キュレーターズノート

港まちと再会する音楽と映像──アッセンブリッジ・ナゴヤ2020

吉田有里(MAT, Nagoya)

2020年12月01日号

今年で節目となる5年目を迎えるアッセンブリッジ・ナゴヤ。新型コロナウイルスの影響を受け、開催が危ぶまれつつも、感染予防対策と従来のプログラムを一部変更し、結果としてこの状況下ならでは発表の手法や表現が生まれることとなった。
アッセンブリッジ・ナゴヤは、現代美術展のほか、クラシックを中心とした音楽部門、ポップ・ミュージックやパフォーマンスを主軸にしたサウンド・ブリッジ部門の三つの分野によって構成されている。同じ場所、時間を共有する音楽やパフォーマンスでは、密を避けるための工夫が必須となった。
クラシック音楽のプログラムでは、コンサート会場での人数制限や完全予約システム、オンライン配信などを取り入れつつ、観客に生の演奏を届けるさまざまな工夫によって公演を実施した。今回は、サウンドブリッジ部門のプログラムを中心に紹介する。

井手健介「The Lonely Surfer」

現代美術展「パノラマ庭園─亜生態系へ─」の出展作家のミヤギフトシは、港まちポットラックビルで、新作の映像作品《音と変身/Sounds, Metamorphoses》を発表した。

この作品は、2016年のあいちトリエンナーレで発表した《いなくなってしまった人たちのこと/The Dreams that have Faded》の続編として、愛知芸術文化センター・愛知県美術館オリジナル映像作品として制作された。

ミヤギフトシ《音と変身/Sounds, Metamorphoses》2020[撮影:冨田了平]

16世紀の天正遣欧少年使節団とイタリア人作曲家カルロ・ジェズアルドに加え、ゲーテ、遠藤周作など、実際には交わることはなかった時代を生きた人々のそれぞれの孤独に寄り添い、ひとり語りのようなナレーションでストーリーが進行する。ミヤギ自身が過去に留学先で感じた異文化へのカルチャーショックとも言うべき体験に登場人物を重ね合わせながら、時代を飛び越え事実と想像が交錯するような物語が描かれている。音楽は、作曲家がいなくなっても、その時代を生きる人々の手によって、再生され残されていく。

ロケ地となったヴェネチア、フェラーラ、ローマ、ナポリなどイタリア各地と名古屋港をロケーションに、異なる場所や時間、その境界や隔たりが「変身」という結びつきのもと映し出され、その普遍的な事柄や存在に気づかされる。

この作品のなかで、ジェズアルドの「カンツォン・フランチェーゼ」を弾いているのが、ミュージシャンの井手健介である。井手は、スタッフとして勤務していた映画館の閉館をきっかけにミュージシャンへ「変身」をした人物であり、「井手健介と母船」名義の新作『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』では、架空の人物「Exne Kedy」としてグラムロック、民話、神話、超常現象などをテーマにしたアルバムを発表している。

井手健介

名古屋港でのシーンの撮影は、新型コロナウイルスの感染がパンデミックの状況を迎える直前のタイミングであった。緊急事態宣言が発令された5月頃、ライブハウスの営業や、ライブ、コンサート、野外フェスティバルなどは軒並み中止を発表され、フィジカルな音楽の体験からオンライン上で配信される音楽を自宅で楽しむという体験へと変化していた。

アッセンブリッジ・ナゴヤは港まちを舞台にしたフェスティバルであり、これまでその場所性を生かした音楽や美術の体験を鑑賞者に提供してきた。既存の施設や空き家をまちの資源として、フェスティバル会場に転用してきた。

フェスティバル期間中には、ミヤギフトシの展示とともに、井手のライブを計画していたものの、ソーシャルディスタンスを保ちながら、どのような演奏方法で、時間と場所を共有することができるかを模索していた。美術展に加え、サウンドブリッジ部門の企画を担当するアーティスト/ディレクターの青田真也と、コーディネーターの谷口裕子らが、井手とともにミーティングを重ね、プランの実現に向けて、交渉や実験を繰り返しながら、船上での演奏を岸から鑑賞する前代未聞の「超・ソーシャディスタンスライブ」が実現したのである。

井手健介「The Lonely Surfer」ライブの様子[撮影:三浦知也]

井手健介「The Lonely Surfer」ライブの様子[撮影:三浦知也]

井手健介「The Lonely Surfer」ライブの様子[撮影:三浦知也]

海上という不安定な状況で奏でられるエレキギターと歌声が空に響いた。

岸にいる観客たちは、水平線やコンテナを大量に乗せた大型船を背景に、西日の眩しさや、船のエンジン音、水面の水が跳ね返る音や風などを体感しながら、環境音とともに井手の音楽を楽しむ。またゲストのテライショウタが、岸壁に沿ってゆっくりと進む船と並走するかたちで、岸からエレキギターのセッションを行なった。最後は、岸に降り立った井手がテライと合流し、デヴィッド・ボウイ『スペース・オディティ』を演奏した。

公園エリアでは、家族連れ、近所の中学生、犬を散歩中の老人など、日曜の午後を思い思いに過ごしていた人たちが船上から流れる爆音の音楽に驚き、集まり、自然と体を動かしながらライブを楽しんでいた。そんな微笑ましい光景が目に焼き付いている。


港まちで再会する映像プロジェクト

サウンドブリッジでの、もうひとつの新たな取り組みを紹介したい。「港まちで再会する映像プロジェクト」と題し、これまでサウンドブリッジに出演したアーティストたちが、「港まち」を再訪しこのまちの風景に呼応して演奏やパフォーマンスを行なうというプログラム。

演奏の様子は、映像として記録し映像作品として展示会場にて上映を行なう。また会期終了後には、この作品のオンライン上での公開も予定している。

これまでの5年間で多くのアーティストたちが、このまちでライブ、パフォーマンスなどを行なってきた。パフォーマンスの時間と空間を共にする鑑賞体験はとても濃密なものであるが、実際には会場の確保には、大きな苦労があった。この港まちには、産業港としての独自の景観がある。港まちらしい景色をロケハンし、パフォーマンスの会場として候補に挙げるも、消防法や構造、安全上の理由で諦めなければいけない場所が多々あった。

今回のこの映像プロジェクトは、三つのプログラムで構成し、それぞれアーティストごとにコラボレーションが行なわれている。観客のことを想定しないライブには、固定の場所性に捉われない自由度が生まれ、演奏にも大きな影響があった。三つの映像作品は、井手のライブと同様、企画は青田真也、コーディネートは谷口裕子、そしてビデオグラファーとして、アッセンブリッジ・ナゴヤのドキュメンテーションを行なう冨田了平が撮影・ディレクションを行なった。それぞれのプログラムごとにアーティストとの入念なロケハン、カット割りなどのミーティングを重ねながらコラボレーションワークを行なっていった。


プログラム1:角銅真実、大城真

打楽器奏者として、さまざまなミュージシャンとのコラボレーションワークも多い角銅真実は、自身の声や言葉、身の回りのあらゆるものを用いて、音楽を奏でるアーティスト。アッセンブリッジ・ナゴヤでは「みなと音めぐり」(2017)、取り壊しの決まったUCOの最終日でのライブ「こんにちはのうしお」(2018)に出演。大城真は、港まちにある幼稚園を会場に「夏の大△ サウンドパフォーマンス」(2019)として、園内の複数の空間に大規模なサウンドインスタレーションを行なった。自身の活動ではフィールドレコーディングや、エンジニアとしても活躍している。

角銅真実、大城真によるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

角銅真実、大城真によるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

今回の映像では、角銅が生み出した音を大城がマイクを持って採集していく。ポートビル展望室、八百屋、路地裏、跳ね上げ橋など、角銅の視覚に入った景色が音色となって音に変換されていくパフォーマンス、商店の軒先で揺れる風鈴、高架下を通る車の排気音、信号から流れる注意シグナルなどのまちから発せられるさまざまな音を取り込んだ音楽をつくっていく。また、鉄柵、公園のコンクリートタイルなどに自らの身体を使ってアプローチし、音を生み出していくパフォーマンスなども取り入れ、それらはテンポよくつながっていく。

角銅真実、大城真によるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

角銅真実、大城真によるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]




プログラム2:石若駿 、浅井信好、呂布カルマ

遊覧船の発着の乗船場、または緊急時の搬送用係留施設としての役割を持つ、浮き桟橋。通常は、一般の立ち入りが制限されているこの桟橋を舞台にして、ドラマーの石若駿、舞踏家の浅井信好、ラッパーの呂布カルマが、フリースタイルでのコラボレーションを行なった。石若は、ジャズ、ヒップホップ、ポップ・ミュージック、サウンドインスタレーションなどジャンルに捉われず、類希なテクニックで多くのミュージシャンたちとのセッションを行なっている。浅井は、演出家、プロデューサー、教育者としての活動と並行して、ダンサーとして国内外での公演に数多く参加している。石若と浅井は、旧・税関名古屋港寮を会場にした回遊型パフォーマンス「石若駿×浅井信好 ライブセッション」(2018)から2年ぶりの再会となった。そして、ラップバトルでの活躍も目覚ましい呂布カルマは、港まちで約20年続く「名港サイファー」のメンバーとして、毎年港まちブロック・パーティーに出演。夕焼けのグラデーションの空を背景に、この日限りの特別な環境で、ドラム、ダンス、ラップが交錯するインプロビゼーションライブとなった。

石若駿 、浅井信好、呂布カルマによるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

石若駿 、浅井信好、呂布カルマによるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

石若駿 、浅井信好、呂布カルマによるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

石若駿 、浅井信好、呂布カルマによるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]




プログラム3:テライショウタ(from Gofish)、イ・ラン、イ・ヘジ

港まちで滞在制作を行なうプログラム「MAT, Nagoya スタジオプロジェクト」に参加し、8〜10月の2カ月の間、NUCOをスタジオとして楽曲の制作を行なったテライショウタ(from Gofish)。滞在期間には、港まちの近隣の喫茶店、中華屋、精肉店、居酒屋など、自身が通った店のテーマソングを制作したり、アーティスト宮田明日鹿と手芸好きのメンバーで構成する「港まち手芸部」や、まちの社交場「NUCO」のカウンターに立つメンバーとともに制作したテーマソング、港まちの活動に関わるスタッフや、この期間に出会った人たちが書いた歌詞を曲にするというプロジェクトも行なった。この短い時間で、約30曲以上の楽曲が完成した。

テライショウタ(from Gofish)、イ・ラン、イ・ヘジによるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

映像プロジェクトでは、このスタジオ期間での活動も取り入れながら、テライがこれまでアルバムやライブなど幾度もコラボレーションしてきたアーティスト、イ・ランとの共同制作を行なった。イ・ランは、ソウルを拠点に音楽、映像、漫画、イラスト、エッセイなど、さまざまなメディアを用いた真摯で嘘のない発言やフレンドリーな姿勢や思考が、国籍や性別、さまざまな立場を超え、広く人びとの心を揺さぶり続けるアーティストである。アッセンブリッジ・ナゴヤでのライブ「イ・ランとみなとまち」(2019)では、朝鮮半島を分断した境界と人々の心情を歌う「イムジン河」を手話と合わせて披露した。

テライがスマホの中に登場するイ・ランを手がかりにまちなかを彷徨い、展示会場や喫茶店など、場所ごとにシーンを変えながら、演奏をしていく。

名古屋港エリアには、パキスタン、スリランカ、ネパールなどの国籍の人々が数多く住んでいる。主に中古車の輸出の仕事に従事している彼らの食堂として、一部はハラール食を扱うレストランがあるのもこの地域の特徴のひとつである。今回は、新たにオープンしたパキスタン料理のレストランでカレーにまつわる歌を披露した。

テライとイ・ランは、いまは会えない離れた場所で暮らす人たちのことを思いながら、さまざまな境界を超え、このプログラムのために共同で新曲を制作し、映像と演奏を介して“再会”を果たした。実際に二人が対面しての演奏を見られるのは、いつになるのだろうと想いを馳せた。

テライショウタ(from Gofish)、イ・ラン、イ・ヘジによるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]

テライショウタ(from Gofish)、イ・ラン、イ・ヘジによるパフォーマンスの様子[撮影:冨田了平]




ウイルスの襲来によって、同じ時間を多くの人たちと共有し密な体験をすることが困難になったいま、ミュージシャンたちがアイデアを持ち寄ることで、ソーシャルディスタンスを保ったライブや、映像作品といった形式で、まちの風景や環境、人との出会いに呼応し、この場所でしか奏でられることのない音楽やパフォーマンスが生まれた。これらは、美術作家が環境にあわせてつくり上げたサイトスペシフィックな作品のように、ライブハウスやコンサートホールでは味わえないような体験となった。音楽は、時代を超えても再生されていく。しかし、今回のプロジェクトを通して、時間と場所が交差する生身の体験の強さをより一層強く感じることになった。


アッセンブリッジ・ナゴヤ2020

会期:2020年10月24日(土)〜12月13日(日)
会場:名古屋港~築地口エリア一帯
公式サイト:http://assembridge.nagoya/

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