キュレーターズノート

「Nerhol プロムナード」/「Nerhol Roadside tree」

鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)

2016年08月01日号

 金沢21世紀美術館では、5月よりNerholの個展「プロムナード」を開催中である。若手作家を紹介する「アペルト」シリーズの4回目にあたる。展示室に足を踏み入れると、まず壁の、木の断面を撮った写真が目をひく。4点ある写真は、一瞥したところ、まったく同じように見える。だが、わずかな揺らぎを感じながらそれぞれの作品に近づいてゆくと、遠目には1枚の写真であるかに見えたその作品は、薄い地形模型のようにプリントが何層にも重ねられたものであることが分かる。

 このような手の込んだ繊細な仕事をしたNerholとは、飯田竜太と田中義久の二人のユニット名である。飯田は印刷物を切ったり彫ったりする立体作品をつくる彫刻家で、3年ほど前、このコーナーでも紹介したことがある(2013年08月15日号 学芸員レポート)。一方、田中はグラフィック・デザイナーで、石内都やホンマタカシなどの写真集の装丁も多く手がけている。異なる分野でそれぞれに活動する二人がコラボレーションするときの名義がNerholである。アイディアを「練る(Ner)」田中と紙を「彫る(hol)」飯田の組み合わせが名前の由来だ。展覧会を企画した金沢21世紀美術館の学芸員・山峰潤也は、8月に水戸芸術館へ移籍した。その関係で、展覧会オープン後、私が担当を引き継いだ。山峰は昨年5月に韓国のグループ展にゲスト・キュレーターの一人として参加した際にも、Nerholを選んでいる★1



「Nerhol プロムナード」展 会場風景

 飯田と田中がNerholとして活動を始めたのは2007年である。これまでも写真を積層して彫る作品をつくってきた。例えばポートレイトの作品シリーズ「Misunderstanding Focus」(2012)があるが、これはあたかも証明写真を撮るようなセッティングで3分間、モデルにじっと座っていてもらい、そのあいだに連続で撮ったA4サイズの写真200枚を3センチ分積み重ねたものである。それが地形模型のように彫り込まれている。ストロボを焚かれ続けながら、もちろん3分間「じっと」静止することはできないので、写真の集合体として等高線のあいだから現われるイメージは揺らぎを含んでいる。人と向き合うとき、相手の顔は当然時間や反応を含むものである。一瞬を切り取った証明写真をその人のアイデンティティとしてわれわれは受け入れているが、じつそれは奇妙な習慣であることに気づかせてくれるような、写真の本質を突く優れた作品である。


今回展示している新作「multiple - roadside tree」のシリーズも同じ手法を使いながら、ポートレートの作品における3分間という時間のスケールを大きく引き延ばしたものである。まず、木の幹を水平方向に5ミリずつ薄くスライスする。スライスした断面には木の切り株のように年輪が現れる。その断面を写真に撮り、さらに次の断面の写真を撮るという行為を120回繰り返し、120枚のプリントをつくる。そのプリントを使って、地形模型のような薄いレリーフ状の立体をつくるのである。年輪の形はほとんど同じだが、幹の先端から根元のほうへ移動するにつれて少しずつ変化する。この変化は、木の成長がもたらすものである。120枚の写真には、何十年という時間が込められている。展覧会カタログに寄稿した星野太が指摘する通り、扱う時間の長さが大きく変化したことが、今回の新作の最大の特徴である★2


《multiple - roadside tree no. 01》

《multiple - roadside tree no. 01》(部分)
以上4点撮影=山中慎太郎、提供=金沢21世紀美術館


 被写体としてスライスされた木は、金沢21世紀美術館横のギャラリー「SLANT」で5月から7月まで開催されたNerholの個展で展示された。さほど広くはないギャラリーに入ると、クスノキの香りが立ちこめ、金沢21世紀美術館のクリーンな写真の印象とは対照的に、木の物質性を強く感じさせられた。薄くスライスされた木は、元通りに積み上げられたあと(積み上げられた状態の写真は、ギャラリーの壁面に展示されている)、スライス面が現われるように斜め上から力が加えられて床に倒されている。薄くスライスされた幹は、紙が木からできていることを思い起こさせた。ポートレイトのシリーズとは異なり、今回の新作は、被写体と支持体が重なるというウロボロスの蛇のような循環も感じさせる。
 これを時間の流れで捉えれば、木が成長する時間の先には、紙という状態の時間が連続しているのかもしれない。もちろん、木は紙の状態になることを目指して成長しているわけではない。人が介在することで、木は紙になる。だが、われわれが日頃目にする木の多くは自生したものではなく、人が植えたものである。今回の作品のタイトルにもなっている「roadside tree」、街路樹もまさにそうだ。今日の社会では、人工と自然は複雑に絡み合い、明確に区別することはできない。Nerholは、これまでほかにも水道やペットボトルの水、ガスバーナーの火をモチーフにした作品も制作しており、人工と自然の関係にも関心を寄せているが、今回の作品にもその関心が明確に現われている。


「Nerhol Roadside tree」展会場風景
壁面は《roadside tree no. 03》(左)、《roadside tree no. 04》(右)


《roadside tree no. 05》
以上2点撮影=筆者


 選び取られた木が、人間によって植林されたものというだけではなく、道路脇に一定の間隔で植えられた街路樹であることに私は興味を引かれる。歩行に比べれば遥かに高速で移動する自動車からの視点で見られる街路樹は、一定の間隔で後方に飛び去ってゆく。これが映像のコマ送りの原理と重なるように感じられる。歩行を超える速度での移動手段の歴史は、自動車よりもさらに鉄道へと遡ることができる。世界で最初の映画のひとつが鉄道の到着を撮ったものであることはしばしば象徴的に語られるが、ヴォルフガング・シヴェルブシュが指摘しているとおり、車窓からの視覚の誕生と映像による知覚の誕生は、ともに近代的な知覚の出現を印づけるものである★3。タイトルに示されたモチーフの選択が、映像の原理とも重なり合うところに、この作品が持つ意味の重層性を見て取ることができる。展覧会カタログに寄せた論考で山峰は、木の断面を写した写真というメディアに、ヴァルター・ベンヤミンの言う「アウラの喪失」を見いだしながら、一方で積層したプリントを彫るという物質的な行為にアウラの回復を見いだしている★4。それとは別に、街路樹というモチーフの選択自体にも、反復によって固有の一回性を喪った自然のあり方に対する作家の眼差しを見て取ることができよう。このことを踏まえながら、再びポートレイトのシリーズを見返すと、一人ひとりの顔は異なっていながらも、同じセッティングで反復されるポートレイトが、近代の群衆の出現と歩調をあわせて、ベルティヨン式などの手法を洗練させた司法写真の展開を、批判的に引き継いだものであるようにも感じられる★5
 デジタル化の進展によって写真と映像とがオーバーラップし、自然と人工との境界もますます曖昧になる時代に、「multiple - roadside tree」は、近代的なまなざしの誕生と重なる視覚装置の歴史と向き合いながら、Nerholがポートレートのシリーズ以後も着実に作品を展開していることを示している。



★1──「Sharing Footsteps」展、Youngeun Museum of Contemporary Art (韓国、Gwangju市)、2015
★2──星野太「時の彫刻」、山峰潤也、伊藤雅俊編『Nerhol: Promenade / multiple–roadside tree』(マイブックサービス/Yutaka Kikutake Gallery、2016、所収)
★3──ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史:19世紀における空間と時間の工業化』(加藤二訳、法政大学出版局、1982)
★4──山峰潤也「multiple-roadside tree/その存在それ自体について」(山峰潤也、伊藤雅俊編、前掲書、所収)
★5──司法写真については、港千尋『群衆論』(筑摩書房、2002)(初出=リブロポート、2002)を参照。


Nerhol Promenade / プロムナード

会場:金沢21世紀美術館
(石川県金沢市広坂1-2-1/Tel. 076-220-2800)
会期:2016年5月21日(土)〜8月28日(日)
主催:金沢21世紀美術館[公益財団法人金沢芸術創造財団]

Nerhol roadside tree(終了しました)

会期:2016年5月21日(土)〜7月17日(日)
会場:SLANT
(石川県金沢市広坂1-2-32 2F/Tel. 076-225-7746)