キュレーターズノート

ある美術家にとっての40年間とこれから──
牛島智子個展「40年ドローイングと家婦」

正路佐知子(福岡市美術館)

2021年03月15日号

少し前のことにはなるが、昨年12月下旬に牛島智子の個展「40年ドローイングと家婦」が福岡市美術館のギャラリーEにて開催された。牛島は2020年前半、コロナの影響をもろに受けた。3月末に参加予定だったグループ展は主催者が広報前に中止を決め、存在すら公になることがなかった。5月に福岡市美術館のギャラリーを借りて開催予定だった個展も美術館の休館によって中止となった。本展は、予定していた展覧会が半年後にようやく日の目を見たものだった。

加速する美術活動

現職に就いてから福岡のアートシーンをある程度見てきたが、牛島智子は現在もっとも精力的に活動している美術家のひとりである。毎年のように九州内の美術館やアートセンター、アートスペースの企画に呼ばれ、個人でも毎年個展を開く。多くの美術家を巻き込んだ展覧会を自ら企画し実現させたこともあった。特に、旧八女郡役所や旧玉乃井旅館という築100年を優に超えた古い木造建築での展示は、1990年代の終わり頃に東京から福岡に戻ってきて以降リサーチを続けてきた地元・八女の産業でもある櫨(はぜ)蝋燭や手漉和紙を用いた作品との相性が抜群で、インスタレーションがいつも話題になってきた。そう、本人も認めるとおり、この10年の牛島の活動は「加速している」。

今回の個展会場となった福岡市美術館のギャラリーEはリニューアルによって新たに誕生した約82平米のホワイトキューブである。床も天井も白色がベースに用いられ、県内のどの美術館の展示室より白い。築年数を経た建築で大規模なインスタレーションの経験を重ねてきた牛島がこの空間をあえて自ら借り、ここで何を見せようとしているのか、興味があった。

「牛島智子展 40年ドローイングと家婦」展示風景[撮影:長野聡史]

ギャラリーに足を踏み入れると、白い空間は色彩であふれ明るく輝いていた。中央には和紙でつくられたオブジェ《家婦》が置かれ、布団の布をはじめさまざまな古布がパッチワークされた3枚の作品が正面の幅11メートル弱の壁を覆う。右には、大画面の和紙に点描で描かれたこれまた巨大な絵画が壁面を覆い、床に垂れている。布の作品も点描の作品も1990年代から牛島が取り組んできた、正3角形から一辺ずつ増やしていった正多角形が辺を接しながら弧を描き展開していく抽象絵画である。点描による作品の床に垂れ下がった部分にはオブジェや衣服や資料が無雑作に並べられている。

正面の壁に設置された布の作品は、牛島家の母屋にあった古い布団をばらしたもので、中綿は仕事場の古い木造家屋の屋根の断熱材に使っているという。遠目では、円形が並んでいるようにも見えるが、これは牛島が90年代より絵画やドローイングや立体で試みてきた、正3角形からスタートし一辺を同じ長さで4角形、5角形と増やしていき9角形で形が閉じる造形である。同じことは点描作品でも試みられている。こちらは一辺33センチメートルでぐるぐると正30角形まで展開し、高さ4メートル、幅5.8メートルの壁面を覆い、床に垂れている。同じ原理による造形だが、こちらは牛島が点を打っていく時間の蓄積という点で、使用された布の時間を想起させる布の作品とは違う印象を与える。

「牛島智子展 40年ドローイングと家婦」展示風景[撮影:長野聡史]


「家婦」が内包するもの

今回の個展タイトルの「40年」という年数は、牛島が美術家として活動してきた時間のことだ。本展では、障子紙の支持体に学生時代から現在までの活動を語る資料(DM、チラシ、リーフレット)が貼られ、展示記録写真が貼られた紙が壁面を覆っている。九州産業大学在学中に、IAF版画教室に出入りし福岡で開催された現代美術展に出品。大学卒業後に上京しBゼミで学び、1980〜90年代は東京で個展を重ねている。1990年代の終わり頃福岡に戻り、1990年代後半から2000年代は展覧会への参加が減るが、2000年代の終わり頃から勢いを取り戻し、現在まで勢力的に発表を続ける牛島の軌跡は、ひとりの美術家の思考や活動の波をありのままに伝えるものであり、その時々の福岡のアートシーンも同時に目の前に喚び起こされるようでもある。重層的なこの「ドローイング」に加え、ピーナッツの形のような色とりどりの支持体に牛島がこれまで記してきた詩/ステートメントが書き写されたものが並び(本展はコロナウイルス感染拡大防止のためイベントなどは開催されなかったが、会期中に牛島がこの詩の朗読をしたという)、学生時代に描いた絵画、変形キャンバスによる絵画が空間を埋めていく。すべて、その時代を示す資料としてではなく、この《40年ドローイング》を成立するために召喚されている。作品や写真や資料の色彩が白い障子紙あるいはホワイトキューブに浮かび上がるさまは、活動初期にモチーフを描く過程で余白を削ぎ落とすために変形キャンバスの絵画に取り組み現在までこの変形キャンバスの絵画をひとつの表現手段としてきた牛島の、図と地の意識をあらためて感じさせた。

「牛島智子展 40年ドローイングと家婦」展示風景[撮影:長野聡史]

「牛島智子展 40年ドローイングと家婦」展示風景[撮影:長野聡史]

「牛島智子展 40年ドローイングと家婦」展示風景[撮影:長野聡史]

展示室中央には、《家婦》がいる。家婦は正12面体の中に上半身を突っ込んでいる。「家婦」は家の諸々を行なう「妻」「主婦」の謂いだが、背後のパッチワークの作品がこれまで家と関わってきた女性たちを想起させるとともに、牛島が東京で活動していた時分に出産し、美術の活動とともに子育てと仕事、そして家事にも従事していたことを想像すれば、この言葉がはらむ射程が牛島の個人史だけでなく広く女性たちの歩みにあることがわかる。この多面体は中に入ることが可能で、コロナ感染予防のため今回は来場者は入れなかったが、会期中に牛島がここで黙々と作業をしたり、来場した女児らが牛島の計らいで特別に中に入りひとときの間自分たちの世界に浸っていたりもした。

「牛島智子展 40年ドローイングと家婦」展示風景[撮影:長野聡史]

「40年ドローイングと家婦」というタイトルには、牛島の美術家としての活動の時間(そしてそれはこれからも続いていくことが示唆される)と、家婦という言葉が内包する女たちの時間という二つの時間を読むことができる。しかし実際に展示室内に充満していたのは、牛島の親の世代や祖父母たちとともにあった布の時間、牛島が美術家として活動してきた時間、作品制作にかけた時間、来場者が行き交う時間、そしてこれからの40年という、幾重にも重なり混ざりあう時間だった。

実はこの個展で牛島は、作品を軽自動車一台に詰め込んで運び、設置もすべてひとりで行なったという。それは「自分の身体を限界まで使ってできるかたち」を求めてのこと。和紙や布を支持体や素材に用いた作品は畳めば小さくなり、展示する空間に合わせて広げることが可能である。現状に満足せずに毎度自らに課題を課して取り組み、置かれた状況をポジティブに転換させようとする姿勢は、この先の見えない時代を照らす光のように感じられた。


玉乃井と牛島智子

2021年2月某日、以前ほど頻繁には見なくなっていたFacebookを開いたら、牛島智子が投稿した写真でタイムラインが埋め尽くされていた。写真の舞台となった場所はひと目でわかった。福岡県福津市の津屋崎にある旧玉乃井旅館である。この場所は、福岡で美術に携わる者にとって特別な場所のひとつだ。これまでに13回開催されてきた「津屋崎現代美術展」をはじめさまざまな催しが開かれる場所であり、窓から見える海、建物を通り抜けていく風と音とともに作品を見て、この建物の主である安部文範や作家、来場者と作品や近況について会話し、喫茶室でケーキと安部が淹れてくれるコーヒーをゆっくり味わう、そういう場所だ。

牛島にとって玉乃井は、活動の転機になった場所だった。1990年代後半、家の事情で九州に戻ったものの東京と福岡のアートを取り巻く状況の違いに戸惑い、なかなか思う通りに制作や発表ができず鬱々としていたという牛島が福岡を拠点に活動を展開する大きなきっかけとなったのが、2011年にこの場所で開催した展覧会だったからだ。

タイムラインに並ぶ写真には、築100年を超える木造建築の天井に、玉乃井保存活用プロジェクトのメンバーたちと牛島が天井画を設置する様子、牛島の作品展示風景、そして牛島と同じく福岡を拠点に活動する美術家・草野貴世と写真家・長野聡史によるパフォーマンスの様子が捉えられていた。聞けば天井画は常設の予定だが公開はしておらず、「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」と題した作品展示・パフォーマンスはウェブ上で公開するためだけに行なったのだという。この冬再び緊急事態宣言が発令され、移動や集会が憚られる状況にあった福岡において、不特定多数の人を楽しませようという気持ちが伝わる、受け取る側も心躍る便りのように思われた。天井画のお披露目は玉乃井保存活用プロジェクトの主催で4月中旬に予定しているそうだが、その写真をここでも紹介させてもらう。

2021年5月7、8、9日の3日間、牛島は再び福岡市美術館のギャラリー(今度はギャラリーF)にて個展「とりのメウオのメ」を開催予定だ。軽やかでダイナミックなインスタレーションの展示となりそうだが、その一角で「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」の報告展示も予定されている。

玉乃井保存活用プロジェクトのメンバーと天井画貼り付け作業[撮影:長野聡史]

「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」[撮影:長野聡史]

「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」[撮影:長野聡史]

「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」[撮影:長野聡史]

「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」[撮影:長野聡史]

「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」[撮影:長野聡史]

「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」[撮影:長野聡史]

「玉乃井 オハヨウの朝─天井画をめぐって」[撮影:長野聡史]


牛島智子個展「40年ドローイングと家婦」

会期:2020年12月15日(火)〜12月20日(日)
会場:福岡市美術館 ギャラリーE(福岡市中央区大濠公園1-6)
公式サイト:https://www.fukuoka-art-museum.jp/gallery/?q=202012

牛島智子個展「とりのメウオのメ」

会期:2021年5月7日(金)〜9日(日)
会場:福岡市美術館 ギャラリーF(福岡市中央区大濠公園1-6)
公式サイト:https://www.fukuoka-art-museum.jp/gallery/?q=202105