キュレーターズノート
国立アイヌ民族博物館の基本展示で伝えたいこと
田村将人(国立アイヌ民族博物館)
2020年12月15日号
対象美術館
国立アイヌ民族博物館(以下、当館)が2020(令和2)年7月12日に開館した。当館を含むウポポイ(民族共生象徴空間)に関しては、すでに同僚の立石信一が本編に寄稿しているのでご参照いただきたい。なお、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、当初4月24日開館予定だったのだが、5月29日に延期され、7月12日に再延期されての開館だったことをまずもって付け加えておく。
コンテンツの一部休止をともなう開館
100年に一度とも言える感染症の危機にいまもってさらされているわけだが、当館の開館までにも館内=ウポポイ内でどのような対策が考えられるか、協議が重ねられてきた。当初は、そもそもいつ開館できるのか不安ばかりであった。すでに開館していれば、館内のどこがいつ混雑するかなど想像がついて対策を打てるだろうけれども、一度も来館者を迎えたことがなかったわけであるから、不安は底なしであった。初めての感染症対策に職員の誰もが戸惑っているのは今も変わらない。新型コロナウイルスの特徴と対処法が時々刻々とわかりつつあるなか、他館の対策を参考にしながら、当館内で休止せざるをえない箇所を見つけ出す作業が4月初頭から始まった。日本博物館協会によるガイドラインが発表されたのが5月14日であるから、それまではずいぶんと長く感じたものであった。
結果として、当館では日時指定の事前予約制を導入した。来館者が触るもの(音声ガイドの貸出、タッチパネルディスプレイ、「探究展示テンパテンパ」等)を中心に休止した。ライブラリも当初は閉鎖していた(現在は、人数制限のもと開室)。96席のシアターも当初は半分以下の席数で運用開始したが、こちらは映画館のガイドラインに照らして10月から全席を開放した。来館者向けのギャラリートークや講座・講演会は、一部の試行を除き、実施していない。このような状況であるから、展示工事が完成しているにもかかわらず、基本展示(常設)の構成要素の大きなウェイトを占める数々の映像がほとんど運用されておらず、さらに研究職員による口頭での解説ができない現状では、不完全な状態で開館したとあらかじめ伝えておかねばならない。
展示検討委員会およびワーキング会議でのいくつかの議論
私は北海道開拓記念館(現在の北海道博物館)で学芸員として8年間勤務していた。専門は樺太アイヌの20世紀の近現代史であり、アイヌ民族へのインタビュー、日露の公文書や、新聞記事などさまざまな手法を使ってきた。2016年から文化庁による「国立のアイヌ文化博物館(仮称)設立準備室」に学芸員(同時に東京国立博物館主任研究員)として開館までかかわり、現在は、ウポポイの運営主体として法律に位置付けられている公益財団法人アイヌ民族文化財団の職員として、国立アイヌ民族博物館に勤務している。私自身は、2015年、文化庁が設置した展示検討委員会ワーキング会議の委員として委嘱されていたので、開館までの通算5年間、新しい博物館の設立に従事したことになる。
展示検討委員会は、旧一般財団法人アイヌ民族博物館の館長や、アイヌ語やアイヌ文化の研究者を含め7人。下部組織と位置付けられていたワーキング会議は、工芸家、大学教員、学芸員など、アイヌ語・アイヌ文化・アイヌ史の研究・実践の一線にいる人たちを中心に14人(延べ)であった。言うまでもないことだが、それぞれの委員会はアイヌ民族と和人(日本のエスニック・マジョリティ)から構成されていた。お互いに日常的な交流があり、和気あいあいとしつつも、アイヌ文化に関する初めての国立博物館が設立されるということで、みな緊張感を持っていた。それは、はじめが肝心であるということ、国立の施設として注目されるだろうこと、アイヌ民族と同化政策の歴史を伝えることが重要であることは言うまでもなく、現代のさまざまなアイヌ民族の姿を誤解されないように伝えるにはどうすればよいか、そもそもアイヌ民族のことをよく知らない(初めて知る)来館者を対象とすることが大前提となること、などが想定されたからである。この委員会とワーキング会議では、基本展示の6つのテーマのコンセプトや内容を決めていくうえで、基本展示全体に通底する重要な議論が交わされた。
何をどう伝えるか
なかでも何度か言及されたテーマに、アイヌ民族の被差別体験をどう展示するかという問題があった。それは、被差別体験を強調しすぎると、特に小学生では逆にアイヌ民族は「いじめてもいい人たちだ」と認識してしまう恐れがあったからである。これは、実際に小学生の前で説明をした経験から来ているというものだった。現実の民族差別も、たいていは大人(親)の会話が子供の耳に入り、学校で「お前(の家)はアイヌだろう」といじめにつながっている事例が多いことも挙げられた。ちなみに、展示において、被差別体験の歴史的な事実を隠すことがあってはならないという但し書きが付いていたことは言うまでもない。とりもなおさず、アイヌ民族のある一面ばかりを強調するのではなく、時代、地域によってさまざまな状況があったことを伝えることが重要だという議論もあった。
また、主に江戸時代に和人によって描かれた「アイヌ絵」は身体的特徴を誇張して描くことが多いため、アイヌ文化の基礎的な情報を伝える基本展示室ではなるべく避けて、特定のテーマとして特別展示で展示するほうがよいだろうという方向性も出された。いずれも、小学生が授業で見学に来ることを大前提として議論されており、さらに大人であっても、アイヌ民族に関する予備知識がない来館者にどのように伝えるかが最大のテーマであった。政府が開館前から年間100万人の来場者を目標に掲げていたため、このような議論になっていたのであった。いずれにしても、日本のマイノリティに関する展示を見る層のターゲット(主にマジョリティである和人向け)の議論である。
多くの観光客が、北海道の白老ポロトコタン(2018年に閉館した旧一般財団法人アイヌ民族博物館)や釧路市の阿寒湖アイヌコタンなどで、「いつも茅葺の家に住んでいるのか?」「このあと、山に帰るのか?」「熊などを狩猟しているのか?」はては「日本語が上手だね」などと職員に投げかけている現実があった。それは、目の前で伝統的な民族衣装をまとって、踊る姿が披露され、工芸製作のシーンが目に入ってくるので、やむをえないところもある。しかし、あくまでも仕事で民族衣装を着ていることを強調して説明するようにしている、という苦労も共有された。
同時に、基本展示の中では、伝統文化や工芸に従事しているアイヌ民族はほんの一部であり、多くのアイヌ民族は日本国民として生活しているのであって、さらに国外で活躍しているアイヌ民族の職業を紹介することも目標とされた。アイヌ民族一般の歴史や文化を紹介するだけではなく、個人に焦点をあてて等身大のアイヌ民族を知ってもらうことが重要だという議論もあった(すでに大阪人権博物館や北海道博物館で実現していた)。いかにステレオタイプ化された伝統文化像を打破するか。いや、民族の特徴ともいえる伝統文化を丁寧に説明しつつ、同時に現代のアイヌ民族の姿を伝える、と言い換えたほうがよいだろうか。
単一民族国家ではないというメッセージ
基本展示室に入る前に「導入展示」というトンネル状の空間を作り、展示室までの暗順応の役割を果たすとともに、日本は単一民族国家ではないというメッセージを込めた映像を3カット×4パターン作成した。これも、展示検討委員会およびワーキング会議では重要な展示として位置づけ、つねに議題に挙がっていた。むろん、完成した映像には「単一民族国家」というフレーズはどこにも出てこない。そこには、ちょうど日本に滞在していたニュージーランドのマオリが出演したほかは、日本国内在住のアイヌ民族のほか、和人、中国人、韓国人、タイ人、ロシア人など数人が登場し、それぞれの言語で挨拶を投げかける。協力してくれた人々はいわゆる民族衣装を着ている人もいれば、普段着(いわゆる洋服)を着ている人もおり、これは出演者本人の意向を尊重した。ここに登場するアイヌ民族は、すべてウポポイの職員であり、3カットのうち1カット目は普段着で、2、3カット目は職場(ウポポイ)で着るいわゆる民族衣装でメッセージを投げかけるシナリオである。
ここには、前述のような現代のアイヌ民族への誤解を解く仕掛けを込めた。普段着はいわゆる日本社会で一般的なものであり、同じ人が次の場面では民族衣装に着替えている。つまり、日常は普段着で、仕事のために民族衣装を着ているということを伝えたかったのである。セリフは、日本語も話すし、一部アイヌ語で投げかけるというバランスもとった。
こだわったのは、出演した和人が関西地方出身者で、「こんにちは」という挨拶の投げかけを、いわゆる標準語アクセントと、関西方言アクセントの2パターンを収録し、映像4パターンのうちに混ぜたことだ。たまたま、映像制作業者も関西方言話者で「なにも珍しくもない」と不満げであったが、北海道という場であえて日本語の「こんにちは」を2パターン流す意義は小さくないと思っていた。日本語であっても多様であるということも示したかったのだ。
いずれにしても、ウポポイおよび当館を訪れる来館者の大半が和人であることを考えると、「あなたも世界の中の一民族である」「あなたの身近にこれだけ言語や文化の違いを感じるチャンスがある」「日本語も多様であるように、他民族も多様だ」ということに気づいてもらえる仕組みというのが、展示検討委員会およびワーキング会議の目標でもあった。「日本は単一民族国家ではない」というメッセージが伝わり、マイノリティについて考えるきっかけになることを祈っている。
展示室内の配置
基本展示室内の6テーマの配置は、各テーマで展示される資料の物理的な量によって決められたところがあり、結果的に紙資料が主となる「私たちの歴史」は面積的に狭く感じるかもしれない。中央に「プラザ展示」(6テーマのエッセンス)を配置しているが、その真ん中には映像や音声をフル活用した「私たちのことば」を配置し、アイヌ語復興のイメージを表わした。基本展示室の入り口から見ると正面には、「私たちの歴史」の年表と地図を活用した「歴史の広がりとつらなり」が目に入り、展示室全体で扱う内容の時間軸、空間軸を示した。左手には「私たちの世界」の資料として高さ約6メートルの「クマつなぎ杭」を再現した。また、右手には「私たちの交流」の資料として17世紀頃と年代測定の結果が出た、交易で使われた板綴舟の出土資料を厚岸町教育委員会から借用した。「私たちのくらし」では伝統的家屋の間取りを床面に再現しARでその風景を見せている。「私たちのしごと」では、伝統的な生業(狩猟、漁撈、採集、農耕)のみならず現代のさまざまな職業(林業、俳優、フェアトレード等)を紹介することに主眼を置いた。
6テーマと相互補完の関係にある「探究展示テンパテンパ」が3か所に配置されている。展示設計時に「子供向け展示」と仮称していた展示である。ここは、体験ユニットを18種類用意して、子供も大人も触って学べる場としているが、残念ながら新型コロナウイルスの感染予防対策で、本格運用はまだ開始できていない。
以上のような大きなコンセプトを引き継ぎ、新たに博物館設立準備室に採用された研究職員によって具体的な展示資料の選定、解説文の作成が行なわれた。むろん、研究職員のなかにはアイヌ民族も和人もいるし、現在では、多国籍の陣容となっていることを付け加えておこう。
展示資料の性格と当館の意義
当館の資料は、残念ながら年代、地域、原資料名など、来歴不明の資料が多い。これは、国内他館のアイヌ民族資料にも共通している。多くの来館者にとって、キャプションの資料情報が少なすぎることは、資料の理解を難しくさせているようだ。
一方、製作者、製作年代が比較的新しい資料も積極的に展示している。当館の展示資料の一部には復元などと明示した資料もある。これは、各地の博物館などに収蔵されている資料を、各地のアイヌ民族の伝承者に熟覧・調査研究してもらい、すでに製作方法などが失われた技術の復元を意図したものである。当館は、そのようなアイヌ文化復興の拠点、あるいは発信拠点となるべきことも自覚しているところである。
「国立」なのに、新しい展示資料はふさわしくないという意見も聞こえてくる。東京国立博物館などの国宝・重要文化財が多い国立博物館と比較されているようだが、当館はどちらかと言えば、国立民族学博物館などと共通する博物館の性格を持っていることがなかなか理解されていないようである。露出展示が少なく、ほとんどの資料が展示ケースに入っているものの、新しい資料もあるという点で両者の展示手法が混在しているように見え、来館者が受けるイメージに影響しているかもしれない。
また、世界中のどの民族文化にあっても、外来の要素を取り入れて、独自の構成を展開させているところに、それぞれ固有の文化が見えるのである。これは、いわゆる日本・和人文化においても同じことが言えるだろう。
例えば、アイヌ民族のうち樺太アイヌは野鍛冶を行なっていたが、本格的な製鉄は行なわなかった。ナイフなどは周辺諸国家から輸入してきたのであり、基本展示室内でも数か所で説明しているのだが、個々のキャプションにおいて輸入品と示すべきであるという意見もある。しかし、世界中の多くの民族文化を見ても、周辺との交易なくしては自文化の成立はないと言ってよいほど物品の輸出入の割合は大きい。あえて言えば、自給自足で閉鎖的な経済活動を行なっている民族文化は、過去を振り返ってみてもほとんどないと言える。
和人を例にとっても、「鎖国」と説明される江戸時代であっても、数か国に限定した貿易を行なっていたわけであり、天ぷら、金平糖など、このころに輸入されたものでいまも名前の残っている料理などは少なくない。現在の和食ないし伝統的な食文化となっているもののなかには、本をただせば外来の要素だということもあり、それ自体は日本・和人文化の大きな魅力であり、見逃せない事実である。明治以降はさもありなんで、和食となっている豚カツの「カツ」が外来語だとどれほどの人が認識しているだろうか。アイヌの食文化においても、外来の栽培食物を取り入れて伝統料理となったメニューがあるわけで、和食の構成とパラレルに見ていきたい。
おわりに
2020年11月段階でウポポイ約17万人、当館約12万人という来館者があった。新型コロナウイルスの感染予防対策で、人数制限をし、ウポポイ全体と国立アイヌ民族博物館で別々の事前予約制を導入しているにもかかわらず、これだけの方々が来場してくださったことに感謝申し上げる。
来場いただいた方には少しでもアイヌ文化への関心をつないで、ひいては日本社会の将来像を各人に描いてもらいたいと願っている。展示検討委員会およびワーキング会議での議論を振り返りつつ、展示資料の更新のたびに見直していきたい。
国立アイヌ民族博物館
住所:北海道白老郡白老町若草町2丁目3 ウポポイ(民族共生象徴空間)内