キュレーターズノート
瀬戸内の風景──瀬戸内国際芸術祭2019
橘美貴(高松市美術館)
2019年07月01日号
対象美術館
今年もだんだん気温が上がり、瀬戸内に潮の香りを含んだ風が吹くなか、瀬戸内国際芸術祭2019が幕を開けた。よくご存知の方も多いことと思うが、瀬戸内国際芸術祭は2010年に第1回をスタートさせ、今年が4回目の開催となる。
地域の芸術祭を訪れる醍醐味といえば、土地とリンクした作品をその場で楽しめることだろう。本芸術祭でもアーティストたちはそれぞれのかたちで、地域とつながった作品を展開している。本稿では、瀬戸内や島との関係に着目しながら、男木島と女木島の作品をいくつか紹介したい。
風景に溶け込む──男木島でのプロジェクト
男木島では、島の風景に溶け込み、島民の生活の一部となった作品やプロジェクトが展開されている。たとえば、「オンバ・ファクトリー」などがそのひとつだ。これは、2010年の第1回芸術祭を機に大島よしふみが中心となって立ち上げたプロジェクトである。男木島は小さな島であるが高低差が激しく、狭く急な坂道が入り組み、そこでの生活にはオンバ(乳母車)が欠かせない。島民のオンバにペインティングなどを施して作品化し、使ってもらうというこのプロジェクトは島の暮らしに寄り添ったものである。島内を歩いていると、民家の玄関先にカラフルなオンバが置かれているのを見るし、荷物を積んだ「マイ・オンバ」を押して歩く島民とすれ違うこともしばしばで、このプロジェクトがいまではすっかり島の風景の一部となったことを感じる。
眞壁陸二による「男木島路地 壁画プロジェクト wallalley」も、島の風景を変えつつ、溶け込んだものといえるだろう。こちらは島で集められた廃材に風景のシルエットなどを描き、民家の外壁に設置するプロジェクトで、島内のいたるところで目にする。「wallalely」とは「wall(壁)」と「alley(路地)」をつなげた造語であり、男木島の狭くて入り組んだ道ではその存在感は大きい。
いまは撤去されているが、以前は谷口智子らも男木島特有の路地を生かした作品を制作していた。谷口の《オルガン》は、島内のあちこちに設置されたパイプに望遠鏡や潜望鏡を組み込んだ作品で、パイプをのぞくと遠くの海の景色が見えたり、数十メートル先の人の声や音を聞くことができた。これらのプロジェクトと作品はそれぞれ強い存在感を放ちながらも男木島の生活に少しずつ溶け込み、風景と一体化し、男木島での道歩きの楽しみとなっている。
また、島の風景を変えるという意味では、来訪者を港で一番に迎えるジャウメ・プレンサ《男木島の魂》はすでに男木島のトレードマークになっている。いろいろな言語の文字が組み合わされた白い屋根は船の上から見ても印象的だ。さらに、今回はその近くにTEAM男気による《タコツボル》が加わった。TEAM男気もまた、先述した「オンバ・ファクトリー」の大島よしふみが中心となって2012年に結成したアーティスト集団である。子どもが入れるほど大きな蛸壺を中心に多数の蛸壺が縄でつながれた本作は、タコ漁の伝統をもつ男木島の歴史をとらえた作品で、子どもたちの遊び場としての機能ももつ。第1回の芸術祭開催以降、移住者が増えるにつれて子どもも増えた一方、子ども向けの施設が乏しいというこの島の変化を反映させた作品だ。
風景を表現する──サラ・ヴェストファル《うちの海 うちの見》
ベルギーとドイツを拠点に活動するサラ・ヴェストファルは男木島でのインスタレーション《うちの海 うちの見》で深海をテーマに、普段私たちが直接見ることのない風景を表現した。
本作がモチーフにしているのもタコである。先に触れたように、男木島はタコ漁の伝統をもつ島で、その歴史を取り入れた作品といえるが、ここではどちらかというと瀬戸内の海に生息する生物としてのタコに焦点が当てられている。
本作品は男木港から坂道を数分上ったところにある空き家で展示されており、扉を開け、暗い家の中に入ると、水が張られた床の向こうに二つの部屋が見える。右側の部屋では壁全体に映像が投影され、鑑賞者はそれに目を凝らすのだが、一見何を表わしているのかわからない。何かが蠢いているのを感じ、よく見ると吸盤が見え、それがタコの足であることがわかる。アーティスト自身が男木島で獲れたタコを撮影したものだそうだ。左側の部屋はガラス戸が閉められ、中にオレンジ色の照明が施されている。その灯りやタコの蠢きが手前に張られた水面に映りこみ、さらに反射することで部屋全体に光の波がゆらゆらと揺れる。
タコ特有の蠢きが不気味さを感じさせるが、彼らの棲む深海はこのような世界なのかもしれない。きらめく光や穏やかな波のイメージが強い瀬戸内の海底には、闇の世界が広がり、そこで生きる生物たちがいる。それは少し怖いことのようにも思うが、私たちは本作を通してその未知の世界に触れ、思いを馳せることができるのだ。
風景を切り取る──山下麻衣+小林直人《世界はどうしてこんなに美しいんだ》
女木島で船を下り、道を進むと「島の中の小さなお店」プロジェクトの小さな建物がある。中ではヴェロニク・ジュマールや宮永愛子らがカフェやヘアサロンを展開。また、原倫太郎+原游の《ピンポン・シー》は3人以上で遊べる卓球台などを設置し、みんなで楽しむことができる作品だ。球の軽くリズミカルな音やプレーヤーたちの笑い声は、建物の中に気持ちよく響く。
その一室、古本屋となっている部屋では山下麻衣+小林直人による《世界はどうしてこんなに美しいんだ》が展示されている。瀬戸内の海沿いを自転車で走る様子をとらえた映像と、スクリーンの手前に置かれた自転車で構成された映像インスタレーションだ。多くのレジデンスを経験し、「人と自然との関わり」に焦点を当てながら制作活動をしてきた彼らは今回、瀬戸内の風景を切り取って作品に取り込んだ。
映像では、走る自転車の前輪と後輪にそれぞれ「世界はどうして」「こんなに美しいんだ」という文字がホイールライトで灯る。『夜と霧』(ヴィクトール・フランクル著)から引用されたこの言葉。解説されているとおり「明日をも知れぬ囚人が、夕焼けを見た瞬間に思わず口走った言葉」だが、その経緯を知らずとも、自転車の向こうに流れていく瀬戸内の風景や夕陽の美しさは誰もが感じられるものだろう。
目的地のない走行には生産性がない。それは無益な行為といえるが、坂道で体全体を使いながらペダルを漕ぐ場面では、その動きに連動して、車輪の文字が揺れる。揺れる文字は自転車が止まったら当然消えてしまう。実際に、鑑賞者の目の前に停められている自転車の車輪にはただ棒状のライトがついているだけだ。自転車が止まったところで世界は何も変わらず、美しいものは美しいままだろう。しかし、何かが終わるような気がして、自転車が止まる瞬間、つまり文字が消える瞬間を見たくないと思ってしまう。
世界の美しさへの問いかけや自転車を漕ぎ続けることに意味はないかもしれない。しかし、それらのシンプルな行為そのものに美しさや深い共感を感じる作品である。世界の美しさとその危うさを感じ、ざわつく気持ちを抱えたまま建物を出ると、変わらず穏やかな瀬戸内の景色が広がっていることにふと安心感を覚えるのだ。
瀬戸内国際芸術祭は「海の復権」をテーマに掲げ、アーティストたちは瀬戸内がもつ力を発掘・再発見を試みる。島の風景に溶け込むものもあれば、見えない風景を表わすもの、風景を切り取ったもの、ほかにも瀬戸内の歴史や自然、暮らしてきた人々の記憶をモチーフにした作品など、瀬戸内という地域が個々の作品のなかで担う役割はさまざまだ。
今年はまだ夏・秋へと会期が続いていく。さらに夏会期以降に公開される作品も多数あり、秋会期には本島、高見島、粟島、伊吹島も会場に加わる。これからも姿を変え続ける芸術祭とその作品からは目が離せない。
瀬戸内国際芸術祭2019
会期:[ふれあう春]2019年4月26日(金)~5月26日(日)
[あつまる夏]2019年7月19日(金)~8月25日(日)
[ひろがる秋]2019年9月28日(土)~11月4日(月)
会場:直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島(春)、本島(秋)、高見島(秋)、粟島(秋)、伊吹島(秋)、高松港周辺、宇野港周辺
公式サイト:https://setouchi-artfest.jp/