キュレーターズノート
美術館で感じる開放感──芦屋市立美術博物館「美術と音楽の9日間 rooms」
中井康之(国立国際美術館)
2020年12月01日号
対象美術館
「新しい生活様式」という厚生労働省が公表した行動指針に対して、夏を過ぎた頃から新しさを感じなくなった。その意識の変化は、美術館・博物館へ足を運ぶために訪れる予定の1ヶ月ほど前からホームページを確認して日時を予約するといった、これまで考えることもなかった作業が早くも身体化している、ということを表わしているかもしれない。そのような緊張感に包まれた「新しい」鑑賞スタイルから解き放たれて、天気がいいから気分が良くなるような展覧会にふらりと訪れたい、といった「旧来の」気分的な鑑賞スタイルへの渇望に対して、まるでこの状況を予期していたかのような展覧会(イヴェント?)が芦屋市立美術博物館で開催されていた。「美術と音楽の9日間 rooms」である。
芦屋浜にほぼ面した場所にあるその美術館は、設立された当時の外観はパステルカラーに彩られた、閑静な住宅街の中に忽然と現われた宇宙船(?)とでもいえるような大胆な建築形態を伴った異彩を放つ存在だった。しかし、およそ30年という歳月によって外観の自然な風化と共に周囲の環境との宥和が進んだようである。
日射し溢れる芝生の小振りな庭園側から美術館に入ると、館の規模に比するに大きな開放的といえるアトリウム空間へと解き放たれる。通常の企画展であれば、そこから2階の展示室へと向かうことになるのだが、今回は通常展覧会では用いられない1階の講義室が、藤本由紀夫の展示室となっていた。そこで先ず、入口右手奥のその部屋へ足を踏み入れた。
藤本由紀夫──デュシャン「ERRATUM MUSICAL」とのハーモニー
《the chamber of music》と名付けられたその空間は、まるで洒落た個人住宅の広い居間のような趣向で、部屋の中央にはル・コルビュジエデザインの革張りの椅子(グランドコンフォート)が数台置かれ、庭に面して設けられた外光の射し込む大きなサッシの脇には木目調のアップライトピアノが備えられていた。部屋に点在するテーブルや小さな展示台に注意を向けると、その上に小さなオブジェが置かれ、さらには、床にも金属のオブジェを見つけることができた。
オルゴールのムーブメント等を用いたサウンド・オブジェや、藤本が近年手掛けている独楽のオブジェといった既知の作品群には心穏やかに接していたのだが、それらのオブジェとはまったく違った文脈の音楽が奏でられることに気づくことになる。異なるコードであることを主張する音楽の源泉は、先に見てきた金属の筐体に刻印された「ERRATUM MUSICAL」がキーワードとなっていることは誰の目にも明らかだろう。実は、そのオブジェから発信されていたのは、デュシャンが1913年に偶然性を利用して作曲した「音楽的誤植」の構造をプログラム化して藤本がコンピュータで制作した信号らしい。そこからスピーカーを介して室内に音楽が奏でられているわけである。この空間をデザインした藤本によれば「デュシャンは2オクターブの25の音程の音を記した音符のカードを帽子に入れ一枚ずつ取り出して五線譜にメロディを書いて、その行為を3回繰り返して三声の合唱曲を書き上げた」という
。そう、これは20世紀初等に活動した詩人ツァラが提唱したダダ的な詩の制作手法「帽子の中の言葉」(1920)と同様の方法である。それどころか、年代的にはデュシャンのほうが先がけている。もちろん、文法を無視した言葉の連結と、調性を無視した音符の羅列という違いはあるのだが、デュシャンが20世紀初頭さまざまな領域で先鋭的な方法論を試行していたことがわかるだろう。ところで、藤本の試みも音には留まらない。藤本がこの展示室に配置した椅子やテーブルも、コンピュータを介したランダムな数値を提示するプログラムに則って配置したらしい。再び藤本自身の言葉を引こう。
「部屋というひとつの宇宙空間ではひとつのハーモニーが奏でられているというところに興味を持ち、室内楽という意味の《the chamber of music》のタイトルをつけました」
偶然性による音楽、チャンス・オペレーションの手法を藤本は活動初期から、たびたび活用してきた。磁気テープを用いた語学練習機材を応用した《CARD MUSIC》(1989)、任意に穴を開けたカード(トランプ)がオルゴールのムーヴメントの様な機材を通過させてランダムな音を共鳴させる《HOLE OF SOUND》(1988)が、藤本の展示室へのアプローチにセッティングしてあったのは、今回の展覧会の構造を暗示するものでもあったのだろう。
林勇気──多層的な虚実が錯綜した空間
以前から気にしてきたことであるが、芦屋市立美術博物館の展示室は極めて特殊な空間を有している。戦後、近代的な設計思想に基づいて設計された美術館の展示空間は、いわゆるホワイト・キューブが基本となっているであろう。そこに自然光を取り入れるために採光を工夫したり、あるいはまた作品の維持保存の為に館内環境を完全にコントロールする工夫がなされるといったことはあるだろう。ところが、芦屋市美術博物館の展示室は、壁面接合部が鋭角となっていたり、あるいは壁面が大きく湾曲した構造となっていたりという意匠に前衛性を発揮している。私は残念ながらこれまで、その空間を制御しきったと思われる展示に出会ったことがない。シニカルではあるが、芦屋市立美術博物館の展覧会を見るとき、その展示空間をどのように用いているのかということを展覧会の内容とは別の関心事としてもっている。今回、林勇気は、その特殊な展示空間を、音楽家ASUNAからインスピレーションを受けたことも有利に働いたのか、過去の林作品とは異なるアプローチと表現スタイルによって果敢に挑み、これまで見たことのない空間を創出している。
そのクリティカルな空間に提示された作品《「家外・抽象・自然」としてのRoom》は、作品写真からも明らかなように、壁面の上部がガラス面となった既設の展示ケースとなっている。要するにその空間は、鋭角で、曲面を描き、段差があるという多重な障害が生じているわけである。あらためて例示したその作品を見てみよう。投影された映像のなかに3つの人影が投影されている。上方と下方右側の人影は映像自体に由来するものであり、下方左側の人影は鑑賞者の影が投影されている。それらの人影が段差のある展示環境に同時に投影されることによって、フィルムのなかに写り込んでいた影をいま・ここで生じた影が同質化し、この空間でなければ生み出されない2種類の影が錯綜した映像空間が形成される。スチルで見た場合には、このような描写を言葉の綾のように受け止められかねないが、実体験として時間軸を伴うと、後者の人影は前後左右に動き、それらの3つの影の対比関係はより緊張した関係性を生み出す。さらに林は左の壁面にそれらの人影が反映したもうひとつの虚空間を形成することまで計算したようだ。また、参考として掲載した写真は実体的な対象物(鑑賞者)が映し出された場面を撮ったものだが、タイトルにもある「抽象・自然」を表わす映像は、参考写真として写したような実像を撮影したような素材とは異なり、光跡のみによって抽象的な形状を表わし出したり、あるいは光によって木々の形態を形づくったりするなど、映像によってのみ可能な表現はさらに徹底して追求されている。
林勇気は、発表を始めた当初から今日に至るまでデジタル・メディアを主な表現素材として、実写画像とデジタル画像を組み合わせながら実空間と虚空間の応答を映像の枠のなかで展開したり、あるいは図像の反復や増殖を重ねることによって、デジタルメディア特有の世界をつくり出してきた。それらの映像が巨大な画面に投影された作例などは見方によっては文字通り世界が拡がったように受け止められたのかもしれない。しかしながら、例えば投影されたスクリーン自体が自らの存在を主張をすることによって映像と対等の関係になるような状況が生じない限り、その投影された画像が生み出す世界は、モニターに映し出された映像と本質的には違えることはない。今回の林作品がこのような自らが積み上げてきた枠組みを大きく離れた表現へと跳躍するきっかけとなったのは、林自身がデジタル映像という媒体の可能性を常に考えてきたからなのである。また、今回の作品は、ユニットを組んだ音楽家ASUNAとの共同作業であったという。ASUNAの《100 Keyboards》に見ることのできるような、電子音の相対的な実体化を具現した作品に何らかの示唆を受けたことも考えられるだろう。
併せて出品された他の2つの映像作品も、先に見てきた作品と同様に、これまでの林作品とは異なるアプローチによって制作されていた。特に、展示室入口近くの左側のコーナーに投影された《「人・心情・個人」としてのRoom》は、これまでの林のデジタル映像作品のなかにたびたび登場してきた記号化された林自身の姿が、単独の主題としてリアルな複数のシルエットの映像へと変容を遂げていた。実はここにはASUNAの像も入っていたようだが、そうであるならばより一層この作品が、この部屋を創出した制作者の偶像を現し出すものとして見ることができるであろう。
原摩利彦──小出楢重との協奏
本レポートの最初の趣向から少し逸れてきたかもしれない。果たして最後となった3つめの部屋は、鑑賞者の気分を和やかにしてもらえるような装置となっていた。その部屋を担当した作曲家・原摩利彦は、芦屋市立美術博物館から、同館が所蔵する小出楢重の作品をモチーフとする曲を創作することが依頼されていたようだ。ハンドアウトのチラシから原自身の言葉を採ろう。
「彼の描いた作品をじっくり見て、随筆から彼のことばを聞く。伝記を通して彼の姿を遠くから眺め、しばらく彼のことを考えて過ごした。そして彼の存在が近くになったように感じられたときにピアノの即興を録音した」
展示室の一方の壁面に小出の3点の油彩、《自画像》(1920)、《海辺風景》(1930)、《雪の市街風景》(1925)が掛けられていた。そして展示室中央には、2つの展示台にそれぞれにレコードプレイヤーが載せられ、一方のレコードプレイヤーに原によるピアノ即興曲が録音されたLPレコードが、もう一方にはやはり原によって編集された芦屋の海の音と電子音が録音されたLPレコードが載っていた。それぞれのレコードプレイヤーは鑑賞者がスイッチを押すことによって、ターンテーブルが回り始め、自動でレコードに針が落ち、音が奏でられる、という仕組みになっていた。2台のプレーヤーが同時に再生されることが作者の意図であることはチラシを読めば明らかであり、多くの鑑賞者はそれを楽しんだだろう。私もそのひとりとなった。
芦屋市立美術博物館には、小出楢重のアトリエを再現した施設がある。美術館と共に竣工してからおよそ30年経ち、人々の関心を呼ぶことも少なくなっているだろう。このイヴェントの担当者には、小出楢重という洋画家が芦屋にアトリエを設けて、この陽光あふれる土地で油彩画を描いていたことを、このような方法で思い起こさせようという意図があったかもしれない。私自身は、原が編集した波音と小出の描いた芦屋浜の風景画によって、瀬戸内の凪いだ海浜を感じることができた。何より、この美術館を訪れる前に望んでいた開放的な気分を味わうことができたのである。
「展覧会/イヴェント」の双方向性が美術館をひらく
今回レポートした「美術と音楽の9日間」は、タイトルの通り9日間限定で開催されたイヴェントであり、ここで紹介した美術館における展示作品は付随した展覧会、と言っては言い過ぎかもしれないが、本レポートの冒頭で記したエントランスに繋がる大きなアトリウム空間で日々コンサートやライブが実施され、あるいは作家や演奏家たちと共に、街中の音を探索に出掛けたり、あるいは街中に音を広げていくツアーなどが実施されるようなイヴェント等が伴って全体となることが意図されたものであった。そのような構成であることを予期しながらも出掛けていったのは、この展覧会/イヴェントを構成する作家に藤本由紀夫が参加していたからである。
およそ25年前、芦屋市の隣、西宮市大谷記念美術館でその藤本氏に「一日だけの展覧会」という、やはり展覧会/イヴェントを繰り広げてもらった経験がある。その展覧会/イヴェントは、突き詰めていうならば、当時の美術館の在り方を解体していくことにあったと思う。学芸員として駆け出しだった当時の私は、そのようなラディカルな行動を確信的に執っていたわけではなかった。しかしながら、藤本氏と共犯的な関係を精神的にはもちながら、一つひとつの事業をこなしていたと思う。その結果として、その美術館が訪れる者たちに開かれていったことは間違いなくあった。藤本由紀夫とのそのような記憶を呼び起こす、展覧会/イヴェントのタイトルに導かれて、今回、この美術館を訪れたのである。美術館を解体するといった熱い記憶は既に過去のものとなり、洗練された現在の藤本由紀夫の作品を確認しながらも、展覧会全体としては西宮市大谷記念美術館の「一日だけの展覧会(美術館の遠足)」が結果的につくり出した、双方向性をもった展覧会の精神が受け継がれているように感じた。
美術と音楽の9日間 「rooms」
会期:2020年 11月14日(土)~ 11月23日(月・祝)
会場:芦屋市立美術博物館(兵庫県芦屋市伊勢町12-25)