キュレーターズノート
ある風景のはなし/鹿田義彦「Re Exposure」/サイト──場所の記憶、場所の力
角奈緒子(広島市現代美術館)
2013年06月15日号
早いもので今年ももう半分が過ぎようとしている。今年の年明けは、広島市現代美術館で現在開催中の展覧会「日本の70年代」の準備に追われていたことを、つい先日のことのように思い出す。自分がこの世に生をうけた時代であるがゆえの興味のほかには、聞きかじりの知識しか持ち合わせなかったため、展覧会を担当するにあたり当時の書物や雑誌を手に取って、駆け足で「70年代」を後追いしなければならなかった。1970年代前半を包んでいた異様な熱気と活気に惹かれながらも、いくつもの強烈な個性が集い、連鎖的に化学反応を起こしていくかのごとく次々になにかが起こるめまぐるしさや個々の事象のアクの強さにやられてしまったのだろうか、なぜかひどく疲労し、もとの調子を取り戻せないまま、梅雨の季節を迎えてしまったような気がしている。この70年代ショックからようやく快復(?)しつつある今回は遠出せず、地元広島の美術館とギャラリースペースを紹介したい。
ある風景のはなし
まずは、広島市西区にある泉美術館。この美術館の母体は、広島市に本社を構え、西日本で大型スーパーマーケットを展開するイズミグループである。地元の人には、美術館と同じビルの1階に入っているインポートショップ「エクセル本店」のほうが知られているかもしれない。ビル5階にある展示スペースは、けっして大きいとは言えないものの、創業者の山西義政氏が収集した梅原龍三郎、安井曾太郎、坂本繁二郎らの絵画、佐藤忠良の彫刻、青磁等の磁器が品良く並んでいる。小品が多いゆえ一見では派手さに欠けるものの、玄人好みとも言えようか、各作家の本質を示しうるような逸品が揃っているという印象を受けた。
この美術館で現在開催中の特別展「ある風景のはなし」を紹介しよう。伊東敏光、長岡朋恵、クリス・パウェルによるこの三人展は、泉美術館と、彫刻家として活躍する広島市立大学芸術学部教授の伊東敏光氏とが音頭をとり実現した展覧会とのこと。会場に入ってまず目にするのは、使い古されたような木で構成された大きな飛行機、伊東による《AA60》である。その大きさに圧倒されながら、成田─ダラス間を就航しているアメリカン航空の飛行機をモチーフとしたこの作品をよく見ると、機体の所々に石が突き刺さっていることに気づく。これは作家がテキサスに滞在中、アメリカ国内の移動中の空から見たアリゾナの砂漠やサボテンを表わしているという。作家が乗った飛行機の形に投影されるのは、彼が過去に見て心にとどめた記憶のなかの風景であると言えるだろう。彫刻による「風景」の表現に挑む伊東はそのほかにも、厳島神社を抱く安芸の宮島を地図のようにレリーフ状で表わした《宮島》、同じく宮島を扱いながら、その地形の起伏に着目したかのような山並みが高低で表された《宮島鼠》、トンネルから新幹線が出てきた瞬間をとらえたような《のぞみ》など、作家が実際に目にしたと思しきさまざまな風景の表現を試みている。これらの彫刻がどこかの「風景」を表わしていることは、そのことを示唆する具象的なモチーフから比較的容易に導き出される。
一方、長岡朋恵の作り出す風景は、一見しただけではそれが風景であるということに気づかないかもしれない。というのも、作品のなかに、蛇口、ゴムチューブ、消しゴム、お盆といった、日常においては作品とは別の機能をもつ物が入り込んでいるからである。長岡の作品を風景たらしめている要素のひとつに、建築模型などで緑地を示すのによく利用される緑色のスポンジ状の素材がある。ひとたびそれを樹木(のようなもの、または緑地)と認識すると、たちどころにすべての素材が風景を構成する要素に見えてくる。ところで彼女の作品からは、小さな箱の中に大きな世界が広がる箱庭、そしておいしそうな食物が連想された。前者は文字通り、箱の中に風景が広がる作品があったから、後者はおそらく、《盆地フォンデュ》や《結局、餅が降る》といった作品タイトルや、ふわふわとろりとした食感を思い起こさせる蝋から来ていると思う。長岡は普段から、作品の構成要素となりうるさまざまな素材を集めておき、あるとき偶然目にした景色と、収集しておいた素材とが瞬時に自動的に一致するという現象が起こったときに作品が生まれると教えてくれた。しかしながら、彼女の作品が、どこかの風景を再現しているわけではないことは明らかである。そこに広がるのは飽くまで彼女の心象としての風景である。自身が目にした風景を再現する伊東も、実際の風景を咀嚼して、言葉を紡いで景色を描写するかのごとく素材を組み合わせて風景をつくりあげる長岡も、そしてもう一人の作家、《子牛と丘》《風景としての食器一式》など、具象的なモチーフを含んだ風景を陶器で制作するクリス・パウェルも、彼らの表わす風景の多くが俯瞰の視点でとらえられているということはたいへん興味深く感じた。
ある風景のはなし──There Once Was a Landscape
鹿田義彦「Re Exposure」
もうひとつは、広島在住の若手作家や広島市立大学の学生たちが運営する広島芸術センターでの展覧会「鹿田義彦『Re Exposure』」を紹介したい。
ヒロシマを写真に残した人は多くいるが、被爆建物を撮影した写真家と言えば、爆心地のすぐそばで被爆しながら、ほぼ骨組みだけになってなお静かにたたずむ原爆ドームを写した土門拳がすぐに思い浮かぶだろう。土門の撮影した原爆ドームは、惨劇を語る多くの傷跡をさらしているものの、同時に堅牢な建物がもつかのような力強さをも湛えているように見える。核兵器の恐怖とそれがもたらす惨劇を未来永劫忘れてはならないという戒めなのか、負の遺産として世界遺産に登録された原爆ドームは、被爆建物といよりはある種の記念碑として機能することを期待されているが、それ以外にもこの都市には、戦後60年以上経ったいまも被爆したいくつかの建物が点在し、保存・管理されている。
おもに写真という手段によってある場所や空間にまつわる歴史と記憶を考察し続けている、広島在住の作家、鹿田義彦が今回向き合った場所は広島城址公園内の広島護国神社境内に残る「中国軍管区司令部跡」である。半地下式鉄筋コンクリート平屋造の建物は、原爆投下により一部を残し地上部分は壊滅し、半地下にあった防空作戦室も爆風で破壊された。広島の街の被災と壊滅の第一報を発信した場所として、忘れがたく語り継がれる建物である。ところで、鹿田のように(私も含め)広島の人は小学校に入ると、広島を襲った惨劇の実状とその後の街の復興の歴史を学んだり、被爆者の方々の体験を聞いたり、平和公園内に点在する記念碑を一つひとつ見て回るといった平和学習を受けて育つ。今回の展示に寄せて作家自身が記した文章を読み、鹿田も私と同じようなことを感じていたのかと知って驚いたのだが、この平和学習、人によっては受動的に聞いて過ごすだけに留まるようだ。(私だけかもしれないが)もっと言えば、原爆による惨状のあらゆる描写を目の前に、甚大な被害を受けたという衝撃の事実だけがインプットされたまま、ある意味思考停止状態に陥り、ヒロシマという事実から学びうること、私たちがすべきこと、発信していくべき言説などを自発的に考えることもせず、ずいぶんあとになって子どものころに受けた平和学習の意義やヒロシマの意味を再考しようと試みる、という過去の振り返り方をするようである。鹿田にとってのヒロシマ再考の方法は、惨劇を経験しながらいまもなお建つ被爆建物に入り、刻まれた時間と記憶を追想しながら、その場所を撮影することなのだろう。鹿田の目がとらえた建物内部は、ある瞬間から時間が止まったままの、静かな空間である。きれいに貼り替えられた床、室内を照らし出す天井の蛍光灯など、被爆後に整備されたと思われる箇所にはなにか異質さを覚えるが、電信機のためのコードが束ねてひっかけられていたと思しき天井から突き出たフックや、原爆投下の閃光や爆風を受けて焼けた壁の色は当時の姿を留めている。建物の持つ記憶──怒り、悲しみ、諦め、痛み……──すべてを被写体から自分自身へ吸収してしまったかのように、鹿田は淡々と飽くまで冷静に空間を写しだす。
鹿田義彦「Re Exposure」
サイト──場所の記憶、場所の力
最後に告知をひとつ。ヒロシマに限らず、「場所」の歴史や物語と記憶との関係性を考察する展覧会「サイト──場所の記憶、場所の力」をこの夏、7月20日より開催する。さまざまな場所のもつ記憶、場所の力によってインスピレーションを得て制作された作品を通して、私たちが生きる現代の社会に目を向け、進むべき道を模索する機会になるだろう。なお、本展は「アート・アーチ・ひろしま2013」名のもと、広島県立美術館、ひろしま美術館、広島市現代美術館が同時開催する展覧会のひとつである。