キュレーターズノート

コロナの時代における「弱さ」とは何か──
「ライフ 生きることは、表現すること」展

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2020年05月15日号

熊本市現代美術館は2月29日以来、閉館を続けている。それに伴い、4月11日に開幕予定だった「ライフ 生きることは、表現すること」展も、現在までオープン延期を余儀なくされている。できる限り早期の展示再開を目指しているが、これまでと同じように、美術館や展覧会を訪れることが難しい現状を踏まえ、この場を借りて、同展の内容を報告することとしたい。
※(2020年5月21日追記)熊本市現代美術館および「ライフ 生きることは、表現すること」展は5月21日(木)よりオープンした。

多様な人々が「ともに生きる」こと

そもそも、ライフ展は、2020年7月24日に始まる予定だった東京オリンピック・パラリンピックを念頭に置き、さまざまな立場の人が「ともに生きる」社会の構築を目指して企画された。障害や加齢、そこから生まれる困難さと向き合い、またそこに注目しながら、日々制作を続ける11組の現代アーティストからロボット研究者、そして、それを支える人までを含めて紹介する内容である。

「ライフ 生きることは、表現すること」展ポスター

展示は、熊本在住のアール・ブリュットの3人のアーティストの作品から始まる。藤岡祐機(1993-)と渡邊義紘(1989-)は、いまから約18年前、当時の熊本養護学校小学部・中学部のときに、熊本市現代美術館の開館記念展「ATTITUDE2002」に最年少で参加した。まだ小さかった二人は、その後も家族や周りの人々のサポートを受けて制作を続け、現在は国内外のさまざまな展覧会に参加するアーティストとなった。松本寛庸(1991-)と当館の出会いは2013年に開催した「アール・ブリュット・ジャポネ」展であり、元当館館長の故・桜井武は、松本の作品を高く評価し「VOCA展2015」に推薦、作品を収蔵した。

藤岡祐機《無題(切り紙)》によるインスタレーション

熊本市中心部から電車で30分ほど行った郊外に、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園がある。同園絵画クラブ金陽会メンバーとの出会いもまた、「ATTITUDE2002」であった。入所者の遠藤邦江さんが、自分の子どもがわりに大事にしてきた抱き人形の「太郎君」に美術館にお泊まりしてもらったことがきっかけとなり、「光の絵画」として金陽会作品の展示を行ない、「ATTITUDE2007」では国内外の15のハンセン病療養所で制作された美術作品を紹介した。本展では、メンバーのなかから木下今朝義(1915-2014)、大山清長(1923-2015)、森繁美(1930-2005)の作品を紹介する。同クラブメンバーの作品は一見、どこにでもあるようなアマチュア高齢者の素朴な絵画である。しかし、描かれた絵の背景を知ると、そこには、故郷や家族と離れざるをえなかった悲しみや、偏見や差別と切り離せないそれぞれの人生のありようが、静かに伝わってくる。それに合わせて、収蔵品から、熊本市西区島崎にあった私立のカトリック系ハンセン病療養所・待労院で描かれた作者不詳のキリスト像と、沖縄愛楽園入所者の上原ヨシ子さんが堕胎させられた子を埋めた浜に通い、拾い集めた貝殻を展示している。

熊本市にあったカトリック系ハンセン病療養所・待労院で描かれた作者不明のキリスト像/熊本市現代美術館蔵


「普通」と「普通でない」の間にあるもの

「今日も生きてる?」というキャッチコピーとともに、展覧会のメインビジュアルを飾ったのが片山真理(1987-)の《you’re mine #001》である。先日、第45回木村伊兵衛写真賞を受賞した片山は、その独特な身体を持ったひとりの女性の人生を、現代アーティストとしての視点から見つめる。「普通でない」身体を自覚的に作品化する一方で、「普通である」ことを目指して、人や社会を観察してその真似を続けてきた自身のなかに起こる分断や葛藤が色濃く表われる。

片山はアーツ前橋での滞在制作《30 days in tatsumachi studio》などを経て、屋外での撮影へと移行する。「帰途」の意を持つ《on the way home》は、故郷である群馬の渡良瀬川にかかる橋で撮影した。川によって分かれた二つの土地を行き来するために架けられた橋は、「普通」と「普通でない」自分を行き来してきた自身の道のりに重なる。このとき、片山は現在2歳になる長女を妊娠していた。最新作の《cannot turn the clock back-surface》や、足尾銅山で起こった鉱毒事件や水の問題に着目した《in the water》で、片山はオブジェや装飾のない自身の身体そのものを媒介として、土地の歴史や過去についての視線を向けている。

左から 片山真理《collage box》、《can not turn the clock back-surface》シリーズ、《in the water #001》 ©Mari Katayama

本展は、「現代美術館」で企画されているにもかかわらず、出品者のなかでは、いわゆる「現代アーティスト」が少数派である。豊田市美術館所蔵のソフィ・カル(1953 -)の《盲目の人々》(1986)は初期の代表作であり、生まれつき目の不自由な人に「美のイメージとは何か」と尋ね、その対話を写真と言葉で表現したインスタレーションだ。本作は、私たちが普段、何かを「見ている」と思いながら、実は何も「見ていない」ということに気づかせ、「美」とはその人の生き方や考え方のなかから、生み出されてくることを教えてくれる。

また、展覧会に異なる奥行きを持たせるのが、豊橋技術科学大学 ICD-LAB(Interaction & Communication Design Laboratory)の「弱いロボット」だ。自分でゴミを拾うことができず、誰かに助けを求める《ごみ箱ロボット》や、話そうとした物語の続きを思い出せず人に尋ねる《Talking Bones》など、思わず私たちが手を貸してしまうようなロボットたち。すべてにおいて、強さやパーフェクトさを目指す世の中は、どこか不自然で息苦しい。あえて、内在する弱さや不完全さを隠すことなく、適度に開示しながら、人との関わりを求める「引き算の発想」だという。《ごみ箱ロボット》は、ゴミを拾って入れると、「もこー!」と言いながら軽くお辞儀をする。それを聞きたくて、また思わずゴミを拾ってしまう。人間の感情の機微や情緒といった側面には、私たちがまだ気づいていないユニークな力が眠っているのかもしれない。


豊橋技術科学大学ICD-LAB「弱いロボット」


日常のなかにある創造

片山真理と共に展覧会のメインビジュアルを飾ったのが、熊本在住の「自撮りおばあちゃん」こと西本喜美子(1928-)だ。写真を撮り始めたのは、いまから約20年前の、72歳のとき。息子が主宰する写真講座「遊美塾」に通い始めて、Macの使い方を学ぶと、自室にスタジオをつくり、デジタルカメラで写真を撮って加工するようになる。西本を一躍有名にしたのは、いわゆる「自虐系」の作品だ。燃やすゴミの袋に入る、自動車にはねられる、鎖でつながれる……。社会が高齢者に対して抱くネガティブなイメージを自ら逆手にとって驚かせ、ユーモアのある笑いを生む。これらが明るい笑いを生むのは、90年の人生を歩んできたの西本の、何事も自分流で楽しもうという前向きな個性によるものだろう。腰が悪く歩行器が欠かせないが、こんな老後を送ることができれば、高齢化社会も決して悪いものではない。

熊本の「自撮りおばあちゃん」こと西本喜美子

そして展覧会の最後に登場するのは、熊本在住の作家、坂口恭平(1979-)だ。坂口の朝は早い。原稿10枚を執筆。橙書店でゲラをチェックする。ギターを自作し、陶芸やガラス、編み物の師に教えを乞う。夕方には、アトリエで絵を4枚。帰宅後、夕食をつくって家族と食べ、9時には寝る。規則正しく、かつ極めて多忙な毎日だ。坂口のこうした「日課」は、12年前に診断を受けた躁鬱病(双極性障害)との付き合いのなかから編み出されてきた。躁のときは八面六臂の大活躍をする一方で、鬱のときは、布団から起き上がれず、つねに希死念慮に苛まれる。そんな、坂口にとっての 躁鬱に対する最大の処方箋は 「創造」することだ。

それは、大げさなことではなく、「日々の料理をできるだけ自分の手でつくってみる」ように、日常のどこにでもあることだという。その日課のなかで、坂口は「自殺者ゼロ」の社会を目指して、死にたい人からの「いのっちの電話」を日々受けている。そこで語られる言葉には、何度も鬱から生き返ってきた人ならではの、説得力や、温かさ、ユーモア、そして「ともに生きよう」という思いが溢れている。


誰もが等しく肯定されるために

本展では、さまざまな障害や疾病、そして、高齢化により心身の不自由さを持ちながらも、自分の弱さを開示することでさまざまな人々の助けを借り、弱さとは何かと考える人たちの表現を紹介してきた。しかし、ここでいう弱さという特性や、少数派であることとは、ある限られた人たちだけに当てはまることではない。超高齢化社会を迎えるこれからの日本においては、誰もがいずれ、身体的・精神的な弱者になり、少数派になり得る。

奇しくも、新型コロナウイルスは、それまで普通、多数派だと思っていた自分が、一夜のうちに「感染者」となる新たな経験を私たちにもたらした。いともたやすく自らが少数派へと転じる可能性のある社会のなかで、私たちは、どのような態度や生き方を選択していくのだろうか?

残念なことに、ネット上や現実でも起こっている、感染者や、医療従事者、社会を維持することに不可欠な労働者への差別や誹謗・中傷、また自分とは異なる振る舞いをする人に向けた不寛容が日々散見される。これらのことは、私たちがハンセン病の経験から学ぶべきことが多数あり、多様な自然や人間と共存していくために、正しい知識や想像力を持つことが不可欠だということを示している。

「弱さ」のなかには、人が生きていくうえで忘れてはならない、助け合うことや共感すること、情愛を持つことといった、大切な価値観がある。そこには、私たちの誰もが等しく「生きていく」ことを肯定される社会を実現するためのヒントが、散りばめられている。



ライフ 生きることは、表現すること

会期:2020年4月11日(土)〜6月14日(日)(※)
会場:熊本市現代美術館(熊本県熊本市中央区上通町2-3 びぷれす熊日会館3階)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/life/

※5月21日(木)よりオープン。会期中の6月14日(日)まで無休(火曜日も開館)。
※会期の大幅な縮小を受け、5月1日に特設ページを立ち上げ、会場写真や動画、開設ブログなどを更新している。
特設ページ:https://www.camk.jp/exhibition/life/archive/

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