キュレーターズノート

コロナ禍のなかでの青森県立美術館その3──「大・タイガー立石展」と「編集者 加藤謙一と昭和漫画」展

工藤健志(青森県立美術館)

2021年12月01日号

2022年1月16日(日)まで埼玉県立近代美術館&うらわ美術館で開催中の「大・タイガー立石展」。千葉市美術館、青森県立美術館、高松市美術館に埼玉の2館を加えた計5館による共同企画展である。もともと本展は千葉市美術館の水沼啓和さんが発案したもので、美術館連絡協議会(美連協)を通して参加館が募られた企画であった。2017年12月3日に幹事館である千葉市美術館で初めての会議が行なわれ、タイガー立石生誕80年の節目にあたる2021年度の開催を目指して準備がスタートした。しかし、2018年の暮れに水沼さんが突然他界され、準備は中断してしまう。半年ほど経った2019年5月21日に再度関係者が集まって対応を協議。水沼さんの遺志を継いだ千葉市美術館が幹事館継続を表明してくださり、企画は再始動。千葉市美術館(千葉県は立石が晩年を過ごしたゆかりの地)の藁科英也さんと森啓輔さん、そして60年代美術の優品を数多く所蔵している高松市美術館の牧野裕二さん、イタリア時代の立石の活動に詳しい埼玉県立近代美術館の平野到さんと菊地真央さん、「本のアート」を専門とするうらわ美術館の滝口明子さん、加えて筆者という学芸チームで、さらに立石夫人の富美子さんとANOMALYの協力を得ながら準備を進めることとなった。

コロナ禍のなかでの複数館連携企画

せっかくの機会なので、当初は立石が1968年から82年まで滞在したイタリア時代(20代後半~40代前半の壮年期!)の作品を現地調査のうえ、日本に持ってきたいというプランも出ていたのだが、2020年初頭に起こった新型コロナウイルス感染症のパンデミックで残念ながら諦めざるをえなかった。しかし、幸いなことに紙焼きの写真で残されていた当時の作品群が現在映像作家として活躍中の中川陽介さんによってデータ化されていたので、出品こそ叶わなかったものの、カタログには参考図版として可能な限り収録することに。イタリア時代のみならず、60年代の現存しない作品もあわせて掲載し、カタログをレゾネ(総目録)的な方向性でまとめたことはコロナ禍のなかで選択できる「たったひとつの冴えたやり方」ではなかったか。 

コロナ禍は展覧会の準備にも大きな影響を与えた。充分な調査や対面での打ち合わせができなくなったため、5館の学芸員がそれぞれ担当分の作業を個別に行なってプランを出し合い、調整していく流れで作業を進めたが、複数館の協働による展覧会とカタログづくりをほぼメールのみで進め、無事にオープンまでこぎつけたのはひとえに事務局である千葉市美術館の尽力によるところが大きく、この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。さらに言えば、準備期間中に事務局である美連協が今年度での業務停止を発表するなど、オープンまでのあれやこれやの出来事が強く印象に残る共同企画展であった。この原稿を書いている11月末時点で感染症はかなり落ち着いてはいるものの、2年に及ぶコロナ禍で我々はさまざまな困難に直面し、問題解決の方法を模索した。仮にこのまま終息したとしてもその体験を「終わったこと」と捉えず、今後の展覧会のあり方を考えていくためのきっかけにしなければ、と思う。


「大・タイガー立石展」青森会場展示風景 展示会場入口[撮影:小山田邦哉]


事業予算の少ない日本では自主企画で大きな企画展を開催できる美術館は少なく、美連協やマスコミ事業部、企画会社を事務局として各館から負担金を集め、展覧会をつくっていくことが一般的である。しかし、その手法がきわめて脆弱なものであったことが明らかになったいま、コロナ禍以降の展覧会がどうあるべきかの議論はもっと行なわれて然るべきだろう。集客至上主義からの脱却、それぞれの地方の文化コンテンツをコレクションによって掘り起こす内需喚起的な取り組み(いわゆる「芸術祭」とは対極の発想)、美術館相互の連携による共同企画(静岡県立美術館、島根県立石見美術館、青森県立美術館で実行委員会を組んで開催した「美少女の美術史」や「めがねと旅する美術展」は事務局も美術館のなかに設置した)など、文化を扱う施設の原点に戻り、俗臭が芬々(ぷんぷん)とする商業主義動向に抗うような活動が必要なのではないか。このあたりでもう一度「ハードル」を上げ、文化的教養が涵養され、知識や思考に刺激を与えてくれるようなかつての美術館、博物館の姿に回帰しても良いのではなかろうか。


展示空間×変幻自在の視覚イメージ

と、なんだか年寄りの愚痴みたいになってしまったが、実際に年寄りなので仕方ない。と開き直りつつ、話をタイガー立石展に戻そう。 

立ち上がりの千葉市美術館は「POP-ARTの魔術師」、続く青森県立美術館は「トラック、トラベル、トラップ、トランス」、高松市美術館は「変幻世界トラ紀行」、そして現在開催中の埼玉県立近代美術館・うらわ美術館は「世界を描きつくせ!」と、各館で変化するサブタイトルも解釈の幅を広く持つ立石作品の特徴をよく反映したものと言えよう。


「大・タイガー立石展」各館のポスタービジュアル(千葉会場[左上]、青森会場[右上]、香川会場[左下]、埼玉会場[右下])


展示もこれまでのような美術に軸足を置いて構成された回顧展とは異なり、漫画、絵本はもとより、これまで割愛されることの多かった商業イラストやデザインの仕事まで網羅。活動の幅をより広く、そしてさまざまな表現領域の垣根を取り払い、タイガー立石という作家の個性や特質、そして表現としての先駆性を明らかにすることを目指した。

展示は同じ出品作を元にしながら各館で印象が大きく変化していたが、これは作品の配置によるところが大きいのだろう。さまざまな事象、観念を集積させた立石の作品はひとつの作品のなかで複雑な物語が展開しているが、作品の配列によってもともと多様性に富む視覚イメージをより混沌化させることもできるし、あるイメージを抽出して、それらをまとめることで秩序あるスタティックな空間をつくることもできるからだ。

青森では「タイガー」をペンネームとした多彩かつ独創的な立石作品の特徴を「トラベル」(観光)、「トラップ」(仕掛け)、「トランス」(変容)と、「トラ」を無理矢理にもじった切り口でまず紹介。その上で年代順に「足跡」(トラック)を振り返っていく構成とした。導入部の展示では作品をできるだけ客観的に捉えられるよう配置し、続く活動の歩みを紹介するコーナーからは逆に立石の脳内に入り込み、その迷宮を旅するような空間になるよう意図。さらに土壁、土床の展示室を「混沌」的に、ホワイトキューブを「秩序」的に作品を配置することで、展示としても一本調子にならないよう配慮した。そして最後の展示室では明治・大正・昭和をテーマにした「大河画」3点を再び外部化させる。


「大・タイガー立石展」青森会場展示風景 導入部の展示[撮影:小山田邦哉]


「大・タイガー立石展」青森会場展示風景 1960年代の展示[撮影:小山田邦哉]


「大・タイガー立石展」青森会場展示風景 1970年代の展示[撮影:小山田邦哉]


「大・タイガー立石展」青森会場展示風景 1980-90年代の展示[撮影:小山田邦哉]


「大・タイガー立石展」青森会場展示風景 「大河画三代」(《明治星雲高雲》、《大正伍萬浪漫》、《昭和素敵大敵》[各1990])の展示[撮影:小山田邦哉]



30年の時を経て

このように、森羅万象を描き続けた立石の多種多様な表現を、没入と客観の視点、撹乱と秩序の思考、その相互運動によって立石の活動の本質へと迫っていくような展示を目指したのだが、果たしてうまく伝わったか。ただ、個人的にはこれまで担当した展覧会のなかでベストの展示ができた手ごたえがあったし、学芸員になって初めて担当した「立石大河亞1963-1993展」(田川市美術館、1994)で当時立石さんに手取り足取り教えてもらいながら展覧会をつくったにもかかわらず、なにぶん初心者ゆえに反省や後悔ばかり残っていたけれど、30年近くの年月を経てやっとケリをつけられたようにも感じている。

その間、食玩やプラモデルをモチーフにした文化史展や、美術、漫画、アニメ、ゲームなどを等価に扱うジャンル横断型の展覧会ばかりを企画してきたが、これも立石さんの展覧会が「初体験」だったことと無縁ではなく、当時いろいろと立石さんと話をしながら培われた価値観が根底にあったように思う。

展覧会は残念ながら新型コロナ感染症の第5波が直撃し、関連イベントの類は一切開催できず、会期も短縮して終了となってしまったが、「30年ひと区切り」とはよく言ったもので、今回の立石展で自らの展覧会の仕事がちょうどぐるりと一周した気がしている。準備、運営が難航したことも何かの暗示のようで、このあたりで僕の企画展の仕事は「おしまい」ということなのかもしれない。

ともあれ、大・タイガー立石展は2022年1月16日まで埼玉県立近代美術館とうらわ美術館で開催中である。会場が二つになったことでこれまで展示できなかった作品も多数追加され、まさに「大・タイガー立石展」のフィナーレを飾るにふさわしい規模の展示となっているので、未見の方はぜひ足を運んでいただきたい。


「大・タイガー立石展」青森会場展示風景 導入部の展示[撮影:小山田邦哉]



青森とタイガー立石

少々個人的な想いを書きすぎてしまったようなので、ここからは青森で「大・タイガー立石展」を開催した意義について記してみたい。当館では立石のデビュー作となる《共同社会》(1963/1993再制作)や《明治百年》(1965)などをコレクションしているが、青森に直接ゆかりのある作家ではないため、これまで自主企画による大規模回顧展の開催は難しかった。今回は共同企画展ということもあって参加できたのだが、それでも青森で立石展を開催する理由はきちんと示しておきたい。そこで同時期の「コレクション展2021-1:ユーモアと祝祭」(2021年5月15日~8月31日)で関連企画として開催したのが「はじまりは“漫画少年”だった:編集者 加藤謙一と昭和漫画」であった。


「はじまりは“漫画少年”だった:編集者 加藤謙一と昭和漫画」展示風景[撮影:小山田邦哉]


まずは立石による自譜年譜を引用してみよう。


昭和21(1946)年 4才:
スミでぬりつぶした教科書をもらい余白にパラパラ漫画をかく。戦前の漫画本「のらくろ」を見る。玩具などなし。

昭和25(1950)年 8才:
「漫画少年」「おもしろブック」「少年画報」など創刊。

昭和28(1953)年 11才:
ディズニー映画「ファンタジア」、杉浦茂の漫画、手塚治虫のSF漫画「地球1954年」など。最も明るい少年期をすごす。

昭和30(1955)年 13才:
「漫画少年」に投稿入選。


漫画と映画に夢中になっていた少年時代の立石。自らも漫画を描き、1955年の『漫画少年』6月号には当時13才の立石の2コマ漫画「銅像」が入選、掲載されている(カタログに載っていないのは準備段階で探し出すことができなかったから。幸いなことにその後の調査で所有者が見つかり、展示の冒頭で掲載誌を展示することができた)。学童社から発行されていたこの『漫画少年』という雑誌を創刊した人物こそ、昭和戦前期より子どもたちの間で爆発的な人気を誇った少年雑誌『少年倶楽部』の編集長を務めた弘前市出身の加藤謙一であった。立石が少年時代に愛読した雑誌を手がけた加藤の仕事を紹介することで立石と青森をつなぎ、あわせて『少年倶楽部』から『漫画少年』に至る当時の漫画動向をさまざまな資料で振り返りながら、立石作品と漫画の関係性を考察する機会と位置づけた。

展示は戦前の『少年倶楽部』(1914年創刊、1962年廃刊)からスタート。『少年倶楽部』は大日本雄弁会講談社(現・講談社)が発行していた小学校高学年から中学生向けの雑誌で、加藤が編集長を務めた昭和初期に黄金時代を迎え、佐藤紅緑、吉川英治、大佛次郎らの小説、田河水泡の「のらくろ」や島田啓三の「冒険ダン吉」などの漫画が人気を博している。さらに読者参加ページや巨大ペーパークラフトを付録にするといった斬新なアイデアも部数増に大きく貢献した。特に、読者が滑稽大学のメチャラクチャラ博士と珍問答を交わす「滑稽大学」や、読者がつくったユーモラスな和歌を紹介する「滑稽和歌」、そして同誌編集部手伝いの久平君なる少年が、編集部内の様子を一読者の目線で紹介する「久平新聞」など、読者参加型の誌面を通して読者と雑誌の密接な関係を築こうとする加藤のアイデアは後の『漫画少年』へと受け継がれていく。


「はじまりは“漫画少年”だった:編集者 加藤謙一と昭和漫画」展示風景[撮影:小山田邦哉]



『漫画少年』がつくった戦後漫画文化の基礎

もともと加藤に漫画の重要性を説いたのは青森出身の作家・佐藤紅緑であった。稿料で揉めた高畠華宵が『少年倶楽部』から離れた際に加藤はすぐさま同郷の小説家、佐藤紅緑へ少年小説の執筆を依頼、なんとか承諾を取り付け、「あゝ玉杯に花うけて」が1927年5月号から1928年4月号まで連載され、大きな反響を呼ぶ。加藤の回想録(『少年倶楽部時代』講談社、1968)によれば、佐藤は誌面に漫画をもっと掲載するよう勧め、加藤は血眼になって良い漫画家を探し、そのとき才能を見出されたのが田河水泡であった

田河は1926年、大日本雄弁会講談社に創作落語を持ち込み、落語作家として採用されたが、もともとは日本美術学校図案科に入学し、在学中には高見沢路直という名前で前衛運動「マヴォ(MAVO)」にも参加していた画家であった。その経歴を買われ、1928年に『少年倶楽部』で「目玉のチビちゃん」の連載を開始し、少年漫画デビュー。そして代表作となる「のらくろ」が1931年新年号から1941年10月まで長期にわたって連載されると、『少年倶楽部』を代表する人気漫画となっていく。画家であり文学者でもあった田河について澁澤龍彦は『私の少年時代』のなかで「田河作品にあっては、セリフの文学的な質の高さが抜群なのだ。あえていえば、私の文章修行の第一歩は、ようやく字が読めるようになった六、七歳のころから、あの『のらくろ』を毎日のように熟読玩味したことだった」と述べている。

田河の弟子の漫画家には「サザエさん」の長谷川町子や、立石が自らの創作活動の原点と述べた杉浦茂などがいるが、杉浦もまた太平洋画会研究所で油彩画を学び、第11回帝展洋画部で入選したのちに田河水泡へ師事した画家出身の漫画家であった。「自由奔放」、「変幻自在」、「奇想天外」な超ナンセンス性やパノラミックな画面構成などを得意とした杉浦の表現には当時の前衛芸術からの影響が強く認められる。彼らの作品は良質かつ先鋭的な諸芸術の成果を「漫画」というフレームに落とし込んだものとも捉えられよう。ちなみに田河と加藤との縁は戦後も続き、田河は『漫画少年』にも短編漫画や少年詩などを寄せている。


「はじまりは“漫画少年”だった:編集者 加藤謙一と昭和漫画」展示風景[撮影:小山田邦哉]


加藤は敗戦後の1945年11月に講談社を退社。1947年1月には公職追放となってしまう。そうした経緯もあり、同年に夫人の名義で学童社を設立し、『漫画少年』を創刊する。同誌は手塚治虫の初連載作品となる「ジャングル大帝」をはじめ田河水泡や長谷川町子らの漫画、佐藤紅緑や吉川英治、菊池寛、西条八十らの文芸作品に加え、創刊当初より読者の投稿作品を募集し、入選した作品を誌上に掲載、あわせて講評も添えられた。そのため漫画家を志す全国の読者にとって同誌は、新人漫画家となるための登竜門的な存在となっていく。赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、つのだじろう、松本零士ら漫画家のほか、作家の小松左京、筒井康隆、眉村卓、そして田名網敬一、横尾忠則らのグラフィックデザイナーや写真家の篠山紀信など、後にそれぞれの分野で活躍することとなる若者たちがこぞって『漫画少年』に投稿していた。


立石の芸術規範と漫画

今回展示することができたわずかな戦前~戦後期の漫画を見ると、それらが現在の漫画の「フォーマット」となり、アニメや特撮といった新しいメディアの重要な出発点になっていることが充分再確認できよう。さらに未来派やダダ、シュルレアリスムなどの前衛表現を独自に解釈した斬新な視覚性を有していること、そして同じ20世紀の新興芸術である映画の「動き」をコマのなかで再現、さらにその連なりで空間と時間を表現するために漫画家たちが新しい試みを次々に行なっていたことなどが読み取れる。当時の漫画は絵画、文学、映画などさまざまなジャンルを「総合化」した、実験的かつ創造性に富む表現メディアであったが、立石の作品はこの時期の漫画から多大な影響を受けていることを、この関連展示で明確に示すことができたように思う。

漫画や図案を自らの芸術の規範におくタイガー立石の作品は、戦後に二分化していく「芸術」と「大衆文化」を再びその起点に戻す先駆的な試みであった。長らく評価が遅れたこともそこに起因するのだろう。美術→漫画ではなく、漫画→美術の発想と手法で作品を手がけたタイガー立石は、日本の戦後美術史のなかでも特異な存在であったと言える。


★──余談だが、「あゝ玉杯に花うけて」もまた戦後の漫画文化に影響を与えている。1960年代後半に「巨人の星」をはじめ、「あしたのジョー」「タイガーマスク」などの大ヒット漫画を手がけ、漫画原作者という新たなジャンルを確立させた梶原一騎はひそかに佐藤を敬愛しており、少年漫画雑誌『週刊少年マガジン』(講談社)から漫画原作の依頼があった際、当初は乗り気ではなかったものの、当時の編集長から「マガジンの佐藤紅緑になってほしい」と言われたことが決め手となり「巨人の星」の原作を書くことになったという逸話が残されている。


大・タイガー立石展

[千葉会場]大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師
会期:2021年11月16日(火)〜2022年1月16日(日)
会場:千葉市美術館
公式サイト:https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/21-04-10-07-04/

[青森会場]大・タイガー立石展 トラック、トラベル、トラップ、トランス
会期:2021年7月20日(火)~9月5日(日)
会場:青森県立美術館(青森県青森市安田字近野185)
公式サイト:http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/136/

[香川会場]大・タイガー立石展 変幻世界トラ紀行
会期:2021年9月18日(土)~11月3日(水・祝)
会場:高松市美術館(香川県高松市紺屋町10-4)
公式サイト:http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/museum/takamatsu/event/exhibitions/exhibitions_2021/exhibitions_2021/artm_up20210820.html

[埼玉会場]大・タイガー立石展 世界を描きつくせ!
会期:2021年11月16日(火)〜2022年1月16日(日)
会場:埼玉県立近代美術館(埼玉県さいたま市浦和区常盤9-30-1)/うらわ美術館(埼玉県さいたま市浦和区仲町2-5-1 浦和センチュリーシティー3階)
公式サイト:
https://pref.spec.ed.jp/momas/great-tiger-tateishi
https://www.city.saitama.jp/urawa-art-museum/exhibition/whatson/exhibition/p084407.html

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