80年代のヨーロッパ演劇が、演出家による主導の時代とするなら、その中枢の一角を確実に担っていたであろうフランスのブレヒティスト、パトリス・シェローの演出舞台がようやく日本に上陸した。といっても演劇ではなく、アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』で、ベルリンのウンターデンリンデンの国立オペラの来日レパートリーのひとつとしてである。 そもそもオペラといった形式が20世紀芸術にすでに存続し得るのか、といった本質的問いが存在する。ここ近年には、パスカル・デュザパンとジェームス・タレル美術・照明のコラボレーションによる抽象的な光によるガートルード・スタインの新作オペラや、今年日本でも公開されたライヒの『ザ・ケイブ』のような音声と身体を電子テクノロジーを通して映像と連係させる新しい劇場音楽形式もすでに生まれはじめている。今回のベルリン国立オペラは、視覚面と音楽面が共調してこの問いに取り組む体制をとる数少ない公演といえるように思う。だが最大の関心はやはりシェローの演出舞台である。同じくアルバン・ベルクの『ルル』3幕版を1979年にパリオペラ座でブーレーズと記念碑的に初演したシェローが『ヴォツェック』にいかなるアプローチをしているか。かつて、それによってオペラは死んだ、とさえ宣言すらされた『ヴォツェック』の再読ほど20世紀の最後に相応しい舞台はないだろう。 シェローの『ヴォツェック』の舞台は、コンテナのような抽象的キューブによる構成体である。シェローに欠かせないパートナー、リシャール・ペドゥッツィの舞台美術は、それらが建築的に積み木細工のように重なり、一見アルド・ロッシ調のカラーにそれぞれ色分けされている。しかもこのキューブにはキャスターがついており、遠隔操作によって動きだし、重なり面がずれたり、かみ合い直したりしながら舞台空間を場転なしに変化させていく。人物は動かなくともセノグラフがオートマトンとして変動していくのである。一見奇抜なアイデアにみえるが、抽象キューブは大戦間の20年代に登場した抽象都市(例えばマルセル・レルビエ『人でなしの女』の装置)を想起させるし、装置の動きはピスカートル風であり、理由のないわけではないのだ。ベルクの初演当時の時代性の用意周到な抽出作業が認められる。しかもこのキューブの構成は、やはりシェローが演出したベルナール・マリー・コルテスの『西埠頭』『綿畑の孤独の中で』の舞台装置の残照としても映り、いわばベルク/シェローの2重の同時代性がオーヴァーラップされていることになる。
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シェロー演出によるアルバン・ベルク『ヴォツェック』
――オペラの終幕
阿部一直
オペラで日本に上陸したパトリス・シェロー
記者会見インタヴューなどの日本側の取材では、オペラ演出家としての側面ばかりが強調され、ジュネ最晩年における最も独創的なジュネ劇解読者であり、エイズで夭折したベルナール・マリー・コルテスの共闘者としてのシェローの同時代性といった重要な背景理解は薄いように感じられたのは残念である。アルバン・ベルク
http://www.stat.phys.titech.
ac.jp/hp/tnishita/music/
berg.html
20世紀芸術としてオペラは存続し得るのか
nmp.j10月16日号(1997)
ライヒ+コロット『THE CAVE』
日本公演&ヴィデオ・インスタレーション
●伊東 乾
表現主義的再現を廃した舞台
驚くことは、『ヴォツェック』には常套的な、表現主義的細部描写が視覚的に完全撤廃されていることで、冒頭のヴォツェックの大尉の髭剃りといったフェティシュな抑圧的身体がまったくシーンとしてなぞられない。ただテキストと音楽がセノグラフの変化と呼応するだけである。その反面、ただ無表情な背景と映っていた壁面が、一瞬にして密かに刻まれた切れ目が前後にズレだし、巨大なレリーフとなって出現する時、われわれは空間そのものの機械性に戦慄を覚えざるを得なくなる。「ヴォイツェックの十字架刑は、機械で行われるようになるだろう(ハイナー・ミュラー)」。
シェローは、テキストと音楽がヴォツェック自身をすり抜けてやり過ごし、それらが相互に空間の想像力に働きかけ自己展開していくことを精密に検証するのである。しかもイメージの強度に依存することを慎重に避けながら。『ルル』においてそれでも残虐的に露出していた、光沢壁面やコンクリートのホリゾントといったイメージの露出は、『ヴォツェック』ではイメージの罷免を告知するかのように徹底した空間との分離作業にみまわれる。シェローの「もうオペラは演出したくない」という一言は、表象再現不信の現在においてきわめて透徹した響きをもっていると受け取らねばならない。
オペラ『ヴォツェック』
会場:神奈川県民ホール
会期:1997年11月22日(土)、24日(月)
問い合わせ:Tel.045-662-5901
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