2020年06月01日号
次回6月15日更新予定

キュレーターズノート

美術を生活の連続性のなかに置くこと──
ポストコロナ時代のアーティスト・イン・レジデンスを考える

住友文彦(アーツ前橋)

2020年05月15日号

さて困った。数カ月前に見た展覧会を振り返るのがいいか、それともオンラインで展開されている展覧会を見た感想を書くのがいいのか。しかし、どちらもいまの気持ちとうまく合致しない。ここは学芸員が見てきたことを書く連載なので、もっと素直に日記のような記録でもいいかと思ったが、それは別の出版社向けに書いてしまった。目下のところ、頭のなかを大きく占めている問題は「どのように活動を再開するか」ということなのは間違いない。そのなかでもっとも悩ましいプログラムはアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)である。

AIRの苦悩

作品の調査や収集は移動さえ再開できればあまり影響を受けない。展覧会についても、運輸は止まっていないので作品の移動はできるし、感染状況次第で観覧もできる。普及事業に関しては、人が集まるイベントは開催が難しいが、少人数やオンラインなどの手法で少しずつできるようになるだろう。対象が福祉施設や学校だと注意は必要だが、近隣の感染状況に応じて予定を柔軟に変更していける可能性は高い。しかし、特に海外との行き来があるAIRはどうなっていくのだろうか。モノではなく人の往来を前提にしているため、地球上のどの地域で感染が増減するかをあらかじめ予測して事業を組み立てるのは不可能に近い。数カ月の滞在をするうえで、作家は別の仕事を調整する必要もあるので、柔軟に招聘者を変更できない。また、作家と招聘側との間で感染の不安についての認識がすれ違うことも大いにありえる。とはいえ、短期間の滞在でなければ作家自身の感染については渡航の前後で隔離期間を設けることで不安を払拭できるだろう。

つまり、AIRは難易度こそ高いが実施できないわけではない。それよりも悩ましいと感じるのは、地域外から来る人に対して偏見が増大する可能性である。事業に関わる身近な範囲の人たちには丁寧に対策を説明すれば理解を得られるはずだが、むしろ実際には関わりが薄い人たちが少なからず拒絶反応を示すのではないだろうか。

竪町スタジオにおけるイルワン・アーメット&ティタ・サリーナによるインドネシア出身の学生たちとの会合(アーツ前橋2017年度滞在制作事業)

ただ、これを書いている時点で私は今後の見通しを明確に判断できていない。そこで外出がままならない現在の状況を逆手にとって、ここではAIRをめぐる過去の記憶を辿っておきたいと思う。


試行錯誤の過程に関与すること

そもそも私がAIRと出会ったのは青山のスパイラルに勤めていた24歳のときで、それは当時パイロット事業だった茨城県守谷市のアーカス・プロジェクトだった。それからほぼ四半世紀経ったわけだが、アーツ前橋では日本の公立美術館では数少ないAIR事業を実施してきた。自分自身も例えば一昨年のちょうどいま頃はイギリスのグライズデールアーツに滞在し、宿泊する条件として農作業を行なった。と言っても大したことはできず、ただの雑草取りだが……。

アーカスは主担当ではなく、たまに手伝いに行くだけの立場だったこともあるが、都心を離れて関東平野の真ん中にある元小学校のスタジオに出かけるのは楽しい体験だった。いまのようにきれいに建物や庭が整備されていなかったので作家が滞在する前に藝大の学生と掃除をしたり、作家の要望を聞いてホームセンターへ買い出しに行ったり、周囲の人への交渉のための通訳をして、夜はみんなでご飯を食べる。アジアの作家が手料理をふるまって、自国の映画を上映してお酒を飲みながら過ごした時間も忘れがたい記憶として残っている。まだ若かったこともあるが、おしゃべりして制作を手伝い、そこには仕事か趣味かの区別もほぼなかったような気がする。もちろん、作家の個別名を挙げるのはあえて控えておくが、そのキャリアにおいて重要な作品の制作から学ぶことも多かった。オープンスタジオやトークなどでどこかよそ行きの姿となる作品のお披露目の機会よりも、まだ形が見えない段階で試行錯誤する制作過程に関与することから多くのことを得ていたはずだ。そのなかで、お互いに断片でしかないアイデアを手掛かりに、想像力を強く働かせることがいかに大事なことだったか。個人の思いが沈殿していた底から解き放たれていくときに、なんとかその輪郭をなぞろうとする想像力の交換は、美術の魅力の大きな部分を占めるものに違いない。その交換の瞬間は、素材やアイデアスケッチを眼にしているときだけでなく、運転しているとき、食事をしているときなど、いつでも訪れる。

その後、金沢21世紀美術館の開館準備をしていた30代前半には、同じ金沢市の美術大学と共同でAIR事業を行なった。このときは、大学が持つ作品制作のスキルを積極的に活用することを目的にしていた。つまり現代美術から伝統工芸まで、素材を扱う幅広い知識の蓄積と技術に招聘作家が関わるプロジェクト型のAIRだった。そのためアーカスよりもベテランの作家を招くことになり、学生にとっては大学の教員とは別の先生と接するような機会だったかもしれない。ここでも作品の完成やプレゼンテーションよりも、その過程での美大の教員との話し合いや技術協力、学生との交流に重点が置かれていた。展覧会への参加でもなく、大学の正式な授業でもない、そうした制度の間隙に置かれる自由を得ることで、逆に展覧会や学校の役割も考えさせられた。作品を展示しなくても、授業を行なわなくても、しっかり話して考え、手を動かすことを何度も繰り返していくだけで、十分に作家の考えや価値観を伝えることができるという実感もAIRを通して得た気がする。それは本来なら商品流通や生産性を優位に置く資本主義的なシステムからこぼれて落ちていく、ミュージアムや教育の実践においてもっとも大事なことであるはずだ。

アーツ前橋におけるAIR

伝統的な方法で絹の製糸を行なう職人に青の着色を頼むケレン・ベンベニスティ(アーツ前橋2017年度滞在制作事業)


そして、2010年にアーツ前橋の開館準備に関わるときにもAIRを実施した。これについては何度か書いたことがあるので詳細は省くが、学芸員と行政が開館を準備する期間に作家との密な関係を育む時間を持てたのはとても良かったと思っている。その理由は、大まかに二つ挙げられる。ひとつは、制作の試行が作品のアイデアや想像の幅を拡張させるからだ。展示で見る作品はいろいろな条件のなかで最終的に形を持って現われたものだが、その過程には形を持ちえなかったさまざまなプランがある。基本的に当館のAIRは、作品の完成を目指すことや展覧会への参加は条件ではなく、パブリックプログラムを一回行なうことと、滞在中に考えたアイデアを私たちと共有することだけを頼んでいる。展示作品が成立する条件というのは、物理的な制約だけでなく、予算やマネージメントによる制約のことを指すのかもしれない。実現できることとできないことの間を構造的に理解することで、もっと自由な可能性について考えることができる。AIRを、多くの鑑賞者が見る、あるいは輸送や予算などの制約が取り払われた発想の実験場として見なす考えだ。さらに、そのアイデアが実現できるタイミングで、後から作家に声をかけることもありえる。もちろん普段の生活圏内でも新しい発想は生まれるが、AIRは別の場所に行ってその発想を誰かと交換できる点が違う。その意味で、現地の作家のコミュニティへの関与もとても大きな意味を持つし、お互い考えたことに触発される可能性もある。

ちなみに、この3月にはAIR事業で三枝愛が滞在し、スタジオ提供事業を飯沢康輔が利用していた。当館の臨時休館が決まったときに開催していた展覧会の参加作家たちと二人が参加した話し合いのなかから、搬出する作品をいったん1階ガラス面に留め置くことで、閉じられたブラインドを開けておくアイデアが生まれた。作品は展示室に置かれたときとは違う相貌を見せ、通りがかりの人に「ここに作品がある、ここに美術館がある」というメッセージを送っていた。

こうした実験のための場はどんなときでも社会に不可欠だと思う。それは研究で言えば基礎研究のようなもので、失敗を許容する性質のものだ。通常考えないようなことを思いつき、それをときには実施可能にする。個人のなかに留めずアイデアとして他人と共有できるものにする。現在の感染拡大が進む状況のなかで、表現活動をやめないためにはどうすればいいか地元の作家や関係者たちと話し合う行為もきっと同様の意味を持つ。近隣住民からすれば迷惑で共有するのが難しい意見もなかにはあるだろう。でも、それを個人のなかに留めず外に出してほかの誰かと安全に意見交換できる場を確保しないといけない。AIRは、その場所の共同体の外側から誰かがやってきて、異なる物の見方や感覚を持ち込む機会をもたらしてくれる。そこには摩擦や交渉が生まれたり、拒絶やすれ違いも起こりうる。でも、それが起きないと、来訪者も受入側もこれまでと異なる発想への許容度が上がらない。

AIRを実施することの二つ目の意義は、美術を生活との連続線上に置く点である。毎日、淡々と生活と制作は繰り返される。基本的にひとりでスタジオで過ごす時間が長いという作家のライフスタイルは、現在私たちが経験している巣ごもり生活に近いかもしれない。食事をして少し体を動かすために散歩して制作を行なう。会社勤めや商売の仕事と比較すれば、こうした作家の生活は、圧倒的に人との接触が少なくても問題ないだろう。基本的に、生活の営みと仕事は連続している。私たちは滞在アーティストの仕事や家族のことから、ときには日々の体調や持病などと関わることもある。おそらく現在大勢の人が在宅勤務によって三度の食事、掃除、家族のケアなどの家事労働と仕事を同じ場所で行なう生活を送っているが、それはきっとさまざまな気づきをもたらしているし、それらはAIRを通して気づくことにも重なる。

ちなみに、もちろん生活感覚や個人のバイオグラフィーに根差した作品理解を推奨しているわけではなく、管理されない時間のもとに生があるということに気づく体験が重要だ。作品は情報の伝達によって産み出されるのではなく、生を維持する身体を介して産み出される。本来なら有機的に連続しているはずの生の時間からある部分が切り離されて作品として抽出される仕組みを美術の制度はつくり上げているが、もしかしたら、作品はずっとつくり続けていくこともできるかもしれない。生を細かく分断して切り売りするような仕組みと別の時間のなかにAIRは存在しており、その事実にこそ価値がある。


AIRは「不要不急」か

いまはどちらかというと内省的な時間を過ごすことが多いため、今回は過去のことを振り返りながらAIR事業が持つ役割を考えてみた。AIRは来場者の増加や普及活動の成果とも結び付けにくい。ただ「三密」状態を避け、なんとかAIRの運営を維持することもきっとできるはずだが、財政状況や内向きになっていく社会においてはその存在を顧みらえる機会を失っていきかねない。

そもそも入国制限が厳しくなると生命の危機にさらされる難民も確実に増えるだろう。あるいは技能実習生問題などで注目されていた外国人労働者の今後の行き来にも支障が出るだろう。もともと日本は近隣のアジア諸国と比べてもAIR事業が盛んとは言えない。それは、異なる価値観を持つ者たちを積極的に受け入れる社会的土壌の薄さも影響しているのではないだろうか。ほかのAIR事業を行なっている施設は今後の見通しをどのように考えているのだろうか。冒頭で記したように、国内外の人の移動に対する偏見は感染者数の減少と合わせて消えていけばいいが、AIRは「不要不急」と見なされ事業継続が難しくなっていくところが出てくるのではないかと懸念している。しかし、その意義を「国際交流」というわかりやすい言葉で理解するだけに留めておいてはいけない。今後、いろいろな事業の見直しが検討されていくなかで、私たちが美術や美術館をめぐって、何を、どのように重視しているかが問われていくことは間違いない。

アーツ前橋では、「廣瀬智央 地球はレモンのように青い」の会期を延期し再開を準備している。3月末に渡航制限がかかる直前になんとかミラノから来日し、2週間の自宅待機を経たあと作品制作や展示を行なっている廣瀬は異なる文化の間を移動し続けている作家のひとりだ。イタリアの急激な感染拡大と生の管理を経験し、そして日本でもまた異なる感染症対策を目撃している。彼はいまの状態を「ずっと止まらずに走り続けていた車が、ようやく横断歩道の前で止まれるようになったのかもね」と話していた。私たちはゆっくり歩く人や、陰に隠れて見えない人のことを想像できるようになるのだろうか。感染症対策を「正しく」実施することばかりを優先していると、私たちは大事なものを見落としてしまうかもしれない。自分をいつも「正しさ」の元に置こうとするのではなく、複雑なことを多視点的に捉えようとする彼の感性に触れられる作品を、ぜひ皆さんに見てもらいたいと願っている。


廣瀬智央 地球はレモンのように青い

会期:2020年5月22日(金)〜7月26日(日)※予定
会場:アーツ前橋(群馬県前橋市千代田町5-1-16)
公式サイト:http://www.artsmaebashi.jp/?p=14546

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