キュレーターズノート
周年を迎える美術館が見せるもの──
「アジア美術、100年の旅」と「梅田哲也 うたの起源」
正路佐知子(福岡市美術館)
2019年11月15日号
福岡アジア美術館20周年記念展「アジア美術、100年の旅」が始まった。アジ美が20周年を迎えるということは福岡市美術館は40周年を迎えるということで、後者に勤務する筆者は二つの美術館の成り立ちに思いを馳せることとなる。以前にもキュレーターズノートで触れたように、1979年11月3日に開館した福岡市美術館の開館記念展は「アジア美術展」だった。福岡とアジア美術の関係は40年前から始まっていた。
アジア美術、100年の旅
2019年のいま、アジアを旅する
福岡市美術館所蔵のアジア近現代美術作品が移管され、1999年、世界で唯一のアジア近現代美術専門の美術館として開館した福岡アジア美術館。開館20周年を記念する展覧会は「旅」をテーマに、展示スペースを拡大し、コレクションを地域ごとに紹介するものとなっている。
アジアをめぐる100年の旅は、どこからどこへ出発するのだろう。出発地は福岡(日本)とアジアをつなぐ拠点となることを目指し命名された同館が位置する福岡(日本)といえよう。そして、その旅は「東アジア」「東南アジア」「南アジア」の3地域にわたる。地理的な旅だけではない。それぞれの地域の100年の美術を紹介する本展は、時をも旅する。
では、2019年にアジアを旅するとはどういうことだろうか。日本で、あるいは各地域で起こる出来事も美術のありようも、それらを受け止めるわたしたちの意識も、40年前、20年前の旅とは大きく異なるに違いない。
しかし初めて同展のポスター(上)を目にしたときは面食らってしまった。中央にはチャイナドレスを着て誘惑するような目線を送る女性たち、周囲にはリキシャ、シュエダゴン・パゴダといった大衆文化や観光名所や民族衣装に身を包む人々が配されている。所蔵作品からトリミングされたこれらのイメージは、近現代美術というハイアートだけでなく大衆芸術をコレクションし、地域に根差した表現に着目してきた福岡アジア美術館の取り組みを示すものではある。しかし、1920〜30年代の中国の商業ポスターの「蠱惑的なモダンガール」に代表される女性の表象や名所名物のイメージは、オリエンタリズムの眼差しに晒され、消費されてきたものではなかったか。40年アジア美術を紹介し続けてきた福岡にあっても、多くの市民にとってアジア美術はいまだに馴染みの薄いものとされており、展覧会をアピールするために「わかりやすさ」が求められる事情も、同じ自治体の公立美術館に勤務する身には痛いほどわかる。しかし、2019年においてなお、エキゾチックな対象に会いに行くような旅のイメージを再生産することには疑問を感じざるをえないし、それは福岡アジア美術館にとっても本意ではないだろう。
アジアに生きる人々の生活と直結する表現
とはいえ、もしも他者なるアジアを求めて本展覧会にたどり着いたとしても、その期待はすぐに裏切られるはずだ。コレクションの中から選ばれエネルギーを放つ約350点が一堂に会する本展は、アジア各国が西洋美術と接触し、技術を手にしながら独自の美術を築いてゆく軌跡、大衆芸術とアジア近現代美術の結びつき(それは日常生活から生まれ出る表現のあり方ともつながる)、政治情勢と不可分な美術のあり方、さらには社会を変革してゆこうという意思から生まれる叫びのような表現に満ちているからだ。
例えば、ユン・ソクナム《族譜》(1993)は現代韓国にいまだ残る家父長制度とそのなかに生きる女性の悲劇を語り、山城知佳子《あなたの声は私の喉を通った》(2009)は、沖縄の老人が語るサイパンでの戦争体験や沖縄戦の記憶をいかに継承してゆくかという問題を提起する。東南アジアの章の最後には、スタジオ・レボルト《我らをひとつに》(2013)が大きなスクリーンに投影されている。難民キャンプで生まれアメリカに育ち、ギャング抗争に巻き込まれ15年間アメリカの刑務所で服役したのちカンボジアに帰国したコサル・キエフによる詩の語りが会場に響く。「無関心という鎖に束縛されないでほしい」「『自由』を轟かせよう」「ひとつのグローバル・コミュニティーとして結束しよう」ストレートなこれらの言葉は、時空間をこえて、希望をも携えながら、ヒリヒリとした感覚とともに迫ってくる。
展覧会は、第2部「アジアのなかの福岡」で締めくくられる。福岡アジア美術館は開館当時よりレジデンス事業を行なっているが、レジデンス・アーティスト第1号だったインドの作家、ナリニ・マラニによるビデオ・インスタレーション《ハムレットマシン》(1999-2000)は、ハイナー・ミュラーの同名の戯曲を下敷きにしながら、福岡の舞踏家・原田伸雄が出演し、舞台をアジアに落とし込んだダイナミックな作品である。インドの社会における思想上宗教上の対立や分断の問題を俎上に上げたナリニ・マラニの代表作のひとつに数えられる本作は福岡でつくられたのだ。このほか、福岡市美術館時代から現在までアジアのアーティストがこの地で制作した作品が並ぶ。
本展で改めて気づかされるのは、福岡アジア美術館がアジアに生きる人々の生活と直結する表現と、アジアからアジア独自の美術を立ち上げようとしてきた人々の意志を何よりも尊重しながら、20年活動を続けてきたことだ。同館は、「アジア美術展」を発展的に継承した「アジア美術トリエンナーレ」を含め、アジア現代美術を世界に向けて発信し、多くのアーティストにも力を与えてきた。350点もの所蔵作品によって構成される本展は、その意義を私たちに伝えてくれる。この遺産を守り継続しながら、活動がさらに拡大してゆくことを期待する。
開館20周年記念展 アジア美術、100年の旅
会場:福岡アジア美術館(福岡県福岡市博多区下川端町3-1 リバレインセンタービル7/8F)
会期:2019年10月5日(土)~11月26日(火)
公式サイト:https://faam.city.fukuoka.lg.jp/exhibition/7876/
学芸員レポート
梅田哲也 うたの起源
美術館のクロージング/リニューアルオープンと梅田哲也
開館40周年を迎えた福岡市美術館では現在、梅田哲也の個展「うたの起源」が開催中である(2020年1月13日まで)。
梅田は、2016年夏に福岡市美術館がリニューアル前にクロージング的意味も込め開催したグループ展「歴史する!Doing history!」の出品作家だった。同展で梅田は、改修工事によって更新される運命にあった展示室や什器に光を当てた。窓を覆い隠していたシャッターはぎしぎしと大きな音を立てながらゆっくりと上下し、展示室内には外光が差し、普段は存在感を消していたスピーカーや内線電話が姿を現わす。作品としては擬人化されているわけではないのだが、各々何かを語っているかのように感じてしまったのは、40年近くここにあった壁、床、備品への私の愛着によるかもしれない。
2016年9月から2年半の間休館し行なった当館のリニューアルは、既存の建築意匠をできる限り残すことを第一に考え、新旧の要素が併存するものとなった。たとえば展示室のいくつかは以前には想像もつかなかったようなホワイトキューブとなったが、ロビーにはタイルやはつり壁、天童木工製の椅子がメンテナンスを経て以前と変わらず配されている。工事前に一度当館と対峙した梅田哲也が、更新された建築空間のなかで美術館の新たな可能性を拓いてくれることを期待し、リニューアルオープンの年の個展開催となった。
驚くべきことに、数多くの国際芸術祭やフェスティバルへの参加など国際的に活躍する梅田にとって、美術館での個展は本展が初となる。考えてみれば、美術館という場は、芸術祭の会場となるようなスペースやアートセンターと比べると制約に満ちているし、当館においてはリニューアル間もない展示室は当然のことながら原状復帰が求められ、さらにはメイン会場がコレクション展示室内にあることから展示設営期間も非常に短い。不自由さしかないような状況下で、梅田は美術館空間、建築、さらには組織にも介入し、美術館(業界)の暗黙のルールをも読み替えていった。
例えば、当館の企画展としては異例のことではあるが、本展ではポスター・チラシを製作していない。ポスター・チラシを大量に印刷する代わりに、今回神戸アートビレッジセンターの協力のもと、廃棄になった紙にシルクスクリーン版画を手刷りし、サイン入りで関係各所に送付している。また、特設サイトでは、展覧会情報を発信するだけでなく、運営にも重要な役割を持たせ、最終的には展示のアーカイブ機能を持たせてゆく予定である。
物事のはじまりをつかまえる
メイン会場のインスタレーションは、展覧会名でもある「うたの起源」と題されている。この言葉は、うたが最初にうたわれた瞬間を想像し考えるのが好きだという梅田が、以前より抱いていたものである。例えば「うた」をめぐっては、言語より先にうたがあったという説、モノフォニー(単旋律の音楽)よりもポリフォニー(合唱のような複数の旋律の音楽)が先に存在したという説をはじめ、さまざまな学術的研究成果がある。物事は単純なものから複雑なものへと変化してゆくものと考えがちな現代の私たちからすれば、なかなかに信じがたいことだ。しかし、何かが生まれる、立ち上がる瞬間は、現在の私たちが考えているよりももっと複雑で豊かなものだったのではないかと梅田は言う。「うたの起源」とは、何かが生まれる瞬間にまで想像をめぐらし、物事のはじまりやそれ未満の状態をつかまえ、見つめなおしたいという梅田哲也の姿勢を言い表した言葉といえる。
本作品では、ガラス球、バケツ、ポリ容器、壺、扇風機、といった身近なモノたちのわずかな動きや、水の移動によって音が生まれ、光が生まれている。会場に身を置くと、それぞれに役割を与えられたモノたちによる舞台を見ているような感覚を覚える。始まりや終わりが明確ではない、毎回どこか違っているような舞台を。そしてこのインスタレーションはメイン会場全体でひとつの作品「うたの起源」として構想されており、この空間のみでは終わらない。詳細を説明するのは控えるが、続きは体験型になっており、入場時間と一度に入場できる人数を定めている。展示室内で入場時間ごとに当日受付もしているが、特設サイトでは前日まで事前予約も可能である。リニューアルした美術館の展示室空間や設備を生かしているのはもちろんのこと、インスタレーションとパフォーマンスを主軸に、美術・音楽・パフォーミングアーツの領域を横断する活動を続けてきた梅田ならではの構造を持つ作品なので、予約のうえ、時間に余裕をもってお越しいただきたい。
本作を含め、本展覧会では美術館内のさまざまな場所、当館のコレクションが並ぶ展示室や来館者が往き交うロビーに、あわせて七つの作品が展開する。ぜひマップを手に、梅田によって振られた番号順に美術館を回遊してほしい。
展覧会開幕当初、期間限定展示として11月2日から10日までの間、ホワイトキューブの空間で見せていたインスタレーションは、新たな場所へ移設され、12日より展示室閉室後の3時間、館外からガラス越しに鑑賞するかたちをとった。美術館の開館時間という制限を読み替え、リニューアル後生かせていなかった場の可能性を引き出し、光とプロジェクションによる作品のおもしろさを十全に見せている。
ロビーの吹き抜けには、《時報》と題された作品が設置されている。四つのスピーカーからはそれぞれ、梅田が福岡を含む世界各地で採取してきた音や声が流れる。音は館内に響き渡ることもあれば、来館者のにぎやかな声に紛れかき消される場合もある。周囲の状況や受け手の状態によって作品体験が大きく変わる本作に代表されるように、梅田の作品はどれだけ時間をかけて対峙しても、その全貌をつかむことが難しい。しかし何を以て作品をつかんだと言えるのか。それより個々人の体験を含むものとして作品を捉えてみてはどうだろうか。作品と観客の関係は一方通行であるはずはなく、また一対一である必要もない。「美術」はぐっと拡がってゆく。
空間の特性を捉え、美術館のルールも捉えなおしてゆく梅田の作品を美術館で実現するには、スタッフの力も欠かせない。当館ではリニューアルを期にPFI方式を採用し、民間企業グループと協同で美術館を運営しているが、今回、組織もスタッフも初めての経験に直面した。この挑戦と同時に立ち上がってきたのは、美術館はどういう場所であり得るのか、美術とはなにか、という問題である。それは美術館の可能性を拡げるためにも、未来のためにも必要なステップであると私は考えている。そうして実現した本展覧会をめぐって、観客そしてスタッフが重ねてゆく経験、思考と想像のプロセスは、美術だけでなく日常へと還っていき、わたしたちの未来にもきっと資する。
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2019年12月27日(金)には「梅田哲也×福岡市美術館 ギャラリーツアー」が行なわれる。ギャラリーツアーを模したこのパフォーマンス公演には、ノルウェー/ベルギーを拠点に活動するダンサー/振付家のハイネ・アヴダルと篠崎由紀子ほかをゲストに迎える。1日に複数回行ない、各回定員があり事前予約制(先着順)となる。11月29日正午より展覧会特設サイトにて予約開始予定。
梅田哲也 うたの起源
会場:福岡市美術館(福岡県福岡市中央区大濠公園1-6)
会期:2019年11月2日(土)〜2020年1月13日(月)
公式サイト:https://www.fukuoka-art-museum.jp/exhibition/umedatetsuya/
展覧会特設サイト:https://umeda.exhb.jp/