キュレーターズノート

地域と作家、美術館のかかわりかた──
「坂﨑隆一展 裏を返せば」

正路佐知子(福岡市美術館)

2020年02月15日号

畳に積み上げられた学校机。畳の上に敷かれた電気カーペットに横になり、見上げたスクリーンには、高校での状景が映し出されている。机には、高校生活を捉えた写真が並ぶ。彼らの表情は、倍以上の歳を重ねた者には眩しく映るが、何気ない高校生活の一場面にすぎないとも言える。熊本県阿蘇郡小国町坂本善三美術館で開催された現代美術家坂﨑隆一の個展「裏を返せば」のメイン会場での展示に対峙して、微笑ましく思うと同時に正直戸惑ってしまった。しかし学校机でつくられたオブジェを装飾する映像、写真、そして壁画制作にいたるプロセス、小国町の各所に展開する坂﨑隆一キュレーションによる高校生アーティストの作品展示の一つひとつを辿っていくなかで、美術館と坂﨑の射程に気づかされ、強く心を打たれた。

坂﨑隆一展ポスター[デザイン:尾中俊介(Calamari Inc.)]

地域とアートをつなぐ活動を美術の側から紹介する

展示風景[撮影:小田崎智裕、提供:坂本善三美術館]

坂﨑隆一は、熊本出身で福岡を拠点に活動し、展覧会の造作施工や大工仕事なども行なっている現代美術家である。artscapeでは2016年に高知・沢田マンションギャラリーでの個展「Я∃TИ∃ TOИ Oᗡ」について川浪千鶴さんが紹介されているように、造作物や掲示物を設えることで既存の空間のあり方や見方を変え、鑑賞者の立ち位置までも逆転させてしまう作品が代表作と言えるだろうか。福岡市美術館では2016年夏に開催した「歴史する!Doing history!」で出品作家としても参加し、改修工事によって失なわれることの決まっていたギャラリー控室を会場に使用し、鑑賞者は扉に穿たれた覗き窓とわずかに開いた隙間から覗くことしかできないという、デュシャンを引用したインスタレーションを発表した。

ところで坂﨑は作家活動と並行して、自身が居住する古賀市に美術館や博物館がなかったことから、子どもたちにアートと触れる機会をつくる「古賀市アートバス」の事業を2011年から開始し、2014年からは古賀東中学校で「朝勉&朝弁」の活動に取り組んできた。地域のコミュニティや自治体に働きかけ、ボランティアを募り、福岡県内の美術館との間で築いてきたネットワークも生かしながら地域とアートをつなぎ、続けられてきたこれらの地域活動は、自治体レベルあるいは学校教育の領域では注目を集めてきた。しかし、美術の活動として、美術に携わる側からの紹介は過去なかった。坂﨑の取り組みを、坂﨑の美術活動の延長線上にあるものとして、美術の側から紹介したいという坂本善三美術館・山下弘子学芸員の思いが、今回個展の実現に結びついたという。

高校生たちのポテンシャル

展覧会開催の1年以上前から小国町のリサーチは開始されたが、当然のことながら地域ごとに抱える問題は異なる。福岡市のベッドタウンとして発展してきた福岡県古賀市では朝食を食べない家庭が多く、早起きや勉強の習慣もないという現実があり、その状況に対する解決策として「朝勉&朝弁」が実施されてきたが、熊本県阿蘇郡小国町の子どもたちは朝食を食べないということはまずないようだった。美術館もある小国町では小学校、中学校の全学年が毎年授業の一環として一度は美術館を訪れる。小国の人々にとって美術館は身近な場所としてすでにあった。古賀市での成功例を別の地域に再インストールしても意味がないのは明らかだった。この地に向き合い、何ができるのか考えるなかで坂﨑は、坂本善三美術館がこれまでに小国町の小学校や中学校、そして地域と連携した活動を行なってきているにもかかわらず、高校が未開拓の領域であることに着目する。小国町にある唯一の高校、熊本県立小国高等学校には美術の授業がないという状況も後押しした。高校との交渉の末、坂﨑隆一の一日高校入学が実現した。

一日高校入学の様子[提供:坂本善三美術館]

2019年夏の一日、坂﨑は制服を借りて高校生になりきり、小国高校の3年1組で一日を過ごした。それは教師と生徒という関係ではなく、高校生たちとフラットな関係を築き、彼らの日常に介入するために必要なものだったが、美術の授業もなければ美術を教えられる教師もいない高校に現代美術家がやってきて、美術を教えに来るのではなくただ一緒に授業を受けて話をするのみという状況は、絵を描くことや造形物をつくることだけが美術ではない、ということを生徒たちに暗に伝えていたかもしれない。

高校生体験は一日限りだったが、その後も何度か高校に赴き生徒たちと接するなかで、坂﨑は小国町の高校生の姿に魅了されていったという。そしてその姿を地域に、ストレートに伝えていく必要を感じていく。夏休み期間中に高校生自由参加の壁画制作(そのモチーフは高校生たちの大切なものの形から取られている)を行ない文化祭で公開し、本展会期中には、坂﨑がキュレーションし、小国高校で出会った独特の制作活動をする高校生数名の作品を小国町の各所に展示したり、制作場所とキャンバスを用意し、高校生による公開制作やワークショップを行なった。展示会場となったのは、小国町の秘湯「寺尾野温泉」、居酒屋「居食屋まんま」、そしてカフェ「縁屋」である。会場を小国町のあちこちに置いたのは、ツアー形式をとることで遠方からの来訪者に小国町の魅力を伝えるための仕掛けでもあった。公開制作とワークショップの会場となったカフェ「縁屋」は、学校帰りに立ち寄れる場所がなかったという高校生たちの新たな居場所にもなった。そして町民たちは、高校生たちと直に接し、彼らのポテンシャルに気づいていく。

壁画制作風景[提供:坂本善三美術館]

「寺尾野温泉」での展示風景[撮影:小田崎智裕、提供:坂本善三美術館]

カフェ「縁屋」での展示風景[撮影:小田崎智裕、提供:坂本善三美術館]

「縁屋」でのワークショップ風景[提供:坂本善三美術館]

「そこから何が生まれてもいい」

美術館でのインスタレーションに用いられていた学校机は、小国高校で使用されなくなった1クラス分の机を借りたものだという。写真や映像を見るために机に近寄り、あるいは下から見上げると、過去に使用されていた痕跡が目に入る。実は子どもの数が減るなか、高校の存続も町が直面する問題だった。

「ものごとを新たな角度から見る視点」こそが坂﨑の美術活動の根本と考える山下学芸員は、今回、坂崎にいつものまなざしで小国町を見てもらうことこそが重要だったと語る。驚くべきは、「そこから何が生まれてもいい」という美術館と学芸員の懐の深さだ。「アートであれば課題が課題かどうかわからないところから始めることができるし、皆で進めていくうちに見えてくるものがある」というその信念は、長年にわたり地域の拠点として機能し、地域コミュニティへのさまざまな働きかけから、町民の能動的な参加や活動を促してきた坂本善三美術館だからこそ説得力がある。坂﨑は1年で成果を出して完了とするのではなく、2019年度は種まきの年と覚悟を決めたという(行政のもとにある公立美術館での展覧会事業においては、単年度ごとの考え方から逃れられず、継続が難しいものだが、それを可能にさせる坂本善三美術館の力にも拍手を送りたい)。「裏を返せば」は坂﨑隆一の小国町との、そして小国高校とのこれから長く続くだろうプロジェクトの序章でもあった。


シリーズ アートの風 vol.9
坂﨑隆一展 裏を返せば

会場:坂本善三美術館(熊本県阿蘇郡小国町黒渕2877)
会期:2019年11月15日(金)~2020年1月19日(日)
公式サイト:https://urawokaeseba.hatenablog.com/