キュレーターズノート

今和次郎 採集講義/今純三と考現学/再考現学

工藤健志(青森県立美術館)

2011年10月01日号

 去る9月11日はアメリカ同時多発テロから10年、そして東日本大震災の発生からちょうど半年という節目の日。現代社会のあり方や現代人の生活についてあらためて考えてみた人も多いのではなかろうか。

 筆者は9月1日に仙台から、石巻、女川、南三陸の被災地を見て回ったが、瓦礫の撤去はかなり進んでいるものの、一面の更地のなか、ポツリポツリと損壊した建物が点在し、荒涼とした大地にはどこまでも寂寥感がただよっていた。当日は波が穏やかだったぶん、美しい海との対比がより胸に迫ってくる。骨組みだけが残った南三陸町の防災センターの前に降り立ち、祭壇に手をあわせ、88年前の同じ9月1日に関東地方を襲った大地震に想いをめぐらせる。筆者は目の前に広がる地獄絵図を前にすべての思考が停止し、ただ呆然とするほかなかったが、同じような光景が広がったであろう関東大震災、その破壊と復興の過程に「今」を見出し、まったく新しい価値を創造した学者がいた。その名は今和次郎。関東大震災をきっかけに和次郎が提唱した「考現学」は、21世紀になった現在もなお強い影響力を持ち続けている。

 今和次郎は1888年青森県弘前市生まれ。1912年に東京美術学校図按科を卒業し、早稲田大学理工学部建築科に職を得る。1917年からは柳田國男のもとで古民家の調査に従事し、家とそこに住む人間との関係性を探っていった。そんな折に突如発生した関東大震災。「過去」のみならず、「現在」もまた一瞬にして消えてしまう可能性があることを知った和次郎の視線は、「都市」の「今」へと移っていく。震災ですべてを失いつつも瓦礫を用いてバラックをつくり、生活を新しく建て直そうとする人間の本能的なエネルギーと、日々変貌していく街並みを目の当たりにした和次郎は、その生活をつぶさに記録しようと考え、やがて、同時代の世相、風俗、社会の諸現象を対象とし、その調査、分析を行なう「考現学」を提唱した。ちなみに考現学は純粋な日本産の学問であるが、英名をつける際に和次郎はエスペラントを採用して〈Modernologio〉(モデルノロギオ)としている。
 また和次郎は、被災状況をたんに調査、記録するだけでなく、仲間たちとともにペンキとはしごを担いでバラックに絵を描く「バラック装飾社」の活動も開始し、日比谷公園の「開新食堂」や銀座の「カフェキリン」などへ、東京に芽生える新たな動きに呼応するかのような生命感にあふれる装飾を施していった。その取組みは当時、最先端かつ気鋭の建築デザイン集団「分離派」から野蛮だと激しく批判されるが、和次郎は「人生の世相を、生活を、それで醸される人々の気分を、その流るるままのものを」創作したいと反論している。震災をきっかけに新しく生まれ変わっていく都市と人々を記録するとともに、人間とその生活に密着したデザインのあり方を和次郎は模索したのである。


1920年、32歳の今和次郎
バラック装飾社が装飾を施した東條書店(外観)、1923


和次郎が採集した女の頭の型、1926
以上3点、工学院大学図書館所蔵

 そんな今和次郎に関連した展覧会が、この秋に青森で同時多発的に開催される。ひとつ目は青森県立美術館の「今和次郎 採集講義」(2011年10月29日〜2011年12月11日)。二つ目は青森県立郷土館の「今純三と考現学展」(2011年10月28日〜2011年11月27日)。そして、三つ目は今年7月から来年3月まで3期構成での開催となる国際芸術センター青森(以下、ACAC)の「再考現学」である。
 青森県立美術館の「今和次郎 採集講義」は、考現学のみならず、初期の民家研究から住宅の室内装飾、農家の標準設計やセツルメントの設計といった建築家・デザイナーとしての仕事、さらに戦後の服装研究、生活学など多岐にわたる活動をとおして、和次郎の「生活芸術」という一貫した姿勢を再検証する初の本格的回顧展。青森県立郷土館の「今純三展」は、和次郎の実弟であり、銅版画家として活躍した今純三の画業を紹介する企画。和次郎の考現学採集に協力していた純三は、関東大震災を機に故郷青森へと戻って銅版画に本格的に取り組み、100点からなる代表作の銅版画集『青森県画譜』(1933-34)を刊行する。そこには考現学的な視点によって採集された昭和初期の青森の風俗と人々の生活ぶりが緻密かつユニークに描写されており、和次郎のスケッチとはやや趣を異にする、美術からのアプローチによる考現学の豊かな成果が見て取れる。


青森県立美術館「今和次郎 採集講義」展ポスター(デザイン=菊地敦己)

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