キュレーターズノート

展覧会の作り方について── 「分離派建築会100年」展と「イッツ・ア・スモールワールド」展から

中井康之(国立国際美術館)

2021年03月15日号

展覧会の展示形式というのはいくつかの典型的スタイルがある。その原型のひとつに18世紀にはルーヴル宮の「サロン・カレ(方形の間)」で開かれるようになった、17世紀フランスアカデミーでのローマ賞受賞作の展示を端緒とする、いわゆるサロン展(官展)があるだろう。いまでも国内で数多く開かれている美術団体展のモデルに過ぎないと思われてしまうかもしれないが、然にあらず、その展示は、上記したようにアカデミーで学ぶ人々のコンクール展を端緒とするゆえ、歴史画、肖像画、風俗画、風景画と序列付けされた主題別に分類されて並べられたのである。そのことは、ボードレールが著した『1845年のサロン』という批評文からもわかる。またその冊子は、サロン展会期中に発行され、同展手引書ともなった。


「分離派建築会100年 建築は芸術か?」展 会場風景[撮影:若林勇人 写真提供:京都国立近代美術館]


また、1855年のパリ万博開催時には美術宮殿が設けられ、当時のフランスアカデミーの作家たちの作品を総覧できるような展示と、それに併せてアングル、ドラクロワといった作家の個展も開催されていた。その2人の主要作品が展示されたというのは、当時新たに台頭してきたロマン主義とそれを迎え撃つ新古典主義の2つの芸術スタイルを同時に鑑賞できる機会ともなった訳である。

また、ついでに記せば、19世紀半ばのパリでは百貨店の特設会場で新古典主義による作品を集めた企画展も開催されていた。一般市民が多く集まる場所に、文化的興業を仕掛けるという仕組みは決して戦後日本に特有な現象ではなく、展覧会という方法論が誕生した当初から取り組まれていた訳である。

このように、展覧会という枠組みの中で、19世紀中頃のパリでそれが始まった当初から、表現された主題による展示、特定の美術動向を表わす展示、話題の作家の個展、といった今でも繰り返されている展示形式の原型が既に在った訳である。このような豊かな文化的背景が用意されることによって。19世紀後半に「印象派」のような新しい表現手法の試みが実施されていったのだろう。


前置きが長くなってしまったが、以上の様な事実を再認識するにつけ、美術館で展覧会を企画する者にとって、19世紀中頃に仕組まれたその枠組みから脱することは、とても困難であると思われてくる。と同時に、作品をあるコードに基づいて組み替えることによって、何らかの事象を明らかにする方法論を、作品本位によって実施する限りにおいては、旧来的な展覧会の枠組みを墨守することにこそ正当性があるようにも思われてくるのである。

建築運動の「理念」を展示する


そのような事をつらつらと考えることとなったのは、ここまで述べてきたような伝統的な枠組みに捕らわれている私を一蹴するような展覧会と出会ったからである。それは、京都国立近代美術館で開催されていた「分離派建築会100年 建築は芸術か?」である。

建築展は作品である建築物そのものを展示することができないという点で、他の美術作品を陳列することができる展覧会とは決定的に異なる。というのは、作品本意が展覧会の本質であるという意図によって、建築展において最も重要視されるのは、建築図面であり、その次にくるのは建築模型なのである。この建築模型は建築物の完成を見せるための3D図面という位置に留まらずに、例えばガウディが構造を模索するために模型を180°反転させて重力を利用して設計を行なうなど建築の本質に迫る数少ない例もある。しかしながら、そのような事例は実際には少なく、多くは建築図面を施主用に立体的に見せるための手段と化し、その位置づけは高くない。そして近年ではCGによって、建築物の完成形態を、スケール感も含めて再現できるようになってきた。実際、私自身も近年開催した建築展でCGによる動画を展示効果の高い媒体として活用してきたが、展示対象としての序列は、建築模型の次に留まるものと現状では認識している。例えば、マークフォスター・ゲージのような若手建築家のなかには、デジタルデータを合成して建築物の意匠を作りあげるような手法を用い、建築完成図をイメージしたCG動画も自らが手掛けている。そのような動画は、CGアーティストによって作成されたCG動画とは違った位置にあるかもしれない。

さて、それでは京都国立近代美術館で開催されていた「分離派建築会100年 建築は芸術か?」では、何を最も重要な展示物として扱ったのか。おそらく、この展覧会の企画者は「分離派」という日本で最初の建築運動の「理念」を打ち出すことを考えたのだろう。そのような抽象的な観念を展覧会として実体化することができるのか、という疑問符が当然出てくると思われる。しかし、展示対象である「分離派建築会」という運動自体が、「建築非建築論」(野田俊彦、1915)に代表される、建築の物理的な構造を重要視するような立場に対して、東京帝国大学建築学科の学生有志によって誕生した運動である。企画者は「構造」より「美」を建築に求めた100年前の若者たちの「理念」を実体化することを考えたのではないだろうか。そのような意図は、展覧会タイトルの後半「建築は芸術か?」という文言にも打ち出されている。

そのことを了解すれば、展覧会場の最初の展示空間に、分離派建築会の宣言を読み上げる声を流すことも理解できるだろう。もちろん、それだけでは、展示物を鑑賞する際のBGM、場合によっては雑音にしかならないであろう。「分離派」展を鑑賞するために美術館を訪れた人々に足を止めさせ、意識的に、あるいは無意識的にでも、そのマニフェストの朗読を耳に入れさせる。そのための装置を展示会場の最初のその空間に、現存する「分離派」作家たちが設計した建築物の現在の姿を、現存の写真家が撮った光景として一覧できる場所としたのである。

そのなかには、よく知られている東京の御茶の水駅の横に架かる聖橋など、多くの人が知る光景もあるが、その他は知る人ぞ知るという建築物である。それらの建築写真には、設計者名は記載されずに建築物の簡単な紹介文が記載されているのみなのである。また、おそらくは今回のために依頼して撮影した写真であるために、撮影者の著作権を放棄してもらうことによって、その最初の展示空間での撮影を自由にし、鑑賞者の滞在時間を自然に長くするような工夫が取られていた。



「分離派建築会100年 建築は芸術か?」展 会場風景[撮影:若林勇人 写真提供:京都国立近代美術館]


簡潔明快な宣言文であるので以下に記載しよう。



「分離派建築會の宣言」

我々は起つ。
過去建築圏より分離し、總の建築をして眞に意義
あらしめる新建築圏を創造せんがために。
我々は起つ。
過去建築圏内に眠って居る總のものを目覺さん
ために、溺れつゝある總のものを救わんがために。
我々は起つ。
我々の此理想の實現のためには我々の總のものを
愉悦の中に獻げ、倒るゝまで、死にまでを期して

我々一同、右を世界に向かって宣言する。


「我々は起つ」というフレーズがリフレインされて脳内に響きながら、未仕上げの展示パネルに、第1回から最後の第7回までの「分離派建築会展」に出品された建築図面や建築模型を目にしていると、すべては「新建築圏を創造せんがために」生み出されているという精神性が立ち上がってくるのである。

7つ程に区分けられた各展示は、先に触れた未仕上げの展示パネルのギャラリーとなっているのだが、その長いギャラリー壁面には、拡大された展示図面や完成図、あるいは建築理論書等が貼り出されている。企画者の本橋仁氏は、「展示模型が数十分の1から100分の1というスケール感なので、鑑賞者のスケールが1分の1として、ギャラリーに出た時には数十倍から百倍のスケール感のある印刷物と出会うことを望んだ」といった主旨を伝えてくれたのだが、おそらくこれは、鑑賞者がこの展覧会の模型に入り込んだような感覚を抱くようにするために考え出した仕掛けであると想像した。そのような自由自在なスケール感を獲得することによって、鑑賞者は、100分の1スケールの建築模型の中に入り込むことが意識として容易になっている自己を発見することになるだろう。

私はこのように、鑑賞者の視点を自由に操作するかのような展覧会を始めて経験した。建築学科で学んできたという企画者の本橋氏の今後の展示構成に注目したい。



「分離派建築会100年 建築は芸術か?」展 会場風景[撮影:若林勇人 写真提供:京都国立近代美術館]




「分離派建築会100年 建築は芸術か?」展 会場風景[撮影:若林勇人 写真提供:京都国立近代美術館]




「分離派建築会100年 建築は芸術か?」展 会場風景[撮影:若林勇人 写真提供:京都国立近代美術館]




「分離派建築会100年 建築は芸術か?」展 会場風景[撮影:若林勇人 写真提供:京都国立近代美術館]


★──シャルル・ボードレール(阿部良雄訳)『ボードレール批評1』(筑摩書房、1999)
ボードレールの批評に関する箇所は、当時の博覧会の内容等は同書に拠った。また、余計な話かもしれないが、ボードレールは糊口を凌ぐためか、先のサロン評以降、数多くの美術批評をこなしている。詩人が美術批評を行なう原型はここにあるのかもしれない。


アーカイヴで展覧会を構成する


「分離派」展と会期を重ねるように、隣接する京都勧業館という、総合イベント施設内にある京都伝統産業ミュージアムの中の特別展示室で、京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENTS)の一環として、「20世紀初頭、日本国内で開催された博覧会で異民族を展示する『人類館』が設置されていた」という衝撃的な内容の展覧会が開かれていた。ロンドン、パリという大都市で始まった万国博覧会は、最先端の科学技術を紹介し、また開催国の文化度を示すための美術展を開催するような役割を果たしていた訳であるが、併せて、異民族を会場内に棲まわせて「展示」するような、現在の観点からは想像もできないような施設が存在したことは知られた事実であろう。しかしながら、日本に於いても、欧米列強の国々が敢行する事業をなぞるように、日本の周辺諸国のみならず、内地の「異民族」であるアイヌや琉球で生活する人々を博覧会内の施設に居住させて「人類館」という見世物にしていた、ということを私自身は認識したことはなかった。

この展覧会は、その事実を伝える新たに発見された写真を公開する事を前提として組み立てられた展覧会である。ただし、その新事実以上に私が驚いたのは、この展覧会「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」が、その記録写真や「人間の展示」が実施された博覧会の記念ハガキ等の、いわゆる2次資料を中心として成立していることであった。先に紹介してきた「分離派」展以上に、これまで展示の脇役を演じてきた画像資料が集合して、新しいスタイルの展示手法を立ち上げたと言ってもいいだろう。



小原真史「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」展 会場風景[撮影:白井茜 写真提供:KYOTO EXPERIMENT]



展示写真の説明パネル 左の集合写真は第五回内国勧業博覧会 学術人類館(アイヌほか)(1903)[撮影:白井茜 写真提供:KYOTO EXPERIMENT]



近年、美術館活動の新しい活動分野としてアーカイヴという領域に関心が持たれている。『美術手帖』最新号(2021年4月号)でも「アーカイヴ」が特集に組まれていた。その冒頭の記事中、アーキヴィストの上崎千氏が指摘するように、コンセプチュアル・アートのひとつの方法論としてアーカイヴ的な、表現の記録あるいは資料的な性格をもつ表現があり、近年ではそのような手法が多用されていると思う。しかし、この展覧会の企画者で映像作家でもある小原真史氏が挑んだ方法は、アーカイヴ側からの逆襲とでも言えるような衝撃力を持つ試みであるだろう。一個一個、博覧会や展覧会の記録として残された写真、記念品として印刷されたポストカードといった、旧来の文献資料では取りこぼしていた画像資料(アーカイヴ)を時間を掛けて(10年以上にわたる追跡があったようだ)丹念に集積することによって、ひとつの重要なファクトを導き出したのである。このような手法を、本質的な意味では、真似ることさえ容易ではないだろう。しかしながら、そのような特殊な事例として看過すること無く、このような手法によって作り上げられた展覧会があったことを記憶していく必要性はあるだろう。



小原真史「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」展 会場風景[撮影:白井茜 写真提供:KYOTO EXPERIMENT]




小原真史「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」展 会場風景[撮影:白井茜 写真提供:KYOTO EXPERIMENT]




第五回内国勧業博覧会 台湾館の図(中央の見開かれた本)[撮影:白井茜 写真提供:KYOTO EXPERIMENT]




日本を訪れたタイヤル族をモデルに作成した「世界人類風俗人形」[撮影:白井茜 写真提供:KYOTO EXPERIMENT]

分離派建築会100年 建築は芸術か?

会期:2021年1月6日(水)~ 3月7日(日)
会場:京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町26-1)
展覧会ウェブサイト:https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2020/440.html

小原真史「イッツ・ア・スモールワールド:帝国の祭典と人間の展示」

会期:2021年2月6日(水)~ 2月28日(日)
会場:京都伝統産業ミュージアム(京都市左京区岡崎成勝寺町9-1 京都市勧業館みやこめっせ 地下1階)
展覧会ウェブサイト:https://kyoto-ex.jp/shows/2021s-masashi-kohara/

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