キュレーターズノート

そこに住む人たち自身が街を変えていくこと──自治区 金石大野アートプロジェクト 「かないわ楽座」

野中祐美子(金沢21世紀美術館)

2021年09月01日号

7月の1カ月間、金沢21世紀美術館主催事業として金沢の港まち、金石地域で「かないわ楽座」というプロジェクトを実施した。金石の商店街で、空き店舗を転用して人々が集い話すための「場を開く」プロジェクトである。これは、商店街を活性化するためでも、イベントで賑やかしをつくるためのものでもなく、地域の人たちが、自分たちの暮らす街のこれまでとこれからについて考えるための企画である。


金沢の港まちとしての顔

金沢に何度も足を運んだことのある人でも、金石を訪れたことのある人はそれほど多くないだろう。かつては北前船の寄港地として栄え、味噌蔵、醤油蔵が立ち並び、造船業、漁業も盛んな地域だった。金沢といえば、加賀百万石の城下町として栄えた街というのが一般的な認識ではあるが、日本海航路で海からの物流や多様な文化を受け入れた地域でもあった。

現在の金沢は観光地として人気も高く、兼六園や近江町市場、金沢21世紀美術館などがある金沢駅の西側が観光の名所とされている。しかし、金沢市が昨今、この港エリアにテコ入れを始めたことについては、以前に執筆した通りである。

中心地の一極集中を避け、観光客を分散させることで街の回遊性や市全体の経済効果を高めようとしている。もちろん、金石・大野という港エリアの歴史や文化の魅力も発信していきたいという考えもある。


金石町商店街の風景


さて、そのような港エリア、とりわけ金石に我々がレジデンスの拠点とスタジオを構えてもうすぐ3年が経とうとしている。国内外のアーティストを招聘し、海岸に近いスタジオで制作・発表をしたり街のリサーチをするなど地域の人を少しずつ巻き込みながら活動を続けてきた。アーティストにも金石の行事や歴史を紹介すればおおよそここがどういう街なのか理解してもらえる。しかし、3年も通いつめているわりに、金石に住む人たちの顔がまだ十分に見えてこないし、3年前といまとで何か大きな変化をもたらしたという手応えのようなものを実感できずにいた。もっと金石という街や人と向き合う必要性を強く感じるようになったのである。

そこで、今回はこれまでのようなアーティストのスタジオ滞在ではなく、舞台を金石の中心にある商店街へ移し、アーティストやクリエイターらと共に、街の人々との交流と対話の場を開くことを目的とした。商店街といっても空き店舗も多く、商店も激減しているが、かつては金石でもっとも賑やかな通りで地域の人々が行き交い集う生活の中心となる場所であった。ここでアーティストやクリエイターの力を借りて、街の人と私たち、そして街の人同士が交流し対話をすることでこれからの金石について考える機会を作ることを目指した。


歴史の面影の残るスペースを生かして

今回会場となったのは金石町商店街にある三つの空き店舗と営業中の一店舗、小さな緑地公園と築130年以上の一軒の町屋。合計6カ所が会場となった。

全会場のなかでももっとも大きな店舗である旧樫田堂には3名のアーティストがスペースを共有し、インフォメーションブースや休憩所なども設けた。樫田堂は金石に古くからある老舗和菓子屋で、現在は金石のバスターミナル近くに新店舗を構えている。商店街のこのスペースは空き家となっていたが、照明や壁紙、店内のディスプレイなど、かつての和菓子店の面影がどことなく残っている。厨房はずいぶん荒廃していたものの、廃墟感漂う面白いスペースだ。この会場を使ったのは、金沢美術工芸大学出身の3名のアーティストで、年齢順に紹介すると、石彫家の渡辺秀亮、画家の菊谷達史、珠洲焼作家の中島大河である。40代、30代、20代と世代が異なるこの3名の地元作家たちには、自身の作品制作やワークショップ、展示など自由にその場をつくりながら、地域の人たちや来場者との対話をつくり上げることを依頼した。同時に、他店舗に入るアーティストやクリエイターたちの場づくりや運営のサポート役も担ってもらった。


旧樫田堂


石彫家の渡辺秀亮によるワークショップ


画家の菊谷達史による展示


珠洲焼作家の中島大河によるワークショップ


元化粧品店の物件を使ったのが「牛嶋家」だ。化粧品店として4年ほど前までは営業していたが店主が高齢ということで55年間の営業に幕を下ろした。今回、棚や備品がそのまま残った状態の元店舗スペースを牛嶋家の活動の場所としてリノベーションした。ここには、金沢21世紀美術館のコレクション作家のひとり、牛嶋均と妻で作家のオーギカナエ、そして二人の子どもたちそれぞれが自分の持ち味を生かして「牛嶋家」の活動を展開すべく久留米から交代でやって来た。父・ヒトシは当館のコレクション作品《ころがるさきの玉 ころがる玉のさき》を街中で使用することと、それを海に浮かべるという一大プロジェクトを街の人たちと実行した。母・オーギカナエは「防災」をキーワードにオーギのオリジナルキャラクター「スマイル」をモチーフにした防災グッズ制作のワークショップを開催した。長女・キナミは今回のプロジェクトを紹介する冊子を作成し、長男・タイヨウは牛嶋家がある久留米市田主丸という山間地域の大自然の様子を映像作品としてまとめた。田主丸が山に近い一方、金石は海に近い地域。その山と海を対比させた映像として、金石をリサーチし会期中に海編を制作して会場で上映した。


牛嶋家が活動の拠点にした旧田村化粧品店


元文房具店を使ったのが宮田明日鹿だ。宮田は名古屋で「港まち手芸部」という活動をすでに立ち上げているが、その金石版を今回依頼した。名古屋との大きな違いは、手芸部のための場所をつくったことだろう。文房具店の店主やその家族と共に、店舗の片付けや備品整理をするところから着手した。金沢美大出身の3名の作家たちと共に掃除や塗装など金石手芸部の「部室」をつくり上げていった。手芸初心者から上級者まで、年齢、性別問わず誰でもふらっと立ち寄ったら編み物や縫い物など、何でもいい、手を動かしながら世間話を楽しむ空間が出来上がったのである。市内の手芸用品店からも毛糸を寄付してもらったり、ご近所の人から古くなった道具や素材が集まり徐々に手芸部の部室がそれらしくなっていった。

宮田のスタンスは自分が先生となるのではなく、あくまでも部長であること。上下の関係はつくらない。そこに集まった人同士が教え合ったり、話し合ったりして楽しい時間と場をつくっていくことがこのプロジェクトの肝である。手芸という生活に身近な行為を通して、人が交流する場づくりである。


金石手芸部の「部室」となった元文房具店「こうの」


唯一、現役の店舗を使ったのが「辻家の森」である。辻洋傘店の店内を、金沢市内にあるこだわりの花屋「花のアトリエこすもす」の店主、角島泉がまるで森のように観葉植物や切り花で埋め尽くす。そのなかに森をイメージしたお菓子をつくり販売するのが、市内でも人気の菓子店「甘味こしらえ しおや」だ。花屋とお菓子屋によって商店街の一角にふと立ち寄りたくなるオアシスのような空間が出来上がった。緑をかき分けて店内に入っていくと、角島が選んだガラスの置き物がところどころでキラキラと光り、しおやの丁寧につくられたお菓子で思わず笑顔が溢れ出る。洋傘店の傘も「辻家の森」のインスタレーションに見事にはまっており、全体で心地のいい空間になっていた。連日の猛暑にもかかわらず、「辻家の森」に入ると涼しく感じたのはやはり植物の力だろうか。子どもから大人まで「森」を彷徨い、笑顔で出てくる居心地のいい空間となった。


辻洋傘店「辻家の森」


「花のアトリエこすもす」による植物のインスタレーション


辻家の森の中にある菓子店「甘味こしらえ しおや」


商店街の通りにある宮腰緑地では毎週末「かえっこバザール in 金石」が開催された。「かえっこバザール」は周知の通り、アーティスト藤浩志が始めた要らなくなったものを物々交換するプロジェクトだ。重要なのは、子どもたちが主体で運営すること。金沢でも複数の団体がかえっこバザールを開催しているが、今回は「NPOかえっこまるびぃ」に金石での開催を依頼した。地域の子どもたちがお店の準備をするために集まり、みんなで話し合いながら役割分担を決め、商品を陳列し、来客の対応をする。「かえっこ」の噂を聞きつけて大人と一緒に要らないおもちゃを持って会場に来る子どもたちも徐々に増え、炎天下にもかかわらず週末の宮腰緑地は賑わいを見せた。

公園の前に子ども用の自転車がひしめき合うように駐輪された様子はなんだか懐かしく、自分の子ども時代を思い出した。最近はこういう光景をあまり見なくなったこともあるのか、公園にそもそも行かなくなったからなのか、その両方かもしれないが、公園前に自転車が並ぶ光景が地域にとってとても貴重な風景に思えてならなかった。


「かえっこバザール in 金石」の様子


「かえっこバザール in 金石」の様子


「かえっこバザール in 金石」の様子


会期最後の4日間だけ公開した会場が「宮野邸」だ。築130年以上になる金石らしい町屋を紹介するとともに、金石が海を玄関口に外からの文化を取り入れてきた歴史を有していることから、海がつなぐ大陸に想いを馳せ、李朝家具、白磁壺、ソバン(御膳)など、生活を豊かにする器の紹介をしながら、それらに「花のアトリエ こすもす」の角島が花を活け、空間を演出した。家具や器類は東京の「サロン・ド慎太郎」オーナー矢島真太郎氏によって選定された。4日間だけの限定公開だったが、同じ金沢とはいえ中心市街地に残る町屋とは異なる港まち金石らしい町屋に来場者は惚れ惚れした。昔を知る金石の住民たちは懐かしみ、若者や子どもたちはかつての金石の文化を建物から見て学ぶ貴重な機会であった。


宮野邸


宮野邸


「商店街写真館」というプロジェクトを最後に紹介したい。公民館や地元の人たちの協力により、商店街が栄えていた時代やまだ商店街ができる以前の金石の様子を撮影した古い写真を集め、それらを協力店舗の店先に掲出した。街を歩いていると金石の昔について写真を通して知ることができる。写真を見ながら懐かしそうに昔の様子を話してくださった地元の方々、孫や子どもに当時のことを教える姿を幾度か見かけることができた。金石の街がかつてどうであったのかを語る姿は、それぞれの金石への思いが伝わる瞬間でもある。


商店街写真館



この街を知り、この街の未来を考える

「かないわ楽座」は、いわゆるまちなかアートイベントのような性質とは異なり、冒頭にも書いた通り、あくまでもこの金石という街について知り、この街の未来について考える機会をつくるものだ。そこにアーティストやクリエイターが加わることで、堅苦しい話し合いの場を持つ、というのではない別の方法で話せる場所をつくりたかった。また、住民たちが交流することや、住民たちが地域の外から来る人々と交流することで、何か新しい気づきや可能性を見出せるかもしれないという期待も込めた。

牛嶋家の父・牛嶋均の作品《ころがるさきの玉 ころがる玉のさき》は球体を4分割させることができ、使い方は自由。今回、牛嶋はこれを海に浮かべてみたいと考えていて、その作家の思いに触発されたのが金石の建設会社の方たちだった。海岸工事なども請け負うことから、海に関する知識や船についても詳しい彼らに、そもそもこの鉄の塊をどうやって海に浮かべさせられるのか相談に行ったところから話が一気に進展した。「今年は夏祭りも小規模で神輿もなくなったから、神輿を担ぐつもりでこの作品を浮かべてみるか」と牛嶋の話に乗ってくれたのである。また、牛嶋は金石が北前船の寄港地だったことに関心を寄せ、当時の造船の様子や寄港地ゆえの土地の独自性に興味を持ち、金石の歴史を知る会会長から北前船について詳しく話を聞く会も開催した。このように、作家の「やってみたい」「知りたい」というひと言から、地域の人々と少しずつつながり、アドバイスや知識を提供してもらうなかで、徐々に金石の人たちの顔や名前や人柄が見え始めていったのである。


牛嶋均《ころがるさきの玉 ころがる玉のさき》


作品を海に浮かべる当日、牛嶋自身は残念ながら金沢にいることができなかったが、金石の人たちが中心となって玉を海に浮かべるプロジェクトを遂行した。玉を浮かべるための浮力計算や、方法をはじめ、材料、さまざまなものを地元の建設会社の方々が準備をし、当日は子どもたちも交えて、本当に夏祭りの神輿を担ぐように全員で鮮やかな黄色の球体にカラフルなゴムボールなどを詰め込み、海まで運んだ。金石という土地は祭りが盛んな地域で、金石にある大野湊神社の400年以上続く春と夏の祭りは、金石住民にとっては一年のなかでもとても重要な行事だそうだ。そのために県外に出ても帰省する若者もいる。その地域の一致団結の祭りは紛れもなく金石住民のアイデンティティをつくり上げているだろうし、いま、私たちがこうして外部から金石に通い続けていくなかで美術館の活動に協力してくれているのも、そういった伝統が根付いていることが少なからず影響しているように思う。

玉を海に浮かべた後、主導してくださった建設会社の方からは、海岸に作品を置いてみたい、海をもっと身近に感じられるようなことをしていきたいなど、今回の出来事をきっかけに新しく何か動き出そうとする兆しが感じられる感想を聞くことができた。アーティストのある種無茶振りが金石の人たちにいい影響を与え始めている。


牛嶋均《ころがるさきの玉 ころがる玉のさき》


また、田村化粧品店の店主・田村くに子氏が会期中「牛嶋家」の展示を観に来た来場者にまるで自分の作品かのように積極的に店内を案内する様子が印象的だった。かつて化粧品店でありながら、店主のその人柄にひかれ多くの客が立ち寄り、ただ話すだけの客も多かったと聞いていたが、田村さんが会場で来場者に対応する姿はまさに50年以上店頭に立ち続けた姿そのものなのだろうと思いながら眺めていた。会期中、滞在していたアーティストたちも「田村のお母さん」と言って頻繁に会場に入りいびたっていた。オーギカナエのワークショップや、居心地のいい空間ということももちろんあるだろうが、昔からこの店には人が寄る空気があったことを「田村のお母さん」を見ていて感じることができた。


旧田村化粧品店とその店主・田村くに子氏(中央)


今回の「かないわ楽座」が終わった後、店主の田村さんはこの会場をサロンのように人が集まる場所として開放しようと考えている。化粧品店を閉めてからはすっかり元気がなくなったと聞いていたが、今回の楽座をきっかけに、またかつての化粧品店のときのように地域の人が「田村のお母さん」に会いに来る場所として、そして地域の人たちがつながる場所として場を提供してくれようとしていることは、この楽座の大きな収穫だった。


「交流は商売やる以上に大切だったのかもしれないね」

もうひとつ、今回の楽座で目に見えるかたちで今後につながる出来事があった。宮田明日鹿が始めた「金石手芸部」だ。この会場は、街の人々がもっとも頻繁に通った場所かもしれない。筆者もときどき自分の編みかけの作品を持って皆さんの輪のなかに混ぜてもらっていたのだが、いつ行っても誰かが編み物や縫い物をしている。こういう場所があるというだけで、自宅でひとりで黙々とやりがちな手芸を誰かと一緒にお喋りしながらやることが、皆さんにとってとても新鮮で、彼女らが夢中になっていく様子がよくわかった。世代もバラバラで、同じ地域に住んでいてもほとんど会ったことのない人たちも大勢いるなか、不思議と手を動かしながら他愛もない話をしたり、地域の情報を交換したり、とにかく話題が絶えない。


金石手芸部の活動の様子


手芸部の会場になっている元文房店の店主・鴻野勍三郎氏から今回の楽座開催にあたって次のようなコメントをいただいた。

「最近は商店街のお店も減って、人付き合いも少なくなったね。商店街は道路から入り口が近いから、人の動きがよく見えるんだよ。近所のばあちゃんはなんてことない話して、子どもは家のおつかいしに来たりしてさ。街全体でみんなを見守ってた感じだよ。いまの人はお節介に感じるかもしれないけど、交流は商売やる以上に大切だったのかもしれないね」

宮田がやりたかったこととは、まさにこうした交流が生まれる場の創出だ。

手芸部の参加者がある日こんな話をしてくれたことがいまも忘れられない。その女性は結婚する前までは金石に住んでいたそうだ。

「昔は銭湯がもっとたくさんあって、毎日銭湯に通っていた。近所の人ともよく銭湯で会ったし、お喋りもした。幼い頃は親ではなく近所の人たちにお風呂の入り方や体の洗い方など教わった。銭湯にみんな通っていたから、近所の人の安否確認もできていた。いまは、誰が近所に住んでいて、元気なのかそうではないのかなんてまったくわからない。近所の人たちと交流する場所がなくなりつつある。だから、こういう手芸部みたいな場所があると、自然と人が集まれて、とりわけ高齢者にとっては安心できると思う」

いま、世の中は新型コロナウイルスの影響でリアルな人との交流が激減したと言われているが、コロナが流行るもっと前から私たちの生活における他者との交流の機会の喪失は始まっていたのだ。この金石手芸部には小学生から90代の高齢の方までが通ってくださっていて、もちろん編み物や縫い物をしに来ているのだが、あの輪のなかに入ると皆さんが手芸を口実にそこに集まる人たちに会いに来ていることを実感する。

だからこそ、金石手芸部は作家の宮田の手を離れ、ここに通い続けてくださった人が続けたいと手を挙げてくれた。そして、数名の賛同者と共に、今後、金石で不定期だが手芸部の活動が継続されることが決まったのである。また、今回会場を提供してくださった元文房具店のスペースを、大家の鴻野さんも田村化粧品店の田村さんのように何か街とつながるために使っていきたいと考え始めていると聞いた。


金石手芸部の活動の様子



対話や協働を通して「場を開く」

「かないわ楽座」開催の目的に立ち返ってみたい。

人々が集い話すための「場を開く」こと。そこで地域の人たちが、自分たちの暮らす街のこれからについて考えるきっかけをつくること。

今回参加してもらったアーティストやクリエイターたちが実践したことは、この「場を開く」ために来場者と向き合い、対話し、ときに協働して取り組むことだった。


会期中、不定期に刊行された『かないわ楽座しんぶん』


金石には古くからの歴史や文化が根付き、それと関係するいくつもの行事があり、それらを守ろうとしている人たちがいる。祭事に厚い地域でもあり、元来住民たちで協働し物事を成し遂げることに慣れた土地柄でもある。

少子化や人口減少に伴い、高齢化が進んだことで、以前と同じようにはならないけれど、どうにかしたいと強く思っている人たちにもこれまでたくさん出会ってきた。

アートやアーティストは街を変えることはできない。それができるのは、そこに住む人たちでしかない。ただし、そのためのきっかけをつくったり一緒に考えることはできるはずだ。この1カ月間の出来事が、今後何年か先の金石の未来に少しでも影響を与えることができたのではないかと信じている。その証拠に、少しずつ街の人たちが動き出そうとしているその第一歩として、いま紹介してきたような出来事を目の当たりにすることができた。


旧樫田堂での座談会の様子


2021年7月。世界は新型コロナウイルスの影響からいまだ逃れられないでいたが、ほんの束の間、オンライン上ではなく自分の足で通い、人と対面で話したり笑ったり考えたりすることができた貴重な時間だった。このような時代だからこそ、他者と交流することがどれだけかけがえのないものなのか思い知らされたように感じる。

元文房具店の鴻野さんが、「交流は商売やる以上に大切だったのかもしれないね」と振り返るように、交流することで街や人は成長していけるはずだ。

「かないわ楽座」で蒔いた種が近い将来芽吹いて花が咲く日を楽しみに、我々も引き続き金石に通い続けていきたい。同時に、金石での活動を通して、改めて美術館という場所の役割や市民との関わり方についても考える必要性を感じている。


自治区 金石大野アートプロジェクト「かないわ楽座」

会期:2021年7月3日(土)〜31日(土)
※7月31日(土)は休止
会場:金石・大野地区
公式サイト:https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=146&d=86

  • そこに住む人たち自身が街を変えていくこと──自治区 金石大野アートプロジェクト 「かないわ楽座」