キュレーターズノート
岡﨑乾二郎の認識 抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜
能勢陽子(豊田市美術館)
2017年06月01日号
対象美術館
本展は、豊田市美術館のコレクションに、他館や個人所蔵家の作品もお借りして、19世紀末から第二次大戦後までの時期を中心に、美術だけでなく、建築、音楽、文学、ダンスにまで及んで相互に連関しあう「抽象の力」を、新たに汲み取ろうとするものである。キュレーションは、作家である岡﨑乾二郎氏。勤務館の展示は、どうしても客観性に欠けたり、自画自賛になったりする恐れがあるので、活動報告としてはよくても、レビューとしては取り上げにくい。けれど本展は、岡﨑氏による企画(担当は千葉真智子学芸員)なので、ここでレビューとして扱わせてもらうことにする。なにより、美術の規範を形づくり、歴史の保存庫となるはずの美術館というものを、いま改めて考え直すためにも、この展覧会はとても重要なのである。
1995年に開館した当館のコレクションは、良い意味でも悪い意味でも、通史的にはなりえていない。収集される作品は、原理的には時の止揚のなかに置かれるけれど、収集活動自体は時の流れのなかで行なわれるので、ある時点には物理的にも予算的にも収集不可能なものや、価値の定まっていないものもある。しかし岡﨑氏は、当館の“欠けている”部分を逆に活かして、必要と思われるものは借用し、不可能なものは資料で補填して、まったく新しくかつ根源的な美術史の読み替えを行なった。
具体的に言うと、当館には、アメリカの抽象表現主義の作品が一点もない。ところが岡﨑氏にとって、それは利点になる。いわく、アメリカの抽象表現主義は、抽象を単なる視覚的追求と捉えていた。また戦後の日本では、抽象をデザイン的な意匠と見做すようになり、それが戦前の抽象の正当な理解を歪めることになった。そうした問題意識から、“欠けている”ところのある当館のコレクションを逆手に取り、新たな抽象芸術の系譜を紡いでいく。
唯物論としての抽象
館のなかで最も大きく開放的な第一室目には、ヨーゼフ・ボイス、イミ・クネーベル、ブリンキー・パレルモ、そして高松次郎、田中敦子らの巨大な、あるいは物質感の際立つ作品が居並んでいる
展示室入り口には、明治初頭の日本とドイツの子どもたちが、フレーベルの玩具で遊ぶ様子が掲げられており、当時、人間としての基礎力を培う重要な時期に、これらの玩具が広く使われていたことがわかる。フレーベルの玩具は、世界の成り立ちの本質を、客観的な観察を通してではなく、視覚を超えた、直接的な身体性で把握するよう導く。
このフレーベルの教育玩具が、20世紀初頭に生まれた抽象芸術に、多大な影響を与えたという。自らその影響について語るフランク・ロイド・ライトのほか、カンディンスキー、モンドリアン、クレーといった作家たちも、フレーベル教育の流れをくむ幼稚園に通っていた。また、恩地孝四郎や村山知義といった日本の美術家たちも、フレーベル教育を受けていた。
フレーベルの玩具を通せば、抽象芸術は従来の視覚的な対象としてのみでなく、静的で固定的ではない事物との協働、身体に直接働きかける力として立ち現われてくる。それは、思いもしない方法で、抽象芸術を活き活きとした生に結びつける視点を与える。展示室では、小さくカラフルな球体は田中敦子の絵画と、蜜蝋粘土が誘発する触覚性はボイスの作品素材と呼応している(ボイスがシュタイナーから多大な影響を受けていることを知っている人は多いだろう)。そう言えばボイスは、クネーベルやパレルモの師であった。しかし、その大きな展示室では、中央の机に置かれた小さな教育玩具が、抽象芸術の最も偉大な師なのかもしれない。
美術・文学・科学における抽象
続く展示室
では、熊谷守一と夏目漱石を通して、美術と文学における同時代的な抽象の萌芽が見えてくる。轢死体を介した熊谷と漱石の符号は、小説を読んでいるくらいスリリングである(美術と文学の同時代的繋がりは、後に村山知義と「新感覚派」の横光利一の、機械としての身体や建築としても現われる)。同じく熊谷の、生理学者であり物理学者であったヘルマン・フォン・ヘルムホルツへの関心が、日記資料により示されている。熊谷は一時期、ラジオの周波数の研究に熱中して、ほとんど絵を描かない時期もあったという。そこからは、世界の成り立ちの探究から自然に導かれる抽象が浮かび上がる。同じことは、スウェーデンの女性画家ヘルマ・アフ・クリントについても言える。クリントは、ヨーロッパ画壇との直接的な関わりを持たず、世界を精神と科学を通じて探究することで、1906年には独自の抽象画に行きついていた。美術全集でもほぼ紹介されることのないクリントの存在は、資料展示であっても、脳内で抽象の始まりの位置に、新たに書き加えられるのである。
技術と戦争にみる抽象
三面を乳白色のガラスで囲まれた、建築的な特徴が際立つ展示室に来ると、工業製品や椅子などのデザイン作品が展示されている
そこには、リートフェルトのシュレーダー邸や先に玩具のあったシュタイナーのゲーテアヌムなど、欧米のモダニズム建築や表現主義建築、ロシアの構成主義建築などを見ることができる。
ここで重要なのは、戦前に日本の建築家たちが世界的な動向の本質を掴んでいたということである。日本の建築家たちは、決して欧米の流れの形式的な追随者ではなく、それは美術においても同じで、このことは本展の重要なポイントのひとつである。
それにしても、“抽象の力”というタイトル、とそこにずらりと並ぶ扇風機は、機械がモダニズム芸術や建築のひとつの理想であったとはいえ、やや奇異に映るだろう。ここから展示室には、時代の不穏さが漂ってくる。
同じ展示室には、太平洋戦争開始後の1942年に刊行された海外向けプロパガンダ雑誌『FRONT』の落下傘部隊の写真が展示され 、さらに進むと、戦闘機から捉えた上下左右の別ない映像が流れている。ここで、扇風機の羽は、飛行機のプロペラと結びつく。技術は諸刃の剣なのである。
さて、抽象画家たちは戦時下をどのように過ごしたのだろうか。長谷川三郎や瑛九、山口長男といった抽象画家たちは、戦争画を描くことはなかった。端から、大衆を意識しなかった抽象画家たちは、ほとんど変わることがなかった。しかし、戦闘機からの視点とも比較しうる抽象芸術の新たな空間把握や、大胆な構成主義的デザインは、ある意味具象よりも効果的なプロパガンダとして一部雑誌などに適応されていたことが、ここで知れるのである。
“無形”と“不定形”
続く展示室では、当館の所蔵品と織り交ぜて、他館からお借りした村山知義や長谷川三郎、瑛九、坂田一男など、戦前の抽象を正しく知るために、極めて重要な作家たちの作品が展示されている
そして最後の部屋では、“抽象”という言葉を思い起こすならもっとも呆気に取られるだろう作品が並んでいる。ルーチョ・フォンタナの穴、岸田劉生の歌舞伎役者の顔である。(フランシス・ベーコン、ジャン・デュビュッフェ、ダヴィド・ブリュリュークもともに展示されている) 。
当館は、劉生を日本近代美術の主軸に据えて、4点の作品を所蔵しているが、“抽象”というテーマで最後に劉生に向き合おうとは、おそらく誰も思わないだろう。しかし、ここで劉生の“無形”とフォンタナの“不定形”が、意外な相互作用を起こし始める。写実を極めたにみえる劉生が追求したのは、実は形にできない内側の露呈であり、それを劉生は“無形”と呼んだ。その決して容易には掴み取れない“無形”は、フォンタナの“穴”と重なりあって、“虚”の空間としてそこで私たちを待ち受けている。
かつて美術館は、美術の主要な枠組みや動向を形づくる制度として機能していた。しかしいまや、美術館はそうした規範的な役割を担っていないように思える。実際、通史的なコレクションの形成はよほど歴史のある美術館でなければ難しいし、美術の世界における求心力もとっくに失っているように見える。
しかしそのいまだからこそ、美術の枠組みを超えて、芸術を改めて人の生に結びつけ、新たな文脈を紡いで歴史を捉え直すことができるのかもしれない。今回、岡﨑氏が当館のコレクションを用いてみせてくれたのは、おそらく氏にしかできないだろう、その荒行であり難行であった。
岡﨑乾二郎の認識 抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜
会期:2017年4月22日(土)〜6月11日(日)
会場:豊田市美術館
愛知県豊田市小坂本町8-5-1 Tel. 0565-34-6610
詳細:http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2017/special/okazaki.html
特設サイト:http://abstract-art-as-impact.org