2021年08月01日号
次回9月1日更新予定

キュレーターズノート

「希望の原理」(国東半島芸術祭)

能勢陽子(豊田市美術館)

2014年12月01日号

 「希望の原理」は、国東半島芸術祭のレジデンス・プロジェクトで、16人・組の作家が旧町役場と元歯科医院の二会場で展示を行なっていた。今回は、過去のレジデンスの成果に新たな展示が加わった元歯科医院「集ういえ・作るいえ」はひとまず置き、展覧会としての性質がより強かった旧町役場会場に絞って書くことにする。そこだけでも、これまであまり観たことのないような、容易に全体を把握、咀嚼しきれない豊饒な展示になっていたからだ。


会場となった旧香々地町役場
撮影=内堀義之

 国東半島は、150〜110万年前の火山活動によりできた山のような形の半島で、至る所で岩肌が剥き出しになり、火山灰でできた脆い岩が奇岩や洞窟などを形作っている。そこかしこで出会う石仏や石塔は、巨大なものから小さなものまでさまざまあり、古来からの大陸や南国の島々の文化が混淆した、おおらかで温かみを感じさせる相貌をみせる。「希望の原理」は、国東に存在する多様な石の様相を展覧会に重ねて、地域における芸術の機能、作家性、地域性を深く掘り下げるべく企画されたものであった。おおらかさと畏怖をあわせもつ国東の地と作家たちの制作の原動力が、石や土、虫や植物などと結びついて土着性を帯び、そこらじゅうに無数の石として転がっているような、それらが関連しあって天体をなすような、不可思議な構成になっていた。旧市役所内の扉や戸棚、ロッカーは好き勝手に開けても良く、そんな中にひっそりと置かれている作品もあり、だから見落としてしまうものも出てくる。キャプションも解説パネルもないので、それぞれがどの作家によるものかわからないまま、来場者が能動的に、偶発的に作品に出会っていくことになる。
 まず初めに目を引かれたのは、国東の祭や風景を捉えた写真と、それを眺めるように立っている、鍬を手にした農民の後ろ姿である。写真は、2001年より自給自足の生活を求めて国東に移住した船尾修(1960-)が撮影したもので、その地の何気ない日常と夢幻性が隣り合っている。その前に立つのは荒く削られた木彫彫刻であり、自らの原点である農民の姿を彫ることで知られる、秋田県在住の彫刻家・皆川嘉左ヱ門(1942-)によるものだ。皆川の木彫は、ほかにも和室や階段の踊り場など至る所に出没して、無骨な力強さで生を露わにする。大きな木彫は、アカデミズムの薫陶を受けた日名子実三(1892-1945)の端正な石膏像やメダルと好対照を成し、人体彫刻とヒューマニズムの関係について考えさせる。これらの作家は、ジャンルの横断や既定の価値観からの脱却を掲げても、結局収まりの良い内容になってしまいがちな現代美術展では、なかなか出会えない作家たちである。それは、給湯室の食器棚や飾り棚に並べられた、「小鹿田焼き(おんたやき)」についてもいえる。大分県日田市で代々長子相続により受け継がれてきた「小鹿田焼き」は、素朴な匿名性で、茶わんや皿、壺として人々の生活のなかで使われている。


左=展示風景(船尾修+皆川嘉左ヱ門)
右=展示風景(皆川嘉左ヱ門) 撮影=松見拓也


展示風景(日名子実三)
撮影=内堀義之

 展示を観ているうち、バタンという音や何かが擦れるような音が、時折会場に響いていることに気付く。ゴーストが鳴らすようなその不気味な音は、梅田哲也(1980-)によるものだ。1階の金庫室に来場者が一人で入ることを促されると、なにも見えない暗闇のなかで、服が壁に擦れ、靴のゴム底がギュッギュと鳴る人の気配を、間近で強烈に感じることになる。会場で時折響く音は、そこで生じた音を高性能の集音マイクで拾ったものだ。鈴木ヒラク(1978-)は、国東の至る所で黒い画用紙に銀のスプレー缶で描いたドローイングを制作したが、それらはある時は明るい海岸で、ある時は薄暗いトンネルで、自動書記のように光を捉えようとしたもののようにみえる。ポルトガルの作家、ジョアン・マリア・グスマン+ペドロ・パイヴァは、会議室に5台の映写機からフィルムを投影するインスタレーションを設置した。植物や動物などの博物学的イメージと、図形が規則的に変化する幾何学的なイメージの融合は、時折スローモーションで流れる時間の弛緩を伴って、なにか観ることのできない世界が開示されているような感触を覚える。


ともに展示風景(鈴木ヒラク)
撮影=松見拓也


展示風景(ジョアン・マリア・グスマン+ペドロ・パイヴァ)

 もっとも不可解ながら本展の要を成していると思われたのは、会場の中心に位置するがらんとした大きな部屋である。そこには、曽根裕(1965-)が自宅の中庭から見える椰子の木を描いた絵画が2点掛かっている。青い空を背景に、光や風を受けて輝く椰子の木の様子は、その完全な瞬間を捉えるべく、大胆な筆遣いでしかし丁寧に描かれている。その風景は、寛いだ心地良さを感じさせると同時に、その瞬間の切なさと不穏さも開示する。それは、その会場に流れる梅田哲也の、「おぼえていますか、おそれていますか」と繰り返す不穏な合唱曲を背景としているからかもしれない。部屋の隅には、ヒスロム(加藤至、星野文紀、吉田祐からなるグループ、2009年に結成)が国東で収集した虫の亡骸も数体置かれていて、その場はまるで、生前の幸福な風景を俯瞰しているような、奇妙な時空間の捻じれを感じさせる。そしてそのがらんとした空虚が、ほかの無数の石ころのような、多層な作品たちを繋ぐようにも思われるのである。


左=展示風景(曽根裕)/右=展示風景(ヒスロム)
ともに撮影=松見拓也

 本展に出品されていた作品たちに共通していたのは、それが異界を感じる端緒や入口になり、また“新たな土着性”を帯びているということだ。“新たな土着性”というのは、大地との繋がりが絶たれた失われた過去を嘆くのではなく、その恐れとノスタルジーを反転させ、再び確かな生を感じるための、未来の手段になるようなもののことだ。地域における芸術祭が多発して、芸術が地域の経済や観光の活性化に利用されているのではないかという危惧も聞かれるようになったなか、本展は芸術と社会、地域との関係という根源的な問いに対するさまざまな試みを行なっていた。そして私は、この「希望の原理」で自らにも繋がる“新たな土着性”を確かに感じることができたので、遠く国東まで足を延ばして本当に良かったと思った。

希望の原理国東半島芸術祭

会期:2014年10月4日(土)〜2014年11月30日(日)
会場:
[A]旧香々地町役場(大分県豊後高田市見目110)
[B]集ういえ・作るいえ(大分県国東国見町伊美2525-1)

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