キュレーターズノート

コミッショナー? キュレーター?──ヴェネチア・ビエンナーレ日本館について

植松由佳(国立国際美術館)

2012年03月01日号

 よく年末になれば、一年を回顧した記事などが掲載されるが、個人的には2012年も二カ月を過ぎたいまになり、ようやく昨年(2011年)のことを落ち着いて振り返ることができるようになった。それは一も二もなくヴェネチア・ビエンナーレがようやく11月27日に閉幕し、無事に撤去も終了し、使用した機材も日本に到着して借用先に返却し、すべての意味で「終わった」からでもある。一年の後半には勤務先の美術館でアンリ・サラ展を企画したことなどもあったのだが、それでも昨年一年はヴェネチアに終始した年であった。

 束芋による日本館での展示については、昨年7月に国際交流基金で報告会を行ない、その内容がウェブサイト上でも公開されているので、重複を避けたいが、最初期のプロポーザル案として束芋と協議し「超ガラパゴス・シンドローム」として提出したものを、展覧会タイトルは「てれこスープ」となったが、内容はほぼそのままのかたちで実現することができた。案の提出時には、国際交流基金からは日本館の図面と写真が与えられる。建築家・吉阪隆正の設計時の考えを読み取った束芋が、展示空間としては使い勝手の難しい空間を、作品コンセプトと上手く関連させ見事に使いこなした。閉幕をともに現地で迎えた作家ともども満足できる出来で終えることができたと言える。
 一方でコミッショナーとしては、どのような役割がはたせたのだろうか? もちろんコミッショナー候補者として名前が挙げられたときから、作家を選び、作家とともに出品作品の内容を協議して実現にこぎつけ、展覧会を終える。そういう意味では、一定の役割を果たしたとも言えるだろう。ただしである。今回、初めてヴェネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーという肩書きを得て、その展示を終えていまだなお思うのは、なぜキュレーターではなくコミッショナーなのだろうかという素朴な疑問である。無論、これは日本館建設後の参加以来の歴史でもあるし、他館に習ったということも言えよう。今回の日本館での経験を経てここに提案したいのは、今後はコミッショナーではなくキュレーターという役割の違いを明確にして人選すべきであるということである。このことは一般の方には非常にわかりづらいだろうし、美術関係者にとってもあまり大きなことではないかもしれない。それでも今回の経験を通し、かつ振り返ったときに思ったのはこのことであった。
 コミッショナーという肩書きは、例えばプロ野球のそれで馴染みもあるだろう。強力なリーダーシップを示すアメリカのそれとは違い、どちらかと言えば、日本のプロ野球界ではその存在は影も薄くなりがちなことは否めない。それでもコミッショナーという名前から印象として受け取るのは、全権を委ねられたトップ、という存在である。


「ヴェネチア・ビエンナーレ日本館」外観

 ヴェネチア・ビエンナーレ日本館については、大きく二種類の業務に分けることができるだろう。館の運営と展覧会の企画である。日本館のコミッショナーという役割には、この運営部分は含まれていないと思う。それは主催者である国際交流基金が担う部分であり、実際に責任を負って運営している。国際交流基金によって国際展の選考委員会が開催され、ヴェネチア、バングラデシュ、休止中ではあるがインドなどビエンナーレ、トリエンナーレのコミッショナーが決まり、作家が選定される。その責任を負っているならば、日本館のコミッショナーは主催者である国際交流基金の造形美術部門のトップもしくは適当な任を負うべき人物が務め、展覧会を行なうためにキュレーター、作家を毎回決定すべきではないだろうか。
 日本館のコミッショナーと呼ばれても、実際の業務としてはキュレーターであるというのが実感である。つまり日常的に美術館で展覧会を企画し実現させるそれと大きな差異はないのである。一方で、日常的な微細な事項を含めた館の運営は国際交流基金が行なっているし、この部分を含めての全権はコミッショナーには委ねられてはいない。無論、基金と協議を重ねながら展覧会の実施に向けて準備を進めるが、何事も最終決定権は基金にある。主催者としてはもちろんだろうが、それならばなのである。
 他館を例にとれば、日本館のお隣のドイツ館の場合、昨年はフランクフルト近代美術館(MMK)の館長スザンネ・ゲンズハイマーがキュレーターに就任し、作家はクリストフ・シュリンゲンズィーフであった。英国になれば事情は異なる。コミッショナーは英国館を主催するブリティッシュ・カウンシルのヴィジュアル・アーツ部門ディレクターのアンドレア・ローズが務め、キュレーターは同じくヴィジュアル・アーツ部門Exhibition担当トップのリチャード・ライリーで、マイク・ネルソンの展覧会を実施した。英国の場合には同カウンシル内に作家を選定する委員会が設けられ、決定される。イギリス館を運営するブリティッシュ・カウンシルの強い意志と戦略を見ることができる。またフランス館ではまず作家が決定され、作家の指名によってキュレーターが決定するというまったく異なるケースである。ちなみにクリスチャン・ボルタンスキーが指名したのは、1989年ポンピドゥー・センターで開催された「大地の魔術師たち」展のキュレーションでも知られるジャン=ユベール・マルタンであった。

 このように各国それぞれに事情があって、一概に何がよいというものでもないだろう。それに、日本館のコミッショナーであるべきか、キュレーターであるべきかという、この肩書きの差異は大したことはないかもしれない。それでも肩書きによって、より役割の明確化を進めるべきだと思う。もちろんコミッショナーとして、それに見合った権限を与えるという考え方もできるかもしれないが、国際交流基金がこれまで以上に強いプレゼンスを示すことが主催者としても適切なのではないだろうか。
 民主党政権下では、事業仕分けによって国際交流基金も厳しい視線が向けられた。また筆者の勤務先である国立美術館も含め、独立行政法人は行政刷新会議によって整理合理化が進められようとしている。ますます厳しい環境となることが予想されるが、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館という、海外における日本の現代美術を紹介するうえで非常に重要かつ有効な場所において、主催の国際交流基金がより積極的な姿勢を見せることで、機関としての重要性がこれまで以上に示されるのではないだろうか。
 これは基金へのエールとしての提案である。




束芋 / てれこスープ / 2011
第54回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展日本館展示風景
©Tabaimo / Courtesy of Gallery Koyanagi and James Cohan Gallery
写真:Ufer!