キュレーターズノート

イメージを(ひっ)くりかえす──記録集『はな子のいる風景』

松本篤(AHA!/remo)

2017年11月01日号

はな子死亡15:04。01:27倒れる──。
2016年5月26日、1頭の象が69年の生涯を閉じた。
その日の飼育日誌は、時系列がひっくり返っていた。
“生まれてから死ぬまで”を逆再生させる、弔いの1冊を編もうと思った。
人と象の間を隔てる溝は、イメージをどのように働かせるのか。
記録集『はな子のいる風景』編者がみた、もうひとつの風景。

人をとおして象を見る、象をとおして人を見る


記録集『はな子のいる風景』表紙


ポスター展示『はな子のいる風景』(JR吉祥寺駅南北自由通路にて)
「昭和51年9月1日 象 食欲元気共に変りなし。午前中一時お客をおどろかしていた。午後俄雨中プールに入り入浴する。」(撮影当日に記された飼育日誌から抜粋)

 2016年5月、井の頭自然文化園(東京都武蔵野市)で飼育されていた象の“はな子”が死んだ。戦後の日本に最も早くやってきて、戦後の日本で最も長く生きた象だった★1
 2016年9月、はな子が幅広い世代の人びとによってさまざまな時期に撮影されてきたことを知ったAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ](アハ)は、はな子の記録と記憶を巡るプロジェクト「はな子のいる風景」を本格的に始動させ、一般家庭に膨大に散在するはな子との記念写真の収集を開始した。はな子を、撮影者と被写体の、武蔵野市周辺の、ひいては戦後の日本の足取りが記録されたメディアとして捉えようとしたのだ。
 2017年9月、武蔵野市立吉祥寺美術館にて、企画展『コンサベーション_ピース ここからむこうへ』が開催された。AHA!は、同展開催にあわせて、記録集『はな子のいる風景:イメージを(ひっ)くりかえす』(以下、本書)を完成させた。本格的にプロジェクトが始動して、ちょうど1年後のことだった。
 本書は、市民が撮影した記念写真、飼育係員が記した日誌、写真提供者へのアンケートなど、はな子に関するさまざまな記録の断片を部分的につなぎ合わせ、はな子とそれを取り巻く人びとの歩みを辿り直すために制作された。デザイナーの尾中俊介氏(Calamari Inc.)、展覧会企画者の大内曜氏(武蔵野市立吉祥寺美術館)との度重なる対話を経て形を与えられた本書について、編者による制作メモを、ここに記しておきたい。

★1──1947[昭和22]年〜2016[平成28]年、1949[昭和24]年の来日時は上野動物園、その後、1954[昭和29]年に井の頭自然文化園に移動)


記録集『はな子のいる風景』p.1955.5.5(本書のノンブルは撮影日になっている) 提供された記念写真は、統一されたサイズに揃えられ、モノクロ加工され印刷されている。その加工された写真を隠すように、加工する前の原寸大の写真(複製)が貼り込まれている。本書には、約30点ほどの加工前の写真の複製が、同様に貼り込まれている。


記録集『はな子のいる風景』p.1955.5.5
貼り込まれた写真をひっくりかえすと、同日に撮影された別の写真が配置されている。さらに、別冊のアンケート小冊子の1955.5.5の部分とも併せ読むことができる。読み手のページをめくる行為が、さまざまな記録を組み合わせたり、重ね合わせていく。

69年間、失い続けてきたもの


はな子の写真を剥がした痕跡がアルバムに残っている(小冊子に画像として収録)。


ポスター展示『はな子のいる風景』
「平成28年4月30日 アジアゾウ(はな子) 室内。16:00まで展示。昨日分黒糖完食。」(撮影当日に記された飼育日誌から抜粋)

169枚の写真──人はなぜ、象を撮るのか

 69年間のはな子の生涯を記録に残すべく、写真の収集作業を本格的に始めたのは、はな子が死んだ3カ月後の2016年9月。吉祥寺美術館と井の頭自然文化園が共同で写真の提供の窓口となって、郵送または電子メールで写真を受け付けた。
 同年末までの3カ月間で集まった約550枚の写真は、蚤の市で見つけたものでもなければ、インターネットで見つけたものでもない。アルバムやハードディスクの中から探し出された多数の写真の先に、生身の提供者が存在する。彼らはなぜ、いつの時代もはな子の前に立ち、写真を撮ったのだろうか。
 提供された写真から本書に収録したのは、計169枚。絞り込みの基準は、大まかに以下のとおり。まず、1)はな子のみのもの、はな子が不鮮明なもの、はな子ではないものは除外した。次に、2)撮影日が判明するものを優先して選定した。最後に、3)被写体が正面を向いているものを優先して選定した。

飼育日誌──飼育係員だけが知っている、象の1日

 はな子は太平洋戦争が終わった1945(昭和20)年の2年後にタイで生まれ、さらにその2年後の1947年(昭和24)年に、「平和の象徴」として戦火の痕跡が色濃く残る日本にやってきた。
 その名前が、戦前に同じくタイから来日し、上野動物園で飼育され、戦況悪化を理由に殺処分された「花子」にちなんで名付けられたことはよく知られている。戦後の日本に最も早くやってきて、戦後の日本で最も長く生きた象ということも、よく知られている。そして、2人の人命を殺めたことも。
 しかし、井の頭自然文化園の一室に保管されていた、何人もの飼育係員が1日も絶やさずに書き継いできた日誌に目を通すと、はな子の知られざる日常がそこに記されてあった。本書の制作に際して、69年間記されてきた飼育日誌から、提供写真の撮影日に記された日誌部分を抜粋した。提供者がはな子の前で記録を残した同じ日に、飼育係員ははな子の何を記録に残したのか。

アンケート──私たちが失い続けてきたもの

 本書に収録する169枚の写真を選定したあとに、各提供者に「あなたがこれまでに失った大切なものを一つ選んで、その経験を教えてください」という質問を書面にて投げかけた。はな子の存在を失ったことをきっかけに、写真を応募した提供者たち。その提供者自身がそれぞれに失った大切なものは何なのか。
 約100名からの返答を編んだ小冊子は、私たちが69年のあいだに失ってきたもののアーカイブである。また同時に、不在を憶うことによって、〈無いこと〉と〈在ること〉の境界が揺らぎ始める瞬間を捉えた記録でもある。

貼り込み写真──剥がれ落ちる記録、書き換えられる記憶

 本書に収録する169枚の写真はすべて等しい価値を有すると考え、全枚をモノクロ化したのちに、統一したサイズに拡大・縮小、及び、トリミング加工した。そのうえで、郵送で受け付けた写真約30点を原寸大で複製し、加工後の写真を隠すように貼り付けた。
 複製写真をひっくりかえすと現われるウラ面には、同じ提供者から応募のあった他の写真、具体的には、1)違う時期の写真、2)背面を向いている写真、3)アンケート集に記された内容に関係する写真などを配置した。
 編集の痕跡を残すとともに、時代の遷移における写真サイズの変遷を示すことも意図した。さらには、記録や記憶がきわめて不安定で、失われやすいものであることを示した。膨大に散在していた誰かの所有物が、1冊の本に召喚されるという事象そのものを記録に残すこと。そこから見える、真正さとは何なのか。複製することは何なのか。

関連資料:3つの資料と、1つのエッセイ

 以下の3点の資料の複製、および、保坂和志氏(小説家)によるエッセイを、関係する各所にそれぞれ挟み込んだ。
1)はな子来日を伝える新聞(1949[昭和24]年)
2)上野動物園から井の頭自然文化園にはな子を誘致する請願書(1950[昭和25]年)
3)改修にあたり、設計された新象舎の平面図(1977[昭和52]年)


写真を集めるなかで、小学生の頃から約55年間、1日も欠かさず、日記をつけている提供者に出会った。海外に行った時に、日記の代わりに書き溜めたメモの紙片を、帰国後、同日の日記部分に貼った(小冊子に画像として収録)。


記録集『はな子のいる風景』p.1965.11.7
同日、同時刻に撮影された2枚の写真。異なる提供者からそれぞれに応募があった。

イメージをくりかえす、イメージをひっくりかえす


記録集『はな子のいる風景』p.1975.4.1(左ページ)
長いあいだ、写真立てに入れてあったらしく、中央部分が色褪せている写真。ウラ面には、撮影者によって記されたメモがそのまま複製されている。


ポスター展示『はな子のいる風景』
「昭和30年4月28日 [飼育日誌、現存せず]」

本書は、第1部の写真集(本体)と、第2部のアンケート集(巻末小冊子)の2部構成である。

第1部(写真集|192ページ)

 来園者が撮影したはな子との記念写真と、撮影当日に飼育係員によって記された日誌を1ページの中に組み合わせ、はな子が“生まれてから死ぬまで”を時系列に並べた。ページをめくる読み手の行為によって、人と象がくりかえされ、写真と言葉がくりかえされ、見ることと読むことがくりかえされ、私的記録と公的記録がくりかえされる。その時、一つひとつの要素に還元され得ない、もうひとつのイメージが動き始める。

第2部(アンケート集|64ページ)

 本書に収録した写真の提供者約100名に対する編者からの質問と、それへの応答文(前述)を、時系列を遡るように並べて1冊の小冊子にまとめた。そして、巻末の附録として、裏表紙の雁垂れ部分に挟み込んだ。はな子が“死んでから生まれるまで”をめくる読み手の行為によって、はな子との写真を発端としつつも、写真のイメージをひっくりかえす新たなイメージが無数に立ち現われる。


テープで貼られていた4枚の紙片は経年劣化のため、スキャン作業中にすべて剥がれ落ちてしまった(小冊子に画像として収録)。


第1部の写真集を最後まで読み進めると、裏表紙の雁垂れ部分に第2部となる小冊子が現われる。小冊子と写真集を併せ読んでいくと、再び写真集は最初のページに戻っている。イメージはくりかえされ、ひっくりかえされ、1冊の本の中を往還し続ける。


アンケートを収録した小冊子。左ページは、校正中の文章を複写した画像(拡大)。右ページは、同じ部分の校正後の文章。更新される記憶、書き換えられる記録(小冊子に画像として収録)。


小冊子の最後に、はな子が時間的な隔たりを超えていくさまを、読み手は目撃することになる(小冊子に画像として収録)。

69年間の169秒、と、その残像

 はな子の生涯を来園者の記念写真によって復元するという試みは、はな子という存在によって結びつけられた人びとの、喪失を再び生きる幾多の“喪の物語”を呼び起こした。提供された写真の中から選ばれた169枚、さらには提供者によるアンケート集からなる本書の厚みは、69年間のたった169秒の内に刻まれた、はな子の生きてきた時間の厚みであり、無数の人びとが生きてきた時間の厚みである。戦後の昭和からもうすぐ終わろうとしている平成にかけて生きたはな子と、それを取り巻く多くの人びと。本書は、そんな記録と記憶の厚みや複雑さをそのままに示そうとした、“時間”について考察するための編み物でもある。

記録を重ね読む

 人とはな子の間には、深い溝(モート)が横たわっている。本書のページをめくること(再生 rebirth of)、また、めくり戻すこと(逆再生 reverse of)は、1枚の写真に写る人と象に流れる別々の時間を辿ること、そして、その隔たりを象(かたど)ることだ。
 “日付”を頼りに複数の記録を部分的につなげながら、写真から飼育日誌へ、飼育日誌からアンケートへ、アンケートから再び写真へと再生と逆再生をひっくりかえしながらくりかえす時、読み手は、人からはな子へ、はな子から人へと視点を移動させていく。

ここからむこうへ、むこうからここへ

 イメージを読むこと、ページをめくることは、今流れている時間の中に、もう一つの異なる時間を一時的に生起させる営みだ。読み手は、活きた記録メディア(recorder)となり、再生メディア(player)となって、ここからむこうへ、むこうからここへと往来を始める。
 異なる記録の間を読みつなぐ読み手は、さらに読み手自身の姿をも重ね始める。読み手の記憶や想像が加わることにより、記録の断片は繰りかえし組み立て直され、その意味内容はつねに更新されていく。
 私たちは、他者の記録を借りながら生きている。
 私たちは、失くしたものを召喚しながら、隔たりのこちら側で生き続ける。


1942年(昭和17)年に上野動物園で撮影された記念写真。翌1943年には、写真に写る象を含め、飼育されていた3頭の象はすべて殺処分された。


裏表紙の写真をひっくりかえすと、同じ人物が提供した別の写真が配置されている。約550枚提供された写真のうち、この1枚だけが、人間が溝によって隔てられた象にわずかに触れている瞬間を捉えている。

はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす
I’m calling you. rebirth (reverse) of humans and the elephant.

企画|AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]
取材・編集・執筆・構成|松本篤(AHA!)
デザイン・構成|尾中俊介(Calamari Inc.)
取材・編集補佐|大内曜(武蔵野市立吉祥寺美術館)
寄稿|保坂和志
協力|公益財団法人東京動物園協会 井の頭自然文化園
印刷・製本|大村印刷株式会社
貼込・差込|社会福祉法人武蔵野 ワークセンターけやき
発行|武蔵野市立吉祥寺美術館
W220×H188mm / 192ページ(+小冊子+貼込+差込等)/ モノクロ(カラー)/ 本体2,000円
*吉祥寺美術館ミュージアムショップにて発売中(在庫僅少のため売り切れ次第終了)。
*記録集は企画展『コンサベーション_ピース ここからむこうへ』のために制作された。

コンサベーション_ピース ここからむこうへ part A 青野文昭展 part B はな子のいる風景

会期:2017年9月9日(土)〜10月15日(日)
会場:武蔵野市立吉祥寺美術館
*本展『コンサベーション_ピース ここからむこうへ』part Apart Bは、2016年に同美術館で開催された企画展『カンバセーション_ピース かたちを(た)もたない記録』からの連続企画(企画=大内曜)。


企画・編者|AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]

8ミリフィルムや写真といった“市井の人びとによる記録や表現”の価値に着目したアーカイブ・プロジェクト。21世紀におけるパーソナル・メディアのあり方を探求するremo[NPO法人記録と表現とメディアのための組織](大阪)を母体に、2005年に始動。時間的/空間的な隔たりを前に、イメージはどのように働くのかという問いを一貫して探求している。