キュレーターズノート
あやべ工芸もりあげ隊、「島袋道浩:能登」
鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
2013年11月15日号
対象美術館
京都府の中央、やや北寄りに位置する綾部市は、自然に恵まれた、里山の魅力あふれるまちである。自然に寄り添う暮らしのなかで、和紙や陶芸、ガラスなど、工芸作品を生み出している作家も多い。工芸作家たちとまちを繋ぐ試みが始まっている。
8月はじめ、長引いた梅雨が明けたばかりのころ、「黒谷和紙工芸の里」を見学させていただいた。黒谷の和紙の歴史は鎌倉時代にさかのぼり、江戸時代に大きく発展したという。「工芸の里」に併設される京都伝統工芸大学校和紙工芸研修センターで自らの作品もつくりながら、和紙づくりを教えている渋谷尚子さんの案内で、和紙の材料や制作過程、施設について教えていただいた。そのとき、工房で紙を漉いていたかたの言葉が印象的だった。漉いた紙をどうするのかという質問に対し、自分の家の障子に貼るのだという。「部屋の中で少し暗いところがあって、そこの障子に貼るために薄く漉いています」とのことだった。自分が暮らす空間の微妙な明るさをコントロールするために、自分で紙を漉く。なんという贅沢であろうか。透過する自然光に対する感受性は、和紙と日々格闘するなかで、研ぎすまされてきたに違いない。和紙を漉くことは、自然の光をとらえることでもあるのだ。
紙漉きは、出来上がった紙を通じて暮らしや自然と繋がるだけでなく、材料の面でも繋がっている。渋谷さんたちは、共同で畑を借り、紙の材料となる楮を育てている。今日では、安い楮を中国など海外から輸入することが多い。国産はその10倍ほどの値段がするということで、輸入楮を使わないとすれば、自分で育てるのは合理的な判断だと言える。それにより、もちろん大変な作業ではあるだろうが、日々、材料となる植物の生長を通じて、天気や気温、季節の移り変わりとともに暮らすことになる。
24時間煌煌と商品を照らし続ける均質な人工照明のもと、自然との接点を失った生活に疑問をいだき、自然に寄り添った里山の暮らしに目を向ける人が増えている。とくに3.11以降、エネルギー問題、環境問題への関心の高まりを背景に、その傾向は強まっていると言える。このときの綾部訪問中にお会いした工芸作家の方々のなかにも、大都市から移住した人も何人かいた。とりわけ第一次産業の衰退、過疎化、高齢化といった問題を抱える地域にとって、若い世代の移住者がもつ可能性は大きい。しかし、当然ながら自然とともに暮らすことは、厳しく、つらく、手間ひまのかかることである。都会的な感性をもった移住者と、もとから地域で暮らしてきた人たちとが、お互いに刺激を与えながら繋がってゆくことが大切になるだろう。困難な道のりではあるが、工芸が両者を取り持つ可能性は多いにあると思われる。
「あやべ工芸もりあげ隊」では、10月より、綾部に住む工芸作家たちが講師となり、綾部市にある中丹文化会館などを会場に、市民向けのワークショップを開始した。和紙のほか、陶芸、木工、ガラス、ろうけつ染め、竹炭の各コースが設けられている。来年3月にはシンポジウムや「工芸まつり」が企画されている。
中丹文化会館は、舞鶴市、福知山市、綾部市の三つの市で構成される中丹地域の核となる公立の文化施設だが、利用率は他の地域と比べて高いと聞く。だが利用者の年齢層は高めである。「あやべ工芸もりあげ隊」の活動がきっかけとなり、さらに若い世代の利用者が増え、世代を超えた繋がりを生み出す場となってゆくことを期待したい。
あやべ工芸もりあげ隊
学芸員レポート
4月から始まった1年間の長期プログラム「島袋道浩:能登」は、9月に大きな展示替えを行ない、後期展示が始まった。中心となるのは《鉄をつくる》という作品である。
3カ月前のこのコーナーでも紹介させていただいたが、このプログラムは、18歳から39歳までの若い人たちを対象に公募して集まった「メンバー」と呼ばれる人たちへの美術館教育プログラムである。メンバーは作家とともに、作品づくりに参加する。8月から9月にかけ、毎週末、4回にわたって、能登半島の穴水町中居地区に鉄づくりに通った。「能登」という言葉から千枚田や勇壮な祭りが思い浮かぶことはあっても、鉄が連想されることはまずない。いま能登では産業として鉄を生産してはいないので当然である。しかし、大正時代まで、中居では鉄づくりが行なわれていた。塩をつくるための釜などをつくっていたそうである。輪島から珠洲に向かう外浦の海岸沿いに、いまも揚げ浜式の方法で塩をつくっている塩田があるが、そこで見かけた塩釜は、中居でつくられたものであった。また、金沢の茶釜師として有名な宮崎寒雉の初代は、この中居の出身である。だが、明治時代に満州などから鉄鉱石を運び、八幡製鉄所などでの製鉄が始まると、古代からのたたらの技法による製鉄は急速にすたれていった。
島袋とメンバーが鉄づくりに取り組むことになったきっかけは、中居で干しくちこをつくる森川仁久郎との出会いである。もともと「能登」をテーマに選んだ理由がくちこだったことは前回述べたが、くちこのことを教えてもらいに行って、くちこづくりが2月と3月しか行なわれないことを知る。森川は、それ以外の季節は家庭菜園などをやっているそうだが、鉄づくりもしていると聞いたのが始まりだった。森川はかつて中居で行なわれていた、たたら製鉄の再現を試みているのだ。島袋は、鉄や木などの素材から、釜や机などのかたちをもった道具をつくりだすのではなく、素材の鉄自体をつくるというものづくりの原点とも言える行為に強い関心を抱き、鉄づくりに取り組むことになった。
「鬼板」とよぶ鉄分を多く含む赤い石を200キロ拾いに行き、それを150キロほどの木炭で焼く。しかし出来上がった鉄はわずか一握り。やってみて実感したのは、わずかの鉄を得るために、これほどの多くの木炭が必要だと言うことである。木炭10キロ入りの段ボール箱15箱。金属の生産にこれほどのエネルギーを要することを知って、空き缶ひとつも貴重なものに思えるようになった。
展示室には、鉄づくりに取り組んだ記録の映像とともに、炉や金棒など使った道具を展示している。展示室に持ち込むと、3段に重ねた炉はブランクーシの彫刻のような力を放っていた。ほかにも、メンバーが見つけて借りてきたイイダコ壺を使った作品や、家の前に巻かれているホースを撮った《能登のポートレイト》など、多くの新作を展示している。今月は、志賀町の特産、干し柿のつくり方をメンバーとともに習いに行く予定である。プログラムは3月まで続く。