キュレーターズノート

歴史とその周縁に潜在する豊かさ──
「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる」展

住友文彦(アーツ前橋)

2020年02月01日号

先日当館で終わったばかりの「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる」展について、もっとも多く耳にした感想は美術館と博物館の展示を横断している、というものだった。それは確かにその通りだが、企画意図とは無関係だと思って真剣に受け止めていなかった。しかし、今更ながらそうした感想に込められた「横断」することへの肯定的な見方について考えてみる必要性がありそうだ。

「美術館」や「アート」のそもそもの役割

この展覧会をつくろうと考えたきっかけは、地域の文化や歴史、あるいは教育や福祉と関わるアートプロジェクトを実施してきた経験を踏まえて、「美術館」や「アート」のそもそもの役割とは何かを見つめ直したいというものだった。展覧会というかたちでは表に出ない、アートプロジェクトなどの継続的な活動は、地域や個人などとの密接な関係性に支えられているため、批評的に考える機会を持つのは簡単ではない。しかし、美術館であれば、作品や資料の展示によって、思考するための空間としての展覧会を企画することができる。

展覧会の最大の魅力は一本の線ではなく、いくつもの筋が織り合わされ思考の重層性を増していくことができる点だ。まるで終わらない展覧会のような開かれかたによって、つねに変化し継続している館外の活動と結びつけることができないかと考えた。だから、美術館の活動としては展覧会も館外のアートプロジェクトもほとんど等価に置かれる。何度か反復的に継続していたり、複数のプロジェクトに関わるアーティストや協力者がいることで、いくつもの線は重なるように編みこまれ、地域と有機的な連続面を持つようなイメージを持っていた。アートプロジェクトにおいて関係性の束が固定的にならず、なるべく緩やかであるように意識するのと同じように展覧会も構成されたと言っていいだろう。

「美術館」や「アート」が果たしている役割を見つめ直す作業において鍵となったのは、こうした制度が発生した近代以前に戻って、地域の共同体がどのように教育や福祉と関わっていたかを振り返ることだった。そこで例えば自然や宗教はどのような役割を担っていたのだろうか。何が、疎外された人たちの精神に寄り添ったのだろうか。現代のどのようなところに周縁化された者たちの物語が残っているのか。そもそも「美術館」も「アート」も長い歴史を持つわけではない以上、長い年月の間にそれらを包摂してきたのは何だったのか。つまり、何かを横断したかったのではなく、自分たちのやるべきことを深く考えるために足元を見つめるようなつもりだった。

アンナ・ヴィット《ケア》(右)と長重之+西澤彰《対話・樺崎》(左から3番目)などの展示風景[撮影:木暮伸也]

その目的に近づくためには、美術館の外側にも並走者が必要だった。数年前から宗教者たちの創造性に関心を寄せていた白川昌生(アーティスト)、赤城山のフィールドワークを一緒に行なってきた石倉敏明(秋田公立美術大学准教授)、土地の歴史からマイノリティの置かれてきた立場を読み解く山田創平(京都精華大学准教授)と、担当の今井朋と私が何度も顔を合わせながら展覧会にいくつもの文脈を埋め込んできた。この議論は、非常に解像度高くローカル性に焦点をあてながらも、場所の固有性を複数の鏡によって乱反射させ引き剥がすような作業を繰り返す試みだったかもしれない。群馬や赤城山の歴史と密接に関わりながらも、現代社会に普遍的に見られる問題とも響き合うように、コンセプトにおけるキーワードの練り込み、そして作品の選択と並べ方を検討した。そういった作業のなかで、行き交った思考の断片のすべてが反映されるわけではないが、宙に浮いて消えたものたちが外側から展示の構造を支えているかのようにも思えた。

尾花賢一+石倉敏明《赤城山リミナリティ》展示風景[撮影:木暮伸也]

周縁性に眼を向ける

展示会場を振り返ってみよう。はじめに展示されていたアンナ・ヴィットの《ケア》は2017年度の滞在制作事業で招聘したベルリン在住のアーティストが制作した作品だ。インドネシア人の看護士が日本の高齢化社会について語る言葉の背景映像には古い商店街を舞台に踊るアマチュアダンサーたちがいて、そのなかには開館前に全館を使ったイベントに参加してくれた人もいた。

同じく2018年度の滞在制作事業に参加した尾花賢一は、石倉とともに赤城山のアジール性に関心を向けた。それは、受験勉強に背を向けた子どもたちから国定忠治(江戸時代後期の侠客)や暴走族まで幅広く、管理の縛りを逃れようとする者たちの精神が山へ向かう傾向を見事に示していた。

周縁性に眼を向ける作品としては、10年前に横浜で川瀬慈にエチオピアの吟遊詩人にまつわるドキュメンタリー《ラリベロッチ ─終わりなき祝福を生きる─》を展示してもらったが、今回は川場村の男性が女装して豊穣を祈る唄と踊りを各家々で披露する《春駒》を加え、二つの映像作品を並べて展示した。

近代化以降も残り続ける過去の技能に関する作品としては、中村裕太が、かつて赤城山に構想された工芸研究所に関係する、ブルーノ・タウトと東宮稔という二人の人物を中心に、歴史のなかに埋もれた相関図を浮かび上がらせた。彼は支配的な歴史の見方に対して、見過ごされていた補助線を引くことであり得た別の歴史の可能性を示すリサーチを日本およびアジアで行なっている。細部に宿る魅力もさることながら、歴史に潜在した生態系の豊かさに眼を凝らすことで、私たちが生きる現代を複数の視点で見ることができるのが最大の魅力だろう。

それは群馬の文化や歴史について書かれた重要な書物のなかに、先住民族や女系の系譜について書かれた箇所を見出す山田創平のリサーチも同じである。そうした実践は私たちが歴史を見る視点と同じように他者を見る視点も複数化させる。そして複数化の作用は、現在の社会を固定化させず揺るがし、何かを占有する意識とは正反対の共生に開かれた意識を生み出すのである。

中村裕太《群馬工芸の生態系》展示風景[撮影:木暮伸也]

さらに両義的で曖昧なものは、自分を縛り付けるものから自由にする。そんな混淆的な存在として人魚の立体と絵が地下展示室の導入部分にあった。ドラァグ・クイーンのショウで使用した服や普段着を再利用してつくられた鱗が体の一部を覆い、他者の目に晒される皮膚と自己の身体のあいだに生じる交渉。ブブ・ド・ラ・マドレーヌは、人間の皮膚と魚の鱗を持つ生物が脱皮する、というイメージの飛翔体をつくり出した。

引きこもりの人たちの居場所をつくる「アリスの広場」と関わり続ける滝沢達史は、会期中にブブと二人で行なったトークで、自らの被災経験も交えて、周縁化された人や被災した人を資本主義は生産活動に従事するのとは異なる者として分断する。しかし、それを接続できるのがアートではないか、と述べていた。滝沢と「アリスの広場」は、この企画展を通してセクシュアルマイノリティの支援団体「ハレルワ」と知り合い、アーツ前橋から徒歩数分の商店街のなかに「まちのほけんしつ」というスペースをつくり始めた。どちらも若い当事者たちが中心となり、支援活動の手法だけでなく、経営などの課題と直面しながら少しずつ前に進んでいる。この原稿を書いている当日も不要となった家具をもらい受け搬入する姿を見た。補助金や社会問題ありきではなく、自らの必要性から場所を獲得していく活動に強く惹かれる。周囲の無理解に心を閉ざしていた者たちが、経済的に沈滞した街の閉じたシャッターを開ける活動に共感していただける方は、ぜひクラウドファンディングもよろしくお願いします。

あかたちかこ+ハレルワ《パレードにいこう》展示風景[撮影:木暮伸也]

それにしても、二つの団体が異なる活動目的を超えて合流することはとても興味深い。もちろん活動方法も参加者の性格もまったく違うため相容れない側面もあるが、ここにも自己のアイデンティティに意識的であるだけでなく他者のアイデンティティにも関心を向ける共生の思想を感じるからだ。昨年春に「ハレルワ」のメンバーがレインボー・プライドのパレードに参加した際には、あかたちかことブブがプラカードづくりを手伝い、展示会場で来場者もメッセージを作成できるコーナーをつくった。ちなみに「ハレルワ」には美術館開館前に学生ボランティアとして手伝いに来てくれていた中心メンバーもいる。展覧会やアートプロジェクトを実施していくうえで、継続的な関係性によってお互いの信頼が醸成されていく必要性も感じる。

生き物の死を見つめる

プライバシーについて考えてみると、美術表現は家族という閉ざされた領域と関わっていくことが少ないと気づく。教育や福祉において見出される課題は家族の人間関係と相互のつながりが深い。今回の展示では、〈表現の森プロジェクト〉で高齢者のケア施設に出かけワークショップを繰り返してきた石坂亥士と山賀ざくろ、そして実母が遠い場所にある家族の墓ではなく、行きやすい都内にある集合型の墓に入りたいと語ったことをきっかけに作品を制作した地主麻衣子が、そうした問題を題材にした数少ない例だ。高齢化社会では、こうしたテーマは多数の人たちにとってむしろ身近な出来事だ。石坂と山賀がダンスや打楽器を使った非言語的コミュニケーションを高齢者たちと実施してきたなかで、介護ケアの現場が合理化によって日常生活の肌理を失ってしまうことや、それがワークショップそのものだけでなく利用者とスタッフや家族との間の信頼関係にも影響を与えることを知った。あるいは葬送のあり方も、周辺の人間関係を大きく反映する。地主は実母だけでなく、イスラム教徒や在日朝鮮人などが日本でどのように埋葬されるのかもカメラで追った。それは知らなかった出来事の探求に留まらず、死の迎え方を形式化してきた社会を逆照射し、いかに現代人が死を遠ざけてきたかを語っている作品のようにも見えた。

鴻池朋子《Dream Hunting Grounds》(作家蔵)と三輪途道《杜の晩猫》(ガレリアポンテ蔵、一番左)ほかの展示風景[撮影:木暮伸也]

生き物の死を見つめる作品は、展示室を歩き進んでいくうちに何度か反復的に現われる。吹き抜けの展示室に動物の毛皮を置いたのは鴻池朋子だ。通常の装飾品としての毛皮に欠けている頭部や手足の爪が付いていて、動物たちが生きるためにほかの生き物や植物を傷つけ削り取る部位を、実際に来場者も触ることができる。大きな絵画作品がそれを囲み、同じように鑑賞者は画面に刻み込まれた線も触ることができた。

鴻池が触覚的で肉体的な生命の循環的コスモロジーで空間を満たしたのと対照的に、イケムラレイコの作品は物質の持つ重さから解放されているように見えた。腐食していく身体のように見える《メメント・モリ》は、輪廻転生の過程において大地と一体化する時間を祝福している。線を何重にも重ねて描かれたドローイングの人物像も、少女や動物など複数の小さきものたちのイメージが重ね合わされているように見え、固定的な存在に同一化させる力から解き放たれ、自由に時間や場所を超えていく存在として描かれていた。

もうひとり最後の部屋に登場する女性アーティスト三輪途道は、蚕を守ると大事にされてきた猫と獅子舞で実際に使われているお面を彫った作品を展示した。どちらも信仰と結びつく対象で、祈りのかたちを彫りたいと三輪は話し、展示の最後にはたおやかな形をした「絹神様」を置いた。

イケムラレイコ《メメント・モリI》(作家蔵、左中段)ほか展示風景[撮影:木暮伸也]

糸井潤は、古くから信仰の対象だった場所を撮影し続けている。その写真に明白に建物やシンボルが撮影されることはないが、周囲の自然や道には人と自然が時間をかけてつくり上げ堆積したものの気配を感じる。宗教の力を仰ぎ見るのではなく人間の身体や知覚に近いところで信仰について探ろうとしているように見えた。

また赤城山の歴史を紐解きながら、神秘主義と美術の強い結びつきを示したのは白川昌生だった。旺盛な創造活動を行なった大本教の出口王仁三郎、ビジョナリーなイメージを作り出した神道家の金井南龍らの作品が並び、そしてルドルフ・シュタイナーの思想に影響を受けたヨーゼフ・ボイスの〈7000本の樫の木〉プロジェクトに霊的な解釈を見出す。どんなに権力側から弾圧を受けても、あるいは世間の無理解に晒されても彼らが精力的な活動を貫いた背景には、現世の不平等に対する強い怒りと批判、それを支える強靭な理論構築があったことが会場に置かれた資料から読み取れる。また、古代の神々を復活させるという共通の意図も見出せ、近代化が抑圧してきた多数性の回復を彼らは試みたが、一方の権力はまさにそれを恐れたと言える。宗教は求心的なカリスマを生むが、合理主義に対する批判的な神秘主義の考えをもっと民主的に広めるのに、ボイスや松澤宥は美術という手段を選択したのかもしれない。

出口王仁三郎の耀盌(個人蔵、手前)、金井南龍《高千穂と山王龍》(さすら蔵、足利市立美術館寄託、一番右)、など展示風景[撮影:木暮伸也]

信仰と共同体

それを考えるのに相応しかったのが高山明/Port Bによる《続・聖務日課 あかつきの村ウォーク》だろう。関東平野の境界部が赤城山へと少し上がった丘に、1979年「エマウス運動」のコミューンとして「あかつきの村」が設立された。セザンヌで卒論を書いた石川神父は、土地の開墾と廃品回収をしながらアルコール依存症や発達障害を抱えた人たちとの生活共同体を開始し、1982年に「ベトナム難民定住センター」となったあと1999年までに300名近くの難民を受け入れてきた。2012年に石川神父は亡くなり、現在は社会福祉法人として活動を続けている。私たちは2016年に高山明/Port Bと一緒に、精神を患いこの施設で暮らすサンさんと献身的に彼の面倒を見る佐藤明子さんと出会った。その経験をもとに映像、朗読、フォーラムを融合させた《前橋聖務日課》が2016年に美術館で展示/上演されたが、今回は来場者が「あかつきの村」へ足を運び、スマホなどでQRコードを読み込むと流れる映像や音声を聞きながら施設の中を歩き回る手法を取った。過去40年間の活動は、想像を絶する困難や周囲の無理解の連続だったことは間違いない。しかし、壁や柵を建てることもなく、入り口にはリサイクル品を売るバザーがあり、元難民の男性が建物や看板を手づくりでつくり変え続け、風通しの良い場のありかたを維持してきたことがよくわかる。報道なども「あかつきの村」の存在を伝えてきたが、この作品によって多くの美術館来場者が、実際の地形と建物に身を置いてその足跡を辿ることができ、その意味は大きいはずだ。すでに多くの難民や障害を抱えた人たちは「あかつきの村」を去っているが、冬の柔らかい光がお御堂を照らし出す夕暮れにここを訪れると時間が止まったように感じ、信仰の有無に関係なく、人間の小さな営為は自然や宇宙の全体性のなかで調和がとれているのか自問するような経験をしたのではないだろうか。特に映像に登場する佐藤さんが実際に訪問者に柔らかく語りかけ、ときには自分の部屋でオルガンを弾くといった、高山も設定していなかったような出来事も頻繁に起き、この「上演」は強い印象を来場者にもたらした。

「あかつきの村」御堂内部[撮影:木暮伸也]

宗教は長い人類の歴史で繰り返されてきた戦争や差別や迫害などの苦難と向き合ってきた。高山の関心は、設立した宗教家を失った後に、どのようにこの共同体が維持され人々の生と寄り添っているのかという点にも向かっている。宗教もまた権力に利用され、差別を産み出した歴史を持ち、宗教や封建主義に縛られた共同体を脱して個人の自由に尊厳を与えることで築き上げられたのが近代民主主義の価値観だ。近代芸術は都市の新しい文化を享受する個人、あるいは異邦人や亡命者たちによって推し進められた。その恩恵には計り知れないものがあるが、神や絶対権力なき後の人間中心主義が科学や資本を道具に暴力と搾取を繰り返す現実は続いている。科学と資本は植民地主義的暴力を「美術館」や「アート」に埋め込み、そのことへの批判はいまも繰り返されている。コミューンなどを生み出したユートピア思想にも、美術における「横断」の願望にも、空間(トポス)を確保する領域性を感じる。どこかにもっと自由な場所があるのではないかという欲望である。移動の権利や自由を持つ特権的な者は世界中で増えているが、それが不可能あるいは望まない者も実際には多い。そうした不自由を否定する近代リベラリズムは、自由であるための主権性を求める。近代芸術のなかにもこの考えが浸透しているのは容易に見て取れる。しかし、主権とは排他的で一元的な支配を持つことであり、それは他者の自由ばかりか、自らの複数性さえ否定することになる。フーコーらが指摘するように自己同一性を強化する主張は、「自己決定」などの主権性を求める言説に簡単に忍び込んでいる。実は芸術のみならず、教育でも福祉においても、自らの意志で支配することによって自由を獲得する、という考えは根強いように思える。しかし、むしろ芸術の役割とは想像の力によって自己を完結せず非決定のままにしておくことである。

自由に制約を加えられたときに主権性を主張するのではなく、高山は誰かの語りに耳を傾けること、つまり抗議に対して電話応対をする〈Jアート・コールセンター〉を昨年の同時期に実践していた。この《あかつきの村ウォーク》もまた、観客が誰かの語りを聴き、そして歩行の運動を行なうものだった。この受動的でありながら、自分の意志で運動する経験は、これまでも彼の作品の特徴として見出せる。

本作に限らず、この視点は各アートプロジェクトの間に入ってコーディネートしている人たちが果たしている役割にも目を向けさせる。それは段取りや調整の手際良さといったマネージメントの問題ではなく、むしろ彼らが何重にも織り合わされた複数の自己をアートプロジェクトに持ち込む存在だからである。アーツ前橋では展覧会とアートプロジェクトが切り離されるのでも同一になるのでもなく、それぞれが自己完結しないために、コーディネート役が果たしている役割は大きい。 私たちにとって地域の歴史は、地域創生に活かしたいわけでもなければ、「アート」の刷新に活かしたいわけでもない。地域は過去を知る対象でもあれば、日々の生活の場でもあり、美術館が建つ場所でもある。重要なのは、表現の自由を既にあるかたちのなかに固定させず、ここに生きる者たちとの応答のなかで変容させ続けていくことなのかもしれない。


表現の生態系 世界との関係をつくりかえる

会場:アーツ前橋(群馬県前橋市千代田町5-1-16)
会期:2019年10月12日(土)~2020年1月13日(月・休)
公式サイト:http://www.artsmaebashi.jp/?p=13991

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