キュレーターズノート
「嘉麻市レジデンシー・ビエンナーレ」「STANCE or DISTANCE?──わたしと世界をつなぐ‘距離’」
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2015年10月15日号
福岡県筑豊地方に、嘉麻市立織田廣喜美術館という小さな美術館がある。同地出身で、二科展で長く活躍した織田を記念・顕彰する美術館で、筆者も2003年に開催した「九州力──世界美術としての九州」の作品借用以来、約10年ぶりに訪問した。
なぜAIRが嘉麻市で?
訪問のきっかけになったのが、「オダビエンナーレ」の一環として本年6月〜8月に開催された「嘉麻市レジデンシー・ビエンナーレ」である。織田美術館は、一昨年から「オダビエンナーレ」として嘉麻市と関連性を持ったアートプログラムを隔年で行なっている。初年度は「ぼくらの嘉麻の森」をテーマに掲げ、カンヌ国際広告祭で金賞を受賞したインターネットCM「森の木琴」を再現するプロジェクトを行なった。
2回目となる本年は、「嘉麻市レジデンシー・ビエンナーレ」としてアーティスト・イン・レジデンス(AIR)形式を採り、その成果展示が、同館で10月18日(日)まで行なわれている。今回は、オランダを拠点として出版やキュレーションを務めるThe Future(クララ・ヴァン・ダウクレン、ヴィンセント・スキッパー)をキュレーターに、4名のオランダ人クリエイター(ディルク・スミット、クリスティーヌ・マース、アン・クレール・デ・ブレイ、スティーブン・ファン・ルメル)と3名の日本人(前谷康太郎、中村亮一、元行まみ)が、嘉麻市の昨年廃校になった千手小学校に滞在しながら、地元の職人とアーティストとともに作品制作を実施した。
ここで、まず一番に感じたのは、(失礼ながら)「なぜ、これが嘉麻市で行なわれているのか!?」という疑問である。サイトやポスターなどのグラフィックもかなり洗練されている。AIR自体は、もはや説明の必要もないほど、定着した手法であり、九州近郊では、例えば秋吉台国際芸術村や、福岡アジア美術館、新しいところでは九州芸文館の「ちくご移住計画」など、地域ごとにさまざまなかたちで運営されている。もはや日常化したAIRのイメージを鮮やかに裏切る、ひと夏の“マジック”とでも呼びたくなる、その興味深い内容をここに記しておきたい。
コミュニティの潜在力を可視化
そもそも、事の始まりは日本のローカルで行なうアートプロジェクトに関心を寄せていたThe Futureが、以前、短期間滞在したことのある嘉麻市を再訪したことにある。その際、偶然立ち寄った千手小学校で、見ず知らずの地域のシニアの皆さんに熱烈な歓迎を受けたことから、プロジェクトはスタートする。The Futureは、実施のための助成金などを検討しつつ、嘉麻市とも協力体制をとるために繋がりをつくっていく過程が、またスリリングだ。
そこには、いくつかの幸運が重なる。多くの地域住民が参加する「千手けやき会」の幹部が、廃校施設の活用を推進する学校教育課管理係の市職員であったり、歓迎の飲み会に誘われてやってきたのが地域情報課の職員であったり、アートには普段関係ないが、地元住民としての顔をもつ、行政マンが運営に大きな力を発揮することである。
また、入浴設備のない校舎に滞在するアーティストたちを気の毒がった地域の方たちから、毎晩、かわるがわるお風呂のお誘いがある。炭酸水の差し入れが会費代わりの無料英会話教室のほかにも、異文化交流会を開催すれば、夏祭りレベルの本格的な屋台が登場し、100人規模の人が集まる。夕暮れの学校のけやきの木の下では、気づくと小さな飲み会が始まっている。いつもレジデンスには誰かしらがやってきて話をしていき、ときには制作がストップしてしまう。会場冒頭のスライドショーや、The Future&元行まみのインスタレーション《Senzu shogakkou》では、これらの経緯を示すインタビュー・ビデオが流され、この夏、地区を包んだ熱い空気を物語っていた。
中村亮一の《Life in Senzu》は、地元の松尾さんの少年時代をヒントに、古いテーブルに筑豊の美しい山や川、遊びの風景を描く。精霊流しにヒントを得た木の舟をつくり、火をつけてお盆に池に浮かべるプロジェクトを行なった、ディルク・スミットの《Recollection》の脇にそっと立てかけられた地区長さんの手作りの看板は、この場所に残る人々の優しさや温かさをそっと伝える。
地域においてAIRを行なう意義とは一体なんだろうか。事実、かつて日本を代表する採炭地であった筑豊炭田の一翼を担いつつ、2006年に一市三町が合併して誕生した嘉麻市も、合併時に4万5千人だった人口が現在は4万人を割り、人口減少は避けることのできない問題である。「地域のPR」「移住・定住促進」の一環として導入されることの多いAIRだが、残念なことに一過性の事業となってしまっている場面にも出くわす。
嘉麻市のレジデンスは、その記録が、The Futureによって一冊の本になり、東京、オランダでの一部巡回も決定している。この成功の陰には、さまざまな幸運を引き寄せ、アート・プロジェクトを通して、千手というコミュニティが潜在的にもっていた“すごさ”を可視化させた、アーティスト達の直観力のたまものだろう。そして、アーティスト達が魔法のような時間を次々と生み出していく瞬間を、さりげなく、かつしっかりと陰で支える美術館の存在にAIR成功の鍵を見た。そして、The Futureは千手で新たな空き家を探しているという。またひとつ、新たな物語が生まれてきそうだ。
オダビエンナーレ
学芸員レポート
じつは熊本でも県が主催する「アーティスト・イン・阿蘇」というレジデンス事業が昨年から始まり、世界各国から公募により選ばれた若手アーティストたちが阿蘇に90日間滞在して制作活動を行なっている。一市六町にまたがる阿蘇地域は非常に広大で、全体のコーディネートも非常に難しい状況にあるが、熊本で開催される最大規模のAIR事業ということで、今後の展開を期待したい。
一方、熊本市現代美術館では「STANCE or DISTANCE?──わたしと世界をつなぐ‘距離’」展がスタートした。久々の直球ど真ん中の現代美術展で、アートに限らず、コンピュータやロボット科学者など、17作家(渡邊淳司+安藤英由樹、石黒浩、藤井直敬+GRINDER-MAN+EVALA、林智子、加藤泉、金川晋吾、横溝静、モナ・ハトゥム、ミカ・ロッテンバーグ、エリザベス・プライス、小泉明郎、ボリス・ミハイロフ、ズビグニエフ・リベラ、リー・ブラザーズ、大野智史、藤田桃子、塩保朋子)、を紹介。アンドロイドや体験型のメディア・アートなどのほか、国内美術館で初紹介となるミカ・ロッテンバーグ、リー・ブラザーズのほか、熊本を取材した林智子の新作インスタレーションなど、充実の展観である(本日現在、スタッフ総出で展示にあたっている)。さまざまなワークショップも行なわれるほか、12月6日には、国内初デモとなる渋谷慶一郎×コウカロイドによるライブと、石黒浩×渋谷慶一郎×池上高志によるトークも行なわれる(入場券[事前抽選]は10月31日応募締切)。ぜひ、熊本へも足を運んでほしい。