2019年12月01日号
次回12月16日更新予定

キュレーターズノート

地域を象徴するものはなにか──あいちトリエンナーレ2019

能勢陽子(豊田市美術館)

2019年09月15日号

あいちトリエンナーレの開催4回目にして、豊田市が会場のひとつになった。筆者は普段豊田市美術館の学芸員をしているが、今回はあいちトリエンナーレのキュレーターのひとりを兼任している。参加作家は、芸術監督やほかのキュレーターとのミーティングの上で選んでいるから、豊田エリアの作家は私ひとりで決めたわけではないが、この地の学芸員をしてきた者の視点から、今回は豊田エリアに絞ってあいちトリエンナーレ2019を紹介することにする。

街の光と影

豊田市は、その名の通りトヨタ自動車が本社を置く企業城下町である。しかしこの地を訪れる人は、同じく自動車産業の街として知られるデトロイトやシュトゥットガルトのように、街に降り立てば巨大な企業のロゴが目に入り労働者が行き交う、産業都市特有の雰囲気がないことに気づくだろう。社屋や工場は郊外にあって、街の中心部はむしろどこにでもある地方都市といった印象である。豊田には、今回同じく新たに会場となった名古屋駅周辺の円頓寺・四間道エリアのように歴史的な街並みや商店街があるわけではなく、特別な理由がなければ足を向けることのない場所かもしれない。しかしだからこそ、今回豊田で芸術祭を開催する意義を、改めてお伝えしておきたい。

芸術祭はそもそも、土地や地域との結び付きを重視して展開されるが、その場や歴史を視覚化する手法が形骸化し、短期間の調査に基づいた作品化が目立つことも否めない。2000年代に隆盛となった当初の斬新さや新鮮さは影を潜めて、いまや芸術祭は岐路に立たされているようにも見える。しかし豊田は、特徴的な顔を見出しにくい場所だからこそ、かえってあらゆる人間に通底する問題を提起しうるのではないかと思う。芸術には、見えないものを見えるようにする力がある。豊田市は、どこにでもあるようなローカルな街の顔をしつつ、その足下では経済やテクノロジーのグローバルな変化の影響を瞬時に受けている。ここは、東京とは違ったかたちで、日本の現状や経済の推移を映し出す鏡でもある。どのような地域も、現在のみでなく、重層的な過去の積層の上に成り立っている。しかしことのほか豊田市は、複雑な過去と未来の予感との間に、光と影を孕みつつ不安定に存在しているように見える。近代産業以降のイメージしかないだろうこの街にも、過去に忘れられた歴史があり、そして未来は自動運転や産業用ロボットの急速な開発の勢いによって、わずか先さえ予測させないくらいである。この確とした表情が見えにくい街で、過去から未来に至るまでこの地を象徴するものはなにかと考えることは、そのまま日本の現在を見据え、私たちの未来を占うことにつながるだろう。

街のモニュメント

先述したように住民の8割がさまざまなかたちで自動車産業に関わるこの街で、それでも街中で企業の存在が強く印象付けられることはない。この街の掴み難さを、地中の奥深くまで掘り下げて深い地層の中に探ろうとするのは、トモトシである。駅下の空き店舗の地面を発掘してみると……そこからは企業のロゴの形をした古墳とそれが刻み込まれた土器が出てきたのであった[図1]。このユーモア溢れる歴史フィクションは、意外にこの街の深層を突いている。街の人に聞けば、そもそもここに移り住んだのが工場で働くためであったり、親子二代、場合によっては三代で同じ会社に勤めているという話も聞く。大都市では職業選択の可能性は無限にあるが、この街では大半の人が自動車産業に従事している。無意識はしばしば心の古層に例えられるが、この街に住む人たちの奥深くに埋まっている夢や抑圧は、案外同じ形をしているのかもしれない。

図1 トモトシ《Dig Your Dreams.》2019[Photo: Takeshi Hirabayashi]

自動車産業が右肩上がりの経済成長を見せていた80年代末に、駅前に大手百貨店ができた。そしてその百貨店と付随して建てられた商業施設が、相次ぐ合併で大きくなったこの街の中心的な顔になった。当時、デパートの最上階の円形レストランは周囲の眺めが見渡せるよう回転していたし、広場に面したピンク色の建物「シティプラザ」の2階には、10代の少女が好みそうな雑貨店と飲食店が入っていた。しかし2000年に大手百貨店が閉店し、翌年に別の百貨店が営業を開始してからは、展望レストランは止まったままになり、丸屋根と三角屋根の二つの家型スペースを持つシティプラザも空いたままになっていた。和田唯奈は、この80年代の高度経済成長期の残り香漂うスペースの壁を、当時人気を博したキャラクターにも似たファンシーな可愛らしさで彩る[図2]。和田とともに制作するのは、20代の女性ばかりによる「しんかぞく」である。その名の通り、血縁によらない新たな家族や共同体の創造を目指している。和田と「しんかぞく」は、今回「赤ちゃん」をレンタルし、新たな家族として迎え入れる、テーマパークのような作品を展開した。それは、経済発展とともに劇的に変化した80年代の都市や家族制度に対する、この決して成功したとは言えない時代へのノスタルジック、かつポジティブな応答といえるだろう。見向きのされなくなったスペースの壁をキラキラとかわいく彩りそこに再び生命を吹き込むのは、「シティプラザ」の翌年に生まれた和田と「しんかぞく」である。

図2 和田唯奈《レンタル赤ちゃん》2019[Photo: Takeshi Hirabayashi]

過去のモニュメント

近代産業の発展とともに街の姿が整えられ、まるで歴史が覆われてしまったかに見える豊田の中心部に、小田原のどかは高さが4メートル近くある台座を設置した[図3]。そこは街の中心部にしては珍しくスケートボードやバーベキューをすることが可能な、地域住民とのワークショップを経て最近完成した公園である。二つの駅に挟まれ、多くの人が行き交うペデストリアンデッキからよく見下ろせるその場所には、いかにも都市環境を整備し、その地の文化的な価値を高める「公共彫刻」が設置されそうである。しかし小田原は、ひとつの象徴的な意味や形体に地域を収斂させることなく、その台座を「空」のままにしておく。そしてそこには、その場を訪れる人が立ち、「いまここ」の生きた彫刻になる。この台座に乗る前に、高架下の小田原が資料展示をしているスペースで、タブロイド紙をもらってほしい。そもそもこの台座は、戦中に陸軍の中枢部が置かれていた東京・三宅坂にあったものを再現したものである。その上には軍人の寺内正毅元帥の騎馬像が据えられていたが、戦中は金属供出により空になっていた。それが戦後、台座の高さを2メートル低くして、女性の裸体像からなる「平和の群像」が置かれ、現在に至っている。作家いわく、「戦後、『戦争』と『平和』が彫刻を介し、ひとつの台座の上で反転した」のである。小田原が再現するのは、戦中に存在していた方の台座である。公共彫刻として街中に据えられるのは、大抵その地域の歴史や時代の要請を反映した人物や形体である。彫刻が時代の変遷により暴力的に引き倒されたり、いとも簡単にすげ替えられたりすることは、私たちもニュース映像などでよく目にしている。かつてあり、いまも形を変えてあり続けるこの台座は、時空を超えて転送され、時代とともに移り変わる象徴性を抜き取って、豊田の中心に「空」の玉座を設えて鎮座する。この台座は、地域そして歴史を象徴するものはなにか、ここに「公共彫刻」が置かれるとしたら何がふさわしいかということを考えさせる。「みんな」の意見を反映した「みんな」の公園には、「みんな」のためのどのような「彫刻」がふさわしいだろう。この「空」の台座は、「公共」とはなにか、これから迎える時代の転換期にそこに現われるものはなにかと問いかける。

図3 小田原のどか 《↓(1923-1951年)》2019[Photo: Takeshi Hirabayashi]

むしろ戦中は穏やかだったといえるこの地にも、ほかの地域と同様に戦争が通り過ぎた痕がある。豊田市駅から3駅行ったところにある浄水駅の周辺には、かつて名古屋海軍航空隊の飛行場があった。いまはその郊外の団地に国内最大のブラジル人コミュニティがあるのだから、時代や経済の変化にともなうローカルなひと区画のうねりは劇的と言っていい。第二次世界大戦末期には、この飛行場から神風特別攻撃隊草薙隊が沖縄の米軍艦隊に特攻し、56名が亡くなっている。ホー・ツーニェンが展示に使用した旅館「喜楽亭」は、まさにこれら特攻隊員が鹿児島の基地に移る前の最後の夜を過ごした場所であった。現在は豊田産業文化センター内に移築されているこの旅館は、戦前は養蚕業の従事者、戦中は海軍の軍人、戦後は自動車産業の関係者で賑わい、まさにこの地の歴史をそのまま照らし出す料亭であった。ホーはこの旅館を舞台に、特攻隊に始まり、京都学派の戦中の思想家、また宣伝部隊として南洋に派遣された文化人を通じて、反近代主義と民族主義が連動した戦中の複雑な時代背景を浮かび上がらせる[図4]。ここ《旅館アポリア》は、評論家・竹内好がしばしば用いた「大東亜戦争は、植民地侵略戦争であると同時に、対帝国主義の戦争でもあった」という両義性・二重性を孕んだ「アポリア(難関)」を投げかける場となる。戦中には、多くの作家・画家・思想家・映画関係者・漫画家などが、外向きのポーズであれ本心からのものであれ、戦争に協力した。《旅館アポリア》の登場人物は、この時代決して軍部のみでなく戦争へと駆動する、多様で複雑、しばしば矛盾した思想的・時代的力があったことを知らせる。しかしここで示したいのは、そうした文化人に対する糾弾でも、もちろん戦争の正当化でもない。《旅館アポリア》の2階で再び焦点が当たるのは、ホーの出身地であるシンガポールに派遣された映画監督の小津安二郎と、インドネシアに派遣された漫画家の横山隆一の、宣伝部隊として戦争に参加した二人の文化人である。一貫して日本の家族を描き続けた、「いちばん日本的だと日本人が思っている」小津の映画と、『フクちゃん』が大活躍する漫画家・横山のアニメーションに登場する子どもたちは、もっとも戦争から遠いはずの存在だからこそ、かえってこの時代の歪さを顕にする。当時戦場の凄惨なシーンの描写は禁じられていたとはいえ、その現実感の欠如が、いっそう戦争の不気味さを浮かび上がらせる。ここは、戦争を単純化することなく、その複雑さをそのまま受け止める場となる。歴史的事実とされることにも虚構は潜み、虚構のなかにも真実がある。ここ《旅館アポリア》は、隠蔽された歴史を呼び覚まし、埋もれた記録と忘れられた記憶の間に揺らめくいくつもの文脈を縫い合わせて、死者が属した時空に折り畳まれていた意識の層を再び開く。過去の史実は、もはや陰鬱かつ眩い舞台として、妖しい霊のように私たちの前に立ち現われるだろう。

図4 ホー・ツーニェン《旅館アポリア》2019[Photo: Hiroshi Tanigawa]

ユートピアのモニュメント

芸術は、歴史上自国の富や文化を誇り、またイデオロギーを伝播するものとして利用されてきた。豊田市美術館ではあいちトリエンナーレの6人の作家が展示しているが、そこには国を象徴するものはなにか、そのとき芸術はどのように機能するのかといったことを問いかける作品が多数展示されている。まず来た人々を迎えるのは、二人の養蜂家が誇らしげに手を挙げているアンナ・フラチョヴァーのレリーフである[図5]。宇宙服を身に付けているようにも見える養蜂家たちは、チェコの地下鉄にある宇宙飛行士のレリーフを基にしているという。冷戦時代、人類の進歩・発展を目指したはずの宇宙開発は、同時に国力や軍事力を誇示し他国を牽制するものでもあったことはよく知られている。迎える人々の歓迎に応える宇宙飛行士と同じポーズを取る養蜂家は、どのようなミッションを果たしたのだろう。2000年代から日本も含めた北米のいたる地域で、蜜蜂がある日突然大量失踪する「蜂群崩壊症候群(CCD)」が発生している。蜜蜂がいなくなれば植物の受粉が行なわれなくなり、作物に大打撃を与えて、その4年後には人類も滅亡するのではないかと噂される。しかしCCDの原因は、気候変動や農薬、遺伝子組み換え食品の影響などさまざまに語られ、いまだ判明していない。この養蜂家のレリーフは、効率的な農業生産に向けたユートピア的ビジョンと、その対極にある技術開発が人類にもたらす災厄の双方を仄めかす。

図5 アンナ・フラチョヴァー《ミッションからの帰還》2018[Photo: Takeshi Hirabayashi]

レニエール・レイバ・ノボも、同じく労働者と宇宙飛行士の彫刻を制作しているが、それらはモスクワにある巨大彫像の一部を再現したものである[図6]。しかし元の彫像があまりに巨大なため、そのわずかな部分から全体像を把握することは困難である。床に置かれた弓形と箱型の形体は、1937年のパリ万国博覧会でソビエト館に設置された、高さ24.5メートルの《労働者とコルホーズの女性》の像の一部である。男性は槌を、女性は鎌をそれぞれ掲げており、労働の象徴である槌と農業の象徴である鎌は、その永遠の結合を目指した社会主義時代のソ連の国旗にもなっていた。オリジナルの彫像は、アヴァンギャルド芸術を禁じたスターリン時代に、社会主義リアリズムの彫刻家として人気を博したヴェラ・ムーヒナによるものである。この像はパリ万博の際に、のちに敵対することになるナチス・ドイツのハーケンクロイツを掲げた「第三帝国」のパビリオンと向かい合っていたという。ソ連が社会主義国になって初の参加となるこの万博では、何としても高い芸術性をともなった国威を示さなければならなかった。天井から突き出した手は、1961年に世界初の宇宙飛行を果たしたユーリィ・ガガーリンの、47メートルもある像の一部である。この像は1980年のモスクワ・オリンピックの際に設置されたもので、同じく技術力の高さと国の威容を示すべく制作された。壁には、ソ連が社会主義国になった当初のアヴァンギャルド芸術によるプロパガンダ・ポスターから、スローガンとイメージを抜き取ったコンクリート絵画が掛けられている(ただし、8月20日以降、「表現の不自由展・その後」の閉鎖との連携を示すため、絵画はこの件を報道する新聞で、槌と鎌の彫刻は黒いゴミ袋で覆われている)。この彫刻と絵画を合わせたプロジェクトの全体に、《革命は抽象だ》というタイトルが付けられている。そこには、現在も社会主義国であるキューバで生きる作家の視点から、人類の新しい未来を目指して始まった革命はもはや具体性を失って抽象概念となり、その全体性は失われてしまったという皮肉が込められている。

図6 レニエール・レイバ・ノボ《革命は抽象だ》2019[Photo: Takeshi Hirabayashi]

チェコの共産党体制が崩壊した1989年に子どもだったフラチョヴァーは、もはや過去のものとなった共産主義の果たせなかった夢を、古風な人体彫刻とSF的想像力の入り混じったノスタルジーと未来への予感の狭間で探り続ける。対してキューバの作家ノボは、20世紀の社会主義革命がもはや形骸化し抽象化してしまっているのではないかと問いかける。20世紀、人々はなにを夢見て果たせなかったのだろうか。これら古風な人体や法外な巨大さを備えた彫刻は、物質感がどんどん稀薄になっていく現在だからこそ、前時代的と切り捨てるには惜しい、ノスタルジーを孕んだ20世紀の夢を現代に投げかける。

未来の姿

毎日車で通勤する途上には大きな自動車工場があるが、その中では私たちの想像を超えた光景が展開されている。そこでは多くのアームロボットが人間とともに働いていており、その割合は増え続けて、もはや近い未来に人間の労働力は不要になりそうである。まるでSFのワンシーンのようなその光景は、ある人には感嘆や賞賛を、またある人には畏怖の念を引き起こす。そのためか、自動車工場の見学ツアーは連日賑わい、ツアーに参加するために世界中から集まる人々を見ると、本当にここが地方都市の一画なのかと不思議になるくらいである。

しかしアームロボットがいる光景は、そのうちどこでも見られるものになるだろう。飲食店の厨房を覗くとアームロボットだけが規則正しくフライパンを動かしていたり、寝たきりの高齢者のベッドの側にアームロボットがいたりする光景を、私たちはすでに目にしている。車の自動運転の実現も目前まで来ており、現在社会問題になっている高齢者による事故もそのうちなくなるかもしれない。一方で、自動運転が本格化すると皆が同じ道を通り、その流れに沿って効率的に商業施設や看板広告が配置されて、ますます私たちは消費社会のなかで画一的な生を送るようになることも予想される。寄り道や道草といった生活の余白や選択が、気づかないうちにどんどん消えていくかもしれないのである。

アンナ・ヴィットは、ロボットが人間の労働に取って変わりつつあるこの街で、さまざまなかたちで自動車製造に携わる人々に毎日繰り返し行なう作業を演じてもらい、それらをつなぎ合わせてひとつのパフォーマンスに仕立て上げた[図7]。書類をチェックし、ミーティングを行ない、部品を点検し、車体を塗装し、接合し、運搬する。そうした動作をあえてゆっくり行なうことで、日々のルーティーンはまた違った角度から眺められる。労働のための身体の動きは意外に優美で、それぞれ多様に異なっており、ある親密な感情を与える。隣に映し出されるアームロボットの動きに比べて、それぞれが異なる身体を持っており、その動きが一定でないことに改めて気づかされる。つまり、とても人間的なのである。パフォーマンスの後には、「あなたにとって労働とは何か?」というディスカッションを行なった。労働は自己形成ややりがいをもたらすもの、もしくは生活していくための単なる方策であるなど、その答えは技術開発やデザイン、流通システムの構築、または工場労働など、日々携わっている仕事により自ずと答えが違ってくる。もし機械がすべての労働をやってくれるとしたら何をしたいかと問われれば、ある参加者の答えは夢や希望を孕み、ある参加者のものはあまりにリアルに淡々と響く。そこからは、経済や社会のシステムのなかで生きる私たちの、労働に関わる感情や情感が透けてくる。その先には、機械との「共生」により人間が苦役から解放されるユートピア的な未来も、また社会や人間自身からますます疎外されていくディストピア的な道程も、同時に想定しうる。「幸福」という言葉がこれまでになく目的化している現在、対話中に出てきた「すべての人が子どものときの夢を叶えられる世界」が訪れたとしたら、それは果たしてユートピアなのだろうか、それとも……。機械と労働の関係は、この街のみならずすべての人にとって、未来を考察するための重要な鍵となるだろう。

図7 アンナ・ヴィット《未来を開封する》2019[Photo: Takeshi Hirabayashi]

公のモニュメント?

美術館隣にある高校跡地に、2023年に新たな博物館が開館する(今夏のコンペティションで設計者は坂茂に決まった)。高嶺格は、来年には解体工事が始まる高校跡地のプールの底を、12メートル立ち上げた[図8]。突如現われたこの得体の知れない構築物は、見る人をあっと驚かせるだろう。それは、失われる場所に対する墓碑、ベルリンやメキシコ国境付近に建てられた壁、被災地にできた巨大な防波堤、もしくは人類の進化の契機に突如として現われるモノリスなどさまざまなものを想起させる。作品のタイトルは反歌になっていて、プール底に降りると銀盤に彫り込まれたこの辺りの光景を詠んだ長歌が掛かっている。歌に詠まれているように、そこに立つとプール底の水平と空の垂直の青が繋がって、身体を青が満たすようである。それは、人々の思いをさまざまに受け止める「空」の歌碑なのかもしれない。その作品の前で私たちは、世界を分断させる壁の存在に否応なく気づかされ、その大きさの前に佇むほかない。碑がそれとして成立するのは、観る人の祈りがそこに宿るからだろうか。この構築物が魂のこもったモニュメントになるかどうかは、会期中これを観る人にかかっているのかもしれない。私たちは大きいものを前にすると、戸惑い、幻惑され、あるいはそれに立ち向かおうとする。願わくばこの壁が、公的なものと私的なものの間で揺れる重層的な意味を受け止めて、壁を乗り越えるための夢を掻き立て、その向こう側を想像させる標契機として、いまの私たちの前に立ちはだかると良い。

図8 高嶺格《反歌:見上げたる空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで》2019[Photo: Takeshi Hirabayashi]


あいちトリエンナーレ2019 情の時代

会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋市内のまちなか(四間道・円頓寺)、豊田市(豊田市美術館及び豊田市駅周辺)ほか
会期:2019年8月1日(木)~10月14日(月・祝)
公式サイト:https://aichitriennale.jp/

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