キュレーターズノート

「想像しなおし IN SEARCH OF CRITICAL IMAGINATION」、「上田宇三郎展──もうひとつの時間へ」

山口洋三(福岡市美術館)

2014年02月15日号

 年初から、福岡市美術館では「想像しなおし」「上田宇三郎展」「茶の湯交遊録」と三つの企画展が重なり、1〜2月はイベント、関連事業がほぼ毎週末開催された。特別企画展だけでなく常設展示室でも企画展を行なう当館ならではの現象なのだが、今回私はその中心にいない。新人のころをのぞけば、筆者にとってこれは初めての体験だ。ここでは、近・現代美術の内容を持つ二つの展覧会をレビューしたい。

想像しなおし IN SEARCH OF CRITICAL IMAGINATION

 展示の詳細は、坂本顕子氏が見事な写真とともに紹介・論評をしてくださっているので、ここではその展示を前提に2月11日発刊の図録エッセイを読んでの感想を記したい。
 現代美術の企画者(キュレーター)は、否が応でもなんらかの信条告白を展覧会という場で行なわざるをえない宿命にある。たんに現在の美術状況に関する知識だけでなく、それを取り巻く状況に関しての知見や感受性を総動員して。それは、そもそも現代のアーティストたちが、この複雑化した現代の世界を舞台に活動しているからである。だから彼・彼女らと対等に向き合おうとすれば、キュレーターもまたそれ相応にならなければならない。そしてその信条告白は、来場者の心のひだにできるだけ正確に、できるだけ明快なメッセージとして到達しなくてはならない(というか、してほしい)。複数のアーティストの作品に、そのメッセージを託そうとすれば、(これまた否応なく)キュレーターはアーティストたちの先頭に立つことになる。
 「想像しなおし」展の企画者である正路佐知子のメッセージとは、その展覧会題名に凝縮されている。「想像しなおし」とは現代美術の一動向を切り取ったテーマではなく、不可視のシステムやルールに挑み、再想像しようとする作家たちの態度を表わすものであり、従来ある展覧会手法、すなわちある一定のテーマのもとに作家、作品を選定する方法とは異なる。テッサ・モーリス=スズキの著作に触発され、自らの企画意図を明確化した彼女は、その問題意識においては作家6人の先頭に立っている。作家はいずれも30代で、同世代感覚もまた正路にとって重要なことだったに違いない。近年の社会情勢に対して、なんらかのアクションを試みようにも、どうすることもできないもどかしさ──いままさに社会の中枢に入ろうとする世代が敏感に感じる危機意識といえるか。しかし彼・彼女らは社会に対してアンチであるよりも(まともにぶつかるよりも)、オルタナティブであろうとする、し続ける(これもありなんじゃない?と提案する、し続ける)。これが「想像しなお」す態度であろう。しかし、正路はここで、足早に社会に対して有効で具体的な提案を行なう仕草を持つアーティストの動向、またそのようなアーティストの出品する展覧会企画手法からは距離を置き、むしろ美術館の展示室で成り立つオーソドックスなインスタレーションを通して、その背後にある、「想像しなおし」続けるアーティストの態度を見せようとしている。
 つまり、彼女にとって重要なことは、不断の問い直し、ということになるのだろうが、これはなにも社会事象だけでなく、現代美術の枠組み、そしてその語り口にも向けられている。社会の鏡としての美術は、一見「現代美術」を社会還元するうえで有効かも知れないが、一方でそれは免罪符的な側面も持っている。本展は、そして正路の議論はこうした語りからも離れ、むしろ一見社会と関係の薄そうな美術の語りなおし(その繰り返し)を提案、美術を社会に向かって開かれた議論にしようとするとともに、自らも本展出品アーティスト6人の作家の新作を語ることでその実践を行なっている。
 さてこうした彼女の文章を読んでいて素朴な疑問として感じたのが、その問い直しによって提案され(続け)る「オルタナティブ」は、現状になんらかコミットしない限りどこまでいっても「オルタナティブ」のままなのではないのか?ということである。もっとも、本展ではなんらか具体的な社会有用的メッセージは周到に避けられているので、こういう批判は的外れなのかもしれない。現状を疑い、なんらかの可能性を模索する態度=想像しなおす態度が有効なオルタナティブとして力を得るとすれば、それは無数のそうした動きが集まっていくことで大きなうねりになることであろうが、私にはその可能性はあまり信じられない(1990年代の多文化主義が盛んになったとき、小さな物語のうねりにはかなり期待したが結果はそうでもなかった)。個々人の心情のレベルでいいのならばそれでもかまわないかもしれないが、アーティストの「態度」に注目し、来場者にもそうした「態度」の取り方を呼び掛けるのであれば、展覧会は(否応なく)アーティストおよびキュレーターの信条告白をこえて、「いかに生きるべきか」という哲学的な問いかけを鑑賞者に対して行なっているはずである。そうすると、そこで本当に見せるべきは、作品というよりは普通の人がなんとなく送る生に対してまさに「オルタナティブ」でしかありえないアーティストの「生」そのものであって、そうしたアーティストは必然的に作品がその「生」を鑑賞者に伝えるはずである。その意味で、そのレベルで作品を発表したのは、「海女」に魅せられ、自らも身をもって体験した山内光枝のみである。ただ残念なことに、ここが福岡の作家としての弱点だが、映像が海女の「生の肉体」をとらえきれていない。でも彼女はその「肉体」を知っているはずである。つまり表現に到達していないわけで、そこが残念で仕方がない。もしかしたら、彼女の表現の邪魔をしているのは「現代美術」そのものかもしれない。
 けれども、国内外のアートシーンで活躍するアーティストたちの新作を、彼・彼女たちの先頭に立って、福岡の地で展開し、新鮮な空間を作り上げた正路の手腕は見事。「福岡市美術館でこういう展覧会、ずいぶん久しぶりですね!」という声を筆者自身ずいぶん聞き、その瞬間「大竹伸朗展」も「菊畑茂久馬回顧展」も「福岡現代美術クロニクル」も過去の遺物になった(自分以外の学芸員が企画した現代美術展を当館特別展示室ではじめて見た。そういった意味でも新鮮だった)。


山内光枝《you are here》(部分)


「想像しなおし」図録。Calamari Inc.による渾身のデザイン

想像しなおし IN SEARCH OF CRITICAL IMAGINATION

会期:2014年1月5日(日)〜2月23日(日)
会場:福岡市美術館
福岡県福岡市中央区大濠公園1-6/Tel. 092-714-6051

没後50年「上田宇三郎展──もうひとつの時間へ」

 当館常設展示室には、「企画展示室」という13メートル四方の小さな展示室があり、スケールメリットを活かしたさまざまな企画展を開催してきた。「上田宇三郎展」もその一環である。
 上田宇三郎という画家を知っている人はそう多くないだろう。この画家は九州派の前世代にあたる日本画家である。身も蓋もない言い方をすれば「地方画家」に過ぎないのだが、そう切り捨てることをためらわれる画家たちが、じつは福岡というか九州の地には結構多い(と、しばらく住むとだんだん気がつくよ)。宇三郎もそんな画家である。技法は日本画であるが、その作品様式は戦後のモダニズム絵画の系列に属する。それほどオリジナルな絵を描いたわけではないが、画面には気品が漂い、それは時々わずかな狂気を宿して見る者をはっとさせる。
 宇三郎の再評価は、20年以上前の1992年に福岡県立美術館で開催された「上田宇三郎と朱貌社の仲間たち」展がその先鞭をつけたが、本展はそれ以来の回顧展となった。
 さて1964年に志半ばで亡くなった作家ということで、展覧会準備は、そこに画家の「生の肉体」を欠いた、どうしても作品調査とデータ整理の仕事が中心となりがちだが、この展覧会で、企画者の吉田暁子が注目したのが、宇三郎が書き残した「日記」である。これは1947年1月1日から、没する直前の1964年1月29日まで、宇三郎の動向がほぼ毎日記されている。残念ながら現物は失なわれており、そのコピーが福岡県立美術館に所蔵されていた。今回吉田はこの日記をデータ化し、CD-ROMにして図録の付録とした。日記によれば、宇三郎は、画業の方向性と病弱な体質に悩みながらも、頻繁に喫茶店に出かけてはコーヒーを飲み、映画を楽しんでいた。こうした画家の日常というか、まさに肉体の存在に迫るには、作品をいくらたくさん展示したところで迫れるものではない。そこで彼女は関連事業として、この日記の朗読会を企画したのである。題して「時のあじわい、日々のにおい」。朗読者に起用されたのは、「想像しなおし」出品作家でもある山内光枝。それだけではなく、朗読を聞きつつ、コーヒーを味わう。彼がよく通った喫茶店「風月」はすでにないが、その母体の会社「風月フーズ」のご厚意で、宇三郎が実際に飲んだであろうコーヒーを会場で再現、来場者に振る舞った。さらに希望者は、朗読とコーヒーのあとに、宇三郎が見たであろう映画『モンパルナスの灯』を鑑賞できた。まさに五感を刺激するイベントである。作品の並ぶ展示室では感じることの難しい、画家が体験したであろう時間を体感すること。まさに「もうひとつの時間」。現代美術のキュレーターは、アーティストの先頭に立つが、近代美術のキュレーターは、対象となる画家に密着することが身上となる。体温を感じ、それをどれだけ来場者に伝えられるか。展覧会の出来映えにも影響する距離感である。


「上田宇三郎展」会場風景


「時のあじわい、日々のにおい」で朗読する山内光枝

没後50年 上田宇三郎展──もうひとつの時間へ

会期:2013年12月18日(水)〜2014年2月16日(日)
会場:福岡市美術館
福岡県福岡市中央区大濠公園1-6/Tel. 092-714-6051

 自館で他の学芸員が企画した展覧会のことを二つ書いたのには理由がある。この2展は、若手学芸員の現時点での成果といえるもので、それなりに身びいきは入っていることは否定しないが、彼女たちの今後の仕事ぶりを占うものとして重要なものだと筆者は思っている。2007年以降、当館はあまり年数を置かないで立て続けに新人学芸員の採用を行ない(逆に言えばその分離職した人がいたわけだが)、先述の正路、吉田に引き続いて、教育普及専任の神保明香、作品保存・管理専任の渡抜由季が着任。近現代・古美術の展覧会業務もさることながら、学校対応、社会教育の需要に対応しつつ、数年後の当館リニューアルを見越す必要もある現在、学芸業務の多様化に対応できる布陣を(なんとか)築き上げつつある。一時期は世代と性別のバランスが悪かったが、ようやく光が見えてきた気分。そのぶん、自分の役割もだんだんと変わりつつある。しかしまあ、予算不足の折でも余計な我慢をさせたくなくてのびのび仕事してほしいんだけど……それこそ「想像しなおす」態度で支えていきたいと思う。
 ただ、本音を言えば、自分の展覧会の準備で走り回っているほうが、他人の企画準備の進行を見守るよりは楽だね。