キュレーターズノート

サラリーマン・コレクターの生き様──
MY NAME IS TOKYO KAI AND I AM AN ARTOHOLIC 甲斐寿紀雄コレクション展

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2019年12月01日号

「嫁は飯を食いますもんな」とは、NHK熊本放送局に職員として勤務しながら、生活を切り詰め、肉筆浮世絵や茶道具などの蒐集を続けた故・今西菊松氏(1913-1987)の言葉である。★1 今西氏とは、およそ時代やジャンルは異なるが、熊本市現代美術館ギャラリーⅢでコレクション展「MY NAME IS TOKYO KAI AND I AM AN ARTOHOLIC★2 を開催している甲斐寿紀雄(かい・ときお)氏(1984-)は、現在の九州を代表する、若手の現代美術コレクターと言えるのではないだろうか。

「MY NAME IS TOKYO KAI AND I AM AN ARTOHOLIC 甲斐寿紀雄コレクション展」チラシ

久留米市に在住する甲斐氏もまた、会社勤務のかたわら現代美術のコレクション活動に取り組む、サラリーマン・コレクターだ。美術雑誌に「ニート・コレクター」とも紹介され★3、九州にこんな人がいるのかと驚かされた。筆者にとっては、とても謎めいた存在だったが、2019年11月9日に当館で担当学芸員との対談形式で行なわれたコレクター・トーク「これまでの話とここだけの話」に現われた同氏は、一見、美術好きの学生さんのような、おっとりとした優し気な風貌。しかし、そのコレクションの紆余曲折にまつわる“語り”は噺家のように軽妙洒脱、かつ人間臭さがあり、引き付けられた。

甲斐氏によると、現代美術に興味を持ちだしたのは、広島での学生時代で、テレビ番組で小山登美夫ギャラリーの特集を見たのがきっかけだったという。以降、就職活動の合間に都内のギャラリーをまわり始め、次第に「見る」だけでなく、「買う」ことに興味を持ち始めた。意識して作品を買い出したのは、大学4年のとき。今回も展示されている金氏徹平の《white discharge (outlines #21)》(2003)という塗り絵をコラージュした小品だった。当時5万円程だったそうで、現在から考えると大変お買い得に感じるが、学生にとっては非常に高価で、貯めたバイト代をはたいて買った思い出の作品だという。就職も美術関係を選び、菅木志雄のコレクションで知られる栃木県の板室温泉・大黒屋や都内のギャラリーに勤務し、最低限の生活費以外、ほとんどの給料を画廊まわりやコレクションに使っていた。現在も九州を拠点に、仕事の休みを利用して、格安航空券で都内の展示などをまわっている。

この12〜13年をかけて、甲斐氏が集めた作品は160点以上。会田誠やChim↑Pom、加藤泉や名和晃平、坂本夏子などさまざまだが、サラリーマン・コレクターならではの「収集方針」があるそうだ。サイズはひとり暮らしの住まいにも飾れることを考え、基本的には、絵画なら10号程度、立体は小品が中心。買い始めた頃はスケール感がつかめず、購入してアパートに運ばれてきたときに初めて「えっ、こんなに大きかったの?」と驚き、作品の前で寝起きするようなこともあったという。実際に、自宅に飾ることができるのは数点が限度で、作品を梱包した段ボールに埋もれて生活している。価格は1点、数万から数十万円が基本で、予算がないときは分割払い。自分が購入した作家がステップアップすると嬉しい反面、買えなくなるので、ひとりを追いかけるわけではない。投機目的で買うコレクターもいるが、自分は純粋に「面白い」と感じた作品を買うだけだと言う。

今回の展覧会は、そのコレクションの約3分の1にあたる、ビッグネームから若手まで、そのラインナップを見るだけで楽しくなるような24作家★4の約50点が、コメントとともに展示されている。

展示されたなかで、もっともカイコレクション“らしい”作品は、今年購入したばかりというDavid Horvitzの《Yamanashi from the Perspective of Tokyo》(2019)かもしれない。ざっくり言えば、「ミネラルウォーターが入っていた、空の500mlのペットボトルが、上下逆さに置かれている」だけの作品だ。美術館としては、清掃や監視スタッフに「これは作品ですからね」と割としつこく念押ししておかなければ、気を利かせて捨てられてしまう可能性がかなり高い作品、ともいえる。本作は、作家が東京から山梨に移動している間に、ペットボトルが、気圧の変化でペコッと一部へこんでしまったものだという。ちょうど都内で開催していた「水」をテーマにした自身の個展に、急遽、飛び入りで展示されたという同作品に、値段はついていなかった。しかし、「作家が手すら加えていない」ことを面白く感じた甲斐氏が、「これ買えるんですか?」とギャラリースタッフに尋ねると、スタッフは「えっ、これを買うんですか?」と絶句したという。

同作家の《February 14, 2050》(2016)という作品を既にコレクションしていた縁もあり、作家がほかとは違う「ベストプライス」をつけてくれたという、空のペットボトル1本の値段は、決して安いものではなかった。しかし、もう後には引けず、購入を決意。専門スタッフによって厳重に梱包、輸送され、学芸員が念入りにコンディション・チェックをした上で、ペットボトルは展示されている。現代アートの価値や、値段とは? ということを、もっとも端的に考えさせるエピソードであり、作品だろう。


トークを聞きながら、冒頭の今西氏と甲斐氏、お二人に共通点があるとすれば何だろうかとぼんやり考えていると、今回の出品作家で、会場構成も担当した青柳龍太氏が、会場にこうコメントを寄せていた。「楽しいからとか好きだからとか、本人ももう訳が分からなくなっているのではないだろうか?」「息を吸ったら吐かなければならない。作品をリザーブしたら支払わなければならない。この行為はどちらかだけを選択する事は出来ない。」と。リッチなビッグ・コレクターとはまたひと味違う、サラリーマン・コレクターの永久機関のような生き様に、私たちは戦慄する。

最後に、トークの参加者から、「作品を購入して一番嬉しいのは、どんなときですか?」という質問があった。甲斐氏の答えは、「分割払いが終わったとき」。作品が手元に来たときでも、綺麗に飾れたときでもない。日々、頑張って働き、支払いが終わる。そして、「また次のものが買える」という喜び。「アートホリック」というものの本質が、少しだけわかった気がした。

コレクターの甲斐寿紀雄氏(右)と担当の佐々木玄太郎学芸員(左)。甲斐氏が自分の自画像のようでお気に入りの1点だと語る加藤泉《無題》(2003/キャンバス・油彩)の前で。©2003 Izumi Kato


★1──冒頭の言葉は、縁談を勧められた今西氏がお断りする際に発したという言葉で、時代を感じさせるが、質素倹約で親族の家に居候し、転勤も断固拒否、生活のほぼすべてを収集に捧げた珠玉のコレクションは、高い評価を受け、今西氏の没後、ご遺族によって熊本県立美術館に寄贈され「今西コレクション」として収蔵品の重要な柱となっている。
★2──展覧会タイトルの「MY NAME IS TOKYO KAI AND I AM AN ARTOHOLIC」は甲斐氏の発案で、イギリスを代表する現代美術コレクター、チャールズ・サーチ氏の著書『My Name is Charles Saatchi and I am an Artoholic』にちなんでいる。
★3──「ニート・コレクターと呼ばれて 甲斐寿紀雄」、『芸術新潮 特集:アートと暮らす』2015年3月号、pp.64-65、新潮社
★4──出品作家は、Ciprian Muresan、David Horvitz、Maria Eichhorn、青柳龍太、淺井裕介、荒木経惟、伊藤存、岩崎貴宏、加藤泉、金氏徹平、興梠優護、坂本夏子、佐藤允、佐藤栄輔、鋤柄ふくみ、須田悦弘、田口行弘、内藤礼、名和晃平、廣直高、平敷兼七、森山大道、吉田哲也、和田昌宏。

MY NAME IS TOKYO KAI AND I AM AN ARTOHOLIC
甲斐寿紀雄コレクション展

会場:熊本市現代美術館 ギャラリーⅢ(熊本県熊本市中央区上通町2番3号)
会期:2019年10月30日(水)~2020年1月20日(月)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/