キュレーターズノート

平川ヒロ「よじのぼったネズミと、くぐりぬけようとするネコ」/京芸Transmit Program#2 転置 ほか

中井康之(国立国際美術館)

2011年06月15日号

 絵画を成立させる絶対必要条件は、素材と表現主題の二項目に限定されると、これまで私はほとんど疑うことがなかったように思う。そのような硬直した思考に対して軽い衝撃を与えてくれたのは、昨年11〜12月にトーキョーワンダーサイト(TWS)本郷で個展を開催していた平川ヒロの作品に見ることのできた方法論によってであった。

 その個展は二つの展示空間に分かれていた。奥の広い展示空間には9点の絵画作品が掛けられ、手前の小規模な空間には糸や布や裸電球などによるインスタレーション状の展示が施されていた。ただし、その小さな展示空間の正面奥の壁面に、不定型な何枚かの白い布が縫い合わされた絵画のような表情を持つ作品に、その作家の意図があることに直ぐに気付くことになる。そして、その白い布の集合体が作り出す模様は、もうひとつの大きな展示空間に掛けられた窓から外を望む光景が描かれた絵画作品群に同様の構図が見出されることにも気付くだろう。そのあたりまで平川作品の構造に導かれれば、彼の意図は明らかになってくる。その小さな部屋に施されたインスタレーションは、その白い布によって示された光景を反映しているのである。
 展示空間入口近くに掲示された平川の趣意書には、自分の作品を成立させている三つの条件は、絵の具、支持体、絵画を展示する展示空間と建築物である、とその文書の冒頭部に示されていた。そして、その三者の関係性を問う行為が作業や工程はさまざまな方法を取りながらもそれは絵を描くという概念に収斂していくのである、という趣旨の文書が綴られていた。絵画は、歴史的な事実として建築物の一部から派生してきたものである。絵画がポータビリティを獲得するのは、菩提寺としての教会を離れながらも礼拝を維持するための聖画像だった。歴史的な経緯によってさまざまに変貌を遂げ、モダニズムの洗礼を受け、単なる物体(オブジェ)と化するような地点にまで至ったことも周知のことだろう。それ故に、絵画に表現された図式の構造がその展示空間に反映してインスタレーションとなりそれが絵画の構造になる、という循環こそが、絵画を成立させることだという指摘(平川の趣意書にはそのような循環構造を示唆する箇所があった)には、虚を突かれたような衝撃があった。
 すっかり前触れが長くなってしまったが、その平川の新たな展開を京都で見ることができた。TWSでの方法とは異なり、部分と全体の係わりが、ひとつの展示室内に掛けられた、あるいは設置された個々の作品間の交通であったり、あるいは他の展示空間をモデルとするなどの方法によって、よりダイナミックな関係性をそこに生み出していたのだが、より重要な点は上記の三者の関係の破れを故意に見せている点にある。順を追って見ていかなければならないが、今回の展示を構成している個々の作品のなかで、前回と同様の方法で制作されているのは白い布を縫い合わせた作品である。今回もその作品を中心に全体が構成されている。TWSの展示では、その白い布の作品の構図がパラフレーズするようなかたちで別の部屋に9点の絵画が描かれていたのであるが、今回は同じ部屋に、しかも構図の相似性ではなく、その布地の縫い目から伸びる無数の糸の動きをとらえたような抽象作品として表われているのである。TWSでは、絵画の構造を、歴史的な視点をともなって提示したことに対して、今回は時間軸を逆転させて抽象絵画を表わし出したのである。言うまでもなく、これは、限定した部分をとらえることによって成立することとなった還元主義的な美術動向を批判的にモデル化したものであろう。そのほかにも、扉の前に人工的に朽ちさせた扉を置く、非常灯を布で覆うなど、機能を無化させて装飾的な要素を特化して作家の批判的な思考を表わしながらも、一個一個が、白い布の作品と関係性を保つことによって全体を構成したのである。


平川ヒロ《よじのぼったネズミと、くぐりぬけようとするネコ》2011年
展示風景、タカ・イシイギャラリー 京都
撮影: 市川靖史
Courtesy of Taka Ishii Gallery

平川ヒロ「よじのぼったネズミと、くぐりぬけようとするネコ」

会期:2011年5月14日(土)〜6月18日(土)
会場:タカ・イシイギャラリー京都
京都市下京区西側町483/Tel. 075-353-9807

 平川の絵画に対する思考は、今期、記憶に残った作品を評価する基準に、これまでとは異なる観点を与えてくれた気がする。例えば、4月に京都市立芸術大学ギャラリーで寄神くりのインスタレーションを見る機会があった。彼女の作品は、これまでも自らがデザインした絨毯や使用方法の不明な木工品など、いわゆる工芸と美術の領域を繋げることを意図したような作品を制作してきた。そのような、工芸品から実用的機能を捨象することによって美術へ昇華させる試みは、数多の先人たちが繰り返し挑んできたはずである。しかしながら、そのようにして、美術へと変貌を遂げたとき、それでは工芸とはなんであったのか、という新たな問題が生じるだろう。例えば、寄神がこれまで数多く制作してきた絨毯を、絵画と同様の価値基準で判断することにあまり意味はない。絨毯をつくるうえでの制約と材質感が、その独自な表現を成立させてきたはずである。ところで、今回の寄神のインスタレーションは、絨毯のような工芸作品が持っているある特色、シンメトリー性、パターンの反復、そしてなにより、その世界と共にあることによって実感することのできる親密性。そのような、美術作品には見ることのできない特色を、一定の囲われた領域内に充溢させることによって、寄神は独自な世界を成立させたのである。おそらく、工芸領域から生まれた表現は、美術領域とは異なる水路を経ることによって、現在の(あるいは未来の)美術という広範な表現領域に直接たどり着くのだろう。


寄神くり《owl hole in the room》2011年
展示風景、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

京芸Transmit Program#2 転置 -Displacement-

会期:2011年4月9日(土)〜5月22日(日)
会場:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
京都市中京区油小路通御池押油小路町238-1/Tel. 075-334-2204

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