キュレーターズノート
菊畑茂久馬 個展「春の唄」、「Fly me to the AOMORI──青い森へ連れてって」
工藤健志(青森県立美術館)
2016年01月15日号
「え? カイカイキキギャラリーで菊畑茂久馬展!?」。この意外な組み合わせにまず驚き、いざ会場に足を運べば今度は菊畑さんの新作群にグルグルと思考を撹乱されてしまった。
個展と新作の名称は「春の唄」。まさに新春にふさわしいタイトルなので、展覧会は終わってしばらく経つものの、この機会に考えたことをまとめておきたいと思う。展覧会開催の経緯については本展の協力者でもある山口洋三氏が2015年11月15日号の学芸員レポートで取り上げ、同ギャラリーのウェブサイトには村上隆氏によるステイトメントと椹木野衣氏による良質の菊畑論も掲載されており、まともに正面からぶつかっても返り討ちにあうだけなので(笑)、ここでは極私的(恣意的?)な視点から展覧会と作品について書いてみたい(以下、敬称略)。
辺境を選び、矛盾と格闘
はじめに村上隆と菊畑茂久馬のカップリングについて。世界の先端で活躍する芸術家でありながら、プロデューサーとして若い作家を育て、ギャラリストして新しい価値を提示し、さらに独自の審美眼で現代美術から古美術、民俗資料まで多岐にわたる作品のコレクションを行なう村上隆。1月30日から横浜美術館ではじまる「村上隆のスーパーフラット・コレクション──蕭白、魯山人からキーファーまで」でそのコレクションの全貌が明らかになるが、おそらくその多彩なコレクションからは村上の芸術観の確固たる「筋」が見えてくることだろう。森美術館の個展の補完にとどまらない、村上隆という芸術家を丸裸にする絶好の機会となるはずだし、その作品群はこれまで村上にまとわりついてきた国内のさまざまな批判的言説に対する犀利な回答ともなるに違いない。
菊畑茂久馬という芸術家もまた、村上にとっては「日本美術」を体系化するうえで避けて通れぬ存在だったのだろう。菊畑は、一貫して福岡を活動の拠点としながら、50年代末から社会、政治的問題を背景にした前衛芸術運動に身を投じ、「九州派」や「読売アンデパンダン展」等で廃品を用いた土俗的アウラをまとうオブジェを発表して一躍「反芸術」の旗手となるが、60年代後半から80年前半までの長き間、アートシーンの最前線から退き、藤田嗣治を始めとする戦争記録画や山本作兵衛が手がけた炭坑記録画の研究に打ち込んだ後、1983年の《天動説》を皮切りに巨大なタブローの連作を次々と発表していく。
筆者は1996年に菊畑の協力のもとに山本作兵衛展を企画したことがあるのだが、出品作の選定作業をとおし作兵衛画をどう理解、解釈、評価すべきかを学び、美学校菊畑教場での炭坑記録画模写壁画制作についてもいろいろと話を聞くことができた。菊畑の意識の根底にあったのは国の根本を支えた名もなき人々の人生と生活、虐げられた者、弱き者への共感であり、そこに蓄積されたエネルギーの開放への支援であった。同時に戦中、戦後の混乱した社会で波乱の少年期、青年期を過ごした自らの存在を、近代/日本という構造のなかで思索するためのフックとしていたようにも感じられた。さまざまな「負」の側の宿命を引き受け、グイとひっくり返して「敵」にぶつける。菊畑にとっては東京を拠点とすること自体がナンセンスではなかったか。東京におけるエスノセントリズム(自文化中心主義)と、アートというフレームに守られた「ごっこ遊び」に向こうを張るため、菊畑はあえて「地方に生きる」ことを選んだように思う。辺境と、そこに堆積する怨念、情念、悲しみ、苦しみ。東京──そこは作品をぶつけて戦う場に過ぎなかった。アート──それは権威、権力の象徴であるがゆえ、価値や意味を転倒させるべきものであった。明治の近代化から二つの大戦、そして敗戦とそこからの70年──日本という国とその社会とそこに生きる人々の内に生じるさまざまな「分断」を、菊畑は地方にあってそのまま自身の問題として引き寄せ、己の芸術的方法論としていった。分断の安易な調和ではなく、分断、そして矛盾との格闘の末に生み出されたそれら作品は、スケールの大きな、強烈な意識の塊として、見る者の心に揺さぶりをかけてくる。個を突き抜け、地域を突き抜け、時代を突き抜け。
東京と地方の関係性は、世界とアジア(の東京)の問題にも連なり、畢竟それは村上の置かれた「位置」とその「苦悩」に重なってくる。長き間、辺境にあることで芸術の方法意識を深化させた菊畑の仕事を、村上はその目で一度確かめたかったのではなかろうか。本展の開催までには3年の月日を要したという。両者にはその間、丁々発止のやり取りや幾多の葛藤があったことだろう。ゆえに本展は、カイカイキキギャラリーで開催された菊畑茂久馬新作展という単純な理解を超えて、菊畑茂久馬と村上隆という稀代の曲者、すなわち「芸術の在り処を、負の転倒による強靭なエネルギーによって芸術という概念そのものを揺さぶりながら探る」2人の芸術家による渾身のアンサンブルと捉えると、展覧会の持つ意味の大きさが明快になるのではないかと思う。
紛うことなき日本の今
で、その新作《春の唄》である。2011年に福岡市美術館と長崎県美術館で同時開催された「菊畑茂久馬回顧展──戦後/絵画」に出品された《春風》シリーズの流れを汲みつつも、そのコンセプトがより鮮明に打ち出された《春の唄》。よく指摘されるのは、1983年の《天動説》に始まり、《月光》、《月宮》、《海道》、《海 暖流・寒流》、《舟歌》、そして《天河》と続いた大画の連作に見られる重厚かつ深遠なイメージからの飛翔という点。たしかに、そのパステル調の色彩は軽やかで、儚げで、甘美で、見る者の緊張を解きほぐしてくれる。菊畑の言う「堂々たる叙情」という言葉も腑に落ちる。しかし、その作品と向きあい、じっと佇んでいると、それだけでないなにかを感じるのだ。
80年代以降の「絵画の時代」の集大成と言われた《天河》が、《春の唄》のひとつ前の大作シリーズということなるが、ここで1999年(なんと17年前! 東京での大作の発表はそれ以来!)にSOKO東京画廊での個展を見たときの、筆者の記憶をたぐってみよう。その作品群は、黒と赤の繊細な色彩のトーンが絵の具の濃密なマチエールをともなって、絵画としての物質性と、物質としての生命力を現出させていた。平面の奥の奥へと込められた深い内省が重層的なマチエールを構築し、それが一気に反転して精神が大宇宙へと無限に広がっていくかのような崇高さと象徴性に満ちており(ゆえにナラティブでもある)、まさに絵画論としての絵画を極めるかのような連作であった。
今回の大作4点はそれぞれパステル調の赤、青、黄、緑を主色としているが、F200号を横に2枚継いだ大きさと、逆台形のフォルムには過去作との連続性が認められ、一目で菊畑作品とわかるがゆえ、その色調の意外性がひときわ目立つ。「堂々たる叙情」。しかし、例えば「月光」、「暖流、寒流」、「天河」など過去のシリーズでタイトルに選ばれた言葉も、たんに自然や現象を表わすものではなく、悠久の時間と空間を内包した生命の根源、無数の意識の断片の実在(としての作品)を、ある時は補い、ある時は遮るためのものであったように思う。ゆえに、過去の絵画作品にも日本の「土俗」や「信仰」から「文化」や「文明」、さらには「叙情」や「感情」といったものが要素としてはすでに備わっていた。もしかすると《春の唄》とは、それまで菊畑が担ってきたさまざまな負荷とその混沌による表現をいったん封じ込める試みではなかったか。菊畑は言う、「作為というか徹底的に作り上げたものではなくて、ふっと立った時に、ふっと自然に、ふっとしたものが気配を作る、そんな仕事が絶対あるはず」と。それこそが、あるレベルに達した者だけが会得できる高悟帰俗の境地と言えはしないか。
そこから生み出されたもの、それは紛うことなき「日本」の「今」ではなかろうか。中間色の穏やかな色彩は「日本」を強く意識させ、その薄っぺらい皮膜のようなフォルムの向こうになにかの「気配」が漂う。逆台形のフォルムはかっちりと明確になり、その収まりの良さはむしろただならぬ事態の予兆を示す。それらは2011年の震災以降の日本の表層を覆う「気配」と近しく感じられるのだ。そう、《春の唄》の原点となる《春風》の連作では、柔らかなヴェールに覆われた表層の裂け目から、得体の知れぬなにかがうごめく世界が見え隠れしていたではないか。表層をペロリとめくって出てくるのは鬼か蛇か。
そもそも、地べたを這いつくばりながら時代を穿ち、人間存在を穿ち、「負」を背負い、自らを傷つけながら、返し刀で見る者へ強烈なエネルギーをぶつけてきた菊畑が、この不穏な時代において、単に「叙情」を表現するだけで収まりがつくはずもなかろう。筆者はこの静謐なフォルムが涙の染み出す墓標のように思えてならないのだ。本展が、戦後70年という節目をきっかけにさまざまな破綻や軋みが顕在化してきた2015年の日本、その政治、経済、文化を動かす東京という地で開催されたことは、われわれが想像する以上に大きな意味を持つように思う。
菊畑茂久馬 個展「春の唄」
学芸員レポート
青森県の誘客プロモーションを青森県立美術館がプロデュース
と、なんだか脳みそが沸騰してきたので、冷却を兼ねて報告をもう1本。いきなり口調も変わります。
別に美術館が休館中だからというわけでもないのですが、「Fly me to the AOMORI──青い森へ連れてって」というプロジェクトを2015年12月に名古屋で開催しました。これまで東京、静岡、福岡、北海道で開催してきた「青森県立美術館展」、「青森県立美術館コレクション展」ではなく、「青森県美がプロデュースする“青森展”」というくせ球で、しかも会場探しから運営までをすべて美術館が行なうという完全なるアウェイ戦(笑)。というのも、もっと大きな事業枠として青森県観光国際戦略局による名古屋地区での誘客プロモーションがあり、展覧会もそのフレームのなかに位置づけられていたから。その観光局のプロモーションは地下鉄名古屋駅構内に巨大なポスターを掲出するというもの。当局とあれこれ打ち合わせを進めていくうちに、誘客プロモーションと展覧会をしっかり連動させようということになり、気づけば美術館で誘客プロモーションのプロデュースも引き受けることになっていたという。これってほんらいは広告代理店の仕事なんじゃないの?と一瞬思ったものの、すぐに「いいチャンスかも。広報の勉強にもなるし、なにか面白いことができそう!」と気楽に考えちゃうのが僕の悪いところです(と同僚からもよく言われる)。「青い森へ連れてって」というタイトルも「誘客」の視点から決めたものですが、言うまでもなく元ネタはスタンダード・ナンバーの「私を月に連れてって」。言葉の響きが凄く気に入ってて、じつはプロジェクト名に使うのは2回目だったりする(笑)。
プロジェクトそのものは、名古屋小牧〜青森の定期便を就航しているFDA(フジドリームエアラインズ)からの要望もあり、2014年にスペースシャワーブックスから出版された『青森県立美術館コンセプトブック』(残念ながら現在は絶版)で試みた「色」という切り口から「青森」を紹介することに。その「色」は美術館のV.I.で設定されているオリジナルカラーの7色とし、さらに菊地敦己さんがデザインした青森フォントも用いることで、プロモーションと展覧会をスムーズに接続させる。「でもポスターは現場でしか見られないしなあ、もっと広域に発信できる素材をつくりたい!」ということで当初は予定になかった映像もつくることにしました。
まず決めたのは、PRの素材に多くの人が知る青森ネタをできるだけ使わないこと。そしてポスターや映像にプロのモデルは使わないこと。今回登場する7人の女性は美術館の新旧スタッフとその知り合いで固めました(まったくもって青森は美人さんが多い!)。誘客ターゲットは一応「20代半ば〜30代半ばの女性」とし、まずポスターや映像のなかの「身近にいそうな女性たち」にシンパシーを感じてもらい、それを青森に対する親近感へとつなげていくことを狙ってみました。プロモーションのテーマ曲は青森出身のミュージシャン伊藤ゴローさんに書き下ろしてもらい、出来上がってきたサンプル音源をもとに映像のコンテを切って、ポスターのラフを描き、ロケや撮影の段取りを決める。ポスターデザインは美術館のインハウスデザイナー佐藤謙行さんに、映像の撮影編集は旧知の映像作家である泉山朗土さんに依頼するなど、美術館が主体となって宣材をつくりあげることが、「広報」の経験値を上げることにもつながるのではないかと考えたのです。などとエラソーなことを言いつつ、ギリギリまで何度も音源を差し替えて完成度を高めてくださった伊藤ゴローさん(「飛翔」と「北」をテーマにした、これぞ「青森」という楽曲に仕上がってます)、何度も画像修正に付き合ってくれた写真家の成田亮さん、しつこすぎる編集作業に嫌な顔ひとつせず対応してくれた泉山さんには頭が上がりません。……ということで、その成果やいかに? 代理店の手がけるウェルメイドな宣材にはほど遠いけど、美術館のなかでみんなでワイワイ楽しみながらつくったので、僕はすごく愛着を持っています。ぜひぜひ、ここに掲載したポスターと下記の映像からプロジェクトのイメージを感じ取ってもらえれば。
青森と名古屋の文化をつなぐサイトスペシフィックな展示
では最後に展覧会のことを少々。ポスターと映像で興味を持ってくださった方々が展覧会を見に来て、青森のステロタイプ化した印象を少しでも解きほぐすことができればという意図で展示を構成。会場は全部で六つ。メイン会場とした愛知芸術文化センターの「アートスペースX」(その名前に惚れた!)のほか、名古屋のアート、デザイン、ファッションなどさまざまな分野の方々の協力を得ながら、オルタナティヴ・スペースやブティック、ブックショップ、雑貨店等をサテライトとしてサイトスペシフィックな展示を行ない、青森と名古屋の文化をシームレスにつなぐことを試みました。
メイン会場では県立美術館の紹介に加え、伊藤隆介さんによる青森県美をモチーフにしたビデオ・インスタレーション(ギミックを内蔵したミニチュアセットを小型CCDカメラで撮影し、ライブでプロジェクションする作品)《Aomori Blue》と、伊藤ゴローさんの青森に着想を得たサウンド・インスタレーション《タキオンの馬 2015》という二つのインスタレーションを設置。加えて、「青森の色と形」というコンセプトで、列車などの車窓にうつろい流れていく風景の光と影をとらえた大洲大作さんの《光のシークエンス》シリーズと、青森をモチーフに《アオノニマス》シリーズを手がける柿崎真子さんの新作《アオノニマス 界》で、青森の「色」と「形」の一端を紹介しました。
サテライト会場は五つ。まず港まちづくり協議会が運営する「ボタンギャラリー」(その名のとおり元手芸店をリノベした空間)では、伊藤隆介さんの「特撮」をモチーフにしたビデオインスタレーション《Realistic Virtuality(Flying Giant)》と、成田亨さんが手がけた「ウルトラ」シリーズの怪獣デザイン、そして「ヒューマン」のレプリカブロンズ像を展示。周囲の歴史ある商店街の景観に溶け込んで、まるで「昭和の子供部屋」のような雰囲気の空間が出現しました。2会場目は「shop22」。ここは色を「赤」に絞って、福田里香さんによる青森の「雪(青森直送、もちろん本物!)」と「りんご」、そして「りんご箱」を使ったインスタレーションを中心に、秋本瑠理子さんの青森に取材したピンホール写真で空間を構成。さらにビルの階段を活用して大洲大作さんによる「空」と「飛行」をテーマにした写真の連作も展示しました。3会場目は「pieni・huone 覚王山」。ミナ・ペルホネンとアンティパストを取り扱うブティックの店内に、ミナ・ペルホネンによる青森県美のユニフォームを展示。暖かで、穏やかなお店の雰囲気と調和して、ユニフォームは美術館で見る印象とは異なった表情を見せてくれました。4会場目は、アートブックのセレクトショップとデザインアトリエを兼ねた“予約制”のブックサロン「colonbooks」。ここでは太宰治を紹介。弘前高校在学中の太宰を写した貴重なポートレートと、「美少女の美術史」展で製作し、先の札幌国際短編映画祭2015で大林宣彦賞を受賞したアニメ『女生徒』(監督=塚原重義)の上映を行ないました。colonbooksが入る日本陶磁器センターは、昭和前期に建てられた外壁、内装にタイル等の陶磁器を多用した由緒ある建築物で、その洗練された意匠を持つ昭和初期のモダンな空間と太宰の組み合わせはとても心地良く感じられました。そして5会場目は「国際デザインセンター クリエイターズショップ・ループ」。この若手クリエイターの創業支援スペースではプロモーションビデオと青森県立美術館の紹介映像を上映。このように、観光プロモーションと展覧会を連動させることで、これまでにない新しい観光PRのかたちを提示することができたのではないかと、ちょっと自画自賛なのでした(笑)。
個人的な意見を言わせてもらえば、いまの各地の「観光戦略」はゆるキャラか萌え絵で話題をつくるか、もしくは「聖地巡礼」に乗っかるか、相変わらず既存の大きな観光資源に頼るかで、広がりがあまりなくて物足りない。そもそも「観光」という概念を人に押しつけることじたい僕はあまり好きじゃないんだけど(青森は食料自給率が100パーセントを超えるんだからいまの流れを逆手にとって「鎖国」すれば良いのにとか、つい真剣に妄想しちゃう)、もっと土地の「特別でない特別なもの」や人々の「生活」、「日常」に即していけば、地域の魅力はきちんと根をはったかたちで伝わっていくと思うし、今回のプロジェクトは「土地の冠をつけた国際美術展で町おこし」とは比較にもならない微力な試みだったけど、こうした取り組みによって地方と地方がちょっとずつ繋がっていくことにもそれなりの価値はあると思っています。少なくとも、今回のプロジェクトをとおして、僕は名古屋の街と人、そして食べ物が大好きになりましたから。