キュレーターズノート
コロナ下とアーティスト・イン・レジデンス
勝冶真美(京都芸術センター)
2021年02月01日号
新型コロナウイルス感染症の世界的流行は、私たちの生活を一変させた。その最たるものが、移動の制限だろう。これまでの私たちの生活はといえば、飛行機を乗り継いで世界各国のビエンナーレやトリエンナーレを巡ることも、日本に住みながら定期的にアジアをリサーチに行くことも日常の光景ともなっていた。そんな移動の時代においてこそアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)も発展してきたと言える。移動がままならなくなった今、AIRでは何が起こっているのだろうか。
AIRは止まってしまうのか
artscapeに住友文彦氏による「美術を生活の連続性のなかに置くこと──ポストコロナ時代のアーティスト・イン・レジデンスを考える」が掲載されたのが2020年5月15日号。あれから8カ月。「AIRは難易度こそ高いが実施できないわけではない」と書かれた当時の状況と比較しても事態は好転どころか悪くなっているとも言えるかもしれない。今後も当分感染状況は収まりそうもなく、渡航制限は一向に解除されない。国際的なAIRプログラムに至っては、いつかは……と考えるのも気が引けてしまいそうだ。
AIRは、アーティストの制作活動を支える世界的なプラットフォームとして機能してきた。作品が発表されるまでのアーティストの活動を、AIRという名前に仮置きすることでこれまで名付けられることのなかった創作過程を可視化し、活動を充実させ、支援を受けやすくなるように整備されてきた。近年の素晴らしい作品のいくつかは、AIRを通して制作されていることは多くの人が知るところだろう。パンデミックによる影響で最も危惧されることは、AIRの停滞がアーティストの制作活動の停滞となって、数年後あるいは数十年後の作品の出現を今まさに失っているかもしれないということである。
そうならないために何ができるのか。多くのAIRではこのコロナ下でもさまざまな試みを行なっている。知恵と工夫で乗り越えようとするこの間の各地のAIRの活動に、私は希望を感じている。
パンデミック下でのAIRの試み
4月に入るとすぐ、フィンランドのKone Foundationがhome residencyを実施し、3,467件の応募の中から185件を選出するというニュースが届いた。3カ月間自宅で制作を続けるための金銭的支援とアーティスト間の交流を促すオンラインプラットフォームが用意されるこのプログラムは、制作のためのスペースと環境を提供するというAIRのそもそもの概念にも合致しつつ、自宅に篭るというロックダウンの経験をある種の非日常体験としてAIRプログラムに転換させている。
そのほか、AIRにおける「滞在」の定義を拡張したヴァーチュアルレジデンスやオンラインレジデンスの試みも増えてきている。NTU Centre for Contemporary Art Singapore(シンガポール)では、シンガポールに渡航できない海外のレジデントアーティストと、公募で選出された地元のアーティスト(リエゾンと呼ばれる)がペアとなり、遠隔でのリサーチを実現するプログラムを実施している 。FAXやインスタグラムを活用してアーティストが交流しデジタルアーカイブを作るセゾン文化財団とMapped to the closest addressとの共同事業セゾン・アーティスト・イン・レジデンス「オープン・フォレスト・ローンチ: デジタル・レジデンシー」など、通信メディアを駆使したものもある 。
海外のオンラインでのレジデンスプログラムに参加したという日本のアーティストに話を聞くと、毎朝夕に必ずセッションがあるもの、1週間の短期集中型、日々の活動をホストのInstagramにアップするInstagramテイクオーバー型など多様なオンラインレジデンスプログラムが行なわれているようだ。
また、これまで日本ではAIRといえば海外のアーティストを対象に日本での滞在をサポートするプログラムが多かったが、コロナ下では対象を国内のアーティストに転換する動きも見られる。PARADISE AIRは松戸市ゆかりのアーティスト向けプログラムを変更し、松戸駅から60分圏内に居住するアーティストを対象にコロナ下でも滞在ができるプログラムを実施 、さっぽろ天神山アートスタジオでも初めて地元北海道のアーティストを対象にした招聘プログラムを実施中だ 。
オンライン × レジデンスの可能性
移動が可能な範囲でのリアルな滞在制作も行なわれているとはいえ、渡航規制が続く限りはオンラインでのプログラム提供が主な活動になるだろう。しかしそれは、実施者にとっても参加するアーティストにとっても、これまでのAIRとはまったく異なる挑戦だ。京都芸術センターでもオンラインでのプログラムを実施中だが、試行錯誤の日々である。リアルでしていたことのすべてをオンラインで代替しようとするのはナンセンスで、新しい目的と手法を発見していく必要があるだろう。そんな手探りのなかでも、いくつかの気づきがある。ひとつはリアルとは違う新しい出会いがあること。プログラムに参加しうるインターネット環境は確かにハードルにはなりうるが、リアルなAIRプログラムよりもずっと手軽でひらかれている。これまであった「移動ができる人」という暗黙のガラスの天井は、オンライン参加になることで、例えば小さい子供がいる人、身体に障害があり移動が困難な人、地理的・政治的な理由で移動が困難な人の参加も可能だ。事実、オンラインレジデンスのほうが応募国の幅が広がったというAIR関係者からの声もある。2020年4月のオープンコールから4カ月に渡り展開されたco.ikiの実験リモートレジデンシー「Creativity from HOME」の活動報告会に参加した際は、インドネシアからのアーティストがすでにオンラインレジデンスは十何回目、と話していて驚いた 。国際的な活動をしていくことにとって移動は必須ではなくなっていくのかもしれない。
また、本当にしたいことに向き合えるのもオンラインレジデンスの利点だ。リアルのレジデンスの場合、新しい場所に馴染んでいくこと、異文化への戸惑い、多くの人との出会いなど多種多様な情報に晒される。もちろんそれこそがレジデンスの醍醐味なのだが、集中できる時間は意外に少なかったりするのではないだろうか。フォーカスを定めさえすれば、オンラインのプログラムは充実した対話やインプットの機会になりうる。例えば、来日してから該当の分野の専門家に話が聞きたいということになっても、アポを取ったり日程を調整したりといった手順を踏むと、実際に話を聞けるのは滞在終了間際ということも往々にある。オンラインのほうが時間を有効に活用できる場合もあるのではないか。
今後、AIRがどのように変化していくにせよ、アーティストにとって制作の時間が必要だという事実はいつの時代も変わらない。オンラインという選択肢が増えることで、リアルかオンラインかという二者択一だけではなく、例えばすでにいくつかのプログラムで実施されているように、オンラインでのリサーチとリアルでの滞在制作を組み合わせるような展開も考えられる。今後の大きな可能性と捉えたい。
日本では現在多くの団体がオンラインプログラムをまさに実施中で、今後活動報告や振り返りのシンポジウム等も予定されている。制作環境を支えるプラットフォームとして、どのように制作の場を保ち続けていけるのか、オンラインとレジデンスという矛盾する語の狭間で格闘する各地のAIRの成果に期待したい。