2020年06月01日号
次回6月15日更新予定

キュレーターズノート

「ローカル」とは何か:青森県立美術館の二つの展覧会をめぐって

工藤健志(青森県立美術館)

2020年03月15日号

青森県立美術館の2019年度下半期は「青森」の風土に根ざした地域密着型、問題提起型の展示が続いた。「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」(2019年10月5日〜12月1日)と、「ローカルカラーは何の色? ―写真家・向井弘とその時代―」(2019年12月21日〜2020年3月15日)がそれである。いずれも青森のローカル性に根拠をおく企画でありながら、キュレーションとしては対照的で、それぞれに「展覧会」の豊かな可能性が認められた。



「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」展示風景(展示室A)[撮影:大西正一]



「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」


「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」は、奥脇嵩大学芸員のキュレーションによる企画展として開催された。言うまでもなく、現在の青森県は全国有数の農業生産地であるが、それは長い年月にわたる人々の想いや営みの堆積のもとに成り立つものである。例えば、りんご栽培ではさまざまな品種改良や病害虫対策の歴史があり、十和田市や六ヶ所村では厳しい環境下での大規模開拓事業が行なわれ、農地が整えられている。大地を耕し、種を交配させ、育成し、生命を維持していくための「材」もしくは「財」となる農業は、人間の根源的活動および文化的生活と密接に結びつくものなのだ。本展は、そうした農業の「価値」を過去の作品や資料、各種アートプロジェクトの成果をとおして検証し、未来に資する新たな力を導き出すことを目的としているように思われた。



「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」展示風景(展示室A)[撮影:大西正一]


導入部となる展示室Aは床も含め一面真っ白の大きな空間であるが、そこには雨宮庸介の手による本物と見紛うかのような彫刻のりんごがガラスケース内にポツンと展示されていた。さらに壁面の一部がくり抜かれ、壁の向こうのバックヤードからは作品制作のためのリサーチの一部が垣間見えるようになっている。近代農学は科学実験の繰り返しによって発展してきたが、われわれの口にしているりんごもまたさまざまな品種改良や栽培技術の革新を経て今の存在がある。一方、作品もまたそうした作家の試行錯誤のうえに完成するものであることをこのインスタレーションは暗示しているかのようであり、展示室はさながら農業とアートが融合したパイロットファームのような印象を有していた。

続く土壁とタタキの床を持つ展示室Bでは青森の農民画家として知られる常田健の土俗的作品、農耕的な主題に関連したラスキンやミレーの版画作品のみならず、作物の種子や農具から江渡狄嶺、宮沢賢治らによる「農民芸術」の思想までもが併置され、まるで農耕の現場にいるような錯覚を抱かせてくれた。この二つの展示室によって、農の「学」と「業」、それぞれのエッセンスが、各展示室の空間的特徴と相まって明確に伝わってくる。古来より大地を耕し、土と交わってきた人間のさまざまな思想、態度、営みの諸相を、こうした農業とアートの等価的な接触をとおして浮かび上がらせようとする試みは、双方の価値観を刷新することにもつながっていくだろう。「文化」(culture)という言葉が「耕す」(colere)に由来することからも明らかなように、農業と文化は本来近接した関係のもとにある。人間一人ひとりの「生」を支え、人と人が結合した「コミュニティ」を作り出し、生活をより豊かにする「創造力」の源泉となるのが元来の農業であり、文化なのだ。



「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」展示風景(展示室B)[撮影:大西正一]


そうした認識のもとに会場を進めば、難解な「現代美術」のフレームで語られるであろうリ・ビンユアン、丹羽良徳の映像作品や、千葉県の不耕作地に設営した「耕す家」を拠点に農耕とアートが交錯するプロジェクトを行なったアーティスト・コレクティブ、オル太の一見破天荒なドキュメントも、けっして独善的なものではないことがわかる。土地の開拓や農業を主題とした子供たちの集団制作による木版画作品や、美術館での米づくり体験を踏まえて青森の人々と共同制作した大小島真木の巨大絵画作品を含め、展覧会の出品作はすべてしっかりと大地に根をはった、農業的な営みと同義の創造活動の成果であることが理解できるだろう。アウトプットの手法はそれぞれ異なるが、いずれの作品も人間の根源的な欲求と感覚に基づく営為であることは共通していた。

企画展示室の中央に位置する展示室CとEには自然の循環に沿って万人が平等に農耕を行なう生活の在り方を重視した青森ゆかりの思想家・医師、安藤昌益の思想が掲げられていたが、「天地自然が万物を生み出す働きと 人びとが十穀を育てる生産労働がつながるとき 自然と人間との調和世界は無限に続いていく」(『「青森EARTH2019」カタログ』、青森県立美術館、p.115から引用)などの言葉の呪術的効果が展示室全体に作用し、展覧会を貫く通奏低音となっていたこともあわせて付記しておきたい。農耕は本来、芸能と密接な結びつきを持っているが、本展もまた人間の根源的意識を刺激する祝祭性、呪術性に富むもので、その効果はさながら小屋掛けの芸能のように空間の全体に広がり、充満していた。



「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」展示風景(展示室C)[撮影:大西正一]


展覧会という仕組みにおいても、流行の国際芸術祭をはじめとする多種多様なアートプロジェクト、そして従来型の美術展、資料展など多くの形式が乱立するその構造をいったん解体し、農業という視点から、ひとつのシステムと空間のなかに再統合することで、アートの役割や意義のみならず、展覧会そのものの可能性までもが問い直されていた。時代や地域はもとより表現ジャンルも横断しながら配置された作品、資料の意外な接続。そうして出現した展示室相互をさらに観客が自由に接続できるよう構成することで、展覧会として多義的な解釈の余地が生じる仕掛けとなっていた(これは一例に過ぎないが、僕はこれまで常田健の作品を時代の要請による政治的絵画の典型と解釈していたが、今回のような文脈のなかに置かれると今まで気づかなかった常田の個性がはっきり浮かび上がってくるかのようであった)。

農業とアートの往復運動から双方の概念を問い直し、農業とアートの新しい実り(思考)~収穫(理解)をとおして、人間の生きる力、表現する力にリアリティを与える装置として機能する展覧会。異常気象、自然災害が続き、疫病が蔓延する不穏な時代だからこそ、いまわれわれには「たとえ世界が明日滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える」(伝マルティン・ルター)という意志が必要なのではなかろうか。



「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」展示風景(展示室E)[撮影:大西正一]



「ローカルカラーは何の色? ―写真家・向井弘とその時代―」


そしてもう1本は、コレクション展(常設展)の中の「特別企画」として開催された「ローカルカラーは何の色? ―写真家・向井弘とその時代―」。キュレーションは高橋しげみ学芸員が担当。青森を創作の現場とし、「ローカル」という問題に正面から取り組んだ写真家向井弘(1931−2003)の仕事を中心に、1972年から1985年まで全20号が発行された写真同人誌『イマージュ・IMAGE』(以下『イマージュ』)に集まった同人の作品を一堂に紹介する企画である。



「ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—」展会場風景


彼らが追い求めた表現とはいったい何だったのか。それは、「なぜ津軽を撮るとき、小島一郎の『津軽』と、内藤正敏の『婆バクハツ!』の二つのパターンしか写らないのか」、「もう一つの津軽は可能か!」という向井の言葉に端的に示されており、展示においても小島一郎や澤田教一など東京/中央のアートシーンで評価された写真家の作品との比較から、向井らが目指した表現の本質が明らかにされていく。津軽や下北の厳しい自然とそこに暮らす人々を主な被写体とし、角巻を被り、背を丸めて雪原を歩く人々、過酷な農作業の様子、農耕馬やソリ、朽ちかけた小屋などを覆い焼きといった技法を駆使して強烈なコントラストのもとに描出した小島の作品は、当時中央/権威が求めた北国/辺境のイメージと合致し、大きな支持を得る。そんなステレオタイプ化され、消費されていく「地方」に対し、中央の視線を意識するのではなく、自らが生活する土地にしっかりと根をはりながらローカリティとは何かを問い続けたのが向井をはじめとする『イマージュ』の同人たちであった。向井は自身の意識の持ち方や地域に対する認識をまず疑い、すべてを混沌のなかへと還元して、そこから新しい「地方色」の可能性を探り出そうとした。草創期の『イマージュ』に収録されている作品を見ると、同じ青森を取材しながらも、小島の世界観とは対極にあるような、匿名性の強い街の光景や、そこに暮らす多くの人々のありふれた日常がモチーフに選ばれている。しかも、それらをストレートに捉えるのではなく、むしろ中平卓馬や森山大道など同時代の前衛写真との関連性が指摘できる実験的表現を志向していたことが読み取れる。つまり青森という地域を「素材」としてではなく、表現を生み出すための「場」として位置づけているのだ。視覚的にはいわゆる青森らしさを感じさせるイメージこそ少ないが、そこには確かに青森という場の力が内包されている。いわば青森という「ローカル」からの論理的推論であり、個から普遍を見出そうとする試みのようにも感じられた。



「ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—」展会場風景


本展では同人誌『イマージュ』を起点として、その創刊から終刊までの展開を紹介し、表現の変質を追っていく。ロゴデザインや編集後記などの資料も添えられており、作家たちの熱量や感情の推移、時代性の変化など、『イマージュ』が終刊へと至る経緯が客観化されている点も見逃せない。そこから展示は、同人の向井弘、原田メイゴ、赤川健太郎、塚本義則、木村正一、木村勝憲、伊藤俊幸の作品を個展に近い形式で紹介していく。各作家の作品を、『イマージュ』の存在を意識しながら見ていくと、さまざまな分析、解釈ができると同時に、青森の戦後写真史に『イマージュ』が果たした影響の大きさが浮かび上がってくる。さらに今回の展示では、『イマージュ』の同人たちと交流のあった秋山亮二、柳沢信の作品も付加され、ローカルな青森の写真動向に批評的視座を持たせていた。また晩年の向井から薫陶を受けた沼田つよしの作品をとおして、向井の芸術的信念が青森で現在どのように継承されているかについても検証が加えられる。中央/権威から規定された「ローカル」を否定し、自らのアイデンティティの問題として捉え直し、その思考と表現を深化させていった向井らの仕事には、ローカルがグローバルの対義ではなく、同義となりえることが示唆されている。



「ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—」展会場風景


向井、そして『イマージュ』の本格的な紹介は今回がはじめてであるが、遺族のもとに残された膨大な作品、資料の綿密な調査を踏まえ、その総体を明らかにした本展は、戦後日本写真史の埋もれた活動に光を当てた。同時に、ともすれば展覧会に市場原理を導入しがちな昨今の美術館状況のなか、ローカルな美術館の本来的役割に立ち返り、その存在意義を存分に示しえた展覧会であったように思う。



「ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—」展会場風景


以上はともにローカリティに根差し、ローカルの概念を問い直す企画であった。「青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来」では個々の作品、資料が発する力によって空間内に磁場を形成することで、ローカリティを「体感」させてくれた。片や「ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—」は見る者の意識を作品へと「没入」させることによってローカルに対する思索を深めていく手法が採られていた。その対比も強く印象に残る2本の展覧会であった。



「ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—」展会場風景


青森EARTH2019:いのち耕す場所 ──農業がひらくアートの未来

会場:青森県立美術館(青森県青森市安田字近野185)
会期:2019年10月5日(土)~12月1日(日)
公式サイト:http://www.aomori-museum.jp/ja/event/88/

ローカルカラーは何の色? —写真家・向井弘とその時代—

会場:青森県立美術館(青森県青森市安田字近野185)
会期:2019年12月21日(土)~2020年3月15日(日)
公式サイト:http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/128/#anchor1

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