キュレーターズノート

公立美術館において開催される漫画、アニメ展に関する一考察
──「富野由悠季の世界」展と「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」

工藤健志(青森県立美術館)

2019年08月01日号

最近、漫画やアニメ、ゲームの展覧会が増えたような気がして、ちょっと気になって調べてみた。勤務している青森県立美術館でもマスコミの主催で近年開催された展覧会(いわゆる「貸館」というやつですね)は2015年度が「誕生60周年記念 ミッフィー展」、2016年度が「みんな大好き!!トムとジェリーの愉快な世界展」、2017年度が「エフエム青森開局30周年記念・連載30周年記念 ぼのぼの原画展」、「蒼木うめ展 in 青森」、そして昨年が「シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン展」、「誕生15周年記念 くまのがっこう展」、「新海誠展『ほしのこえ』から『君の名は。』まで」と、いわゆるアニメやキャラクターの展覧会ばかりだったことに改めて驚いてしまった。

無自覚に漫画、アニメ展のパッケージ企画を買う美術館


試しにネットでもググってみると、この夏も膨大な数のアニメ、漫画の展覧会が開かれるようである。かつて漫画、アニメ、特撮、ゲームや美少女フィギュアなどは俗悪の代名詞のように扱われ、その悪影響ばかりが指摘され、「いい大人」が嗜むものではないという認識が一般的であったが、今やその俗悪なものこそが日本発の文化として世界で評価され、各自治体が町おこしなどに活用し始めているのだから、つくづく「時代が変わったなあ」と思う。70年代中頃から80年代に10代を過ごしたぼくはアニメブームの洗礼を受け、テレビゲームという新時代のメディアの台頭に強く心を惹かれた世代である。当時のおぼろげな記憶をたどれば一方ではまだ教養主義的な時代の雰囲気も残っており、古今東西の文学や映画、音楽に触れるきっかけも多く、メインカルチャーと多種多様なサブカルチャーの栄養分をバランスよく吸収できた世代でもあったようにも思う。戦後30年の文化的蓄積を経て、その土壌のうえに新しい文化が次々と芽生え、旧来的な価値観が大きく変化していった80年代に多感な少年時期を過ごせたことはきわめて幸運なことであった。

しかし、主流文化と対抗文化の拮抗がもたらす価値の多様性は残念ながら現在失われてしまったようである。近年のネットでの炎上騒動を見ていると「規範から逸脱するものは叩いて当然」的な意識が蔓延しており、価値は狭く細く一元化されているような気がしてならない。それは、さまざまな常識や社会規範を問い直し、自らの思考パターンや価値観を刷新して自由な発想を得るための「文化」が経済の波に押し流され、衰退していったこととも無縁ではあるまい。経済を最大の優先事項に置き、グローバリゼーションの進む現代社会のなかで、漫画もアニメもゲームもアイドルも、世界各地で巨大な利益を生み出す知的財産として位置づけられていく。それら文化はもはや対抗文化ではなく、むしろ常識や規範に沿って感動を提供する社会の支配文化となったと言ってもよいだろう。

国の政策も「文化GDP」の倍増プラン★1や、議論を巻き起こした「リーディング・ミュージアム」構想★2など文化芸術活動をそのまま経済市場の活性化に置き換えようとする動きが見受けられるが、こうした時代だからこそ、公立美術館(以下、美術館)は本来の役割である公益性に立ち返り、コレクション(収集・保管)と展覧会(展示・普及)をとおして多種多様な文化を蓄積し、未来へ継承していく使命を強く自覚すべきではないだろうか。ただ時流に乗って「集客」と「収入」のためだけにマスコミの事業部や企画会社が提案する漫画、アニメ展のパッケージを安易に買ってしまう美術館の態度は、自戒を込めて言えば、疲弊した美術館をさらに疲弊させていく要因になっているのではないかとさえ思うのだ。

先回りして言っておくが、ぼくはこうした文化的状況を頭から否定するつもりはないし、好きなコンテンツを「催事」で追体験し、「物販」で所有欲を満たすこともファン心理としてよくわかる。ただ、その尻馬に行政や美術館が乗らなくてもいいんじゃない?、ということ。深い理解もなければ大した興味もないのに、ただ話題になるからと人気の漫画、アニメを記号的に用いただけの行政の取り組み(例えば、萌えキャラ×特産物や、物語の上っ面をなぞっただけの「聖地化」など)にはいつも辟易とさせられる。今や自治体は、代理店やマスコミ事業部にとって企画を買ってくれる大事なお客さんであり、行政の運営する美術館、博物館もまた同様なのだ。 とはいえ、主流文化となった漫画やアニメにはそれを支持する大勢の人々の意識や時々の時代相が映し込まれていることも確かである。ゆえに戦後の日本文化の展開と特質を考察するうえでもきわめて重要な研究対象となるはずなのに、(もちろん漫画、アニメ展のすべてを見ているわけではないが)それら企画の多くはエンタメの視点で構成されたものがほとんどで、批評性を伴ったものと出合えることは稀である。無自覚にパッケージ企画を買って「集客」と「収入」の増加をもくろむ美術館の浅はかな魂胆はとっくにコンテンツホルダーに見透かされているのだ。理解も愛情もなくただ人気コンテンツを利用しようとするだけの美術館に対し、商品価値を落とされないよう無難なかたちにまとめたものを提供することもある意味で当然であろう。もちろん、漫画やアニメを重要な研究対象として真摯に調査研究を行なっているところも少なからず存在する。その両者の展覧会としての質の差は明白であり、展示が客観性を保ち、なおかつ批評性を有しているか、時代や社会に対して開かれたものとなっているかなどは会場に入れば一目瞭然なのだが、問題は事前告知だけではほぼ判別不可能なこと。行ってガッカリした展覧会のなんと多いことか。文化を保護、継承する責務を負う美術館を名乗る以上、ただ文化を消費するだけのイヴェントなど絶対にやってはいけないことなのだ。アニメや漫画を美術館で扱うならば、せめて美術に接する態度と同じようにそれらと向き合って欲しい。その前提がなければ、ドキュメンテーションやアーカイブといった美術館活動を踏まえた議論すらできないのだから。


アニメ展の可能性を感じる「富野由悠季の世界」展



福岡会場(福岡市美術館)展示風景 [撮影:山崎信一(スタジオパッション)]  ©手塚プロダクション・東北新社 ©東北新社 ©サンライズ ©創通・サンライズ ©サンライズ・バンダイビジュアル・バンダイチャンネル ©SUNRISE・BV・WOWOW ©オフィス アイ

……と、長い前フリなのか、業界に対する憂いなのかちょっとわからなくなってしまったけど、以上はいわゆる「アニメの展覧会」に分類されるであろう「富野由悠季の世界」展を準備しながら考えていたこと。富野由悠季は『機動戦士ガンダム』(1979)、『ガンダム Gのレコンギスタ』(2014)などの「ガンダム」シリーズの他、『伝説巨神イデオン』(1980)、『聖戦士ダンバイン』(1983)といった数多くのオリジナルアニメの総監督を務め、国内外のアニメシーンに多大な影響を与えてきた演出家。「富野由悠季の世界」展はそんな富野の仕事を回顧、検証する初の展覧会である。6月22日より第一会場である福岡市美術館で展覧会がスタートし(9月1日まで)、その後兵庫県立美術館(2019年10月12日~12月22日)、島根県立石見美術館(2020年1月11日~3月23日)へと巡回し、来年度に青森県立美術館、富山県美術館、静岡県立美術館での開催が予定されている。

で、その概要が発表されたときのこと。Twitterなどで「どうして東京でやらないのか?」という書き込みとともにその理由があれこれ詮索されたりしていて、まだ多くの人にとって「美術館」は単なる展示スペースとしてしか認知されていないんだなあと思う一方、そう言えば美術館業界でも「漫画、アニメの展覧会は企画会社から買うもの」という認識が一般的なんだよなあ、などと考えていたら、だんだん憤然たる想いが湧いてきて、先の長文になったという次第。この展覧会は富野の仕事がアニメというジャンルを越えて、時代と社会、そして現代を生きる人々に与えた影響の大きさを美術展として検証すべきではないかと考えた6つの美術館の学芸員が集まって準備をしたものであり、「共同企画展」という美術館ではごく一般的な手法でつくられたもの。今回東京でやらないのは、たまたまその共同企画のメンバーに首都圏の美術館が入っていなかった、ただそれだけのことである(この件については2014年7月1日号のキュレーターズノートにも少し記しているのでそちらも参照いただきたい)。


福岡会場(福岡市美術館)展示風景 [撮影:山崎信一(スタジオパッション)]  ©手塚プロダクション・東北新社 ©東北新社 ©サンライズ ©創通・サンライズ ©サンライズ・バンダイビジュアル・バンダイチャンネル ©SUNRISE・BV・WOWOW ©オフィス アイ




福岡会場(福岡市美術館)展示風景 [撮影:山崎信一(スタジオパッション)]  ©手塚プロダクション・東北新社 ©東北新社 ©サンライズ ©創通・サンライズ ©サンライズ・バンダイビジュアル・バンダイチャンネル ©SUNRISE・BV・WOWOW ©オフィス アイ


まず、企画会社には一切頼らず、学芸員自らで富野監督が所有していた資料、アニメ製作会社のサンライズに残されている資料の調査を行ない、その研究成果をもとに本展を組み上げたことをはっきりと記しておきたい。さらにアニメ研究者の力を借りず、あくまでも美術専門の学芸員という立場から作品を分析していこうという方針や、感覚的かつ観念的な作業である「演出」をテーマにした「概念の展示」が本当に成立するのか?という富野監督からの問いかけに、各担当がそれぞれの解釈で取り組み、担当作品ごとに出品作選定から展示構成までを個々に手がけ、最終的にそれをひとつの展示空間に落とし込んでいく手法をとるなど、展覧会の作り方としても画期的であったように思う(ちなみにぼくは富野由悠季というひとりの作家の思考と思想と美意識を体系化して提示することが「概念の展示」ではないかと考えた)。個人的に漫画展、アニメ展を見ていると、一本調子で延々と続いていく展示が多いため、いつも途中で飽きてきてしまうのだが、今回は複数の視点によるキュレーションで作品ごとに切り口がまったく変わるため、展示壁面長500メートル(!)に約3000点(!)の膨大な作品、資料が並ぶ展示でありながら、その課題もある程度クリアできたのではないかと考えている(こうした破天荒な試みをきちんと展覧会として成立させることができたのは、個別の担当作品以外に、全体の調整や監督、メインのコンテンツホルダーであるサンライズとの交渉を一手に引き受けてくれた福岡市美術館の山口洋三さんの力によるところが大きい。感謝!)。



福岡会場(福岡市美術館)展示風景 [撮影:山崎信一(スタジオパッション)]  ©手塚プロダクション・東北新社 ©東北新社 ©サンライズ ©創通・サンライズ ©サンライズ・バンダイビジュアル・バンダイチャンネル ©SUNRISE・BV・WOWOW ©オフィス アイ


このように、漫画、アニメ展の「かたち」としては新しいものを提示できたと考えているが、一方の「中身」についてはまだ巡回がスタートしたばかりなので、『ガンダム Gのレコンギスタ』のキャッチコピーにならって言うなら、「君の目で確かめろ」と書くだけに今は止めておきたい。奇しくも東京では同じくアニメの演出家として活躍した高畑勲の回顧展が東京国立近代美術館で開催されている★3。是非双方を見ていただき、アニメをテーマにした展覧会の「可能性」について議論していただければ幸いである。


巧みな構成が光る「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」




「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」展示風景 ©Syd Mead, Inc.


そして最後にもう1本。同じ流れのなかに位置づけられる展覧会で、ひときわ高いクオリティを有していた「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」について触れておきたい。アーツ千代田3331(以下、3331)の1Fメインギャラリーで2019年4月27日から6月2日まで開催された展覧会であるが、主催名義がシド・ミード展実行委員会となっているとおり、3331はただ会場を貸しただけのようである。本展はもともと2012年から全米各地を巡回していたパッケージ展らしいのだが、単にそれを日本に持ってきただけではなく、パッケージ部分にあたる「PROGRESSIONS」をベースに、「The Movie Art Of Syd Mead」、「TYO SPECIAL」、「Memories Of The Future: Matsui Collection」という日本独自のセクションを追加している点に主催者の強い意気込みが感じられる。形式としては、工業デザイナーのシド・ミードが手がけた60年にわたる活動のエッセンスを凝縮した「原画展」なのだが、ここでは日本との関係の深さに力点が置かれ、そのビジュアルイメージが現代の日本文化にどのような影響を与えたのかおのずと浮かび上がってくる構成となっていた。このようにキュレーションによって日本での開催の必然性が付加されていたことは特筆に値しよう。



「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」展示風景 ©Syd Mead, Inc.


観客はまず「PROGRESSIONS」でインダストリアルデザインに基づく構造と意匠に独自の想像力を加えて未来の世界のありようを提示したシド・ミードのビジュアルデザインメソッドを学ぶ。その応用形としての「The Movie Art Of Syd Mead」では、70年代末からSF映画に登場するメカニックのデザインや美術設定を数多く手がけてきた、その成果が一望でき、シド・ミードの偉大さに改めて気づかされる。なかでも美術全般を手がけた『ブレードランナー』(1982)に関する作品、資料にはやはり圧倒されてしまった。公開から40年近く経った現在もなお、多くの映画、漫画、アニメの世界観がその影響下にあることを説得力をもって伝えてくれる展示で、思わず鳥肌が立つほどだった。そして展示は「TYO SPECIAL」へと続き、ここでようやく多くのファンが期待しているであろう『YAMATO 2520』(1995)や『∀ガンダム』(1999)のデザイン原画や図面が紹介される。それまでの展示の流れを念頭において見れば、日本のクリエーターやプロデューサーたちがシド・ミードに何を求め、そしてその要求に彼がどのように応えていったのかを読み解くことのできる仕掛けとなっていた(∀ガンダムやターンXのデザイン原画を見ていたら、当時講談社から刊行された画集『MEAD GUNDAM』(2000)を穴が空くほど眺めていたことや、さらに追加で復刻版まで買ってしまったことを思い出すなど、つい一マニアに引き戻されてしまった)。そして最後の「Memories Of The Future: Matsui Collection」ではシド・ミード研究家、コレクターである松井博司氏秘蔵コレクションの下絵やスケッチ、トレース画などの資料が並びシド・ミードの制作のプロセスが紹介されて展覧会は幕を閉じる。



「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」展示風景 ©Syd Mead, Inc.




「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」展示風景 ©Syd Mead, Inc.


一巡すると、なるほど4つのセクションがそれぞれ起承転結に相当しているようにも思えてくる。わずか150点の出品作で、シド・ミードの仕事を回顧し、その作品の魅力と特質を伝えるだけでなく、日本/現代文化との深い関連性まで明らかにする、巧みな構成が光る展示であったと言えよう。本展の仕掛け人である植田益朗氏、渡辺繁氏、井上幸一氏はそれぞれサンライズやバンダイでかつてシド・ミードと仕事をした間柄でもある。凡庸な言い方ではあるが、やはり展覧会とは作家や作品に対する愛情や信頼が根底になければよいものにはけっしてならないのだと痛感させられた。

惜しむらくは周囲の美術館関係者でこの展覧会を見た人がほとんどいなかったということである。いまだ美術とポピュラーカルチャーのあいだには深い断絶があるのだ。その解消のためにはまずわれわれ美術館員の意識から変えていく必要があるだろう(ここで話はまた振り出しに戻る)。両者を展覧会として等価に扱うことではじめて見えてくるもの、浮かび上がってくること、そして考えなければいけないことは、まだきっとたくさんあるはず、だから。

★1──国の文化審議会は、2015年時点で8.8兆円(総GDP比約 1.8%)の文化GDP(文化産業の国内総生産)を2025年までに約2倍の18兆円(同比約3%)に増やす目標を掲げた。
http://bunp.47news.jp/news/2017/12/001502.html
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1399986.html
★2──2018年4月17日に文化庁が発表した資料内で提案された「国内に残すべき作品についての方策を検討」するミュージアムの構想。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/suishinkaigo2018/chusho/dai4/siryou7.pdf
★3──「高畑勲展──日本のアニメーションに遺したもの」(2019年7月2日~10月6日)。東京国立近代美術館で開催。
https://artscape.jp/exhibition/pickup/10155474_1997.html

富野由悠季の世界 ──ガンダム、イデオン、そして今

会期:2019年6月22日(土)~9月1日(日)
会場:福岡市美術館
福岡県福岡市中央区大濠公園1-6

シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019

会期:2019年4月27日(土)~6月2日(日)
会場:アーツ千代田 3331
東京都千代田区外神田6-11-14

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