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「脱世界史性」もまた一つの歴史?
─バットシェバ・ダンスカンパニーの公演を観て思ったこと
熊倉敬聡

闇と光:人類史への瞑想

イスラエルのコンテンポラリー・ダンスの代表的カンパニーであるバットシェバ舞踊団が初来日した。東京でも三つのプログラムを行い、私はそのうち「ジーナ」と「アナフェイズ(細胞分身)」を観た。
 それは確かに世界のコンテンポラリー・ダンス界の第一線に位置づけられうるものであったし、また「ステージ」を作る上での壺を十分に心得たまさに心憎い舞台ともいえるものであった。その主な特徴は、ステージ言語の多様性と観客への挑発にあるだろう。前者に関して言えば、例えば、ダンスあり、ロック・コンサートあり、映像のプロジェクションあり、民族的祝祭の引用ありと、ありとあらゆるジャンルを横断し、しかもその舞台への導入の仕方が一つ一つ非常に独創的なアイデアに彩られたものばかりであった。また、後者に関しても、突然、客席に向けて発砲したり、観客と様々なゲームをやったりと、その挑発の仕方も多種多様で、観客に最後まで心地よい緊張感を強いる類のものであった。しかし、それは正直なところ、どんなに多様で、壺を心得たものであるとしても、あるいはそうであるからこそ、様々な舞台言語とアイデアの「アマルガム」のように見え、例えばフォーサイスのある種の舞台が生み出す強度には遠く及ばない気がした。私が関心を持ったのは、したがって、そういった側面ではなく、ある一点のみであった。ステージ上の闇と光である。それは何か特殊なものであった。今まで自分の舞台経験では観たことのない性格のものであった。それは一言で言えば、「歴史」の闇・光であり、その厚み、深みは、舞台づくりの巧みさを大きく越えて、そこに文字どおり現前していた。しかもその「歴史」は近現代史といった射程に留まらず、いわば人類史的広がりをもっていた。それは人類史への「瞑想」であり、実はバットシェバ舞踊団のパフォーマンスとは、上述したようなステージづくりにあるのではなく、この闇と光の表情が醸し出す歴史自体のパフォーマンスにあるのではないかとさえ思った。

ジーナ1
ジーナより
「歴史」の不在の肯定を越えて

この独特のステージの歴史性は、おそらくイスラエルが現在おかれている世界史的な状況、そしてそれを引き起こした過去の歴史が強いる特異な緊張によるものであろう。その緊張が半ば無意識的に闇と光のパフォーマンスとして現れているにちがいない。
 そうしたステージを観ながら、私は(以前にこのnmpにも何度か書いたことのある)日本のいくつかのカンパニーの「脱世界史性」を思い出していた。例えば、Nestやパパ・タラフマラの最新作にみられた、歴史からの救いがたい離陸。それと、このイスラエルのカンパニーとではあまりに対照的なことに改めて驚愕した。
 しかし、同時に思ったのである。この日本のある種の同時代のアートが作り出す「脱世界史性」もまた、実は世界史の一部ではないかと。彼らにとっての歴史とはまさに歴史の空白、不在にこそあるのではないかと。そこで思い出したのは、最近必要があって読んだ江藤淳の『成熟と喪失』であった。彼は吉行淳之介のある作品を論じてその「人工性」を指摘していた。彼の論によれば、母性への密着が強く、父性が不在であった明治以降の日本社会は、第二次大戦後、その母性をも喪失していく。そして、父性も母性にも依拠できぬ社会は例えば吉行淳之介の小説の技巧性・人工性が予感しているように、その人工的な環境を唯一の生きる場としていかなくてはならない。そういった、後の80年代のバブル的消費社会をも予言するような論を、江藤は昭和42年の段階で展開している。江藤はその人工性をもちろん批判し、その中では真の「成熟」はないと見ているが、一方、最近出たばかりの大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍』は、この江藤の論に大きく負いながらもそれを捉え返し、この人工性こそ戦後に生まれた者たちの唯一の「現実」であったのであり、その人工性から生まれた通常「サブカルチャー」と呼ばれているものこそ、唯一の「カルチャー」なのである、といった逆説的な論を繰り広げている。

ジーナ2
ジーナより


写真:飯島 篤
確かにそうなのかもしれない。大塚も言うように、この「サブカルチャー」「人工性」「歴史の空白」を肯定することに堪えられず、新たな「歴史」、「正史」への焦燥にさいなまれる者たちが、あるいは「オウム」に、あるいは「新しい歴史教科書を作る会」に走ったりするのであろう。しかし、そのようにして、歴史、リアリティの「不在」が唯一の歴史、唯一の現実だとしても、私はその肯定だけに安住する気もまたないのである。なぜなら、世界全体がそのような記号論的ないしメディア論的タナトスに自らを昇華していこうと言うのなら、ある意味で仕方がないが、どうも世界史はそうは進まないように思えるからである。イスラエルのバットシェバ舞踊団の闇と光が描く「リアルなもの」への瞑想こそ、今「脱世界史」的環境に生きる者に一番必要なのかもしれない。
バットシェバ舞踊団
《ジーナ》
会場:彩の国さいたま芸術劇場大ホール
会期:1997年9月4日(木)〜9月7日(日)
《アナフェイズ(細胞分身)》
会場:東京国際フォーラムホールC
会期:1997年9月9日(火)〜9月12日(金)
問い合わせ: Tel.03-3580-0031 財団法人 日本文化財団

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