キュレーターズノート
風の沢ミュージアム 木村泰平個展「長い話」
伊藤匡(福島県立美術館)
2017年06月01日号
対象美術館
風の沢ミュージアムは、宮城県北部の平野部から丘陵に少し入った、里山の自然を味わえる所にある。取材に訪れた5月下旬、美術館前の水田は田植えが終わってカエルの合唱が聞こえ、敷地内ではツツジやオオデマリが白い花を咲かせ、美術館の裏山から眺める地域のシンボル栗駒山は、残雪を戴き悠揚たる姿を見せていた。
「もののあはれ」を描く
このミュージアムは、江戸時代末期に建てられた茅葺き屋根の農家や裏山を会場に、現代美術を展示している。春から秋のシーズンでひとりの作家を紹介するのだが、今年の企画は、1986年生まれの作家木村泰平の日本での初個展である。タイトルは「長い話」という。企画展ディレクターであるユミソン氏によれば、このタイトルは映画監督黒澤明の自伝からの引用で、そこでは「もののあはれ」について語られているという。なぜ「もののあはれ」かといえば、木村が運動や力を直接的に描くのではなく、物体そのものの現れ方、在りようやその変化で表現していることを、「もののあはれ」ととらえられるのではないか。このような視点の提示である。
実際に木村の作品を見るのは、今回が初めてである。木村は、2012年に自動車とドラム缶が衝突するパフォーマンスの映像を発表して注目されたという。本展にも出品されている《floorboard sculpture》(2012)は、住宅の床板が強力な外力で瞬時に引きはがされ壁際に動く様子を捉えた短い映像作品である。何も起こらない静寂の後に、突然の破壊と騒音が出現し、すぐに静寂が戻る。破壊された床板は整然とまとめられている。説明的な要素は一切ないが、計算されコントロールされた物体の運動と、その結果としての美を感じさせる。
さて、今回の個展はインスタレーションが大小あわせて4点、木村の初の写真作品が3点、それに映像作品で構成されている。2点の映像作品以外は新作である。作品は母屋と、別棟の板倉に展示されている。
《舞台のための習作》は、発泡プラスチックの断熱材で作られた土台の上に、ガラス板を載せたインスタレーションだ。ガラス板は普通の窓ガラス並の厚さだが、発泡プラスチックは手で簡単に折れる素材であり、ガラスの重さを支えるには十分ではない。割れるのではないか、倒れるのではないかと不安を抱きながら見ることになる。実際、展示作業中にガラスが何枚か割れる事故が起こったという。一方、照明が南側と西側の二面の障子を通した外光のため、その柔らかな光がガラス板に反射して、幽玄な雰囲気を醸し出している。簡素な形と相まって、題名どおり舞台、それも神社などの野外舞台を連想させる。
風の沢の時間
母屋の囲炉裏端の板の間には、映像作品、モノクロの写真、それにインスタレーションなどが展示されている。そのなかで目を引くのは、《舟》と名づけられたインスタレーションだ。梁から降ろしたスティールのワイヤーの先に、長さ1メートル程の鉄製のオブジェが、床から少し浮くように取りつけられている。モーターの駆動で同じ向きに17秒ほど回転し、約3秒停止した後、また回り始めるという動きを繰り返す。その動きは活発ではなく、静かでゆっくりとしている。動と静の間の微妙な動きを狙っているかのようだ。
作家は、この個展のために何度も風の沢に足を運び、構想を練ったという。「舟」のオブジェも、近くにある解体屋の作業場で見つけたものだ。形鋼の一部らしいが、「舟」と言われればそのようにも見える形をしている。自然にあふれた地域の一角に、工事現場のような解体作業場があるというのも、この地域の現実である。できあがった作品群は、静かに、ゆっくりと、少しずつ変化していくことに、想いを到らせる。それは、ゆったりとした時間が流れる風の沢ミュージアムでの展示を前提に発想しているからだろう。あらゆる物質がゆっくりと崩壊していくという真理や、少しずつ衰退していく地域の未来を象徴しているのかもしれない。
私たちもここに来たら、都市部や芸術祭の会場で多くの作家、作品を次々と見て回る見方ではなく、ゆっくりと流れる時間に呼吸を合わせ、作品が求めるテンポを受け入れて見るべきだろう。