キュレーターズノート
中之条ビエンナーレ2013、あいちトリエンナーレ2013
住友文彦(キュレーター)
2013年10月01日号
地方の芸術祭があちこちで花盛りの近頃は、artscapeの読者であればいまさら「ビエンナーレ」や「アートフェスティバル」と聞いてもきっと心は惹かれないだろう。なので、あえて冒頭に中之条ビエンナーレの特徴を明記しておく。
場所は前橋市からは草津方面に向かう途中にある群馬県中之条町で、とくに山間部に作品を点在させて行なわれている。招待作家の数はけっして多くなく、公募によって多くの作家が展示の機会を求めて、山のなかに滞在し、それぞれが工夫を凝らした作品を発表している。とくに若手の作家には、自然や農村の風景、そして廃屋など、地域の記憶と関わる貴重な経験になっているはずだ。こうしたある種の作家解放区的な雰囲気がこの芸術祭の特徴なのだと思う。そもそもはじまった経緯も興味深い。かつて某美術大学で教える作家が教え子を引き連れてきたのだが当初の目論見は頓挫した。しかし、その学生だった作家の卵たちが残り、仲間と一緒に自分たちの活動の場所をこの山村につくり始めたことが、このビエンナーレの立ち上げにつながっている。このトップダウンではない、ボトムアップの成り立ちが手作り感のあるオープンな雰囲気づくりに影響しているはずだ。それに加えて、都心からのアクセスも比較的良いながらも、奥深い山の風景が楽しめ、多くの名温泉地もあるため、観光気分で一般の人でも楽しみやすい。
第4回目の今回は、前回ほどエリアは広くなく見て回りやすくなったのではないだろうか。目につきやすいのは、建物にも魅力があって作品が複数まとまって展示されている場所だろう。メイン会場である「つむじ」のそばにある、旧廣盛酒造の高い天井と重厚な造りは非常に魅力的な展示空間である。パスポートチケットにもなっている小林達也のペインティング、古川葉子の官能的な形の木彫作品、別の蔵ではチョコレートが溶けて変容していくようにして有名キャラクターを精巧につくり写真で撮影した、おおば英ゆきの作品が印象に残っている。
『泥の河』『眠る男』など芸術性の高い作品で知られる映画監督の小栗康平が、ロケを行なった元小学校の建物と、セットでつくった建物をそのまま校庭に残して展示に使っている場所もユニークである。その庭にはカミル・クスコフスキの現代のエネルギー問題をウィット溢れる方法で示唆した作品があったり、平井陽子がビニールハウスの骨組みを使って鑑賞者に注意力を喚起させる最小限の介入を試みたりしているような作品があった。
それから沢渡エリアの丸伊製材の広い敷地には、個性のある空間が点在していた。そこで小板橋慶子は蚕がつくる糸を張り巡らせ、そのスケールの大きさと糸が結びついて作り出す模様の繊細さの対比が暗闇のなかで幻想的な空間をつくっていた。また、石坂孝雄は、木に楔をいれて自然に割れていく形を活かして作品づくりをしている。自然と身体によって対話をしているような感覚は、作品を見たり、そのうえで歩いて踏みしめたりすることでも味わえる。大きな風呂のように水を満たした上をふらふらと杖が動く作品は大和由佳のもので、彼女はあちこちを歩いている老人が持っている杖に目をつけ、老人の姿を見えなくして杖だけの作品を展示していた。
こうした場所を巡りながらも、おいしい地元の野菜を売るマルシェで朝採れトマトを買ったり、ワゴンカーで売っているサクサクの米粉ワッフルで移動の疲れを癒したりすることもできる。次から次に地図を見ながら作品をたくさん見て回るだけでなく、山の時間を楽しみたいという期待にも応えている。
今回の大きな目玉のひとつは、「やませ」という立派な農家の建物をまるまる使った展示だろう。山奥に分け入ったような地区にもかかわらず、木材や養蚕によって豊かな富を得て暮らしていたと思われる見事な建物が残っていた。別棟を大胆に使った藤井龍徳は、ここに住んでいた家族と戦争の記憶を重ね合わせた重厚な展示をしていた。薪を保存するために骨組みをむき出しにしたままのような造りの建物で展示していた外丸治が、その形をうまく使って彫刻作品の展示をしていたのも印象に残っている。それから喜多村徹雄のように、地域の歴史の深層に分け入るようなフィールドワークをした成果を見せていた作品は、空間の魅力や自然の風景に依存せず、観察と問いかけの力を持つ芸術のあり方も示していたように思える。それと、小座敷を使った臨時のカフェがオープンし、ここでも早秋の気持ちの良い時間をゆっくりと過ごせる場所も併設している。作品を見て回る時間と天秤に掛けなければならないのだけが悩ましい。
美術館では見られない思い切った展示の楽しみとしては、大野公士と飯沢康輔の作品が良かった。とくに飯沢は、建物の真ん中に大きな穴を開けて空を覗けるようにしたうえで、樹木を逆さに吊っていた。アイディアはシンプルだが、たいへんな手間がかけられている。その結果、有機的な自然の造形が引力に逆らってひっくり返されただけで別のものに見える。また、屋根にたくさんの穴を開け、そこから注ぎ込む自然の光を使った展示も空間と自然と調和した美しさを持っていた。
冒頭でいまや「花盛り」と記したように、展示室を出て実施されている地域型のアートプロジェクトがこれほどまで増えると私は思っていなかった。観光やまちおこしを目的としているという見方によって専門家たちがまともに相手をしてこなかったあいだに、ほとんどが一時的に展示され、撤去されていく運命を過ごしてきたはずである。しかし、この積み重ねによって蓄積されているはずの経験や知識が作品に反映されていることで、すでに無視できない動向になっているのではないだろうか。
そこで批判をする側の視点の論拠になっているモデルは民族誌家である。つまり、自らが所属する社会の外部に出て、そこで遭遇した異なる文化や社会を背景に持つ他者とのあいだに相互的な関係を切り結ぶときに、浪漫主義的な自意識の投影を相手に対して試みたり、過剰なほどの一体化を希求したり、相手の姿を変容させてしまうような介入になってしまうなどの問題がすでに十分に指摘されている。もちろん、多くの芸術祭ではむしろ異文化を背景に持つ海外のアーティストではなく同じ国内のアーティストが活動を行なっていることが多いのだが、都心から過疎の地域に出向くアーティストたちにこのモデルを当て嵌めるのにも一定の妥当性があるはずだ。しかし、ここで前提となっているのは批判的な距離を対象とのあいだに保つことが望ましいという考えである。率直に言って、地域に分け入って滞在し、そこで採れる食材を使った飯を食べ、住民と語らうことを楽しむ経験にそうした距離は前提となっていないだろう。
一方で、アーティストの多くは、作業の手助けを呼びかけたり、リサーチのためにはインターネットをはじめ、ソーシャルメディアのような近さを疑似空間的につくりあげる情報メディアを駆使したりする。地域というフィールドに出て行ったアーティストには民族誌家モデルが陥る危険性がつねにともなうとは思うが、共同体との近さと情報メディアを駆使した距離の無化によって、考えや価値観がどのように伝播していき、そこからどのような出来事が誘発されていくのかに着目するようなプロセス志向を生み出している。そこでは、自己の存在確認とはまったく違う協働の可能性が開かれているはずである。批判や反省をする主体は自己完結せずに、伸縮可能な柔軟な距離感によって周囲と関わることができるからこそ、それまで周縁的とみなされてきた対象をそうではないものへと変えていくことができる。こうした現場で起きている創造的なダイナミズムが、アーティスト側の経験なども含めていろいろな視点から書き進められていくことで新しい発見が生れないだろうかと期待している。
中之条ビエンナーレ2013
学芸員レポート
この記事が出るころには、あいちトリエンナーレ2013も終盤に差しかかっているだろう。夏の暑さを避けて気持ちの良いこの季節に足を運ぶのは正解かもしれない。とにかく暑くて点在する会場を見て回れなかったという声も聞くので、未見の方はぜひ。また、毎週末のようにパフォーミングアーツの公演やイベントがあるので、時期によって見られる事業の濃淡なく楽しめるはずだ。
さて少し振り返ってみると、私が準備に関わりだしたのは2年程前だったが、正直に言えば、はじめのうちは震災をテーマにすることへの戸惑いがなかったわけではない。しかし、2年の時間がまだあったことと、大規模な展覧会が百花繚乱的になりがちな一方であえてテーマをはっきり打ち出す困難さを選ぶのはよいことだとも思えた。そして、蓋を開けてみてテーマ性が明白なのは実際に良かったと感じている。「今回はなにをします」と説明するときに、ぼんやりとした理念的な話や参加作家の数や会場の話ではなく、「震災の記憶」という言葉を繰り返して発することができただけでも意義があったと思う。そして、このテーマに対して誰もが他の人とも異なる個別の考えや感覚を持っている可能性があるので、ただ「面白かった」「きれいだった」と言うのとは違う反応を生み出すことができたのではないだろうか。それは好き嫌いの差に見えたとしても、その振り幅こそ、社会を支えている普段は見えない仕組みが明白にされたことで、同じ出来事に対する私たちの感じ方の差が際立ち、そこからお互いを認める寛容さを獲得するきっかけになるというアートの役割が見えてくるような気がしている。
それと、企画段階で大きな課題と思われたのは、名古屋は直接被害を受けた被災地からは遠い場所であり、さらに国際展となれば国外のアーティストにこのテーマを掲げた展覧会にどのようにして参加してもらうかという点であった。いわば当事者性の問題である。この点についての議論によって考えられたのは、こういうことだった。東日本大震災によって多くの人が感じたことは、おそらく被災地だけが大事に思うことではなく、大きな災害や困難を経験するときに共通するものがあるはずである。したがって、経済危機、戦争、民族対立、伝染病、自然破壊などに関心を寄せる世界中の人と今回の震災の経験をした者同士が共有できることもあるはずである。また、「揺れる大地」という言葉によって都市や建築が強く意識されることで、身体や空間的な感覚についても同じようなテーマのもとで展示できるのではないかという話し合いを重ねて、最終プランになった。
あまり具体的な作品の話をする余裕はないが、その例としては、あいちトリエンナーレ2013のための新作を郡山で撮影したアーノウト・ミックをとりあげたいと思う。ミックは近年ヨーロッパの主要美術館で個展が巡回しているように、間違いなくもっとも優れた現代の映像作家のひとりである。私は2000年にはじめて彼のアトリエを訪ねたときに、映像作品の展示のために建築家のように模型を製作している様子を見て驚いた。空間や身体の体験と映像が結びついて独特の表現を生み出し、それがつねに実際の社会の出来事が内包する多面的な複雑さを描きだすのは見事としか言いようがない。参加打診後の、はじめのうちの話し合いはかなり慎重なものだった。実際に震災や被災地を描くことは難しいと彼は考えていたので、私たちはいろいろな報道やネット映像を使ったフッテージ作品にする方向性を念頭に、そうした映像を集めてリサーチをはじめた。そのなかで、ある大きな避難所を東電の社員が訪れて謝罪する映像があった。そこでミックは、静かに事態を受け止めているように見えた被災者の感情的な身振りを眼にした。彼が見出したのは、怒りだけではなく、慎ましい謙虚さや、組織側のジレンマととまどいであり、多彩な感情が入り混じった場面を見て、これなら自分の想像力が及ぶかもしれないという発見をしてからは、プロジェクトが動き出した。そこからも乗り越えるべき大きな二つの壁があった。ひとつは映画のクルーや機材を使って制作する巨額の製作費は、主催者側だけでは支出しきれない。これは、オランダの作家に寛大な支援をすることで知られるモンドリアン基金が、大幅な文化予算削減にもかかわらず支援を決めてくれたことが大きかった。もうひとつは、制作スタッフを探し出すことで、これにはかつて名古屋在住でいまは東京に映画製作会社を持っているジョン・ウィリアムズと、福島でも精力的に活動してきた映像作家の藤井光が大きな役割を担ってくれた。こうした過程を経て実力のある作家が日本で制作を実現した作品でもあり、彼の国外の社会問題を扱う作品の場合は日本の観客にとって理解が難しい場合もあるので、ぜひ震災の経験を伝える作品のひとつとして国内の美術館が残してくれないだろうかと願っている。詳しい作家の考えについてはガイドブックに掲載されたインタビューがとてもよくまとまっているし、実際の制作現場も非常に興味深いものだったので、それについてはあいちトリエンナーレのブログサイトに私が書いた記事があるので参照していただきたい。
もうひとつ、今回のトリエンナーレが開幕してから強く惹かれたのは、建築家の宮本佳明が示した大胆な想像力である。ある種不遜で、嫌悪感を覚える人もいるような提案によって、私たちの思考を深く揺さぶる力を彼の作品に感じた。この構想力は、建築家というよりもコンセプチュアルなアーティストのものに近いと言えないだろうか。今回の作品に加えて、阪神・淡路大震災のときに全壊判定を受けた自宅をそのまま残すために、まるでギプスのようにフレームを張り巡らせて支える《ゼンカイハウス》をつくったことも併せて見ると明白だが、美しいものとか新しい素材を使うことでデザインをつくるのではなく、むしろメッセージ性のある考えを明確に伝えることができる人のように思える。この領域的な越境を紹介することは、このトリエンナーレが持ちうる大きな成果のはずである。その点では、私はあえて、建築を学び、建築的な手法を駆使するアーティストに着目して参加をお願いした。たとえば、ユーゴ内戦で破壊しか眼にしない場所で建築を学んでいたため詩とデザインを駆使したプロジェクトを展開してきたシュカルトや、厳密なリサーチによって現実の虚構を指摘するワリッド・ラードなどである。彼らは建築をつくらないことで建築とはなにかを私に教えてくれる存在とも言える。宮本のような構想力はおそらく建築の枠組みを超えてしまうのだろうが、その越境性こそ、「想定外」と言われるような建築や都市の破壊を経験したあとに必要となってくるのではないだろうか。専門性の枠によって建築と美術が棲み分けられずに、新しい創造の可能性をつくり出すことはどのようにすれば可能なのだろうか。かつての磯崎新のように両分野を行き来するような存在はもはや稀有かもしれないが、今回はほかにも青木淳と杉戸洋のコラボレーションのような試みも生まれた。トリエンナーレのような一過性の事業だからこそ可能だった両者の出会いもあったかもしれない。さらに今後も持続的な越境の試みが続いてほしいとも思う。