2021年09月15日号
次回10月1日更新予定

キュレーターズノート

「菜香亭」で交わる二つの時間──山口現代芸術研究所(YICA)と西田幾多郎

吉﨑和彦(山口情報芸術センター[YCAM])

2021年01月15日号

昨年12月、山口現代芸術研究所(YICA、通称イッカ。以下「YICA」)が企画したグループ展「遍在するビューポイント 2」展が山口市菜香亭で開催された。会場となった菜香亭は、1877年から1996年まで料亭「祇園菜香亭」として営業し、山口出身の井上馨や佐藤栄作など多くの政治家たちに利用されていたが、現在は、市の観光施設として活用されている★1。伊藤博文をはじめとしてこれまで9人の総理大臣経験者を輩出してきた山口★2。山口出身の政治家たちとも関係が深く、彼らの自筆の書が近代和風建築の室内に飾られ、「明治維新」以降の山口の近代史を物語るこの場所で、山口の現代美術にまつわる歴史に思いを巡らせた。

YICAの国際的ネットワークの大きさを示した展覧会



山口市菜香亭の外観

「遍在するビューポイント 2」展には、YICAのメンバーに加え、メンバーの呼びかけに応じた、過去に秋吉台国際芸術村のレジデンス・プログラムに参加した海外アーティストやメンバーと交友関係のあるアーティストなど、合計31組が参加した。参加作家のリストを見たときにとりわけ目を引いたのが、31組のうち19組が海外アーティストだったことである。居住国を見ても、イギリス、オランダ、インドネシア、韓国、アメリカ、アルゼンチンなど幅広い。山口で、しかも新型コロナウイルスの世界的大流行により人の移動が制限されている状況にもかかわらず、これだけの数の海外アーティストが参加していることには驚いた。

YICAと秋吉台国際芸術村は、1998年の芸術村開村以来、滞在アーティストのトークをYICAが山口市内で開催するなど交流を行なってきた。また、YICAのメンバーで、かつて芸術村のスタッフだったアーティストの鈴木啓二朗は海外での滞在制作の経験が豊富で、彼が展覧会開催にあたりSNS等で参加を呼びかけて、映像や画像、テキストのデジタル・ファイルを提供してもらったという。そのため、映像や写真作品が多かったものの、YICAやそのメンバーがこれまで培ってきた国際的ネットワークの大きさを感じた。

出品作品は映像や写真のほかに、油彩画、インスタレーション、パフォーマンスの記録映像、メディアアート、ドローイング、版画、水墨画、インストラクションなど幅広く、近代和風建築の展示空間に展示されていた。



展覧会風景 [撮影:小畑徹]


展示室のひとつに、料亭時代に元総理大臣の佐藤栄作が愛用した北客間がある。その床の間には、鉛筆を使った抽象的なドローイングで知られるスコットランドのアーティスト、アラン・ジョンストンのドローイングが展示されていた。山口市の徳地地区で長く作られてきた徳地和紙に、山口の山々の稜線を描いたようなこのドローイングは、ジョンストンが1984年に初めて山口を訪れた際に制作したものである。この年、市内に現代美術を専門とする「ギャラリー シマダ ヤマグチ」が開廊し、ジョンストンはここで個展を開催している。このギャラリーの開廊が、YICAが生まれる契機となり、さらに、この地域における現代美術シーンのひとつの転換点となる。



北客間における展示風景 [撮影:小畑徹]




アラン・ジョンストン《無題》の展示風景(1984)徳地和紙に鉛筆、金テンペラ [撮影:鈴木啓二朗]


アートセンター設立を目指した市民運動


YICAは、ロンドンのICA(Institute of Contemporary Arts)をひとつのモデルとして現代芸術の研究機関を目指し、1998年に設立された市民団体である。現在恒常的な場所は持っていないが、これまで山口市内を中心に展覧会や講演会、読書会、ワークショップを行ない、市民が同時代の芸術と出会う機会をつくってきた。なぜこのような市民による文化活動がここ山口で生まれてきたのか。その経緯を辿っていくと、1984年のギャラリー シマダ ヤマグチの開廊まで遡る。



ギャラリー シマダ ヤマグチの外観。写真は1987年に山口市諸願小路に移転したあとの建物


ゲルハルト・リヒターやベッヒャー夫妻らが教鞭をとっていたデュッセルドルフ美術アカデミーで美術を学んだ嶋田日出夫、啓子夫妻が帰国し、1984年山口市内にギャラリー シマダ ヤマグチを開廊した★3。これをきっかけに、展覧会のために海外のアーティストが山口に滞在して作品制作や講演会をするようになり、山口県立美術館や山口大学などとも交流が生まれる。例えば、ドイツの写真家トーマス・シュトゥルートは1986年に作品制作のために山口に滞在し、その滞在中に山口大学で講演会を行なっている。そして翌年の87年に県立美術館とギャラリーで個展を開催し、ギャラリー、美術館、大学が連携した企画が実現している。このような現代美術を通した交流は山口市内だけでなく北九州にも展開し、1986年から1990年にかけて北九州市立美術館と山口県立美術館を会場に「20世紀美術研究会」が17回開催されている。

1988年には、当時山口大学の教員を務めていた奥津聖、嶋田、山口県立美術館の学芸員ら地元の有志が集まり「山口現代美術研究会」を立ち上げ、アメリカのアーティスト、ダン・グレアムに関するテキストの読書会を始める。そして、1990年にダン・グレアムを招聘し、県立美術館とギャラリー シマダ ヤマグチで個展を、山口大学と山口県立大学でパネルディスカッションや講演会の開催を実現している。



ギャラリー シマダ ヤマグチにおける「ダン・グレアム」展の展示風景(1990)


その後、この山口現代美術研究会が中心になり、県や山口市の行政や民間企業の関係者も参加して、美術や音楽、演劇、舞踊、映画など同時代の芸術を紹介、研究する「半官半民」の常設機関、ICAの山口での設立を目指す研究会が立ち上がる。この研究会では、ヨーロッパの美術館の館長やキュレーターを招聘して連続講演会「レクチャー・マラソン 1995」を開催するなど、事例研究と同時に市民への理解を得るための機会もつくっている。この連続講演会の登壇者のリストを見ると、チャールズ・エッシュやカスパー・ケーニッヒ、クリス・デルコンなど美術館の館長を歴任し、大型国際展のキュレーターを務めるそうそうたるメンバーが名を連ねている★4

ヨーロッパの美術館やアートセンターのあり方を参考にし、公立でもなく私立でもない、県や市、民間企業が資金を出し合い、市民が主導するアートセンターを研究会は山口につくろうとした。こうした拠点としてのICA構想に向けた積極的な活動は数年続いたが、残念ながらこの構想は実現しなかった。しかし、98年には山口現代芸術研究所(YICA)を設立、翌年NPO法人となり、常設の場所は持たず現在まで展覧会やワークショップ、講演会などの活動を継続している★5

山口における現代美術の歴史を振り返ったときに、YICAとその前身の山口現代美術研究会という市民の活動が重要な役割を担っていたことは注目に値する。しかし、この時期、山口の現代美術をとりまく動きはYICAだけではなかった。1980年代から90年代初頭にかけて、県立美術館では前述のグレアムやシュトゥルートのほか、ニエーレ・トローニやナン・ゴールディン、松澤宥、菅木志雄など国内外のアーティストの個展を積極的に行なっている。このように「民」と「官」が連動した動きにより、人口約19万人の地方都市である山口市に現代美術のシーンが生まれたのである。

また、同時期の音楽の動向にも目を向けると、隣の美祢市では「秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル」★6が1989年から98年までの10年間開催され、ヨーロッパの現代音楽の最新動向を紹介している。このように山口と美祢というどちらも規模は大きくない地方都市で美術にしろ、音楽にしろ、東京のような大都市を経由せず、海外の文化機関やアーティストたちと直接国際的なネットワークを構築し、同時代の芸術の動向が紹介されていた。このことは、この地域の文化史においても、80年代、90年代における芸術をとりまく日本の状況を考えるうえでも特筆すべきことではないだろうか。こうした新しい芸術表現を受け入れる豊かな文化的土壌のうえに、1998年に開村した秋吉台国際芸術村、2003年に開館した山口情報芸術センター[YCAM]がある。


YCAMは、2023年に20周年を迎える。開館以来、先端的なメディア・テクノロジーを用いて新しい表現を生み出すことを軸に活動しているが、美術や舞台芸術、映画などさまざまな芸術のジャンルを扱っている点は、YICAのICA構想にも通じる。また、国内外のアーティストやエンジニア、研究者たちとネットワークを構築し、さまざまな事業を行なってきた。しかし、市民との関係を改めて考えたとき、この地域の豊かな文化的土壌を支えている市民活動とどのように連携していくかは、今後のひとつの課題でもある。

YCAMは今、この地域にとってどのような存在であるのか。そして、これからどのような場所になっていくべきか。節目の年を前にして、現在スタッフのあいだで、この地域におけるアートセンターの役割を改めて問い直す議論を行なっている。かつて芸術を通したまちづくりを目指した市民によるICA構想や、そこで交わされてきた議論を振り返り、その歴史的な連なりの中でアートセンターとしてのあり方を考えていきたい。

ホー・ツーニェンと京都学派、そして山口とのつながり


YCAMでは現在、4月からはじまるホー・ツーニェンの個展に向けて、作家とともに作品制作を進めている。ホー・ツーニェンはシンガポールを拠点に活動し、主に東南アジアの歴史や逸話をもとに映像作品やインスタレーション、演劇的パフォーマンスなど多岐に渡る表現活動を行なってきた。今回はYCAMとのコラボレーションにより、VRを用いた新作の映像インスタレーションを展覧会で発表する。

新作でホーが取り上げるのは、1930年代から40年代にかけて日本の思想界で大きな影響力を持っていた哲学者のグループ「京都学派」である。京都学派は、「無」などの東洋的な観念を取り入れることで西洋哲学を乗り越えようとした西田幾多郎や田辺元を中心に形成された。ホーはここ数年間に渡りこの京都学派に大きな関心を注ぎ、第12回光州ビエンナーレ(2018)やあいちトリエンナーレ2019で発表した作品でも取り上げてきた。

1941年11月末、真珠湾攻撃の直前に、京都学派の「四天王」とも称された西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高は「世界史的立場と日本」という座談会を行なう。新作では、雑誌『中央公論』に掲載され、当時大きな反響を呼んだこの座談会を中心に、西谷、高坂、高山、鈴木の4人と彼らをとりまく人々が残したさまざまなテキストをもとに、VRとアニメーションを通してアプローチし、その複雑な背景を掘り起こすことを試みる。

京都学派で最も影響力を持っていた西田幾多郎は、約2年間山口で暮らしている。1897年から99年にかけて、当時20代後半だった西田は山口高等学校で英語とドイツ語を教えていたのである。しかも、料亭「祇園菜香亭」の近くに家を借り、西田が菜香亭を訪れたことが日記にも記されている★7。わずか2年間という短い期間であるものの、西田はこの間、座禅の修行に励み、その後展開していく思想の礎を山口時代に築いたという。



西田幾多郎旧宅の外観


西田が住んでいた建物では、現在「山口西田読書会」が市民のグループにより毎週開催されている。歴史上の人物に関係する文化的遺産として建物をただ保存するのではなく、西田が実践した「哲学する」という行為を市民が実践する場として活用されている点は興味深い。

YCAMでは2月に展覧会のプレイヴェントとして、この山口西田読書会で進行役を務める佐野之人をゲストに迎え、西田が山口時代に書いた小論を参加者とともに読む会を開催する。さらに、プレイヴェントの第2弾として、京都学派の哲学者について研究し、『京都学派』(講談社現代新書、2018年)の筆者でもある菅原潤をゲストに、高山の『世界史の哲学』をめぐる議論に注目した「京都学派と現代」というトークを実施する。

ホー・ツーニェンの新作は、1月に横浜で開催される国際舞台芸術ミーティング in 横浜2021(TPAM)でワーク・イン・プログレス版を公開し、続いて4月にYCAMで完成版を発表する。日本近代において多くの政治家を輩出し、その政治史とも深いかかわりがあるここ山口で開催されるホー・ツーニェン新作展。この地域の歴史とともにお楽しみいただきたい。


★1──料亭「祇園菜香亭」は、1877年から1996年まで八坂神社境内で営業していた。その後、建物は天花町に移築・復元され、2004年に山口市の観光拠点および市民交流の場として開館。
★2──山口を出身とする、あるいは選挙区とする総理大臣経験者は以下の通り。伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、菅直人。
★3──「ギャラリー シマダ ヤマグチ」は1984年に山口市米屋町に開廊し、86年に諸願小路に移転。1992年には東京の南青山にも「ギャラリー シマダ」を開廊し、97年に表参道に移転して2003年まで営業していた。
★4──「レクチャー・マラソン 1995」の講師は以下の通り。講師の所属と肩書は当時のもの。第1回:ダンカン・マクミラン(エジンバラ大学教授、タルボット・ライス・ギャラリー館長/スコットランド)、第2回:クリス・デルコン(ヴィット・ドゥ・ヴィット現代芸術センター館長/オランダ)、第3回:マリオ・クラマー(フランクフルト近代美術館[MMK]/ドイツ)、第4回:チャールズ・エッシュ(トラムウェイ キュレーター/スコットランド)、第5回:カスパー・ケーニヒ(シュテーデル・シューレ学長、ポルティクス館長/ドイツ)、第6回:ウルリッヒ・クレムベル(シュプレンゲル美術館館長/ドイツ)。YICA設立準備会『YICA実現化研究会報告書』、1996年、pp.51-52。
★5──NPO法人としての活動は2019年度で終了し、現在は任意団体として活動している。
★6──秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルは、作曲家の細川俊夫を音楽監督として1989年から98年まで開催されている。交換留学や講師を招聘し、ヨーロッパの現代音楽の最新の動向を伝えた。1995年から1997年までの3回は、山口市で開催。
★7──西田の1899年2月の日記に「二十五日(土) 午後ヨリ菜香亭ニ會アリ。」と記されている。『西田幾多郎全集』第17巻、1966年、岩波書店、p.36。

「遍在するビューポイント 2」

会期:2020年12月11日(金)〜13日(日)
会場:山口市菜香亭(山口県山口市天花1-2-7)

国際舞台芸術ミーティング in 横浜2021(TPAM)ホー・ツーニェン(YCAMとのコラボレーションによる)「Voice of Void(ワーク・イン・プログレス)」

会期:2021年1月24日(土)〜2月6日(土)
会場:BankART Temporary(ヨコハマ創造都市センター) 3Fギャラリー(神奈川県横浜市中区本町6-50-1)

ホー・ツーニェン新作展プレトーク

第1回「山口時代の西田幾多郎の原文を読む・考える」
会期:2021年2月13日(土)
ゲスト:佐野之人(ヘーゲル、西田幾多郎などを研究。山口大学教育学部教授)

第2回「京都学派と現代」
会期:2021年2月20日(土)
ゲスト:菅原潤(近現代哲学、日本哲学史。日本大学工学部教授)
会場:山口情報芸術センター[YCAM]スタジオB(山口県山口市中園町7-7)

ホー・ツーニェン新作展

会期:2021年4月3日(土)〜7月4日(日)
会場:山口情報芸術センター[YCAM]スタジオA(山口県山口市中園町7-7)

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