キュレーターズノート
「wow, see you in the next life. /過去と未来、不確かな情報についての考察」についての考察
角奈緒子(広島市現代美術館)
2019年12月01日号
対象美術館
今年もいよいよ師走に突入というタイミングで、距離的には近いはずなのになぜか遠く感じるお隣の県、山口へと足を運んでみることにした。ずっと気になっていたcontact Gonzo(コンタクトゴンゾ)とYCAMバイオ・リサーチによる展覧会を見るために。
コンタクトゴンゾとバイオ・アート?!
今さら敢えて紹介するまでもなさそうだが、コンタクトゴンゾは、肉体を即興的に激しくぶつけ合うパフォーマンスを中心に、身体表現を追求してきた、2006年に結成されたアーティスト集団である。集団の名称である「contact Gonzo」は、彼らの活動の根幹をなす方法論の名称としても意味をもつ。一方、YCAMバイオ・リサーチは、バイオテクノロジーを芸術表現や教育、地域性などへとリンクさせ、その可能性を提案していく、YCAM独自の研究開発プロジェクトである。2015年から、各種機材を備えたバイオラボを館内に立ち上げ、徐々に設備を充実させてきているという。
バイオ技術をアートに応用した作品はもはや枚挙にいとまがないが、記憶に新しいという点で、今年のあいちトリエンナーレで紹介されていた、ヘザー・デューイ=ハグボーグの作品が思い出される(現在、金沢21世紀美術館で開催中の「開館15周年記念 現在地:未来の地図を描くために[1]」でも紹介されているので、あいトリで見逃してしまったという方はぜひ金沢でご覧いただきたい)。デューイ=ハグボーグは、公共空間に残された髪の毛、吸い殻、ガムなどからDNAを採取、分析し、そこから導き出した、ゴミの落とし主の外見的特徴を3Dプリントした立体作品を発表する。遺伝情報抽出技術にこれほど手軽にアクセスできることへの驚き、その技術を活用するだけでなく、最終的に見せるかたちとしての作品の異様さは、現代社会に潜在する(またはすでに顕在化している)プライバシーの問題を、軽妙かつユーモラスに提議しているという点で、非常に興味深く印象に残っている。昨今では、民間企業が提供する遺伝子検査・解析サービスをネットで簡単に申し込めるだけでなく、遺伝子検査キットなるものまで販売されており、遺伝情報へのアクセスが格段にたやすくなっている。匿名とはいえ、特に許可なく集められた細胞や遺伝情報は、ゆくゆくはビッグデータとしてなんらかの役に立つことも期待できなくはないが、自分の遺伝情報も知らぬ間に蓄積されているかもしれないことを思うとなんとも気持ちが悪い。
デューイ=ハグボーグは別として、バイオ技術を応用した「バイオアート」と聞くと、電極につながれた植物が無造作に展示されている風景しか思い浮かばないほど、筆者はそもそもバイオアートなるものに疎い。とはいえ、毛嫌いしているわけではない。おそらく、このジャンルに対する経験の圧倒的な少なさゆえ、ここにカテゴライズされる作品の多くは、うまくいっているのか、いこうとしているのか、はた目にはきわめてわかりづらく、道半ばの段階が披瀝されているような感じを受け、どう解釈してよいものか戸惑いを隠せないのである。
こうした(裏)事情もあり、今回のコンタクトゴンゾとYCAMとのコラボにもためらいを覚えつつ、格闘系身体酷使パフォーマンスを表現手段とするコンタクトゴンゾが、どうしたらバイオ技術とリンクし、交差し得るのかまったく検討がつかなかったこともあり、とにかく見ずにはいられなかったというわけだ。今回の彼らの目論見を端的にいうならば、以下のようにまとめられるだろうか。これまでは、経験を通して、つまり後天的に体得したものは、遺伝子レベルでは継承され得ないと考えられてきたが、最近の研究では遺伝の可能性も示唆されているらしく、コンタクトゴンゾのパフォーマンスにつきものの怪我や、身体への過剰な負荷が、遺伝情報に与える影響を調査研究してみようという、かなりチャレンジングな内容である。なお、YCAMバイオ・リサーチのこれまでの取り組み、コンタクトゴンゾとの共同リサーチの詳細は、実際に展覧会を手がけたYCAMキュレーターの吉﨑和彦氏と、研究員の津田和俊氏、両氏によるレポートに詳しいので、そちらを参照されたい。今回の私のレポートでは、一鑑賞者としての目線で、展示がどのように展開しているのかという観点から、完成した展覧会を紹介したい。
室内だけど雨が降る
YCAMでの展覧会というと、建物に入ってすぐ目の前に広がる吹き抜けの空間と、大階段を上った2階のスペースを使った展示を思い浮かべるのだが、今回の展示会場はそこではなく、舞台や大型インスタレーションなどに使用される、各種舞台装置が備わった、天井から壁、床まで真っ黒なスタジオAである。YCAMの建物に入るやいなや、「今、雨が降っているからとにかく中へ!」と促され、なんのことだかよくわからないまま急いで会場に入ると、室内にまったく似つかわしくない、異様な光景が広がっていた。文字通り、「雨が降っていた」のだ。感嘆の声をあげずにはいられないほどスペクタクルな光景である。雨は、スタジオ中央に設えられた小屋にひたすら降り注ぎ、しばらくして止んだ。心を落ち着かせて周囲を見渡すと、フェンスが張り巡らされ、自分たちはそのフェンスの内側にいることに気づく。小屋の前に立って右手には、左右の長さが異なるツノをもつ動物の頭蓋骨が恭しく展示され、その横に設置されたモニターでは、左右非対称が発生する理由が説明されている。どこから立ち向かってよいものか、しばし呆然と佇んでいると、「どうぞ小屋に入ってください、体験型の展示が3つほどあります」と再び促され、なにをどう体験できるのかまったくわからなかったが、言われるがまま小屋に上がった。
ゴンゾ・パークへようこそ
私が目にしていた空間は、どうやら「ゴンゾ・パーク」と名付けられているようだ。最初に入った小屋で体験する内容は、中央に敷かれたマットの上に仰向けに横たわり、傍らに並んだ、大小5つの石の中からひとつを選び、自分の腹部に乗せるというもの。次に誘われた、舞台上に設えられたスペースの中央には、金属のチェーンが1本渡されており、サーフィンかスノボよろしくチェーンの上に両足で乗るという体験が可能だ。街中で進入禁止を意味するチェーンに立って乗るチェーン・サーフィンなる遊び(競技?)があることは聞いて知ってはいたものの、まさか自分が挑むことになろうとは思いもよらなかった。最後に赴いた空間では、バッティングセンターにあるようなマシーンから飛び出てくる、テニスボール大の球(柔らかめ)を自らの身体で受ける/避ける、または両手でキャッチする、という体験が推奨される。ここまでお伝えするとすでにお気づきの方もいると思うが、要はゴンゾメンバーたちが普段からパフォーマンスに組み込んでいる動作や衝撃、言い換えれば「身体への負荷」を、各自のペースで体験できる仕掛けがここに設えられているわけだ。これらの体験もまた、降り注ぐ雨の次くらいに、展覧会に似つかわしくない鑑賞体験である。「パーク」とはよくいったもので、入場無料で開かれていて、誰もが自由に出入りできる展示室は、学校から帰ってきた子どもたちにとってかっこうの遊び場と化しており、互いの技を競い合う様子を、一瞬まるで保護者かのように微笑ましく眺めてしまった。
おのれの身体能力への根拠なき自信と過度な期待を見事に裏切られ、年齢的な衰えまでもが否応なく加勢し、現実を容赦なく突きつけられる。このことを体験している本人(=筆者)が自覚するのはもちろんのこと、ヨレヨレの無様な姿は映像として記録され、各スペースの壁面に大写しで投映され、空間全体に恥が晒される(必ずしも恥とは限らないが)。ちなみに、各スペースでの体験前に、そこにいるスタッフに、展示会場入口で渡されるバーコード入りカードを手渡し、バーコードを読み取ってもらう決まりになっている。カードの持ち主の経験はしっかり記録されており、各自の経験値は、大画面に映し出される体験者の頭から生えているツノの長さで表わされる(この程度の映像システム構築は、YCAMスタッフにとっては朝飯前に違いない)。言われてみれば、上述の子どもたちの頭にはなんとも立派なツノが生えているではないか。自分のツノが小さいことの悔しさ、イメージどおりに動かない身体への苛立ち、このままエクササイズ(?)に励んで体幹を鍛えたい気持ち等々をどうにか抑えながら、ふと我に帰る。それがどうバイオ技術とつながっていくのか?
遺伝情報を解析するラボ
ゴンゾ・パークの左奥に、チェーンで結界が施され(たぶんここでサーフィンしたら注意されるだろう)、立ち入りが認められない一画がある。ここでようやく点と点がつながって、まだ短いが線のような形状になってきたような気がした。立ち入り禁止区域はバイオラボである。つまり、ここ全体が壮大な人体実験場だったのだ! などと面白おかしく言ってみても、誤解を招くおそれがあるのであらかじめ断っておくが、別に法律にも倫理にも悖るようなことはなにひとつ行なわれていないので安心されたい。
ここで、このプロジェクトの目論見を思い出してみよう。経験上(後天的に)身体が受けた負荷は、遺伝情報に影響するのか/しないのか? するとしたらどの程度のものなのか? この問いを立てたからには、遺伝情報を取得しなければならない。そのデータ収集こそが、この展覧会の目的のひとつなのだ。しかしながら、遺伝情報は第1級の個人情報であるため、一般の鑑賞者からDNAを採取し、そのデータを蓄積するにはどうしてもリスクと困難が伴う。そこで、今回については、鑑賞者からは採取せず、ゴンゾメンバーとYCAMスタッフが率先して自らの身体に負荷をかけ続け、文字通り体を張って被検体となり、DNAサンプルの充実に貢献している。冒頭で少し触れたとおり、DNA採取も分析も、いまやさほど難しいことではなく、この展示のために簡易に設えられたラボで実際に、遺伝子分析キットを利用して、唾液から抽出した遺伝情報を管理、解析している。そして、塩基配列として可視化されたデータはモニターで公開される(いくら関係者といえども個人情報であることに変わりはないため、意図的に情報の10パーセントを誤読させているという)。
二鹿(ふたしか)伝説
こうしてバイオ技術とコンタクトゴンゾがつながるわけですか! と、半ば放心状態で、再び誘われるままに地下に降りていく。普段は見ることのできない舞台裏(舞台下)へと展示は続く。地下で展開するのは、山口に残る伝承「二つの頭をもつ鹿」にまつわる調査と報告。その伝承を要約すると、京都の比叡山に住まい、凶暴ゆえに人々を苦しめていた鹿が、天皇より征伐を命じられた中将に追われながら西へ逃走し、現在の山口県岩国市の山中へ逃げ込んだところで討ち取られた、という話。今もこのあたりを指す「二鹿」の地名の由来は、この伝説によるといわれているそうだ。
ゴンゾメンバーは、双頭の鹿による逃走の旅を追体験すべく、京都は比叡山から山口の二鹿まで、野営しながら5日間かけて移動した。彼らの脚はスーパーカブ。YCAMバイオ・リサーチのメンバーも車で帯同し、道中ではゴンゾメンバーと一緒に、生物のDNAが含まれる土壌や樹皮といったサンプルを採取するだけでなく、チェーン・サーフィンや、互いの身体に乗り合うなど、即興的なパフォーマンスも行なったという。移動のあいだの天候はほぼずっと雨(暴風雨)だったこと、そのために調査の旅はよりいっそう過酷なものとなったことを知るとともに、冒頭で紹介した、室内で降り注ぐ雨という、壮大なインスタレーションへと結びついたことがここでようやく明かされる。
「マガジン」は携帯し、会場で読むべし
はじめはほとんどワケがわからなかった展示だが、こうして見ていくうちに疑問が解消され、バラバラだった点がついにつながり1本の長い線が現われた。展示構成そのものもよく練られている。しかしながらあともうひとつ、本展の構成要素として欠かせない「マガジン」の存在を見落としてはいけない。特に、今回のためにゴンゾメンバーの塚原悠也が書き下ろしたSF小説は秀逸であり必読だ。これを読めば、本プロジェクトの意図と全貌が見えてくるだけでなく、彼らの過去の試みも丁寧に紹介され、あたかもずっと前から計算されていたかのように、ここへと至る緩やかな道筋までもが浮かび上がってくる。塚原によるきわめて痛快なSF小説もまた、展覧会を構成する作品として機能するのだ。惜しむらくは、おそらく多くの鑑賞者がそのことに気づいていないのではないだろうか、ということ。なお、マガジンでは、塚原の小説のほかに、鹿の生態、エピジェネティクス(エピepi=後の、ジェネティクスgenetics=遺伝学)のこと、バイオの観点から見るマンガ、世界のバイオラボ事情、さらにはバイオアーティストの手相占い(!?)と、まさに展覧会を読み解くキーワードであるトピックスが、それぞれの専門家たちによってわかりやすく紹介される。マガジンvol. 1は展覧会開催前に、vol. 2は会期中の11月に発行され、今後、最終号であるvol. 3の発行も予定されている。
コンタクトゴンゾが得意とする身体を支点に、後天的な遺伝情報継承の可能性をテーマとし、物語や伝承による文化的継承をベースにしながら、過去と未来、歴史とテクノロジーとが見事に交差する。現在から未来を志向するに際し、過去から現在へと受け継がれた歴史を参照するのは、常套手段かもしれないが、この展覧会はYCAMバイオ・リサーチという特殊な機関を備えたYCAMだからこそ実現できた、自分たちのもつリソースを十分に活用した内容だと言えるのではないだろうか。バイオ技術やDNAなどと言われると、難解なイメージがつきまとうように感じられるかもしれないが、経験値があがるにつれ長く成長するツノの表示しかり、思わずくすりと笑わずにはいられない遊び心が展示室内にちりばめられている。「ふたしか」をめぐる、言葉遊び的なオチ(二鹿/不確か)もそのひとつだろう。なお、筆者の都合により叶わなかったが、会期中にコンタクトゴンゾが会場で繰り広げるパフォーマンスを目撃できれば、またさらなる見所の発見につながるのかもしれない。
contact Gonzo+YCAMバイオ・リサーチ 「wow, see you in the next life./過去と未来、不確かな情報についての考察」
会場:山口情報芸術センター[YCAM](山口県山口市中園町7-7)
会期:2019年10月12日(土)〜2020年1月19日(日)
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