キュレーターズノート
実験工房展、風が吹けば桶屋が儲かる、WALK あるくことからはじまること
住友文彦(キュレーター)
2013年04月01日号
対象美術館
二つのまったく異なる展覧会を見て、特定の芸術の運動が創造的な刺激を後の時代にも与えているようなときに、そもそもそれらがどのような背景をもって発生したのかについて考えを巡らせる必要があるように感じた。
実験工房展──戦後芸術を切り拓く
ひとつは神奈川県立近代美術館の「実験工房」展である。近年、さまざまな機会に再評価の眼が向けられてきたこのグループについて、美術館で紹介されるのが遅れたのは、まず音楽や舞台にまで及ぶ領域横断的な活動が「展示」になじまなかったからだろう。しかし、メディア・アートへの関心も広がり美術館関係者のあいだにもすっかり浸透したいまは、先駆けとしての評価を躊躇なく与えることができるようになったと考えるべきだろうか。しかし、その際に付け加えるべきなのは、このグループはけっして忘れられ去られたことなどなく、充実した資料がすでに提供されていることである。つまり、1991年の「オマージュ瀧口修造シリーズ第11回:実験工房と瀧口修造」展の功績は繰り返し伝えていくべきだと思う。佐谷画廊が、まだ存命の作家も多かった時代に多くの資料を集め詳細にまとめた図録が、この展示でもおおいに参照されている。
さて、このグループに注がれる評価としては、展示の最後にも登場するように、実験工房としての活動停止後、大阪万博の各パビリオンに多くのメンバーが参加することで、高度成長期にテクノロジーと国家の祭典に力を貸したエリート集団という見方があると思う。メンバーの多くが20代の頃から瀧口修造の薫陶を受け、早くから注目される活動をしてきただけに、そうした批判的な見方による検証も必要かもしれない。しかし、このグループが助走をはじめたのは、戦後間もない政治の季節に「世紀」などの活動に参加するなかだったこともあえて思い起こしたい。やがて桂川寛や池田龍雄らと彼らは別の道に進むことになるが、そこで熱く議論されたことが「実験工房」のクールな装いの作品と無縁だったとは言い切れないはずである。そもそも、園田高弘や駒井哲郎ら東京藝術大学出身者が参加するまでのオリジナルメンバーは芸術の専門的な学校教育を受けていない者ばかりだった。したがって、国内の美術や音楽のしがらみから距離を置くことができ、戦争の記憶がまだ濃厚に残る前衛芸術の時代の空気を深く吸った表現者たちだったと言える。
とりわけ気になるのは、北代省三や鈴木博義のように中心的な役割をはたした芸術家が1960年代には表立った活動をやめてしまうことである。北代は、メンバーのなかで年齢も上で、とくに理系の学校を出て工学や宇宙理論への関心が高かったため実験工房の方向性をつくるうえで大きな役割をはたしている。第1回読売アンデパンダン展で注目するべき新人として取り上げられるなど華々しい活躍をしていて、かつ山崎英夫のようなエンジニアをメンバーに入れるアイディアも北代の功績である。また鈴木も、実験工房の代表作であるオートスライド作品のためにつくったミュージック・コンクレートでは、非常に斬新で鋭敏な音を作りあげ、いま聴いても新鮮な切れ味を感じさせる音楽家であった。
北代が独特な感性を持っていたと感じさせるのは、例えば自身のモビール作品を、鶴岡政男が動きが鈍重でアレクサンダー・カルダーの真似だと批判すると、「動かないモビール」という『美術批評』1954年3月号の文章で、材料や形態、重量の詳細な計算を説明しだすのである。外気や人の動きによるさまざまな空気の流れが、回転運動をはじめ、どれだけ複雑な動きを示すように設計されているかがひたすら説明される。その4頁ほどの説明は、それ自体が精密に変幻自在な運動をするテクストのようである。作品が表現しているものはなにかなどの説明は一切ない。したがって、カルダーの真似かどうかという「オリジナリティ」の問題は一切関係なく、それよりももっと、観客や周辺環境と関わる作品であることを力説しているのである。
こうした感性のあり方はシュルレアリスムの影響を多分に受けたものであるが、全体に統合されない断片に着目すること、すなわち人間の意識によって解釈しきれない対象に関心を向けている表現者たちだったと考えられる。そうして、彼らは磁気テープに記されたマーカーによってスライドが切り替わり、イメージのあいだに発生する間が独特な感じを与えるオートスライド作品や、日常のノイズのような音に耳を澄ませるミュージック・コンクレートを自分たちの表現手段として選び取った。人間を中心に置いた世界の解釈や記憶とは異なる別の感性の提示は、人間がなぜ愚かな戦争を起こすのか考える人々にとって意味のある試みだったはずである。しかし、同時代の「熱い」日本の前衛芸術の時代においてよく理解されたものではなかったのかもしれないし、後から過去に全体性を与えようとして振り返る視点からもこぼれてしまうものだったのかもしれない。
現代への扉:実験工房展──戦後芸術を切り拓く
MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる
もうひとつ、私が別の芸術運動の成り立ちを思い起こしたのは「MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる」を見たあとだった。展示室において鑑賞者への働きがあったり、ソーシャルメディアなどを駆使してかなり饒舌な語りを繰り広げている展覧会が、魅力的な問いかけによって対話の輪を広げているというよりも、閉鎖的な印象を与え、美術の制度に対して言及的になってしまうのはなぜだろうと考えていた。したがって、すでに沢山遼氏が『美術手帖』2013年1月号で「主体の編集作業」という見方を示したうえで「制度維持的」であると批判していることには同意する。
この点については、開放的な展開を繰り広げている点でおそらく参加作家の関心にもあると考えられる「関係性の美学」をめぐる議論を思い出してみてもいいだろう。ニコラ・ブリオーが提唱した同概念への疑念を提示したのは、クレア・ビショップの「敵対と関係性の美学」(2004)という『October』誌に掲載された論文だった。これを読んだ当初は、すでに現代美術の現場から隔てられた感の強かった理論誌の意欲的な取り組みに驚いた記憶はあるが、その後掲載されたリアム・ギリックの反論を待つまでもなく事実誤認と思われる記述も目立ち、批判対象としている作品を知っていれば、論者が実際に体験することはなく二次情報をもとに書いていることもわかるので、とりたてて感心するわけではなかった。しかし、その後のビショップの活躍を見れば一定の支持を受けたのは間違いない。
まず述べておいたほうがいいのは、ビショップが不快感や軋轢を感じさせるほどの緊張を重視し、〈他者〉との政治的な関係が直接作品のなかに現われることを求めることに、すぐには同意できないと感じたことである。その観点によって、ギリックやリクリット・ティラヴァーニャらの作品で示される「共存」や「対話」が内輪ノリの域を出ていないと批判するが、その「対話」にもある一定の緊張関係が生じることを理解しないといけないと思う。それがわかりづらいのは、その仕掛けや装置が成立するのは、作品のなかにではなく外側にすでに他者との接触や交渉が存在することを前提とする場合がほとんどだからである。それを想像できなければ、ビショップの言うとおり陳腐なおしゃべりと食事の場にしかならない。ピエール・ユイグも「関係性の美学」の代表的な作家として挙げられるひとりだが、昨年私がこの連載のドクメンタ13についての記事で書いた彼の作品は、美しい公園のなかを歩き回ったすえに都市の不可視領域に置かれたごみ捨て場に入り込むことによって強烈な体験となっているのであって、裸婦像と蜂の巣の組み合わせそのものに驚くものではない。大量のごみを見えない領域に押しやることで成立する現代社会と裸婦像に象徴される西欧美術が、鑑賞者のなかで結びつくような体験をすることで、彼らの提示する文脈は成り立つ。ここで、彼らが活動を開始した1990年代は多文化主義という考えが表現活動に大きな影響を持つ時代であり、西欧近代社会が積み重ねてきた約束事が通用しなくなることを強く意識した作家たちだったことを思い出すべきである。
一方で、ビショップが提示した批判の枠組みにも傾聴すべきものがある。彼女は、ブリオーが、例えばカレーが無料でふるまわれること(ティラヴァーニャの作品)は重視するが、だれが食べたかを重視していないという点で、構造こそが問題と考えているため、その点で形式主義者であると断じる。それは、この「風が吹けば桶屋が儲かる」展においても同様で、作家同士の交流や、対話の場、観客への働きかけが重視されるが、それがどういう行動や感情を生み出すかはあまり考慮されていないように思えたことに通じる。
開放的な対話が誘発されるとすれば、それは形式的な対話が成り立つ共感によるおしゃべりではなく、自分の政治的な立場を明確にすることで異なる考えを持つ他者をともに想像できることが必要になるのではないだろうか。そう言えるのは、1990年代に、冷戦体制が崩壊し、移民が増加したヨーロッパで起きていた変化に「関係性の美学」で挙げられた作家たちは影響を受けていたと考えられるからである。そのことが作品の内側に見えようとも、外側に文脈としてあるのでも、どちらでも構わないのではないと思う。「関係性の美学」の作家たちが、共同作業や二次創作、生成的な場づくりに関わるのも、著作者、オリジナリティ、完成作品といった西欧文化が成熟させてきた美術の制度を意識するためだが、私たちはすでにそうした制度から自由になりつつある事例を身近に知っている。それは、例えば美術館の外側で広がっているアートプロジェクトの数々であり、そのなかには作家がコミュニティのなかに入り込むことによって政治的な立ち位置を強く認識し、表現が誘発する関係性が作品という形式を解体しているようなものもある。今回の「風」展で言えば、ナデガタ・インスタント・パーティーはそうした試みを実践しているようなグループとも言えるはずである。しかし、残念ながら私たちは、それを理論的に語る方法をまだ見出していないのではないだろうか。
私が先に実験工房について考えたことと同様に示すこうした意見は、「反映論」と一般的に言われるものであり、具体的な作品内容との照応関係を示すことで議論の有効性を発揮するものである。したがってここで記すには限界があるが、美術に固有の問題系を参照する表現がそれぞれの背景となる社会との距離を保つことで獲得する自由さに、疑問を投げかけられているというのが、現在の現代美術において国内外に共通する問題意識だと思う。その点からあえて二つの展覧会が、美術館という美術に固有の表現を展示するのに最適な場に、表現が持ちえる可能性を囲い込まないための、鑑賞者側の想像力と対話力もまた求められている。
MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる
学芸員レポート
清々しい表情で半分上に顔を向けた高校生が横並びになり、ファンファーレで幕を開けると、展示室では子どもたちが思い思いの格好でポーズをとったり、列をなして走ったりしている。一方で、通路や部屋の片隅には本を読みあげて活字に没頭しているような人があちこちにいる。なにが起こるのか注視してるうちに、あちこちで演奏や声が上がるので、展示室の隅から隅まで歩き回るようにしてしばらく過ごすことになる。アーツ前橋の開館は今年10月を予定しているが、それを半年後に控え、展覧会ではなく展示室と建物全体を使ったパフォーマンスの公演が3月23,24日の週末に行なわれた。
これはこの建物がリノベーションによって生まれかわる前に西武のWALK館という名称を持っていた記憶を呼び覚ますために、「あるくこと」を意識させる演出だった。街を気ままに散策するようにして、初めて入る展示室を自由に見てもらうこと。そのために山賀ざくろ、ほうほう堂、小出和彦が演出した同時多発的なパフォーマンスなのである。幼児から小学生、大人までのアマチュアが多数登場し、2日間で2,500名弱の来場者によってあっという間に空っぽの展示室は街の人々で埋まった。まずは展覧会を目的としなくても、自分たちが知っている場所だと思ってもらうにはとても有効な方法だったのではないかと思う。子どもたちにとって、アーツ前橋は自分が自由に駆け回ったことがある場所になり、来場者にとっても開館前にあちこちを見たことがある場所になるのである。
また、作品の展示は行なわずに、これまでのアートスクールの受講者たちが独自のZINEづくりをしたり、地域の文化年表を作成したり、あるいはサポーターのメンバーが会場運営を手伝ってくれた。ほかにもロゴデザインをした西澤明洋によるサイン制作ワークショップや、今後継続的に実施する館外に出ていくアートプロジェクトの紹介を行なった。これらは、ソフト事業の紹介と今後の参加をうながすためのきっかけづくりを意図したものである。
この2日間のイベントをこなしながらも、年度末の備品の納入、記録作成、新しいホームページの準備、コミッションワークの完成、などなど山ほどやることが残っている。4月から加わる新しい学芸員によるパワーアップを期待。