キュレーターズノート
柳瀬安里《線を引く》
中井康之(国立国際美術館)
2019年04月15日号
対象美術館
「モダニズムの歴史は、純化、あるいは、包括的な浄化の歴史であり、芸術から、それにとって非本質的なものすべてを除去する歴史である。…芸術におけるモダニズムの政治的な類似物が、人種的純粋さという考えや、汚染するとおもわれるものを排斥するアジェンダをともなった全体主義であったと認めることは、驚くべきことではなく、単に衝撃的なのである。……グリーンバーグは、ニューヨーク近代美術館の展覧会に関して、明白に述べている。『いま広まっている極端な折衷主義は不健康であり、教条主義と不寛容の危険を冒してでも阻止しなければならない』」
。アーサー・C・ダントーが述べているように、極めて衝撃的な指摘であると同時に、彼自身も追記していたが、このようなモダニズムの思想が隠れ持つクリティカルな論点は、クレメント・グリーンバーグひとりに帰すれば済むといった問題ではなく、近代的な思考の上に生きてきた者たちすべてが対峙する課題であろう。もちろん、この不寛容さという態度は、モダニズムのような進歩的な精神ばかりに宿るものではなく、近年、マスコミを通じて盛んに喧伝されているポピュリズムによっても誇示され、現実的な問題として、覇権的な強権を有する国が国境という政治的な境界線に物理的な障壁を築き上げて移民の流入を堰き止めようという行為が、今まさに実施されようとしている。
境界「線」を引く行為
安全保障関連法案に反対するデモに集った人々と共に警察や機動隊が動員された国会周辺地域という物々しい雰囲気のなか、その場に行き交う人々をものともせず、歩道や公園の路面上にチョークの様なもので線を引き続ける行為を映し出した柳瀬安里の《線を引く》という、ある意味ラディカルな映像作品と出会った時に、暴力的とも言える不寛容な精神を具現化した壁を作り上げようとしている国のことを、当然のごとく思い起こしたのである。その不寛容さというものが、いま我々の時代を覆う重苦しい状況を生み出している元凶のひとつと考えるならば、柳瀬の映像作品は、日本の政治状況を象徴するデモに集った人々とそれを規制しようとする官憲の組織という決して宥和することのない集団が混交して存在する場所に、チョークという素朴な素材によって「線を引く」という「不寛容さ」を象徴的に表す行為を戯画的に示し出したものなのであろう。
柳瀬のその作品は、もうひとつ別の映像が同時に映し出されてひとつの作品になっている。それは、おそらく柳瀬が学んだ大学とその周辺の都市近郊の日常的な風景のなかで、作家が「線を引く」行為を映し出されている。先の映像では、警察官にこのような場所で「線を引く」事の危険性を問われて、チョークを指に置き換えて、まさに象徴的な線を引くという、映像でなければ表現できない「線を引く」という行為に及んだ事に対して、後者の映像では日常的な風景の中に「線を引く」というちょっとした逸脱行為を不思議な風景として見守る市井の人々が映し出されるばかりなのである。その二つの映像はさまざまな意味で対比的である場所で撮影される事によって「線を引く」という行為の意味を際立たせると同時に、繰り返しになるが、指で「線を引く」という、映像でなければ表現できない「線」表現を、より一層明確に表し出すのである。
マンゾーニによる、ゼロとしての「線」
柳瀬のこの映像作品を体験してから思い起こした作品がある。イタリアの現代美術の起点に位置するピエロ・マンゾーニによる《線》である。ダントーの言うところの「芸術の終焉」は、ひとつのストーリーの終わりを示し、新たなる段階が到来したことを論じている訳であるが、マンゾーニは、ヨーロッパにおいて、その新しいストーリーへと導く役割を担った作家の一人だろう。彼はフランスで「アンフォルメル」が喧伝されていた時期の終わりの1950年代後半、石膏やカオリンといった、絵画素材として用いられてこなかった材料によるタブローを制作し、それらを《アクローム(非色)》と名付けて「グループ・ゼロ」という運動の中で発表する。その作品は、従来の絵画素材や色彩から離れて、あらゆるイメージを欠いた空間という概念を打ち出したものだった。その《アクローム》に続いてマンゾーニが手掛けたのが《線》であった。白いロール紙にインクで直線を引いたその作品は1959年から発表されている。マンゾーニにとって「線」は、ゼロでありかつ無限を表す。作家自身の言葉を借りれば「時間は時計の針が測るものとは異なる。「線」はメートルやキロメートル(といった単位)を計るものではなく、ゼロを表す。終わりとしてゼロではなく、無限の始まりとしてゼロなのである。
」マンゾーニのその作品《線》は、黒い筒状の容器内に巻き取られる形で収納され、制作年と線の長さが記されたラベルが添付されているものが殆どである。130点以上を数えることができるそれらの作品は78cmから3,363cmの長さに収まるサイズのいわば概念的な作品で、それを柳瀬の《線を引く》に結び付けるのは恣意的に過ぎると思われるかもしれない。しかしながら、マンゾーニは、そのような概念的な作品だけに収まることなく、1960年7月4日、デンマークの新聞社ヘリング・エイヴィス社の新聞の印刷工場で、ロール状の新聞用紙が切れるまで線を弾き続けるという制作行為を実施している。その長さは7,200mにも及ぶ長さになった。ロールに巻かれた巨大な新聞用紙に向かって大きな筆で線を引いている写真を記憶している者も少なくないのではないだろうか。その過激な行為は、無限に続く線を表すという概念を視覚化したものであった訳であるが、柳瀬が「線を引く」行為を警官に咎められた時に「指で線を引けばいいですよね」といった発言を経て、国会議事堂を一周回って線を引くという過激な映像作品を見ている間に、イタリアの夭折した天才作家の奇矯な行為を思い起こしたのである。
柳瀬の《線を引く》と出会ったのは「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」展であった。同展は、日本の戦後美術の捉え方を、旧来からあるカテゴリーや方法論から脱却し、敢えていまの流行の用語から借用して表すならば、ソーシャリー・エンゲイジド・エグジビションとでも称することができるような、その時代時代の人々と芸術表現の係わり方に視点を置くことによって見えてくる世界を、純粋芸術のような分野に拘らず、いわゆるサブカルも含めたポピュラーカルチャーから積極的に取り上げて成立させていった展覧会であった。同展で、同様の視座によって、現在活躍する作家4名を併せて紹介していたのだが、柳瀬はそのなかで最も若い作家であり、世代、年齢、性別、人種、貧富、さまざまな障害の有無といった違いによって「線を引く」ことの危うさを淡々と示威するような上述した映像作品によってそこに参加していたのである。
「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」展
会期:2019年1月12日(土)~3月17日(日)
会場:兵庫県立美術館
兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1
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