キュレーターズノート
周縁からのフィールドワーク、「楽園創造(パラダイス)──芸術と日常の新地平」
中井康之(国立国際美術館)
2013年03月15日号
対象美術館
われわれはいまどこにいるのだろうか、などという叙情的とも根源的とも言えるような問いを、多くの者に問わず語りさせてしまうような状況が、いまの日本の〈ある〉局面なのだろう。3.11というカタストロフィを被ってしまったこの国に住まう人々は、例えばキリスト教信者が抱えている原罪にも喩えうるような不可避な運命を背負わせられたにもかかわらず、その多くが唯一神のような信仰を持たないまま、なぜそのような原罪を負わされなければならなかったのかを、精神的な意味において思いを巡らせる対象さえ見出すことが困難な状況に思える。
はたして、そのような迷う人々にとって、芸術が有効であるのかという問いを、個人的には阪神・淡路大震災に遭ったころから繰り返し自問してきた。1995年当時、大災害を被った直近においては、芸術が有効であるか否かを問うこと自体に無理があったと思うのだが、復興の道筋が見えてきた段階において、それは、時間を経る毎に機能していったように感じていた。しかしながら今回の東日本大震災においては、復興への道程が一向に見えてこない原発問題を抱えてしまったことにより、芸術が存在そのものが、本質的な意味で、根源的に問われることになっているのではないだろうか。
2年目の3.11を迎え、見聞するメディアの多くが、東北の被災地や福島原発事故に影響を受けている地域や人々の情報であるために、またしてもこのようなリードから始めてしまったが、じつは、冒頭の問いは、作家自らの芸術的な位置づけを問うかのような展覧会を見ることによって、頭を過ぎった言葉ではあった。いや、より正確に記すならば、その展覧会のタイトル「周縁からのフィールドワーク」、そしてその展覧会のリーフレットに付された「周縁からの眺め」(林洋子)というテキストから導かれた言葉であったかもしれない。
「周縁からのフィールドワーク」というタイトルは、その展覧会に出品していた作家の一人である小野規の作品シリーズ名から取られている。例えば、無味乾燥な新興住宅地街の写真群にはさらに、そのシリーズのなかに「ストリート」というシリーズを構成し、パリ郊外の光景を映し出している。小野自身の言葉を借りれば「パリから社会的にも映像的にも排除されている地域」であり、「そこにはパリ市の倍以上の人々が暮らし、多くは安価な労働力を提供してパリの社会活動を底辺から支えて」★1いる地域を撮影している。そして、そのような場所であってもパリの慣例に従って、パブロ・ピカソ通り、ギュスターヴ・クールベ通りのような地名が付き、それが、小野の個々の作品タイトルとして用いられている。あるいは、その「周縁からのフィールドワーク」のなかの別のシリーズ「塔を眺める」は、「ストリート」の作品群と同様に、特徴のない郊外風景が広がるなかにひっそりとエッフェル塔が見えているという作品である。それは、例えば北斎の「富岳三十六景」における富士山のような象徴的な対象としての扱われ方とは真逆な、パリという都市の象徴としては機能していない、むしろ風景としての匿名性が生じていると言ってもいいような位置に堕したエッフェル塔風景なのである。
小野規の風景写真が映し出すそれらの光景は、あくまでも穏やかで、なにかを告発するという姿勢は、一見、見えてこない。われわれが知るパリ風景というものを成立させるための下部構造を、冷静な態度で示しているに過ぎないように見えてくる。しかしながら、一歩引いて考えれば、同様の構造は、われわれの身の回りにも見ることができるであろう。東京圏の華やかな繁栄が、およそ230キロ北に設置された原発によって支えられていたことを、われわれは穏やかならざる方法によって知ったのである。その事実が、私が生活する大阪圏においては、現在、国内で唯一稼働している大飯原発が、およそ100キロ北に位置していることを認識させるのである。あのような災禍がなければ、そのような事実が話題に上がることすらなかったであろう。
そのように、冒頭で述べたような時代や地域を越えた視点でみると、小野の映し出す風景は、われわれの都市郊外にも良く見ることのできるような光景であり、いわゆる国際様式以降の普遍的な建築物が立ち並ぶ光景であろう。この風景写真がパリ郊外ではなく、日本の地名が付いていたとするならば、比較的日照条件の良い立地の住環境であるとポジティヴな見方をされるであろうし、いわゆる後進国の地名が付いていたとするならば、健全な住環境が整った状態としてとらえられるかもしれない。
しかしながら、そのような均質空間を増殖させていくような住環境は、人類が培ってきた文明を謳歌する場所においては、極めて貧しい住環境と評価されてしまう訳である。もちろん、そのような評価基準はさまざまであり、例えば東京の下町風情が感じられる佃島の背景に高層マンションが林立するような光景を美しいと感じるような感性もあるかもしれない。しかしながら、京都の桂離宮の背景に高層ビルが顔を覗かせる風景を好いものと感じることを想像したくはないだろう。
小野の作品から少し離れすぎてしまったかもしれない。小野の用いている「周縁」という用語には、前にも引用してきたように、その場所が歴史的な経緯を含めて、パリという中心から排除されてきた人々が生活している場所であるという意味が色濃く出ていると思われるのだが、そのような意味は、言葉によって補強されない限り十分には伝わらないかもしれない。もちろん、「塔を眺める」シリーズの作品を、時間をかけて見ていれば、その意図はなんとなく伝わるかもしれないが、時間をかけることによって、このように、その光景を違う尺度で見る作業も始まるだろう。
さて、この小野の作品シリーズ名からタイトルが援用された展覧会は、小野の作品だけによって構成されていた訳ではない。イマジナリーな世界を生み出す小沢さかえの絵画は、想像世界にも住まうわれわれの心象を映し出すものであると思われる。このようなストーリーテリングを想起させる絵画は確かに周縁的な存在なのかもしれない。抽象絵画という古典的な様式を貫いている中川トラヲは、カンバスの枠からはみ出し、壁面やガラス面を支持体とした存在感を持たない薄い塗布面によって、じつは伝統的な絵画から離れていくことを考えているのだろう。山本基の塩を用いたアラベスク模様は、尋常ならざる世界を表わし出しているように見えるかもしれない。それもそのはずで、山本が塩を用いた最初のきっかけは、妹の死に際して、お清めに用いられた塩に由来するものだという。ようするにそれは、周縁というより生と死のあわいを示すものなのであろう。そして、さらにもう一人、以上4名の作品の間隙を縫うように、藤本由紀夫による空き箱にオルゴールのムーヴメントを付けた作品によって、この展覧会は構成されていた。
藤本が美術界においてマージナルかつ独自な存在であることを知らない者はいないと思うのだが、この展覧会における講演で、自身が最近取り組んでいる新しい対象である独楽(こま)に対する知見を披露したのである。ここで、その内容まで触れることは差し控えるが、独楽という存在は、周縁が回り続けることによって中心が不動のものとなり全体の存在が維持されることを指摘しておこう。
周縁からのフィールドワーク
学芸員レポート
私事になるが、4月からギャラリーαMの企画を通年で行なうことになった。今年度のテーマは「楽園創造(パラダイス)──芸術と日常の新地平」である。いうまでもなく、「楽園」という対象は追い求める限りにおいて、存在しうる場所であり、芸術家たちにとっての20世紀初頭のパリは、そのような場所として現実に存在したかのように映っていたのかもしれない。そのような芸術家たちにとっての「楽園」であった場所は、芸術の都という記号として多くの人々に消費される街に変貌し、現在(いま)に至り、周縁から遠望されるような存在として生き存えているわけである。それでは、いまの芸術家たちにとって「楽園」は何処にあるのだろうか。そのようなことを考えながら6人と1組の作家とともに行動していく予定である。