2024年03月01日号
次回3月18日更新予定

キュレーターズノート

地域のイメージを更新すること、共有すること──
豊田有希写真展 あめつちのことづて/令和2年7月豪雨REBORNプロジェクト

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2020年12月15日号

水俣病を取材し、世界に伝えたアメリカ人写真家、ユージン・スミスを、人気俳優ジョニー・デップが演じた映画『MINAMATA』の全米での公開が決まり、日本国内での上映が待たれている。これまで、スミスを筆頭に、桑原史成、塩田武史など数々の報道写真家が現地に入り、その状況を世に訴える重要な仕事を担ってきたが、私たちはそこで得たイメージを長くアップデートできないままでいるのではないだろうか。

豊田有希写真展 あめつちのことづて

水俣の現在の姿を撮る

熊本市現代美術館ギャラリーⅢで2021年1月から実施する豊田有希の「あめつちのことづて」は、熊本市から水俣に移り住み、ひとりの生活者としての感覚で、その土地のいまを撮る若手写真家の個展である。

熊本市に生まれた豊田は、独学で写真を学び、フィルムによる撮影とプリントの技術を身につけてきた。筆者が初めてその作品を見たのは、熊本市の河原町繊維問屋街で行なわれていた2011年の「河原町アートアワード」の会場。廃業した商店の前に飾られたモノクロームの小さなプリントの連作は、その錆びた青緑色のシャッターの前で独特の存在感を見せていた。携帯やデジタルカメラの普及により、すでに誰もが気軽に写真を撮るようになっていた当時、それと入れ替わるように、黙々と時間のかかる手作業を続けていた豊田の仕事に、多くの審査員票が入っていたことを懐かしく思い出す。

集落で最後の一軒になった家の田植え 豊田有希『あめつちのことづて』より

転機が訪れたのは、その後すぐのことだった。「山間部、半数に水俣病症状」と書かれた1枚の新聞記事をきっかけに、豊田は本展のモチーフとなる黒岩集落の存在を知る。住民78人中39人が受診した集団検診で、37人に手足のしびれや感覚が鈍くなるなどの水俣病症状が確認された。水俣病の公式確認から50年以上が経ち、そして、海沿いでもなく、中心部から30km以上離れた山間地でなぜ?という思いから、豊田はすぐに同集落へと向かったという。しかし、そこにあったのは、ほかの山間集落と何ら変わりない、素朴な山村の暮らしであった。当初は、見学しに行く立場であったが、次第に、自分自身もその土地に暮らしながら、日々の営みを見つめてみたいと、豊田は水俣市に移住した。2015年のことである。それから、時間が経っていくにつれ、呼び名も「カメラさん」から「有希ちゃん」へと変わっていった。


★──本展は2019年に水俣市に隣接する芦北郡津奈木町のつなぎ美術館で行なった個展をベースに、追加撮影・新規プリントを含め、再編集したかたちでの展示である。



ふとした瞬間に出会う病の影

集落に通ううちに、いろいろなことがわかってきた。自分たちが知る水俣病のイメージの多くは初期の劇症型の被害者たちの姿であり、黒岩地区で訴えられている症状の大半は、慢性型の外見からはわかりにくい、四肢末端のしびれや、感覚障害であること。また、差別につながるため、症状があっても声を上げにくい風潮があること。さらに、加齢のせいだと思い込み、水俣病が原因だと気づかなかったという話も少なくない。「メゴばいのうて来よらしたもんな(籠を担いで来ていた)」という言葉からもわかるように、黒岩地区には水俣から行商が1日に1度か2度、魚を担いで歩いて来ていたという。山の作物は町へ、海の魚は山へ。互いに循環するサイクル、そのなかに水俣病が静かに潜んでいた。

黒岩地区は、豊田が通い始めた10年ほど前に比べると、人口は半分ほどに減少しているそうだ。「あめつちのことづて」には、高齢の住民たちが、腰に籠をつけて、昔ながらの手作業で田植えや稲刈りを行ない、法事や祭礼などを、限られた人数で続けていく様子が綴られている。モノクロームのプリントの柔らかな調子が、この写真が撮られたのが、平成や令和であることを忘れさせるような普遍性を与えている。撮影を続けるなかで豊田は、ふとした会話や動作に、潜んでいた病の影が現われる瞬間を、何度も目にしたという。外見からはわからない何か。もしかしたら、本人も、そして周りも気づいてすらいないかもしれないもの。離れたところに住む私たちには、なおさら気づくことができないもの。豊田の写真のなかに込められた、「ことづて」とは何かということを、今一度考えてみる機会になればと思う。

茶摘みの合間の休息 豊田有希『あめつちのことづて』より


令和2年7月豪雨Rebornプロジェクト

地域の記憶を蘇らせる

2020(令和2)年7月4日未明から朝にかけて、局地的な集中豪雨が熊本県南部を襲った。その結果、球磨川水系の河川が氾濫・決壊し、人吉・球磨、八代、芦北など、県下の広範囲な地域が浸水の被害に見舞われ、多くの尊い命が犠牲になった。八代市坂本町は、全国的にも注目を集めた県営荒瀬ダムの撤去を経て、球磨川の清流を生かした町づくりを続けてきたが、多数の民家や施設が壊滅的な被害を受け、発災後5カ月が経った現在も、復旧活動が続いている。

同町でラフティング会社「Reborn」を営むリバーガイドで、全国のダム撤去後の自然環境の再生などをテーマに研究を続ける溝口隼平氏は、地元のアマチュア・カメラマン、故・東儀一郎氏らが昭和30年代頃から撮影してきた、村の行事や風景の写真やネガを多数保管していたが、今回の豪雨で残念ながらその多くが水没した。この「REBORNプロジェクト」は、前出の写真家・豊田有希を中心に、地元のカメラマンやクリエーター、筆者を含む学芸員らがボランティアグループをつくり、それらの水損ネガなどをクリーニングした上で、デジタル化、再プリントし、町の方々をはじめ多くの方と、川を中心にした地域の記憶を共有することを目指すものである。

今回のレスキュー作業で、一般的な作業ともっとも異なったのは、新型コロナウイルス感染症が流行している状況下にあるということだった。汚染された可能性のある資料を取り扱う環境とスタッフの安全を一番に留意し、健康状態を確認の上、マスクや手袋の着用、手指の消毒を行なった上で作業を進めた。また、溶けだした乳剤が独特の臭気を発していたこともあり、作業会場もつねに換気を行ない、空間に対して作業する人数の上限を設定した。

水損ネガレスキュー作業時の様子(2020年7月)つなぎ美術館、熊本市現代美術館にて

水損ネガの多くは未分類で、DP袋に入ったままで固着した状態にあった。そのため、まずDP袋同士を剥がして、内容物の個数とその状態をメモと写真で記録した。また、袋に書き込まれた情報の読み取りなどを行なってリスト化し、全体像をとらえる作業を行なった。

続いて、水損ネガ取扱い経験のある学芸員と協議しながら、限られた状況でもっとも効率的なクリーニング、保存、デジタル化方法の検討を行なった。今回は、フィルムの残存率が高いものから優先順位をつけ、水の入ったスリーブを開封して、水や汚れを落とし乾燥させ、反りやカビがでないように、紙をはさんで保存し、その上で順次デジタル化を行なうこととした。これらの作業は、のべ20名のボランティアで、つなぎ美術館、熊本市現代美術館内の作業室で実施した。

これらの内容は、豊田の「あめつちのことづて」展内の「令和2年7月豪雨REBORNプロジェクト」のパートで紹介する予定である。現在、デジタル化・プリント作業を猛スピードで行なっているが、同時に、撮影地や被写体の特定を進めている。ネガに多く残されているのは、町の中央を流れる球磨川の豊かな自然と、その恵みと共に暮らす、地元の方々のスナップ写真である。1955年に完成した荒瀬ダムの竣工当時の写真も多数含まれている。安定した電力供給のために、荒瀬ダム建設は待ち望まれていたものであったが、2000年代になり、撤去か存続かさまざまな議論が行なわれることとなった。「ダムによらない治水対策」を進めてきた蒲島県政のもと、2018年には撤去が完了したが、今回の水害を経て、県は「ダムも選択肢のひとつ」という姿勢を取っている。


自然のもたらす恐ろしさと豊かさ

この作業に携わる前は、同じ県内でありながら、恥ずかしながら同町を訪問したことがなかった。水損ネガレスキュー作業と並行して、災害ボランティアとして同町を訪れるようになると、土地勘がつき、撮影地を少しずつ特定することができるようになってきた。今月も一度作業に赴いたが、駅、支所、病院、JAなど町の主要なインフラは一部を除いて再開の目途が立っておらず、町の中心地にはいまだ人の気配がほとんどない。そのようななかで、地元の方と交流するうちに、災害の恐ろしさと同時に、川や自然のもたらす文化やその豊かさを改めて知り、再び故郷へと戻りたいという彼・彼女らの願いについても、ささやかながら思いを寄せられるようになってきた。

本展では幸い2件の助成金を得ることができ、八代市内での巡回展示も進められることになった。これらの水損ネガを再プリントした写真集を作成し、売り上げを寄付する計画も進んでおり、ぜひ多くの方々に手に取っていただければと制作を続けている。

また、今回の活動で得たノウハウやネットワークを、今後起こり得る災害において、写真をはじめとする文化的資料が被害にあった際に活用できればと考えている。

国道219号線から坂本町の中心部へと続く坂本橋。豪雨にて流失(撮影年月日不明)。水損の激しかった35mmカラーフィルムのデジタルデータより


豊田有希写真展 あめつちのことづて
(同時開催)令和2年7月豪雨REBORNプロジェクト

会期:2021年1月20日(水)〜4月4日(日)
会場:熊本市現代美術館 ギャラリーⅢ(熊本県熊本市中央区上通町2番3号)
公式サイト:https://www.camk.jp/asset/images/exhibition/g3-138/pr.pdf

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