぎ木されようとしていた。「モダン都市」東京は(「プレモダン」的余剰も抱えつつ)、急速に超近代へと脱皮しようとしていた。しかし、「バブル」は崩壊した。それとともに、「脱皮」も頓挫し、都市東京は奇妙なストップ・モーションに陥った。
その人間の奢りの破綻の無様な結果が、たとえば今「空地」というかたちで残されている。それは、人間の「自己」の生々しい傷口であるとともに、地上げなどの犠牲になった個人の痛々しい傷跡でもある。しかし、そのまわりに今も生活している人々は、まるで何事もなかったかのように、その「傷=空地」を忘却しつつ日常の営みを繰り返している。そんな不可視の人類史的ないし個人史的傷跡を、色とりどりの花畑に変貌させようとしている人々がいる。その名も
「空即是色」プロジェクト
という。
もちろん題名は有名な般若心経の一節から採られている。だが、難解な仏教哲学的含意を云々する前に、彼らはこの言葉を文字どおりにとるという想像力を働かせた。東京の「空」地が「色」とりどりの花畑に変わったらどんなにすばらしいだろうか、という途方もない想像力である。そして彼らはただ単に想像しただけでなく、それを実行しているのだ。
彼らは東京の空地に花の種を蒔いている。コスモスやひまわりの種を蒔いている。しかし、当然のことながら、都市には目には見えない様々な法的規制や不文律があり、このような美しい企てを簡単には許容してくれない。が、彼らは、空地をめぐるそのような不可視の制度の可視化をもプロジェクトの一環として取り込みながら、種を蒔き続ける。したがって、それは決して単なる「ロマンティスト」たちの「ファンタジー」ではない。
東京湾のただ中に「第二海堡」という古の要塞がある。関東大震災の傷跡をそのままに何十年も放置され、現在は釣り人たちへの漁礁となっている。それは、いわば東京における究極の空地のひとつである。彼女たちはその島にひまわりの種を蒔いた。島を花畑にするために。東京湾のど真ん中にぽっかりと浮かぶ黄色いひまわりの花畑……。
しかしまたもや、この国の政治は英断を下す。なんと、この東京でも稀な歴史的建造物の防空壕ならびに砲台跡を、崩落の危険があるからと、閉鎖め埋め戻しするという。そして、(おそらくは無粋であろう)「防災訓練センター」なるものを建てるという。工事はすでに始まっている。
先日、ヴェネツィア・ビエンナーレに行って来た。そういえば、展覧会の一部「アペルト」は古の海軍の兵器廠で行なわれていたのではなかったか。そんな発想を、この国の行政はいつになったらできるようになるのだろうか。
東京湾の入口に浮かぶ人工の要塞・第2海堡。今はもう用を成さない究極の空地
明治時代につくられた煉瓦の要塞。97年夏、地下壕の埋め戻しと、新施設の建設工事が始まっている
97年4月、第2海堡の南の丘にひまわりの種をまいた。6月から7月にひまわりが咲いた。この丘もひまわり畑も今は砂の下
写真提供:三澤純子
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