キュレーターズノート
地方コンテンツとしての博物館
──湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)
角奈緒子(広島市現代美術館)
2020年03月15日号
広島県北部、中国地方でいうとほぼ中心部に、三次という市があることをご存知だろうか。三次と書いて「みよし」と読む。島根県に隣接し、かつては山陽と山陰とを結ぶ要衝の地として栄えたという。浅野家が藩主を務めた江戸時代には、広島藩の支藩である三次藩として立藩した時期もあった。なるほど旧街道には、卯建のある古い商家が建ち並び、城下町や宿場町として賑わった時代の面影が感じられる、風情のある街並みが残る。
今回のレポートでは、2019年4月、その三次市に新しくできた博物館、湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)を取り上げようと思う。
豊かな街、三次
山間に位置するこの三次市、都市の規模的にはけっして大きいとは言えないのだが、思いの外、豊かなのではないかと思うのだ。例えば「文化施設」に着目してみよう。もっとも知られているのは、おそらく「奥田元宋・小由女美術館」(2006年開館)だろうか。三次市生まれの日本画家、奥田元宋と、人形作家、奥田小由女の夫婦の名前を館名に掲げた美術館で、両作家の作品を所蔵、展示するのはもちろん、定期的に特別展も開催している。また、最近で言えば(と言ってももう2014年のことになるが)、青木淳氏による建築設計の「三次市民ホールきりり」が竣工している。歴史系施設としては、知る人ぞ知る「広島県立みよし風土記の丘」(1979年開園)がある。なかなかユニークな県立のこの施設では、中国地方で最大級の古墳密集地域が広域的に保存、公開されている。復元された竪穴住居や高床倉庫など、古墳時代の代表的な建物も体験でき、筆者も小学生の頃に訪れたときのことを強烈に覚えている。スポーツ施設としては、大型遊具を備えたプレイグラウンド、野球スタジアム、体育館やテニスコートなどを含む、みよし運動公園(1993年開園)が完備されている。その向かいには、広島三次ワイナリーまである。三次はぶどうの栽培にも取り組んでおり、特にブランドぶどうの「三次ピオーネ」は有名だが、地元の農産物を活用した加工品にも力を入れていることが窺える。そのほかにも、素朴ながら鮮やかな色付けで非常に可愛らしい三次人形は伝統工芸品として知られているし、かつては生計を立てるための漁業形態として発展し、今は観光として有名な三次鵜飼は、県の無形民俗文化財に指定されている。
なぜ、「もののけ」なのか
これだけでも、山間部の一地方が抱えるコンテンツとして、十分充実しているように思えるのだが、さらに『稲生物怪録』という妖怪物語まで存在する。江戸時代中期の三次に実在した人物、稲生平太郎のもとに1カ月にわたって現われた妖怪たちと、それに耐え続けた平太郎の物語で、江戸時代中期より、絵本や絵巻などさまざまな形態で継承され、明治以降になると、講談、小説、戯曲作品としても取り上げられ、最近ではマンガや神楽などにもなるほど人気なのだそうだ。
「妖怪」といえば、筆者なぞは水木しげるによる「ゲゲゲの鬼太郎」を一番に思い浮かべるのだが、宮崎駿の映画「もののけ姫」だったり、とてもキュートな「ポケモン」たちもいれば、いまだ記憶に新しい「妖怪ウォッチ」など、それこそ世代によって、記憶されている妖怪モノは異なるにちがいない。逆にいえば、日本ではいつの時代にも妖怪ブームがあって、私たちには遺伝子レベルで先天的に、妖怪・もののけ好きが備わっているような気がしてならない。そんな日本で、しかも物怪が実際に跋扈したと言い伝えられる地域が、妖怪を利用しないはずがない。三次市の行政が、国内でも珍しい「妖怪に特化した博物館」を設置したのも大きくうなずける。たとえ町おこしが主目的だったとしても、三次市のやり方に好感がもてるのは、芸術による町おこし路線はキープしつつ、さらに「妖怪」という手堅いテーマまでをも味方にし、一過性のイヴェントとして終わらない、博物館施設をあえてもつという選択をした点だろうか。というのもいまや、地方における、自治体主催のビエンナーレや芸術祭といったアートイヴェントによる町おこしの効果と持続性に対する懐疑的な見方がないわけではない(開催回数を重ね、すでに定着化したものはその限りではないが)。芸術祭の新規立ち上げに舵を切る地方自治体は一時期ほど多くないにせよ、それでもまだそのような動きがなくなっているわけでもない。昨年のあいちトリエンナーレでの騒動によって、二の足を踏んでいる地方自治体もおそらくあるに違いないなか、三次市の決断は潔く映らないだろうか。むろん、いまさらハコモノ?などの反対意見もなくはないだろう。是非はさておき、妖怪博物館の建物は、「三次地区の観光拠点となる文化観光ガイダンス施設」と位置づけられた「三次地区文化・観光まちづくり交流館」に隣接し、広い中庭を有する同じ敷地内に建っている。
瓦屋根の平屋といった純和風様式で、立派だが控えめな外観、コンパクトなサイズ感、そして交流館とセット。博物館なんて小難しそうだし、つまらなさそう、などというネガティヴな印象を少しでも持たれないよう考慮したかのような、よい意味でのこれらの「ゆるさ」をあえて前面に押し出した。この路線が功を奏したのか、開館2カ月で来館者5万人、5カ月目には10万人を達成したというのだから、掴みはオーケー、滑り出しは大成功といえるだろう。
博物館の常設展示
この博物館は、民俗学者で妖怪研究家、さらには妖怪モノのコレクターでもある湯本豪一氏から寄贈された、約5,000点あまりの作品や資料が、コレクションの核となっている。なるほど、博物館の正式名称に、湯本氏の名前が掲げられているのはそういうことかと合点がゆく。
建物のエントランスに堂々設置されているのは、タッチパネル仕様の巨大モニター4台。デジタルデバイスによる妖怪データベースでは、気になる妖怪を自由に調べて学ぶことができる(画面に外光が反射して、たいへん見づらいのが玉に瑕)。
自動ドアで仕切られた展示室内に入ると、すだれに浮かび上がる妖怪たちが出迎えてくれる。その先に進むと、絵巻物風に設えられたスクリーンが卓上に設置され、プロジェクションされた妖怪たちが跋扈する。ちなみに、妖怪に触れると反応する、いわゆるインタラクティヴな仕掛けとなっている。
昨今の新設博物館での流行に漏れず、のっけからデジタル技術がフル活用されている。展示室は、常設展示エリアと企画展エリアとに分かれており、前者には「日本の妖怪」や「幻獣、あらわる」といったセクションが設けられている。
災害や疫病など、人智を超えた自然現象に対する畏怖や、人々が漠然と心に抱いている不安などから生み出されてきた妖怪たちが、絵画や書籍のみならず、衣類や食器などの日用品、かるたといった玩具などにもあしらわれ、想像以上に日常生活に取り込まれていたことを改めて知ることとなった。基本的に、一次資料としての作品そのものが展示される美術館とは異なり、博物館では常套手段なのかもしれないが、現物資料の展示のほか、パネル・ジオラマなどによる再現・製作物、さらにはデジタルコンテンツも加わり、盛りに盛られた展示が繰り広げられる。
常設展示でもうひとつ欠かせないのは、言うまでもなく『稲生物怪録』の特集展示である。展示室入口に突如現れる、数寄屋門のような作り物の門に違和感を覚えながら中に入ると、ガラスケースに、主に絵巻や本が陳列された、いたってオーソドックスな展示が展開。複数のバージョンが存在する『稲生物怪録』を比較しながら、物語を紹介するととともに、表現の相違などがパネルで解説される。
その隣の比較的広めの空間には、先ほど見た展示室とは趣向が180度異なる一大エンターテインメントが用意されている。その名も「チームラボ 妖怪遊園地」。
このコンテンツがどういう位置づけなのか、つまりほかの作品や資料同様、所蔵作品として扱われるがゆえに常設展示室にて紹介されているのか、それとも、開館を記念すべく、エンタメ的賑わい創出の一端を担う期間限定の演出なのかは定かではないが、全展示室の広さに対してチームラボの占める割合が極めて高いのは非常に気になる。参加者が塗り絵をした妖怪が壁面スクリーンに登場するプログラムや、妖怪たちと撮影したかのような写真が撮れる装置など、意味がないとまで言うつもりはないが、博物館の「展示室内」に、つまり作品や資料と同列で紹介されるべき内容のプログラムなのかは疑問が残る。
なお、企画展示室では、収蔵品の中から、妖怪のモチーフがあしらわれた服飾を紹介する「粋か妖艶か 妖怪ファッション展」が開催されていた。
この博物館の、唯一無二の特徴である「妖怪」というテーマ・内容が、人々に行ってみたいと思わせる大きな動機のひとつであることは間違いない。開館してしばらくは物珍しさも手伝って、多くの来館者が見込めるだろう。チームラボによるコンテンツの集客力も、もちろんまだ大きいだろう。しかしながら、人はすぐに飽きるものである。そうなったときにこそ、博物館としての真価が問われるだろう。この妖怪博物館も、たんなる観光施設ではなく、何度でも足を運びたくなるような、魅力ある安定した博物館に成熟していくことを期待したい。
湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)
住所:広島県三次市三次町1691番地4
公式サイト:https://miyoshi-mononoke.jp