2020年11月15日号
次回12月1日更新予定

キュレーターズノート

出会いと別れにまつわる港のノスタルジー──アッセンブリッジ・ナゴヤ2020

能勢陽子(豊田市美術館)

2020年11月01日号

名古屋港は、遠くからでも大きな観覧車が見え、近づくと名古屋港ポートビルの展望室が聳えて、埠頭に行くとタロとジロの銅像が建っており、その先に海が広がっている。タロとジロは、1958年に南極の昭和基地に取り残されながら1年間生き延びた、あの健気な樺太犬である。観覧車や水族館にタロとジロ、そして競艇の場外発売場のある名古屋港は、その地の人々の暮らしが積み重なった歴史に加えて、レジャーを楽しむ場のある、どこか白昼夢めいた雰囲気が漂っている。そして港といえば、往年の映画に登場するような、「出会いと別れ」の場である。ただし、物流にともなう輸送はともかく、人々の移動がすっかり船から飛行機に代わった現在では、港の「出会いと別れ」にはどこかノスタルジーがともなう。今年で5回目を迎えたアッセンブリッジ・ナゴヤでは、港まちポットラックビルや旧・名古屋税関港寮を中心とした7カ所で、仮構性とノスタルジーを帯びたこの地だからこそ生まれた作品たちが、コロナ禍の状況のなかで展開されていた。

レジャーと中華料理店

地下鉄の駅から地上に上がると競艇の場外発売場があり、おでんや中華料理店、また焼き芋を売る八百屋などが目に入ってくる。港まちは、洒落た店で賑わう商業地区とはまた違う味わいを持っている。丸山のどかは、雀荘で働いていた経験とこのまちの持つ雰囲気を重ねて作品を設置している。旧・名古屋税関港寮には、丸山がアルバイトをしていた雀荘が2階に、そしてその下にあった中華料理店が1階に再現されている。2階のベランダから下を覗くと、「中華料理 中華樓 1F/麻雀 国際 2F」と描かれた大きな看板が庭に横たわっている。丸山のそのバイト先は、先日閉店してしまったそうである。ベニヤや角材でできたテーブルやモニター、観葉植物は、色に陰影がなく形状も平坦で、仮構的なフェイク感を与える。しかしそれは、決してよそよそしいものではない。丸山は、センスや洒脱さといったものと無縁ではないアートとは逆の関心から、特に事件性や衝撃性のないそれら日常のひとコマを象る。それは、日々の生活のなかにある人間のなんともいえない味わいに対する作家独自の愛着が、一定の距離感とともに形になったもののように見える。

丸山のどか《曖昧な風景(雀荘)》2020、木材に塗装[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

丸山のどか《曖昧な風景(ネオンサイン)》2020、木材に塗装[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

上田良は、多様な素材、色彩でできた都市をなぞって別のものに置き換え、そもそも都市というものが持っているフェイク感を、パズルやブロックのような手つきで浮かび上がらせる。港まちポットラックビルでは、戦前と戦後の塀がつながったものを「ドッキング塀」と呼び、そこを起点に屋上で撮影したシリーズが展開されている。旧・税関寮では、滞在中に毎日読んでいた新聞から気になる記事を選んで連想したドローイングからなる、ふつうだけどどこかおかしい物語が映像で流れている。さらに、異なる写真を組み合わせてできた奇態な立体作品が、和室に浮かんでいる。それらは、確かに現実から抽出されたものでありながら、異なるものと合体することで未知のイメージや物体となり、まるで奇想天外なSF小説の展開のように日常の隙間に差し挟まれる。

上田良《Xの構造体に貼り付いたオブジェ》2020[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

上田良 展示風景[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

また会う日まで

ミヤギフトシは、ポットラックビルで映像《音と変身/Sounds, Metamorphoses》(2020/愛知芸術文化センター・愛知県美術館オリジナル映像作品)を上映している。本作は、16世紀にヨーロッパに初めて渡った日本人である天正遣欧少年使節と、同時期にイタリアに生き、激しい情感表現とそれに似つかわしい性格で知られた作曲家カルロ・ジェズアルドを巡る、イタリア各地への旅が伏線になっている。そこに、キリシタン弾圧の歴史小説『沈黙』を書き、フランスに留学した経験を持つ小説家遠藤周作や、ミヤギ自身のアメリカ留学時の異国体験、そして現代を生きる音楽家・井出健介が交差し、日本へ、そして名古屋港へと至る。異邦人やアウトローであった/あるがゆえに社会にそぐわなかった/ない孤独な登場人物たちをつなぐのは、世界各地に及ぶ水の広がりである。ほかにも、17世紀前半のキリシタン迫害の時代に生きた、アイヌのルーツを持つ少女の物語を介して交わる五つの海の映像《いなくなってしまった人たちのこと/The Dream That Have Faded》(2016)、さらに名古屋港ポートビル展望室に物語の描かれた鏡が海を映し出す作品が展示されている。浸水被害で広場が海のようになり夕景を反射しているヴェネツィアの情景、ジェズアルドの居城を訪ねる道すがら降る雨、海を映し出す鏡、そして名古屋港の海の広がりが、時空を超えて穏やかにそれらをつないでいく。そこでは過去と現在において、異質なところがあるがゆえに社会から遠ざけられる人々が登場するが、それらの作品は決して告発の調子を帯びることなく、詩情ある物語と映像が、水のようにひたひたと見る者を満たしていく。

ミヤギフトシ《音と変身/Sounds, Metamorphoses》2020、シングルチャンネルビデオ、カラー、サウンド、55分[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

ミヤギフトシ 展示風景 2020、鏡[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

税関寮2階の和室には、スノコの氷床の向こうに凛々しく立つタロとジロの像の切り抜きが風に吹かれている。一面銀世界だったろう南極の光景とは違って、木材や古家具、裸電球でできた光景は、実に和室に馴染んで温かみさえ感じる。隣室には、赤電球と回転する非常灯で赤く染まった部屋の片隅に別珍のガマ口ハンドバッグが置かれ、そこから「Till We Meet Again」が流れている。この曲は、第一次大戦中に離れ離れになった兵士と恋人の心中を歌ったものである。そしてユニットバスからは、軋む泣き声のような音も聴えてくるが、それは港で船のスクリューが立てる音を録音したものだという。本作は、名古屋港に永久係留されている「南極観測船ふじ」の起工日と、作家・三田村光土里の誕生日が同じだったことから着想されている。タロとジロの物語は、信じて待つ犬の美談として語られることが多いが、それは人間中心の視点だろう。実際には、悪天候のためにやむなく置き去りにされた犬たちの生存は絶望視されていた。過酷な環境のなかに取り残されたタロとジロの想いは、甘い曲調やあるいはスクリューの立てる泣き声のような切なさで一杯だっただろうか。タロとジロの物語は、かつて花柄のハンドバッグを持っていた港の女性への想像とも重なり、このコロナ禍において、人との再会を恋い焦がれる切なさの詰まったインスタレーションになっていた。三田村は会期中港に滞在し、日々作品を更新していく。本作のほかにも、これからここで関わる作家たちの作品が増えていく「借り画廊」のプロジェクトや、オープン時にはまだかたちの見えていなかった部屋もあり、会期中にさらに数度足を運ぶ予定である。

三田村光土里《Till We Meet Again また会うために、わたしはつくろう》2020、公開制作[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

三田村光土里《Till We Meet Againのためのサウンドインスタレーション》2020、サウンド(本人の歌声+〈南極観測船ふじ〉の振動音)、照明、その他[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]

コロナ禍におけるまちでの展開

上記の作家のほか、折本立身がアルツハイマー症の母親に扮して世界中で行なった「アート・ママ」のパフォーマンスや、港まちでの「おばあさんとのランチ」(2019)の映像が、商店街や旧・税関寮で流れている。またL PACK.が2016年から行なっている、空き家を「まちの社交場」として再生した《NUCO》でゆったりとコーヒーを飲むこともできる。《NUCO》はミヤギの「出会いと別れ」の映像の舞台にもなっており、ここで来場者も人に出会うことになるだろう。作家たちは、1カ所のみでなくそれぞれにそぐう場所で複数作品を展開しており、互いの作品が交差して、港まちの味わいのある仮構性を抽出している。そして、コロナ禍において人と出会えないことの特殊性を、港の出会いと別れにまつわるノスタルジーとともに、人と出会うことの得難さとして伝えてくる。

L PACK《NUCO》2019-[撮影:冨田了平/提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会]


アッセンブリッジ・ナゴヤ2020

会期:2020年10月24日(土)〜12月13日(日)
会場:名古屋港~築地口エリア一帯
公式サイト:http://assembridge.nagoya/

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