キュレーターズノート
杉戸洋 展「天上の下地 prime and foundation」
能勢陽子(豊田市美術館)
2015年06月01日号
対象美術館
杉戸洋の展覧会は、並んだり向き合ったりする大小の絵画同士の色と形態が呼応しあい、絵画をはみ出して、全体的に豊かな空間をつくり出す。杉戸は画家だけれど、いわゆるインスタレーションとも違うかたちで、空間に色彩と構成を与えて、そこを軽やかな余白を持つものに変える。
《天上の下地》は、上下左右が自在に回転するような、絵画的にも建築的にも聞こえるタイトルである。会場は、ル・コルビュジエに師事し日本のモダニズム建築を牽引した、前川國男設計による宮城県美術館である。杉戸は、この前川晩年の作になる静謐な威厳を持つ美術館を、丹念に読み込んで展示構成を行なっている。横長の展示室の中央には、五本の壁に平らに載せた屋根が庇のように張り出した構築物が置かれている。近代建築のようにも、伝統的な東屋のようにもみえるその構築物の壁には、小さな絵が掛けられ、壁と壁のあいだの空間とそこからのみえ方もそれぞれ異なっている。なにより展示室に構築物状のものがあることで、建物と建物が入れ子状になり、外部と内部、大と小が反転するような想像へと導く。そこに杉戸の絵画の中の幾何学が、多層的に交差してくる。杉戸が描くモチーフの多くは、家や車、樹、星空など、子どもが好んで描きそうな柔らかなものだけれど、そこには水平線、三角形や四角形、格子構造などの幾何学も配されている。建築と構築物、そして絵画との幾何学的な繋がりをみつければ、それは花や雪の一片などのどこまでも小さい点まで辿れそうだし、それは逆に大きく拡張して、建築、空、宇宙までの広がりも持ちそうである。そんなふうに、視点は絵画と空間のあいだを重層的に行ったり来たりして、そこに大小の幾何学に重なる風景が現われてくる。そこでは、形態に加えて色彩も注意深く配されている。1981年の開館以来、多くの絵画が飾られたであろうクロス壁には、タッチアップの跡が多く残り、くすんだ土色もやや気になってくる。杉戸はそこに緑を挿しいれることで、その壁を補色のピンクにみえるようにする。そこに現われる緑は、絵画のところどころに使われていたり、展示ケースのガラスを重ねることによっていたりと、実にさりげない手法による。それでもそのささやかな緑が、展示室の壁全体を、肌色のような親密なピンクに変えるのである。
並んでいる絵画の大きさは、大小極端であったり、きちんと額装された小さなものばかりであったり、今度は大きなものが向かい合っていたりと、さまざまな対比をみせる。また絵画は、無造作に床に立てかけられていたり、日用品とともに台の上に寝かされていたり、木枠やレンガの上に置かれていたり、台車に載っていたりと、実に自在である。展示構成は、前川の建築における黄金比を踏まえた論理に基づいていても、絵画はそこからはみ出すように配されているようである。その空間は、幾何学的に緻密に構成されていても、人間の身体感覚にあった親密なものになるよう、意図的にずらされている。そのことを象徴するように、展示には「聴こえない音階」が隠れていた。このことは、杉戸がトークを行なった建築家の青木淳の慧眼を介さなければ、私には気付けないものであった。その「聴こえない音階」がなんなのか、ここでは詳述は避けておく。音の配列の基礎になっている数学がわからなくても、音楽は理屈抜きに聴覚と身体で感じられる。それと同じように、この展示の黄金比による空間構成に気づかなくても、視覚と身体でその自由な解放感を感じられれば、おそらくそれで十分である。ただこの展示に、黄金比と絵画に対する音階と音楽のアナロジーが隠れていることは、その空間が規律から外れつつ、全体として調和を取る色彩や形態で満ちていることを想像させて、愉快であった。今回の展示では、どれが代表作というのではなく、小さな絵画も大きな絵画もすべて等価に繋がり、建築に呼応して空間に溶け込んでいる。それは、絵画と建築、絵本に出てくるようなモチーフと建築的な合理性が融合した、素朴さと複雑さが同居しうる稀有な空間であった。