キュレーターズノート
大震災から一年──岩手県の美術館
伊藤匡(福島県立美術館)
2012年06月01日号
東日本大震災で、岩手県内でも盛岡市など内陸部は、地震の揺れは激しかったものの大きな被害には至らなかった。それでも震災の影響は大きく、岩手県立美術館では予算が凍結されたため、予定していたすべての展覧会を中止するなど、各美術館は震災の対応に追われた。一年を経た現在、各美術館では従来の活動に戻ろうとする動きと、震災を契機とした動きが交錯している。
萬鉄五郎記念美術館の「いわて創作版画の系譜」展は、岩手県の作家14人の版画を二期に分けて紹介している。萬鉄五郎が1919(大正8)年の日本創作版画協会第1回展に版画を出品していることから、起点はやはり萬である。萬の版画は油彩画との関連性が強く、表現方法の違いが画面におよぼす効果を試しているような作品もあり、興味深い。一方、高橋忠彌の版画では、彼の油彩画とはまったく違って簡素な表現に味わいがある。そのほか、絵暦風の素朴な小品から大画面の抽象的作品まで幅広い画風の舞田文雄、萩原吉二の斬新な画面構成、版画が文学との相性がよいことを実感させる穀蔵力の「風の又三郎」シリーズなど、あらためて版画の魅力に気づかされる。
同館の平澤広学芸員によれば、震災前から温めていた企画だそうだが、いまを逃すとできないかもしれないという想いもあったという。震災で美術館の被害はなかったものの、喫茶室やイベントホールとして使用していた八丁土蔵の壁に亀裂が生じた。復旧工事にあわせてギャラリーに改装し、今後、定期的に岩手の現代作家を紹介する企画展を開催する計画だ。その第一回展として、今年90歳になる写真家・及川修次の「故郷へのオマージュ『岩手風土記』展」が開かれていた。
いわて創作版画の系譜「近現代木版画展」
写真家 及川修次──故郷へのオマージュ「岩手風土記」展
石神の丘美術館で開かれている長谷川誠展は、岩手県内で活動する作家を紹介するシリーズのひとつである。長谷川の作品からは、雪国の作家ならではの風景表現を見ることができる。「遠いゆきどけ」や「触覚の森」のシリーズは、画面にジェッソ(白色地塗り剤)を塗り重ね、それを削ったり鉄筆で擦ったりして微妙な凹凸や陰影のある表面をつくっていく。離れた場所からは白い正方形にしか見えないが、近づくと、画面上のわずかな凹凸が丘の稜線や森の中の木立のような風景となって浮かび上がる。展示室の中央には、粘土や不織布で木の切り株か樹皮のように見える立体作品が置かれている。あたかも、雪が降った翌朝に森の中を散策している気分で鑑賞することができる。展示室内に置かれているヘッドフォンを装着すると、盛岡市在住のサウンドデザイナーparametoricaが長谷川作品に触発されて制作した音楽が聞こえる仕掛けもある。長谷川には矩形や水玉模様で文字などを浮かび上がらせる作品群もあり、なかには「plutonium」(プルトニウム)や「caesium」(セシウム)などの単語が書かれた作品もある。1994年の制作だから今回の原発事故との関係はないが、同館学芸員・齋藤桃子氏に伺ったところ、作家と話し合い展示することにしたという。率直に言えば、福島県民の私としてはあまり見たくない文字ではあるが、当然展示すべき作品だと思う。
長谷川誠展 白い森の軌跡
岩手県立美術館では、震災を契機として生まれた企画「ルーヴル美術館からのメッセージ:出会い」展が開かれている。震災の被害が大きかった東北三県の復興を文化的事業で支援したいというルーヴル美術館からの提案で実現したものだ。絵画、彫刻、ギリシア・ローマ、古代エジプト、イスラム美術など7つの部門からなるルーヴルのコレクションから〈対話、愛、三美神〉のテーマに沿って選ばれた作品23点と、岩手県立美術館のコレクションから関連する作品を加えた展示である。経費の大半は、企画の趣旨に賛同した企業の協賛によってまかなわれている。
展示作品には陶器や大理石の彫像などもある。いまだ余震の不安が消えないなか、大丈夫だろうかと心配にもなるのだが、展示台で作品を固定し免震台にのせるなど可能な限りの対策を施している。
作品数も多くはないし、著名な作品が出品されているわけでもないが、平日も多くの来館者で賑わっている。ルーヴル美術館の知名度が高いうえに、岩手生まれの洋画家・松本竣介の生誕百年記念展が同時開催されていることも人気を支えているのだろう。さらに推察すれば、いま被災地域の人々は現在や未来への不安を抱えている。このようなときに、数百年から数千年前に生まれ現在に受け継がれてきた作品を見ることで、連綿と続く人類の歴史を意識する。それによっていま自分たちがいる位置を再確認できて、安心と再生への希望が得られるのではないか。