キュレーターズノート
志賀理江子 ブラインドデート/高﨑元尚新作展 ─破壊 COLLAPSE─
川浪千鶴(高知県立美術館)
2017年09月01日号
対象美術館
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の「志賀理江子 ブラインドデート」展(2017年6月10日〜9月3日)を訪れた時のこと。開放的なファサードから明るいエントランスを抜けて、3階の企画展示室に足を踏み入れたとたん、闇に包まれた。
赤い闇
闇とはいっても、赤い投射光が展示空間のあちこちをぼんやりと照らし出している。その光は壁沿いに並ぶ20台もの、レトロなオートスライドプロジェクターがもたらしたもので、スライドを引き込みセットする間(ま)と点滅、動作音もインスタレーションの一部となって空間を巧みに構成していた。
長い時間を過ごしてもその闇に目が慣れることはなく、観客や会場スタッフのシルエットはわかっても表情や視線はわからないまま。鑑賞の空間や時間を他者と共有する美術館の空間は、いつのまにか自分の身体感覚だけが頼りのひとりの領域に置き換わり、慣れているはずの鑑賞という行為もまた心許ないものに変容していた。
スライドプロジェクターが映し出す《弔い》のシリーズや《空の棺》、《最期》、《あかつき》、《15.03.2011》、そして《大きな不安》、《スタジオパーラー》などのプリント作品は、繰り返し見続けてもイメージが回収されることはなく、あたかも彼岸と此岸の水際を揺れ動いているかのようだった。私はいつまでも作品を見終えることができずに会場をさまよっていた。
休憩コーナーから会場に流れ込むのは、志賀が妊娠中に録音した胎児の心音。音は気がつくと赤い闇の世界にじわじわと染みわたっており、ここ(展示室)が胎内で、私(鑑賞者)は羊水に浸っている胎児であるかのような幻想も浮かんできた。個人的な体験なのにどこか個を超えている、つながりはすでにあるが限りなく孤独、とでもいったらいいだろうか。この不思議な感覚は展覧会場を出たあとも長く残った。
展覧会入り口に戻る細長い、明るい通路の白い壁には、「亡霊」や「現実」、「歌」と題された志賀のテキストや、大切な人の死をどのように弔うかという問いに答えた人々のコメント「弔い」が一面に記されており、それは、常世から現世に生まれ直すための産道(回路)のようであった。
他人との眼差し
本展タイトルでもある「ブラインドデート」は、志賀が2009年タイに滞在した際、バイクに2人乗りしている恋人たちを撮影したシリーズ。大きなモノクロームのプリントの正面にライトを一灯ずつ据えることで、白と黒の諧調、光と影のコントラストは極端になる。過去も現在も未来もいっしょくたになった空間に、眼差しだけが存在していた。
タイでバイクタクシーに乗ったとき、志賀は知らない人と目が合うことに、意外にも懐かしさを覚えたという。「それは子供の頃に遺影と向き合う感覚にとても近いものでした。会ったことのない曾祖父母と遺影を通して目が合ったことが、私の最初の写真体験」と語る 。
ハンドルを握った男性の目を女性がうしろから手で隠したままバイクを走らせ、心中する恋人たちのイメージは、「他人との一期一会の眼差し」を集めながら志賀が描いたもの。またたく閃光のなかから、そのイメージを演じるカップルの姿が瞬間的に浮かび上がってくる作品《恋人たち》は、「死と不可視のもの」に向けられた志賀自身の眼差しそのもののように感じられた。
体で感じることを等しく扱う
志賀がリレートークの冒頭で、見る、聞く、感じる、考えるなど、体で感じることを等しく扱うことが「ブラインドデート」展の意図にあると説明したのも印象的だった。
「この社会において、目は欲望に過剰に繋がり呪いにもなった。(中略)「目」はどこまで私を支配しているのか、あなたと私はどのように違うのか」(会場内テキスト「ブラインドデート」)という問いを抱えた志賀は、タイで生まれつき全盲の女性を紹介してもらい、彼女との対話によって「集団性が優先される視覚の世界に対して違和感を表明する彼女に、救われた気がしたんです。私が扱う、死や死者を弔うことは、個人や不可視の世界に属している」 という確信/核心を得ている。
あるイメージを定着させたものを写真と呼ぶのが一般的ならば、志賀にとっての写真は、イメージの定着よりもイメージの始まりとその探究にこそ意味がある。「イメージの始まりとは、目に見えぬ存在となって、誰かの心に宿り始めることではないだろうか」(同、「亡霊」)、「物事や物語が生まれる前の姿、最初のきっかけや現象をしりたい」(同、「現実」)という志賀の強い願望が創作を支えている。
この時代を表現者としていかに生きるのか
志賀の思考と行動は、生活者としても表現者としても、真摯である。5年ぶりの個展である本展では、表現の範疇を作品や展示空間だけに留めることなく、自身の蔵書の一部を図書室に配架した「ブラインドデート・ライブラリー」を設け、自身が知らない現実を学んだ本の著者・編集者をゲストに招いたリレートークやワークショップなども開催された。
いがらしみきお(漫画家)の『I(アイ)』、竹内万里子(写真批評家)の『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』、飴屋法水(演出家、美術家、動物商)の『キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』などが、過去(の著作をもとに)に学ぶトークならば、私が参加した土田朋水(編集者)と「ビッグイシュー日本版について」語り合う回は、現代社会の、現在進行形の学びの場として刺激的だった。震災からオリンピックへという、戦前のイメージと重なるような時代を生きる私たちは、知らず知らず国家レベルのイメージづくりに巻き込まれている。ホームレスを販売者=ビジネスパートナーとして捉え、社会のマイナスを自分たちの手でプラスに変えるという「ビッグイシュー」の編集方針は、きわめて示唆的だ。
彼らの本を「複雑な社会の道しるべ」に、志賀はこの時代を表現者として生きることを決めている。
17歳でカメラを持った日から、写真は他者がだれも入り込めない、志賀の自由な領域である。社会的なことに心が揺れることで体ができていることは変えられない。しかしジャーナリズムと直接結びつく道を選ぶのではなく、そうした体にカメラを携えて表現を続けることに対して、「私という一個人は、すでに社会と同等の意味を持ちうるのだと、やっと辿り着いた気がする」(会場掲示テキスト「現実」)と覚悟の一端を示していた。
その覚悟は、物語やイメージを共有する覚悟として、彼女の作品を見てしまった私たち、鑑賞者にも、求められているのかもしれない。
志賀理江子 ブラインドデート
会期:2017年6月10日〜9月3日
場所:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
香川県丸亀市浜町80-1/Tel. 0877-24-7755
高﨑元尚新作展 ─破壊 COLLAPSE─(高知県立美術館)
壁面と一体化した鉛のシートが、展示空間を鈍い光沢と独特の質感で包み込む。鉄パイプの構造体を取り巻いていた波型スレートは徹底的に叩き割られ、ほとんど原型を留めていない。煉瓦も積み重ねられる一方で規則的に崩れ落ちていく。そして、展示室内を埋め尽くす2000個を超えるコンクリートブロック。鑑賞者は、敷き詰められたすべてのブロックに亀裂が(ある種の形式美すら湛えながら)入っていることを、その上を歩きながら気付いていく。
高知県立美術館では、6月17日から7月23日まで「高﨑元尚新作展 ─破壊 COLLAPSE─」を開催した。1923年高知県香美市生まれの前衛美術家・高﨑元尚氏は、1966年から具体美術協会のメンバーとして活躍したことや、正方形に切り取った白いキャンバス片を貼り付けた代表作《装置》シリーズなどで知られているが、長い活動歴における、1972年の吉原治良の死と具体解散から1982年までの「破壊の10年」を知る人はあまり多くはない。
ハンマーをふるって行なわれた「目的のない土木作業」(「破壊にいたるわけ」、図録『高﨑元尚展 誰もやらないことをやる』[香美市立美術館、2016])の痕跡は、京都のギャラリー16や兵庫県立近代美術館など、主に関西で発表された。段ボールや石膏、スレート、コンクリートなど破壊された素材は展覧会終了とともに廃棄され、あとは断片的な記録写真が作家の手元に残るだけだった。
地方で教員生活を送りながら、安易に洋画に回帰した高知のアートシーンを鼓舞し現代美術を続けていくために、「一か八か、生き延びる道はこれしかない」と《破壊》シリーズを開始した高﨑氏は、「奈落の底で聞いた三島の自決に同じ世代として強烈なショックを受け、その一撃が私の内部でもろもろの共振現象を起こし、自分を壊すかわりに物を壊し、これを作品と称する心境に立ち至った」(同上)と語っている。
最後の「新作個展」の作品として30数年ぶりに《破壊》シリーズを選び、病院のベットの上から制作指示した高﨑氏が、最期にたどり着きたかった場所とはどこだったのだろうか?
高﨑氏は個展開幕を病室で喜びながら、オープンから5日目の朝に94歳で亡くなった。65年に及ぶ純粋で果敢な長い長い闘い、私たちはいまだその余韻のなかにいる。
高﨑元尚新作展 ─破壊 COLLAPSE─
会期:2017年6月17日〜7月23日
場所:高知県立美術館
高知県高知市高須353-2/Tel. 088-866-8000
本展の会場写真と詳細な年譜を収めたドキュメント・カタログは、年内完成予定。
(問い合わせ先:高知県立美術館 学芸課)
高﨑元尚─破壊シリーズ─DVDと写真による資料展示
会期:2017年9月19日〜9月30日
場所:ギャラリー16
京都市東山区三条通白川橋上ル石泉院町394 戸川ビル3F/Tel. 075-751-9238